学校一の天使として有名な白羽根天子は俺の前でだけ小悪魔になる
「ねぇ、知ってる? 白羽根さんって、人間と天使の子供らしいよ」
そんな突拍子もない噂が流れ始めたのは、彼女が入学して一ヶ月が経った頃だった。
銀色の髪と色白の肌。そして人々を昇天させてしまいそうな程美しい微笑みや、見返りを求めない百パーセント善意の言動は、確かに天使を連想させる。
聞いた話によると、彼女の家は教会らしい。聞いた話によると、彼女は聖書を暗唱出来るらしい。
どこまでが本当のことでどこからが作り話かはわからないが、様々な噂が積もりに積もって、彼女・白羽根天子=天使という定義を成り立たせているのだ。
俺・海堂真斗は白羽根が入学したその日に、彼女と話している。
というのも、新入生には案内係として一人一人に上級生ぎ付くことになっており、白羽根の担当が俺だったのだ。
「お前だけ可愛い新入生の担当になりやがって!」と、あの時は同級生の男子からめっちゃ恨まれたぞ。なんなら、現金を渡されて「替わってくれ!」と泣きながら懇願されたくらいだ。まぁ、当然断ったけど。
そんな背景もある為か、俺と白羽根の関係はただの先輩と後輩じゃなかったりする。だからといって、友達と呼べる程親しいわけでもないのだが。
あえて言うならば、白羽根にとっては俺は唯一の理解者ではないだろうか?
だって俺は知っているのだ。白羽根は決して天使なのではなく、寧ろ――
◇
朝俺が登校すると、正門付近に人集りが出来ていた。
人集りの半数以上は男子だが、少なからず女子の姿もある。共通して言えることは、誰もが「おぉ!」という感嘆の声を上げていることだった。
人集りの中心に、誰がいるのか? 毎朝恒例の光景なので、考えるまでもない。人集りの隙間からチラッと覗くと、案の定白羽根が天使のような笑顔で皆に手を振っていた。
その神対応ならぬ天使対応に、生徒たちは心を奪われてしまう。なんでも熱烈な信者になると、白羽根の背中に天使の翼が見えるようになるらしい。アホくさ。
またやってるよと呆れながら俺が人集りのそばを通り過ぎようとすると、ふと白羽根と目があった。
白羽根はこっそりと、俺だけにわかるように「べっ」と舌を2回ほど出してみせる。
……はいはい、わかりましたよ。
俺は昇降口に向かっていた足を止め、方向転換。体育倉庫裏に向かって、歩き始めた。
先程白羽根がした2回舌を出すという行為は、俺だけにわかる意思表示だ。何か困ったことがあったら、そうやって俺に助けを求めろと入学式の日に伝えておいた。
無論俺は入学式の日のみ適用されるジェスチャーだと思っていたのだが……どうも白羽根はそう思っていないらしく、担当を外れた今でもこうしてジェスチャーを使ってくる。
始業前の体育倉庫裏には、まず人なんて来ない。密会するにはもってこいの場所だ。
俺は体育倉庫の壁にもたれかかりながら、白羽根が来るのを待った。
待つこと五分。ようやく朝の礼拝(あの人集りのことを、俺はそう呼んでいる)が終わったのか、白羽根が小走りでやって来た。
「お待たせしてしまってすみません、先輩!」
「あぁ、本当に待った。だから今度から朝呼び出すのはやめようぜ。日中アポを取って、放課後会うことにしようぜ」
良かれと思って口にした俺の提案に、白羽根はムーっと頬を膨らませる。
「だったら別に待たなくて良いですよ。その代わり、強く手を引いて私をあの場から連れ出して下さい。その上で、教室でも体育倉庫でもラブホでも好きなところに連れ込んじゃって下さい」
「絶対嫌だね。お前を連れ出したりなんてしたら、絶対学校中から恨まれるじゃん。「神罰だ!」とか言われて、数日後には抹殺されてるぞ。……あと、最後のラブホってやつは何だ?」
「やだなぁ、天使ジョークですよ。……あっ、でも先輩がその気なら、私は全然オーケーなんで。いつでも誘って下さいね」
「はいはい、わかったよ。……で、用件は? 今日は何を助けて欲しいんだ?」
「そうでしたそうでした」と言いながら、白羽根は鞄をあさり始める。中から取り出したのは、英語の教材だった。
「じゃーん! 一年生の、英語の教材です!」
