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エリカ

「おまえにはな!」


「…だけどあたしは罪でできている! 多くの血と犠牲によってつくられている!」

「ふざけるんじゃねえ…。そんなものに人間が作れるか! おれもおまえも、おまえのじいさんも同じだ…」

男は、にやりと笑って言った。


「人間はすべて、恋によって作られている」


 人間は恋によって作られる…。この言葉を反芻した。

「だけど…、あたしの両親はもう…」

 男がたたみかけるように言う。

「試験やスポーツの試合なら、いつが最後かは他人が決めてくれる。だけど恋と戦争は、自分で終わらせなければならない。その恋はもう、どこにもないかもしれない。それでもおまえが生まれたとき、たしかにあったことは間違いない」

 だけど…、そう言われても…、自分はこれからも死ぬ妄想に苦しめられるのではないか。

 裁断機を見れば、頸を切るのではないかと。

 ロープを見れば、首を吊るのではないかと。

 刃物を見れば、頸動脈を切


「そんなことはできない」


「え?」

「おれが生きているかぎり、おまえは死ぬことができない! おまえがどこで何をしていようが、おれが必ず邪魔してやる!」

 

 このことがあってからも、貴子の軍人への偏見がなくなったわけではない。しかし彼女はこのとき、自分を数か月苦しめていた不安と焦燥が、完全に消えていることに気がついた。

 父方の祖父に対する気持ちも変わった。貴子はもともと、自分の「藤原」という姓が好きではない。鎌足の子孫でもないのに(いわゆる「藤原氏」の子孫は、今では「近衛」「鷹司」といった苗字を使い、「藤原」とは名乗らない)こんな苗字を名乗ったのは、母方の先祖が見栄っ張りだったからだろう。

 しかし父方の姓は「江尻」である。貴子はちょっとした肉体上のコンプレックスもあり、「尻」という字が名前に入っているのはいやだった。

 さらに母親がつけた「貴子」という名前も、「貴族」への憧れが滲み出ているようで好きではない。

江尻(えじり)貴子(たかこ)…」

 男が、今度はにっこりと笑って言った。


「エリカ!」


 不覚にも動悸が収まらない。こんな年下の男の子に、何をときめいているんだ、あたしは!

 男は少年にもどって深々と頭を下げた。

「会長、失礼なことばかり言って申し訳ありませんでした」

 動悸がおさまらないが、ぬけぬけとこんなことを言う少年に腹が立った。

「あんた、名前は?」

「新条恭輔と言います」

「たしかに失礼だわね…」

「タカコ…」

 百合江があきれたようにこちらを見ている。知るか。

「恭輔!」

「はい」

 どさくさにまぎれて下の名前を呼び捨てにしてやった。

「さっきあたしのこと『バカ女』って言ったわね…」

「すみませんでした…」

「あたしって、そんなにバカっぽく見える?」

「いえ、うちの学校始まって以来の秀才だという噂は前から…」

「あんたには、罰が必要ね!」

 もっとも、「他人に腹を立てる」ということ自体、数分前の、吐き気を催すほどの罪悪感に苛まれているころには、あり得ないことだったのだが。

「どうしてくれようか…」

「どんな罰でも受ける覚悟はあります」

 姿勢を低くして恭輔の顔をねめつけた。

「本当?」

「はいっ!」

 今度はこちらが指をつきつけてやった。

「あたしのことは、これからずっと、『エリカ』って呼びなさい!」

 作者もこれからは貴子のことを「エリカ」と呼ぶこととする。


 ぼんやり目を開けると、車のシートの背もたれと、大人の恭輔の短く刈った後頭部が見えた。

「起きたか」

 恭輔が振り返って言った。

「う、ごめん…」

 昨夜ほとんど寝られなかったため、いつの間にか眠っていた。

「いい。なるべく体力を温存しろ」

 軽装甲機動車、通称ラヴ。ライト・アーマーと呼ぶ人もいる。Light Armoured Vehicleの略で、12.7ミリ機銃の直撃に耐える前面装甲を持ちながら、行動距離500キロ、最高速度100キロを叩き出す。不整地走行にすぐれ、しかもエアコンまでついている!

