間違いと過ちの行方
リュークさんの部屋にて、休憩と僕が何故この屋敷にいるのか、何故あの部屋へ行ったのか等の詳しい説明。
俄には信じ難い話ではあるが、事実だ。
僕は椅子に、リュークさんはベッドに座って腕を組んで一人頷いている。
「なるほどな。名前すらも忘れてただ立っていた、と。記憶や何者かを探すためにあの部屋に」
「はい。あんまり信じられない話ではありますが」
「まぁ、あんなの見せられた後でこの話をされたら疑いよりも夢か現実か、なんて自分の頭を疑う。……だが、少なくとも手助けくらいにはなるだろうさ」
「ありがとうございます。でも、今日には解決しないと」
「わかってる。ところで……その、肩に乗ってるのは、なんだ?」
リュークさんの指を差した方向へ顔を向ける。
それはニヤニヤと笑みを浮かべていて、前よりも小さく縮小した姿で僕の肩に乗っていた。
そういえば、まだリュークさんはチェシャ猫を知らないんだっけ?
「アリス〜、このおじさん誰?」
「おじ……!? ま、まぁ、百歩譲っておじさんってことにしてやる。アリス嬢、そいつは?」
「悪戯が好きなチェシャ猫です。化けるのが得意でして」
「化ける? もしかして、さっきのはそのチェシャ猫が化けてたのか?」
「人聞きが悪いな〜。我輩はアリスのずっと傍にいる普通の猫、アリスのことを殺そうとしてるのはまた別のモノさ」
僕も確かに気になっていた。
あの部屋へ入ってチェシャ猫の姿を見ていない。
音の外れた時計のように何かに化けたなら音のするものを探すのだが、そんな暇すらなかった。
それと今、気になったものをチェシャ猫に聞く。
「僕を殺そうとしてるのは、また別って?」
「人に対して悪戯を働くのが妖怪。思いやその場に縛り付けられてしまうのが幽霊。なら、恨みや妬みを持って人の域を超えた存在は?」
「悪霊か、怨霊の類か? もしくは……」
「もっと違う。人の域を超えて存在するだけで悪影響を及ぼす、人の恐怖を糧とする存在……『怪異』。何が本当に起こったことなのか、事の発端やその本心が晴れないと決して消えることがない。生きる人に無差別で恨みを抱き、じわじわと内側から殺していく。まさにこの屋敷内は巣窟、三日後に消えている人間たちも興味本位で入ったんじゃない? だから、誰も帰れない」
それが噂になって、知名度が上がる。
人から人へと広まっていき、興味本位で屋敷に入る。
本当かどうかを確かめに行ったら最後、帰れない。
警察関係者が探しても見つからないのはこれで理解できるが、なんでみんなは行くのをやめないのか。
「アリス〜? 今考えていることを当ててあげよー。人間は自身の五感で感じたものしか信じない。知らない人がどこで死のうが関係ない、自分が被害者にならないと恐怖すら覚えないんだよ」
「そいつは俺も同感。はっきり言えば人間は関心と無関心、一文字の境界線の上に立っている。他者からの言葉を知って興味がある、頓着しないで分かれてそこに意識と無意識がプラスになる。孤立か、集団か。要は決断と維持ができるかでそこからさらに大きく────」
「おじさん〜、我輩はともかくアリスが理解してない。この子は生まれたてに等しい」
リュークさんの難しい話はあまりよくわからない。
孤立か集団か、それによっては大きく異なるものなのか?
それに、生まれたて? どういうことだ?
