1.プロローグ
私は今、役所にいる。
「次の方。三番窓口までどうぞ。」
しかしただの役所ではない。
受付嬢に呼ばれて立ち上がったのは、大往生を遂げたであろう老婦人の“霊”だからだ。
お年寄りの霊達が世間話に花を咲かせる中、うら若い娘の霊は私一人だけだった。
〈一体私が何をしたっていうのよ。〉
待合所の片隅で固く唇を噛み締めながら、体感時間にして僅か小一時間程前の状況を思い返していた……
高校へ通学途中、突然全身が痺れて倒れた。地面にしたたか打ちつけられて痛みが走る。やがて体中が痙攣して、意識が落ちた……
「ああ〜びっくりした。」
目を回しながらふよふよと起き上がった私は、周囲を見て呆然とする。目の前で、“自分”が倒れているのだ。
「うわ!なんであそこに私の体があるの!?」
よく見ると自身の体が透けていて、ふわふわと宙に浮いている。
自分の身に何が起きたのかも解らず唖然としていると、天から一条の光が差し込み、数名の“お迎え”がやって来た。
呆気に取られている私に、「あなたは死亡しました。」と宣告すると、狼狽する私を取り囲み、問答無用で昇天させたのだった。
そして気づけばここ【冥府】と呼ばれる役所に連れてこられ、入り口で整理券を渡された後、この待合所で待機する様言われたのだった。
仕事は済んだとばかりに去っていく役人の実にあっさりした対応が、いきなり人生を絶たれてしまった憤りに拍車をかけた。
「次の方、どうぞ。」
私の番がきて窓口に向かうと、受付嬢が事務的な挨拶をする。
「あの!わけもわからずここに連れて来らたんですけど!」
「まずはお掛けになって下さい。」
私の事など歯牙にも掛けない態度で椅子をすすめると、私の顔写真入りの書類を取り出した。
「脳溢血で死亡なさったんですね。お悔やみ申し上げます。」
形ばかりの礼をすると、水晶玉を取り出した。
「こちらに手をかざしてください。」
事務的な態度に腹は立つが、大人しく指示に従ってしまうのはやはり事なかれ主義の日本人のDNAだろう。
手をかざすと水晶玉は紫色に点滅した。
受付嬢は結果を書類に書き込むと、引き出しから数枚の申請書類を取り出した。
「あなたは特殊な魂の様ですので、ここでは審査が出来ません。恐れ入りますが、【異邦人管理局】で再度手続きをお願いします。」
そう言って向かいの建物を示した。
〈はあっ?これがお役所名物の“たらい回し”?〉
待たせておいてふざけるな!と、叫べたらどんなにかスッとするだろう。しがない女子高生には黙って頷くのが精一杯だった。
書類を持って建物の外に出ると、明らかに地球ではない光景が広がっている。
「……私、本当に死んじゃったんだ。」
途端に心細くなって、逃げ込む様に向かいの建物へと入っていった。
受付で事情を説明し、向こうの窓口で渡された書類を見せる。
しばらくすると秘書らしき女性が現れて、「局長が直接審査にあたります。」と言った。
〈局長って偉い人よね?そんな人に直接審査されなきゃならないような悪い事なんてしていないのに……〉
急に不安になってしまう。
私は至って普通の女子高生だった。
死んでまでお偉いさんのお世話にならなきゃいけない様な事はしていないはずだ。
そう自分に言い聞かせると、思い足取りで歩き出す。
訝しみながら秘書の後を着いていくと、重厚感のある扉の前に来た。
「失敗します。」
秘書の案内で扉の中に入ると、中にいた中年の男性は目を細めた。
「やあ、異世界のお嬢さん。久しぶりだね。」
「……?」
言っている意味が分からず首を傾げると、男性は「先に処置をした方が話が早いかもな。」と言って立ち上がった。
目の前に立つと、私の額に何かの機械を当てる。
怖くて後退りしようとしたのだが、足が地面に吸い付いた様に離れない。
「処置の途中で機器が離れてしまうと、記憶が中途半端になってしまうから大人しくしていてね。」
〈それもっと早く言ってよ!〉