 とは、いまハンドルを握っている田中祐一三等陸曹の言である。

 お調子者っぽいが、悪い男ではなさそうだ。

 それよりも気に入らないのは、隣に高橋が座っていることだ。

 恭輔は前で指示を出さなければならないのだから助手席に座っていることはいい。

 安全を考えれば、自分が後部座席に座らされるのもわかる。

 恭輔の真後ろに座っているため、彼の後頭部しか見えないのも仕方がない。

 しかし、隣に高橋がいるのは不愉快だ。

 昨夜、「恭輔といっしょじゃなければここを動かない」とだだをこねた。

 一方望月たちも、「この男といっしょには行動できない」と言い張った。

 「中隊を二個分隊に分ける。第一分隊はおれが直卒する。任務は藤原医師の護衛だ。第二分隊は石井二尉が率いて、その他の邦人を宿営地まで送れ」というのが、恭輔の出した結論だった。

 望月は、恭輔たちが完全な別行動を取ることを要求した。

 恭輔は結局、軽装甲機動車一台と、部下二人だけを引き抜き、エリカ一人を護送することになったのである。

 確かにエアコンはよく効いているのだが、軍用車両だけあって乗り心地は決してよくない。

 しかも、全面装甲されているだけあって、狭い。

 ときどき高橋の体に触れなければならないのがいやだ。

 「そんなことより、聞きたいことがあるんだけど」

 よほど深刻な声を出していたらしい。恭輔が真顔になった。


 あの時、赤ちゃんを殺そうとしていたの?


「わたしが大学を卒業間近のころ、あんたが『会いたい』ってメールをくれたとき、あたしの携帯からどんな返事が来たか覚えてる?」

 全然別のことを聞いてしまった。

「忘れた」

 ウソだ! 覚えているに決まっている。

「あのメールを打ったのは、わたしじゃなくてわたしの母親なんだよ」

「…そうか」

 あのあと、自分は恭輔を追いかけなかった。

 たとえ恭輔が任務で海外に行ったとしても、がむしゃらに追いかけようとすればできたはずなのに、やらなかった。誤解を解こうとはしなかった。

 恭輔が自らを傷つけながら自分を救っているのではないかということに気づいてしまったからだ。

 それは…、しかたがないことではある。初めて話した時から、自分はあまりにも余裕がなかった。恭輔の気持ちを思いやることなどできなかった。だけど恭輔は…。

「買いかぶりだ。おれはやりたいことをやっただけだ。学校で評判の美人会長に近づきたかっただけだ」

「だれかを傷つければ自分が痛い。あんたが傷つけばあたしが痛い。心が痛い。ぎりぎり痛い!」

 それだけじゃない。胸のあたりが本当に痛くなる。

 あのメールのことを母親から聞かされたあと、このまま恭輔のそばにいたらますます彼を傷つけるのではないかと恐れた。

 勝手なことはわかっているが、大学を卒業したころ(恭輔のおかげなのだが)エリカの精神はずいぶん安定していた。

 そしてあの「おまえがどこにいようが、おれがいるかぎりおまえは死ねない」という言葉が強く心に残っていた。

 自分が危機に陥ったとき、自分が地球上のどこにいようが、地球の外の世界にいようが、この男はどこからともなく現れて自分を救ってくれるのではないか(現状はその通りであるが)と、たいした根拠もなく信じていた。

 ならば、恭輔のそばで彼を傷つけるより離れた方がいいのではないか。

 現に、命を助けられていながら、この瞬間さえも守られていながら、「ありがとう」さえ言えない。それどころか、勝手なことばかり言って困らせてばかりいる。

 困らせるだけじゃない。ひどい言葉ばかり投げつけているではないか。

 しかし貴子には、さっきからそれ以上に言い出しにくいことがあった。

 車はさっきから砂漠を走り続けている。突然左側に叢が見えた。

「止めて!」

「どうした!」

 恭輔が叫んだ。

「いいから止めて!」

 恭輔が田中に言った。

「止めろ」

 車が止まると同時に、ドアを開けて飛び出した。

「おいっ!」

 砂に足が埋まって走りにくい。叢に向かって駆けた。汗がだらだら流れる。

「止まれ!」

 恭輔が追いかけてきた。

 あんたには…、あんたにだけは…。

 しかし男と女、屈強の現役自衛官と、運動不足の医師である。

 間もなくおいつかれ、腕をつかまれた。

「離して!」

「勝手な行動をするな! このあたりにも地雷が…。なにより、視界が悪い草の中は危険だ!」

「ばか…」

 下着が一気に熱くなった。

…この絶望感。

 一度堰を切ったものを止めることなどできなかった。

あふれたものが下着をのりこえ、ジーンズの股間を濡らし、裾にまで被害が及んでいく。

 永遠の時間がすぎたような気がしたころ、エリカのおもらしは終わった。

 恭輔も、さすがに驚いているようだ。

 バッシーン!

 ものすごい音の平手打ちが響いた。

 バッシーン!