「うん、見ればわかる」
「ですよねー。実は私、前回の授業で長文を訳してくるよう言われたんですが……驚くことに、何もやっていないんです!」
「驚かねーよ。心底呆れているよ」
「どうしましょう!?」
「こんなところで油売ってないで、さっさと教室に行って訳し始めれば良いだろう」
正論を言っただけだというのに、またも白羽根はムーッと頬を膨らませる。これは不満しかない人間の顔だ。
「先輩の意地悪。先輩頭良いんだから、サクッと訳してくれたって良いじゃないですか」
「そう言って毎度毎度宿題をやらせているのは、どこのどいつだよ? この際はっきり言うけどな、いつまでも宿題を人にやらせてたら自分の為にならないぞ」
「あーあー。何も聞こえなーい」
白羽根は両耳を塞いで、意地でも俺の説教を聞かないようにしている。……この野郎っ。
「先輩は私のこと、嫌いなんですか……?」
「嫌いじゃねーよ。だからって、特別扱いする程好きってわけでもない。まぁ、普通だな」
「普通って……ある意味一番酷い答えかも!」
そんなこと言われても、本当に嫌いってわけじゃないし。仮に恋愛感情を抱いていたとしても、それを口に出すわけにはいかない。だって「好き」だなんて言ったら、百パーセント調子に乗るもの。
「……わかりました。お願いしても無駄なようなので、ここは取引といきましょう」
「取引?」
「はい。……宿題教えてくれたら、お礼におっぱい触らせてあげます。しかも十秒間も!」
両手を開いて、これでもかというくらい十秒という時間を強調する。
「天使のおっぱい、興味ないですか? メロンパンみたいに大きくてフワフワしてますよ?」
「そうだなぁ……おっぱいは良いから、普通にメロンパンを買ってくれ。焼きそばパンも付けてくれるなら、今日だけは宿題をやってやっても良いぞ」
「私のおっぱいが、お昼ご飯に負けました! 宿題をやってくれるのは嬉しいですけど、なんか複雑な気分です!」
ここまでくれば、白羽根天子の本当の姿というのが明白になってくるだろう。
学園一の天使と呼ばれる白羽根は……どういうわけか俺と二人きりなると、途端に堕天して小悪魔になるのだ。
◇
昼休み。食堂へ行こうとしていた俺のもとに、白羽根からメッセージが送られてきた。
メッセージには『緊急事態発生!!!』と書かれていて、続け様に2回舌を出す動画が添付されている。
朝に引き続き呼び出しを受けた俺は、昼食を諦めて体育倉庫裏に向かった。
「おっそーい! 女の子を待たせるなんて、先輩は男の風上にも置けませんよ!」
白羽根は既に体育倉庫裏に到着しており、後から来た俺を朝の仕返しと言わんばかりに糾弾してきた。
「仕方ないだろ。二年の教室は一年よりも上の階にあるんだから」
「はい、言い訳ー。男のくせに見苦しいー」
こいつ……無性に苛ついてきたぞ。
「で、今回は何で呼ばれたんだ? お前のせいで、こちとら昼飯を食い損ねているんだぞ?」
「フッフッフッ。その点は、心配無用です。万事私にお任せ下さい」
いや、任せらんねーよ。お前がドヤ顔でそういう笑い方をしている時は、大抵ろくなことが起きないんだよ。
前にもほら、天気予報がはずれて突然の雨に見舞われた時、「私、傘2本持っていますから」って言って折り畳み傘を貸してくれたんだけど……その傘に、『天使ちゃんLOVE』と書いてあったんだよな。しかも、油性ペンで。
俺の疑いの目に気付かず、白羽根は大きめの弁当を広げ始めた。
「実は今朝、お弁当を作ってみたんですが、張り切った結果どうにも作り過ぎちゃって……私一人じゃ食べ切れないんで、先輩も手伝って下さい!」
「腹が減ってるし、別に構わないけど……お前って、料理出来たんだな。得意料理はお湯を入れて三分待つだけっていうタイプだと思ってたわ」
「おっと、先輩。それは料理好きの私に対する挑戦だと受け取って良いですね? 受けて立ちましょう! 私の手料理で、先輩の胃袋を掴んでみせます!」
意気込む白羽根。そこまで言うなら、お前の自慢の手料理を味わわせてもらおうじゃないか。
まずは卵焼きからいただこうかな。えーと、箸はどこかなっと……あれ?