「それよりも、なぁ! さっき持ってきた本が気になるんだが」
今現在、膝の上に両手で持っているこの本。
少し重たくて辞書みたいな大きさで表紙に書かれた文字も読めない。
咄嗟に取ってきたけれど何か意味ががあるかもしれない。
「チェシャ猫、この本の文字読める?」
「うん? 読めるよ〜、『My secret』って書かれてる」
「ま、まい……何?」
「私の秘密。たぶん、あの部屋に住んでた誰かの日記か何かじゃないか?」
「もしかしたら、これを読めば何か掴めるかも」
「我輩が読んであげよう。きっと眠気も覚めてスッキリ、アリスはページを捲ってね〜?」
「わかった」
本の表紙を開いてページを捲る。
中身はそれほど文字だけというよりも雑な絵が挟んであって、読めない僕でもわかりやすい。
1ページ目は見た目からして女性だろうか、髪が長く顔は歪んでいて両手両足は紐のようなもので縛られている。
左端には暖炉のように四角く燃えているものが置いてある。
「『○月一日。あの女に頼んで女性を拉致してもらった。これから作業に取り掛かることにする。幸いにも泣き言一つ言わず、ただ虚ろになった瞳は綺麗だがいまひとつ気に食わない。肌の質感や骨の大きさから見て両腕をもらおう。安心しろ、他の関節も切ってやる』」
手帳で書いてあったことを思い出す。
被害者は生きたまま切断された、と。
欠損した部分も疎か、バラバラに近くて被害者の三人も切断面も綺麗に────あれ?
でも、一人目は少々荒かった。
三人目は死後二日は経過、腐敗していたはずだ。
次のページを捲ると同様にこちらも女性が縛られていて暖炉が描かれている。
「『○月二日。切断した両腕と合う胴体が欲しいと頼んだ。女は二つ返事で前回と同じく女性を連れてきた。体格や骨盤の具合はいいが、騒がしくて嫌になる。少し荒いやり方ではあるが仕方ない。首から先に刎ねてから胴体をいただくとしよう』」
ページを捲ろうとする指先が震える。
頭では続きが気になっていて、身体はもう見るなと警告してきている。
恐らく次が三人目の被害者。
意を決してゆっくりと次のページを捲ると、そこには絵ではなく正方形の窪みが空いていた。
窪みには紫色の菱形の宝石が嵌められた指輪が入っていて、その下には折り畳まれた手紙が置いてある。
薄く小さく雑に破り取った跡が残っているから、誰かが意図的に隠していた?
「手紙? それとなんで、指輪?」
「アリス嬢。あくまでも俺の今の見解、考えた結果なんだけどさ────たぶん、それは婚約指輪だ」
「婚約指輪? なんでそんなものが?」
「仕事によっては常に身につけることができない。そのためネックレスにしたり、休みの日にしか付けないという夫婦もいるくらいに。独身が個人的に購入するのかは定かではないが、見た目からしてこの宝石は相当な額なのは確か。話の内容から察して、男の所持品じゃないか?」
なるほど、仕事での理由ということか。
この本の持ち主が日記として使っていたのは男、二人の女性をバラバラに切断していた犯人だとはわかった。
────だが、おかしい。
仮に『標本』を作るため毎日のように書いて行動していたのなら、何故指輪を隠す必要がある?
三人目の被害者のことを書いていないとは考え難い。
こまめに書いてはそれを実行する几帳面のある性格なら、わざわざ破り取ることをするのか?
じゃあ、他の人が証拠隠滅のために破いた?
「ダメだ、全くわからない。これじゃ……」
────否、一人いる。
他の人ではなく、僕がこの事件のことを耳にする前に聞いた人の名前。
何故、三人目が腐敗していて両足なのか。
二日が経過していたんじゃない、させていたのなら?
「二人目までこの人だったんだ。だから、三人目は時間を経過させていた。バレないために」
「二人目まで? 一体、何をバレないためにだ?」
「遺体の損傷で隠したんです。三人目が────男性であることを」
第一章ファイルその弐
・三人の女性の被害者
────死体はどれもバラバラで、一部不明。
・『頭部』のない『標本』
────あれは、『フィリア』か?
・本に隠されていた指輪と手紙
────婚約指輪で、男の所持品か?