 往復びんたの二回目が恭輔の頬に炸裂した。

「だから! カッコつけたかったのに!」

 三回目を放とうと腰を回転させたとき、恭輔が一気に距離をつめた。手を上げているため脇が空いている。そのまま抱きすくめられてしまった。いつのまにか自分の顎が恭輔の肩の上にある。腰を逃がした。いま、自分のズボンはおしっこまみれだ。そんなものを恭輔にこすりつけるわけにはいかない。すると恭輔の右手が腰の下、つまり尻をぐっと押した。さすがに動揺して上半身を離した。一気に唇をふさがれた。

 なんというか、あまりの展開に気持ちが追いついていかない。

「エリカ、好きだ。つきあってくれ」

 だから、気持ちが追いつかないって!

「返事をしろ!」

「はいっ!」


 恭輔に連れられて車にもどった。

「高橋、エリカを介抱してやれ。…余計なことは言うなよ」

 恭輔はさっとと車に乗ってしまった。

確かにこれだけは男性にやってもらうことはできない。かわりに高橋が出てきた。

 高橋に連れられて、車の後ろの、バックミラーの死角まで来た。

 屈辱だ。

「さっき、だれにでも思い出したくない過去があるという話をしましたね」

「余計なことを言うなって言われてるでしょ」

「余計なことじゃありません」

 自分の恥でも告白するつもりなのだろうか。

「先生は、中隊長の前で恥をかいた気になっているかもしれませんが、我々の訓練でも排泄の失敗などよくあることです。げんに中隊長も…」

 高橋を置いて車に向かって歩き始めた。

「待ってください! わたしがこんなことを言ったなんて、中隊長には…」

「勝手に怒られなさい」

 あいつはそんなことで怒ったりしないだろうけど。

「軽蔑されます!」

 キレた。

「軽蔑されなさいよ!」

 車の助手席のドアをドンドン叩いた。この軽装甲機動車というクルマ、中は狭いのに市販の四駆よりもひとまわり大きく、そしてごつい。自分が叩いたくらいではビクともしないだろう。

