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灼熱

恭輔が

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。

 生きていますように。


「生きてろおっ! こん畜生っ!」

 エリカはいつの間にか叫んでいた。

 二両の戦車が見えてきた。

 砲塔のハッチを開けてツナギの戦闘服を着た隊員が上半身だけを外に出した。

 顔をこちらに向けて拳を空に突き上げている。

 ガッツポーズか?

 あたしを観客か何かと勘違いしていないか?

 そんなことをしている場合か!

 そちらを見ずに走り続けた。


 いきなり両脚が動かなくなった。

 両太股がしっかりと抱えられている。

 背後からタックルされたのだ。

 顔が地面に向かってダイブする。

 思わず両手を砂の上につく。

「何するのよ!」

 田中はエリカの問いに答えず、戦車隊員に向かって叫んだ。

「陸上自衛隊、第一師団第三十八連隊、第二中隊所属、三等陸曹田中祐一。認識番号G7206679! こちらは新条一等陸尉の知り合いで…」

「恋人だっ!」

 田中は何をしているんだ。そんな場合じゃないだろうが!

「あのガッツポーズみたいな動作は『動いたら撃つ』のサインです。外国で武器を持った人間に逆らってはいけません。たとえそれが自衛隊員であろうと…」

 しかし田中のおかげでこちらの身分を察したらしく、隊員が迎えに来た。

立ちあがって走り寄る。

案内された場所まで走ると、恭輔は戦車に護衛されるように、地面の上の担架に横たえられていた。

下半身に毛布がかけられている。

薄く目を開けている。エリカが駆け寄った時、少しこちらを向いたような気がした。

「どうなの!」

「心音、呼吸音ともに確認しました。間違いありません、生きています」

 今のところは、と隊員は短く付け加えた。

「意識は?」

「あるようです。もっとも、痛み止めのモルヒネを打ったため混濁していると思われます」

 エリカが毛布をまくり上げると、隊員が声を上げた。

「ちょっと!」

「黙って! わたしは医者よ!」

 下半身を丹念に見た。傷らしいものはない。戦闘服の上着をめくりあげた。

「腹を撃たれています…」

 大きな貫通銃創が三つある。

 ここでは難しいのだろう。止血が十分でない。それよりも、内臓はもともと横隔膜によって無菌状態にされている。それほどデリケートな器官なのだ。しかし内臓の中には雑菌の固まりがある。便だ。腹を弾丸に貫かれれば、雑菌が一気に横隔膜の中に入る。一秒でも早く開いて、感染を防がなくてはならない!

 あの、平たい形のヘリコプターが降りてきた。田中や隊員たちと、担架をヘリに乗せる。エリカも同じヘリに乗ることができた。

 ローター音を響かせながらヘリが離陸する。エリカは操縦士に叫んだ。

「どこに行くの!」

「『いずも』です」

 護衛艦には、本土の大学病院並の医療設備があると聞いたことがある。

「何分かかる!」

「渦を通りますが、8分もあれば…」

「遅い! 6分で行け!」

「しかし!」

「あたしは医者だ。行け!」

「わかりました…。5分で行きます。舌噛まないで下さいよ!」

 ローター音がさらに高くなる。ヘリの床がブランコのように揺れる。

 恭輔の手を取った。

 なにか言っているようだ。

(せいじゃな…。おまえのせいじゃ…)

 そんなことはもうどうでもいい!

「しゃべるな! 体力を温存しろ!」

 恭輔の瞳が、だんだん乾いていくのがわかる。


「おまえのせいじゃない」


 これが呼び水になった。

「決まってるじゃねえか…、日本を守るんだよ」

「おまえに幽霊なんか見えるはずがないんだ」

「いいからおまえは、だまっておれについてこい!」

「人間はすべて、恋によって作られている」

「おれはずっとおまえの味方だ。…死が二人を分かつまで」

「おれが生きている限り、おまえは死ねない」


 恭輔の言葉が頭の中をぐるぐる回る。

「おれが生きている限り、おまえは死なない」

「おれが生きている限り…」

「生きている『限り』…」

 この地球のどこにも、地球の外の世界にさえ恭輔がいないところで、何十年も生きなければならない!