ここにきて、俺は衝撃の事実に気がつく。……箸が一膳しかないのだ。
そしてその一膳の箸は、白羽根の手にあった。
「おい、俺の分の箸は?」
「先輩の分の箸? そんなものありませんよ?」
ありませんじゃねーよ。人に食ってもらうなら、余分に箸くらい用意しておけよ。
「だったら俺は、この美味しそうな卵焼きをどうやって食べれば良いんだ? 手か?」
「違いますよ。こうやって食べるんです」
白羽根は卵焼きを一つ摘むと、
「はい。あーんですよ、先輩」
「……何でそうなるんだよ。お前にあーんされるくらいなら、手で食った方がマシだわ」
「ひどい! 先輩にあーんがしたくて、わざと箸を一膳しか用意しなかったのに!」
あーんを拒否られたのが余程ショックだったのか、白羽根は箸をわざと忘れたと自白した。やっぱりかよ。
「手で食べるなんてつれないこと言わないで、素直にあーんされて下さいよ。天使のあーんなんて、この学校で先輩しか経験出来ないことですよ?」
「そりゃあお前の本性を知っているのは、俺だけだからな。……って、おい、やめろ! 卵焼きを押し付けてくんな!」
あまりにウザ……しつこかったので、根負けした俺は渋々卵焼きを口の中に入れた。
モグモグモグ。幾度か咀嚼してから、卵焼きを飲み込む。
「……どうですか?」
「……凄え美味しい」
「本当ですか!?」
「お前相手に気を遣ったりしねーよ。……他のおかずも、食べて良いか?」
「是非!」
卵焼きに続いて、唐揚げやミートボールや焼き鮭も頬張っていく。自分で食べるのではなく白羽根のあーんなんだが、それを許容してしまうくらい絶品だった。
「美味しさの秘密は、隠し味の愛情です!」
「……この鮭は塩の量が丁度良いな。お昼まで時間があることを考慮して、多めに振りかけておいたのか」
「人のアピールを無視してマジな査定するのやめて下さいよ!」
その後も俺の食のペースは落ちることはなく、気付くと弁当のほとんどを俺がたいらげてしまっていた。
「悪いな、白羽根。つい食べ過ぎちまった」
「良いんですよ。お腹の代わりに、胸がいっぱいになりましたから。……そんなに美味しかったですか?」
「控えめに言って、最高だった」
「控えめに言って最高ですか。控えめじゃなかったら、どうなるんでしょうか?」
それはもう、少なくとも昼休みが終わるまで褒めちぎることになるだろう。ベタ褒めだ。
「明日も作って欲しいですか?」
「作ってくれるのなら、お願いしたい」
「そうしたいのは山々なんですけどね、生憎天使のお弁当は、毎日食べられる程安いものじゃないんですよ」
「でも」。白羽根は俺の耳元に口を近づけて、続ける。
「お弁当じゃなくてお味噌汁だったら、毎朝作ってあげても良いですよ」
毎朝味噌汁を作る……それが何を意味しているのか、わからない俺ではない。
白羽根の悪魔の囁きに、俺は今日も翻弄されてしまうのだった。