 恭輔がドアを開けて顔を出した。

「どうした」

「あんたが介抱して!」

「正気か、おまえは」

「あたしはね、女だろうが医者だろうが、あんた以外の人間に下着を触らせたりしないわよ!」


 一方、石井二尉たちの分隊である。

 石井は先頭の軽装甲機動車の助手席に座っていた。

 恭輔たちが砂漠を走っているのに対して、森の中の道を移動している。

 別のコースを取らざるを得なかったが、戦力が分散されるのは好ましいことではない。

 しかし、「常に万全の態勢でいられるわけではない。手持ちの戦力でできるだけのことをするのが指揮官だ」と思い直した。

 軽装甲機動車には運転手の小森三曹のほか、望月卓也と、新生児を抱いた母親が乗っていた。母子を先頭に乗せたのは、装甲された中に入れる必要があったからだ。

 ラヴはまがりなりにも装甲されているが、四人しか乗れない。

 後ろに続く高機動車二十三台に、隊員と邦人を分散させて乗せるしかなかった。

 高機動車は、ラブに比べるとかなり平べったい外観をしている。十人乗せるためなのだが、装甲はなされていない。ただのトラックだ。

「ですからね、エルフたちを未開人扱いしている地球の人間、とくに日本人を許せないんですよ、ぼくは」

 さっきから望月が急を要しないことをしゃべりつづけている。

「ぼくらは二回ミリティアに襲撃されましたが、彼らはあっけなく抵抗をやめました。だからこんな風に、大げさに警備する必要はないんですよ」

 なら、後ろの高機動車に乗ればいいのに。

「ぼくはやはり、責任者ですから、先頭で様子を確認する必要があります。…聞いているんですか!」

「聞いてますよ」

 それほど的はずれなことを言っているとは思わないが、ひたすら自分の考えだけをしゃべり続けていることが大変うっとうしい。

「ぼくは間違ってますか!」

 間違っていようがいまいが、何の役にも立たないことは間違いない。というより、この男が間違っているか正しいかを考えている余裕などない。余裕があってもやる必要がない。

「今はあなた方を無事に送り届けるという任務に集中しなければなりません」

「あなた、孫子を読んだことはないんですか。『敵を知り己を知れば百戦危うからず』。この世界の文化を知らなければ、ここで自衛隊の仕事なんかできませんよ。日本人は、エルフたちを未開だとか民度が低いだとか、順法精神がないとか好き勝手に言いますが、この世界が部族の共同体社会の集合体だったころはそれで良かったんです。男女差別と言うけれど、部族を維持するのには必要だったのでしょう。しかし地球人たちが武器や自動車をこの世界にもたらした。かつて数百キロ離れた部族どうしの抗争などありえませんでした。そんな移動手段なんかないからです。エルフの世界では伝統的に、部族を初めて訪れる者を警戒する場合は大人が対応し、歓迎する場合は子供が出迎えるという習慣がありました。美しい風習だと思いませんか。しかし今ではそんな風習はすっかり廃れてしまった。エルフが、オークやゴブリンを家畜扱いしていると言う人さえいます。亜人たちに銃や弓を持たせないのは、彼らの反乱を恐れているからだと。しかしエルフたちは、この世界の頂点に自分たちがいるなんて考えていない。地球人は自分たちのことを霊長類、第一(プリ)の(マー)(テス)と呼んでいますが、この世界の『第一のもの』はエルフではなくドラゴンです。エルフたちにとってドラゴンは神です。地球においても、東洋では龍は聖獣とされ、西洋では悪魔とされた。ベクトルの向きは逆でも神格化されていたことは同じです。しかし今では…」

 突然ラブの無線機が鳴った。隊列の最後尾の車両からだ。

「ミリティアの車両が背後からついてきています」

「距離は」

「約300メートル」

「数は」

「日本製らしいピックアップトラックが三台。オークとコブリンを満載しています」

「武装は」

「棍棒のみのようです」

「銃器やRPGは」

 RPG7。旧ソ連製の汎用ロケット砲であるが、途上国では対戦車兵器としても地対空ミサイルとしても使われている。

「確認できません」

 走行中に荷台から撃ってくることはないだろう。

「各車両、増速! 80キロで固定!」

「了解!」

 運転手がアクセルを踏み込んだ。増速したラヴがぐっと前に出る。砂漠ならば左右に避けることもできるだろうが、森の中では直進するしかない。

「ちょっと、あんまりスピード出さないでよね。赤ちゃんがいるんだから!」

 新生児の母親が毒づいた。昨夜から自衛隊を信用していないらしい。

 運転手の小森が叫んだ。

「アンブッシュ(待ち伏せ攻撃)! 12時の方向にミリティア!」

 時計の文字盤を横にして、自分が中央に立っていると想像してほしい。12時がある場所、つまり真正面にエルフの姿が見える。もっとも厳密には「攻撃」とはいえない。四、五人のカラシニコフを抱えたエルフが道路を体でふさいでいる。

 アフタマートカラシニコフ47。旧ソ連製の自動小銃である。台尻とバレルジャケットが木で出来ていて、弾倉が前方に湾曲しており、一目でわかる外観をしている。安価で手入れがしやすいため、地球の途上国でもっとも使われているが、この世界でも密輸によって相当出回っている。

 普通の軍隊なら、エルフを轢いてでも走り過ぎるか、銃撃するだろう。しかし自衛隊はそうはいかない。なぜならエルフは「ヒト」だからだ。「専守防衛」である。交戦規定により、「自己または自己が管理する者」が攻撃されない限り、こちらからは撃てない。