 エリカは泣かなかった。


吐いた。


恐怖のために縮みきった胃から液体が逆流する。だらしなく口から垂れ流した。

嘔吐の止まらない女と血を流し続ける男を乗せて、UH-60J ブラックホークは轟音を立てて飛びつづける…。



『この二人の物語はこれでおしまい。ただ、新条恭輔が息絶えたのはまぎれもなく「日本」であった。彼が最愛の恋人とともに日本の土を踏むことができたのか。それともそこは国際法上の日本領にすぎなかったのか。それを語る必要はないだろう。女は、恋した男にかつて捨てたつもりだった祖国を見た。男は、恋した女を守ることが遠い祖国を守るのと同じと信じた。それを知れば十分なはず。だからこれ以上を語らないままに、この物語を終わる。』



ぼくは、小説「灼熱のサクラメント」の結末をパソコンに打ち込みました。

「サクラメント」は秘蹟と訳されていますが、カトリック教会で行われる儀式のことであり、作者は特に「結婚式」を意識しています。

しかし、恭輔はこの後死んだのだろうか。

きっと死んだのだろう。

真奈美だけが死に、恭輔が助かったというのはバランスが悪い。

女一人、男一人死んだ方がしっくりくる。

恭輔は日本に帰ったら犯罪者だ。

エリカが助かった恭輔とともに帰国するというのは、真奈美を失った田中にとってあまりにも救いがない。

だから恭輔が奇跡的に助かったとしても「ハッピーエンド」とは到底言えない。

そんなことを考えながら、データを保存してパソコンの電源を切りました。

書斎から玄関を出て歩き始めました。

近所の家の塀の外から見えた紅梅がきれいだったことを覚えています。

そのまま歩き続けると十字路があり、それを越えて歩きつづけると「中村スタジオ」という写真屋さんがあります。

そのとき、ある写真が目につきました。

「中村スタジオ」のウィンドウに展示されていたのです。

 結婚式の写真のようでした。

 新郎はタキシードではなく、陸上自衛隊の常装制服を着ていました。

 仕立てのいい褐色のジャケットに折り目のしっかりとついたスラックスを身につけ、床をしっかりと踏みしめて立っている。

 すっきりと通った鼻筋と、引き締まった口元の美丈夫であり、涼やかな目をしっかりとカメラに向けている。

 それだけではただの自衛隊員の結婚式の写真ですが、ぼくの目についたのはその隣の新婦の様子でした。

 今時珍しい、上品な白のウェデングドレスをまとっていているのに、きちんと座っていない。

 椅子の上で膝を立てている。

 そしてカメラを見ることはなく、新郎を見上げている。

 表情は微笑んでいる、というよりにやけている。

 幸せのあまり頬がゆるんで、自分でもどうにもならないのだろう。

 はしたないはずなのに、そんな感じが全くしない。にやけて顔をゆがめているのに、相当な美貌であることがはっきりとわかる。

 この新婦の姿を見ると、隣の新郎が真面目な顔をしてカメラを見ているのも、必死に照れを隠しているように見えてしまう。

 何よりも彼女の「彼と結婚できてうれしくてたまらない」気持ちがはっきり表れている。

 多分、正式な結婚写真ではなく、撮影の合間のショットなのでしょう。

だけどそれだけに二人の本当の姿が現れているようで、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる。

そんな一枚でした。

 ぼくはスタジオに入っていきました。

「おや、孝彦さんいらっしゃい」

 ここのご主人には、我が家の七五三の写真を撮ってもらったりしていて、ぼくとは旧知の仲と言っていいでしょう。

「あの…、ちょっと教えてください。外の結婚式の写真の女性ですが」

「駄目ですよ。個人情報ですから」

 表に写真を飾っておいて、今更個人情報もないものだ。

「一つだけ教えて下さい。いや、答えられないならそれでもいいです。あの花嫁の名前は『エリカ』というのではないですか?」

 驚いた様子は見せませんでしたが、主人はカウンターの向こうでしばらく声を出しませんでした。しかし微笑みながら、はっきりとこう言いました。


「いいえ…。あの新婦様のお名前は『エリカ』様ではありません」


「…そうですか。ありがとうございました」

 ぼくは「中村スタジオ」をあとにすると、そのまま歩きつづけました。

 おれは何を考えてるんだ。 自分の頭の中にしかいない人間の写真が、うちの近所のスタジオにかかってるわけないじゃないか…。

 そろそろオンライン会議の資料にとりかからなければ。 

その時、ぼくはあることに気がつきました。

 そうだ! 彼女の「名前」は「エリカ」じゃなかった! 「藤原貴子」。いや、あの写真が彼女だとしたら、今は「新条貴子」じゃないか!

 どうしよう…。もう一度聞いてみようか。

 いや、「ひとつだけ教えてほしい」と言ってしまった。今さらほかのことは聞きにくい。

 それよりも、自分にはほかにやらなきゃならないことあるじゃないか…。

 ぼくは引き返すことなく、夕方の町を歩き続けたのでした。


 了


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