何をされるのかわからないが、さらっと怖い事を言われて固まってしまう。
しばらくすると、頭の中に沢山の映像が流れくる。明らかに地球ではない、別の世界の映像だ。
人間は魔法を使い、魔物も生息する
ファンタジーRPGの様な世界だが、その中世ヨーロッパの様な映像を見ていると、何故か郷愁のようなものが湧いてきた。
「私、この世界を知ってる。」
脳内に流れる映像をのめり込む様に眺めていると、これはただの映像ではなく、“前世の私が見た記憶”だと気づいた。
「ああ、思い出した……私はルシア……。」
*****
───前世。いや、地球で死んだのだから前前世の私は、ゲルト王国と言う北国の王宮医務官だった。
「ルシア先輩、次の患者をお願いします!」
「わかったわ!手が空いたら、この患者さんの包帯を交換して。」
我が国の医療の最高峰である王宮医療研究所で、後輩の指導をしながら日々キャリアを積んでいた。
13歳で医師としての才能を見出され、15歳で王都の医学校に進学した。
首席で卒業すると、エスカレーターの様に王宮に就職をする。
王宮医務官は待遇も良く、研究費にも事欠かない。素晴らしい職場だった。
ただ一つ不満があるとすれば、王族が傲慢で、たまに我儘に巻き込まれる事だろう。
しかしそれさえ我慢してしまえば、後は多くのやり甲斐と使命感に満ちた最高の天職であったと思う。
順風満帆に過ごしていたある時、王国を疫病が襲った。
逃げ出す治癒師が多い中、私は志しある後輩達と現地に入り、必死で疫病患者の治療を行った。
力戦奮闘の末、疫病の封じ込めに成功したのだ!
私は後輩達と共に表彰され、勲章を授与された。
今思えば、叙勲の喜びに後輩と快哉を叫んだあの瞬間が人生の頂点だったのだ。
翌年、王宮にきな臭い香りが立ち込める様になった。
「南の隣国、セイル王国と戦争になるらしい。」
「うちの強欲な国王陛下が、セイル王国を欲しているみたいよ。」
そんな噂が流れ始めたのは、北国の短い夏が終わった頃だった。
本格的な秋を迎えると噂は真実となり、連日の様にセイル王国の使者が出入りする様になった。
我がゲルト王国は雪深い北国ではあるが、豊かな鉱山資源を背景に強力な軍事力を誇る、世界でも有数の軍事強国だ。
資源に乏しく弱小国であるセイル王国は、我が国との戦争を回避するのに必死だ。連日の様に交渉を続けているが、結果は見えている。
我が国の国王陛下は冬でも凍らない港が欲しいのだ。
南方に位置するセイル王国は南側を海に面しているので、陛下はその港と海産資源を虎視眈々と狙っていた。
冬。大雪が降りしきる中、予想通り交渉は決裂した。
セイル王国の使者の血の気の失せた表情を今でもよく覚えている。
そして雪解けを迎えた頃、私も従軍医師として出征する事になってしまった。
それからは地獄の毎日だった。
そもそもこの戦争において我が国に大義はない。難癖をつけて仕立て上げた戦争の大義名物は、誰が見てもお粗末なものだった。
こちらは欲望の侵略戦争だが、あちらは祖国を守るという大義があった。
セイルの騎士達は決死の覚悟で、文字通り粉骨砕身戦い抜いてくる。
祖国を守る為に激闘し、命を散らしていくセイルの騎士達……
いっそ清々しいまでのセイル騎士の勇姿に、私は慚愧に絶えない思いを日々抱えていく事になる。
この戦いは我々に義はない。今私がやっている事はただの殺人の幇助だ。人命救助が私の使命であり、生き甲斐であったはずなのに……
そんな相反する苦しみが胸を占めるようになり、夜もよく眠れなくなってしまった。
鬱状態のまま日々戦争に加担し続けた事で、私は心身に限界が来てしまった。
治療に必要な道具を取りに行く為にふらふらと階段を登っていた時だった。連日の寝不足が祟って目が回る。
視界がぐらりと傾いたと思ったら、そのまま足を踏み外して階下へと落下してしまった。
そして頭を強く打ち、そのまま息絶えてしまったのだった……