喜劇と悲劇、終幕が訪れた
────これは一人の少女のお話。
父親は猟師、母親は農家で生まれも育ちも田舎。
朝から森へ獲物を狩りに出掛ける父親は自身で仕留めた獲物を標本にするという趣味を持つ。
反対に母親はというと朝から晩まで土まみれ、野菜や稲を小麦を作るため趣味は主に仕事と言える。
そんな互い違いな二人に赤ん坊が生まれた。
二人は『フィリア』と名付けた。
幼少期は比較的に大人しく母親の手伝いをするのが日課で、父親とはあまり会話はしなかった。
毎日、毎日と野菜と土にまみれ。
子どもならばもっと我儘を押し通すような強引さや縦横無尽の如くはしゃぐはずなのに。
『何かやりたいことはないのかい?』
『毎日が畑仕事じゃなくてもいいんだよ?』
二人は心配になった。
このまま畑仕事だけが取り柄では周りから離れてしまう。
興味を引く物を用意するかと考えた父親は自身の趣味である標本を教えた。
畑仕事だけでなく細かい手作業も得意になれば、と当時の二人は納得していた。
────それが間違いの始まりでもあると知らずに。
年を重ねて、十八歳となったフィリア。
背丈は伸びて美しく、金髪のブロンドと白い素肌と相まってまるで高嶺の華の如く。
すくすくと育った娘に二人もうっとりするほど。
やがては旅立つ日を夢見ていたのだが、ある日のこと。
『屋敷? あの屋敷に行くのか?』
フィリアは静かに頷いた。
一言も喋らず、床に置いた最低限の荷物を持って家を出て行った。
理由があるとすれば、彼女自身の変化と言える。
フィリアにとって初めての『恋』が訪れたのだ。
あまり人と会話すらしたことがないフィリアにとって気持ちを伝えることは難しい。
愛しの相手の顔を遠目で見ていることしかできない彼女は────。
♢
ルーカスさんとサリーさんが両手で一つのパペットを操って、マッドさんが物語の語り手として話を紡ぐ。
不思議とどこかで見た光景のように懐かしく思えてくるのは、気のせいなのか。
「────ここまでにしようか。アリス」
「えっ、でも、まだ続きが」
「これ以上、話をするだけでは意味がない。君自身が思い出さないといけないんだ」
「あの、一つだけいいですか?」
「なんだい?」
「間違いの始まりって、どういうことなんですか?」
「そのままの通りと受け取って構わない。人は意図知れず、他者に向かって棘を刺す。それが理性を麻痺させる毒にもなり、本人でもわからないほどの毒にもなる。愛しい相手であっても躊躇なく殺せることも、ね」
本人でもわからないほどの、毒。
人を愛することはわからないけど、そこまで狂わせてしまう毒があるのか。
サリーさんとルーカスさんが手押し車にパペットなどをしまい、テーブル下へ戻すと元の位置に座った。
「その毒って、一体──」
「アリスは既に経験してるんじゃないかな? まぁ、記憶を思い出した時にでも思い返してみるといいよ」
「ありがとうございます」
「吉か、凶か、どんな始まりを起こすのかはアリスの行動次第。最後の時までは思考を止めない、これは約束だよ? どんな別れ方があろうとも」
どこか寂しいようで何かを悟っている瞳。
僕がこの後、どうなるのか知っているかのように暗い瞳孔の裏には何を隠しているのか。
静かに落ちていく瞼の下に疑問を残して意識を閉じた。
♢
目を覚ませば僕の隣で笑うチェシャ猫。
人間の姿でいれば多少はドキッとするが、物掴めぬ雲のような存在では話が違う。
「マッドに会えた〜?」
「会えたよ。ありがとう、チェシャ猫」
「お礼より対価を払って欲しいな〜? 唇に口付けでもいいんだよ?」
「やめとくよ。ちょっと喉乾いてて……そういえばカリプは?」
身体を起こして部屋を見渡す。
黒電話の隣に折り畳まれたメモ書きだろうか、ベッドからでもわかる位置に置いてある。
「使用人? 階段下で誰かと話してるよ〜。吾輩はアリスの寝顔が見れたから満足、キスしてくれたら大満足!」
「それは好きってこと?」
「女心がわからないアリスは嫌い───早く、思い出してよ」
「ん? なんか言った?」
「なんでも〜?」
何か言った気はするのだけど、詮索は失礼だ。
寝転がるチェシャ猫を背に僕は部屋を出た。
カリプ以外の人間か、誰なんだろう。
階段下から何やら話し声が聞こえる。
「ここの主人はどこだ? それと、ここ数日間に起きたことを知りたいんだが」
「申し訳ありませんが、当屋敷では一切の取材はお断りしております。使用人である私が答えられる範囲内ですと、先ほど申し上げた通りでございます」
「だから……ったく、埒があかねぇ。お? 嬢ちゃん、そこの嬢ちゃんだよ。ちょっと話いいか?」
嬢ちゃん? って、僕のこと?
ニコニコと笑顔を浮かべて手を振っている男の手には手帳とペンが握られている。
その横に立つカリプの表情は相変わらずわからないけど、目線が合ったのか僕に向かって会釈する。
足元に気をつけながら、カリプの隣に立つ。
「どちら様?」
「新聞記者のリューク様です。このお屋敷を取材させて欲しいと先程から同じことの繰り返しでございます」
「ここまでたどり着くのには苦労したんだ、何かデカいネタを持って帰らないと面白みがないんだよ」
新聞記者か。
薄手のコートの下には白のワイシャツ、黒いズボンを履いている。
新しい宿泊客とは違い、最低限の荷物しか持ち歩いていない。
「なのに、このお屋敷に泊まると人が消える? あんま信じられないんだよなぁ」
手帳のページを見ては文字を書き足して唸ってる。
その隙に、カリプの手を引いて隅っこまで連れていく。
リュークさんに聞かれない程度の小さな声であの話をしたのか問う。
「いえ、あの話をするのは私でも抵抗があります。どこから漏れたのか、私自身も想像できません」
「カリプもわからないんじゃ……でも、知っていてこのお屋敷から外に出たらどうなるの?」
「アリス様────それは、あなたが一番ご存知のはずです」
カリプの口元が少し緩んだ気がした。
第一章ファイルその壱
・農家の母と猟師の父
────二人の娘『フィリア』。
・将来的に農作業以外を教える
────それが間違いの始まり?
・初めての『恋』────何が起きたのか?