 後ろの車は道路を走っているだけ、前のエルフは道路に立っているだけだ。

 石井は小森に怒鳴った。

「英語でどけと言え!」

 小森がスピーカーで怒鳴った。

「ゲットアウトオブ、マイウェイ!」

 エルフたちはどかない。石井はやむを得ず無線機に叫んだ。

「全車両、停止せよ!」

 エルフたちの10メートル手前でラブは停止した。次々に後続車両が停止する。

「英語でそんなことを言ってもダメですよ。それにマイウェイって…。ここは自衛隊の道ではないんですよ!」

 望月が何か言っている。無線機に言った。

「後ろの様子はどうだ」

「車両を止めて、荷台からオークとゴブリンを降ろしています!」

 まずい。

 一方望月は、石井に無視されてメンツを潰されたと思ったらしい。

「交渉してきます!」

 望月が車の外に飛び出した。

「あ、待て!」

 無線機に怒鳴った。

「第一小隊、外に出た民間人を止めろ!」

「はいっ!」

 母親が言った。

「自分は行かないんだ…。いいご身分だねえ」

 ラブの小さな窓から、望月がエルフたちに向かって歩いていくのが見える。

 望月が立ち止まった。

 英語でも日本語でもない、聞いたこともないような言語で叫んでいる。

 エルフの一人がカラシニコフを構えて一斉射した。

 望月の重そうな体が銃弾の衝撃に押し倒された。背後から走ってきた五人の第一小隊の隊員が望月のまわりに人垣をつくる。

 隊員のひとりが89式小銃をエルフに向かって構える。発砲はしない。まだ射撃許可を出していない。しかし「自己が管理する者」が攻撃された。交戦理由ができた。

 無線機に怒鳴った。

「発砲を許可する! 第一小隊は邦人を軽装甲機動車に乗せろ!」

 母親が怒鳴った。

「ちょっと、子供がいるのよ! あんなもの乗せないでちょうだい!」

 すでに、前方で銃撃戦が起きている。幸いまだ隊員に負傷者はいないが、いつまでもつかわからない。

「邦人をラブに乗せたら、隊員は高機動車にもどれ!」

 第一小隊が射撃しながら後退する。

 まずい。

 車両は機動していてこそ力を発揮する。止まっていたら棺桶と同じだ。

「6時の方向、攻撃機動!」

 後ろの車両から降りてきたオークが棍棒を振り上げて走ってくる。接近戦においては「棍棒」も馬鹿にならない攻撃力を持つ。なにしろ自分たちの武装も小銃と拳銃のみなのだ。隊員が望月の体をラブの後部座席に押し込んだ。

「第一小隊、収容終わりました!」

「よしっ! 全車両、全速前進!」

 二十四台の車両が一斉に発進し、全速力を出す。みるみるオークたちを置き去りにする。正面にいたエルフは、あわてて左右に分かれて道を開けた。

 フルオートの銃声が重なって聞こえてきた。

「1時と2時の方向から撃ってきます!」

 森の中からだ。小銃弾が装甲にガンガンぶちあたる。

「6時の方向から、ミリティアのトラックが追ってきます! 荷台には、銃器を持ったエルフが多数!」

 高機動車にも軽装甲機動車にも銃器はついていない。軽装甲機動車は天井のハッチを開ければ銃座ができ、そこから撃つことができるが、銃座は防盾(ぼうじゅん)がついているとはいえ、射手の上半身はほとんどむき出しになる。狙撃されればそれで終わりだ。

 石井は迷った。いまこの車には、隊員は自分と運転手の小森しかいない。自分が銃座について撃たれれば、分隊の指揮を取る者がいなくなる。軽装甲機動車が一台しかないこと、その一台に二人の民間人を乗せたことの弊害が出ている。

 このままでは一方的に撃ちまくられる。高機動車に装甲はない。車の中にいても被害が出る。撃ちかえすためには車を出なければならない。

「民間人を乗せた車両はこのまま走り抜け! 隊員のみの車両は、停止して車を盾にして射撃。ミリティアの足止めをしろ!」

「了解!」


 喫茶店の中だ。正面に恭輔が座っている。

「あんた、あたしに何をしたか覚えている?」

「忘れたな」

「へええ、あんた。女の子にあれだけのことをしていながら、忘れたとか言うんだ!」

「女の子…」

「は?」

「なんでもない!」

「あたしに何をしたか忘れたの!」

 恭輔が目をそらしてコーヒーをすすった。

「だったら、思い出させてあげる!」

「おいっ!」

 あたしは立ち上がった。

「みなさーん! こいつは、あたしの命を助けておきながら、知らんふりをしようとしていますよー!」

「二回だけな…」

「三回だ! 高校生の時に、いまにも自殺するんじゃないかっていうあたしを助けた。あの世界でエルフに襲われた時に、助けにきてくれた! オークたちに襲われた時も、あんたがいなけりゃどうにもならなかった!」

「あとの二つは、一カウントでいいだろう…」

「一回も二回も三回も同じだ! 命は一度失ったらおんなじなんだ! この落とし前をどうやってつけるつもりだ!」

「結婚してください…」

 まわりから拍手が起きた。エルフもオークもコブリンも、セイレーンもリザードマンもゴーレムも、みんなスタンディングオベーションをしている。

 場面が変わった。恭輔と二人、神父の前で跪いている。

「汝、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも…」

 エリカは神父の声をさえぎって恭輔に叫んだ。

「死が二人を分かつまで、この女を妻とするや!」

 …返事がない。なんで!?

 むぐっ。

 いきなり唇を奪われた。

 不意打ちだ…。

 こいつはいつもそうだ!

 は…、反撃を…。


 目が覚めた。また寝ていたらしい。

「ねえ、恭介」

「あんたはどんな夢を見るの?」

「おれの方が聞きたいよ。おまえの夢ってどんなものなんだ?」

 あたしの夢…。さっきの夢を思い出してしまった。頬が紅潮していくのがわかる。

「質問に質問で返すなって習わなかったの! いま質問しているのはあたし!」

「おれの夢ねえ…。おれは、おまえが生きているだけでいいよ」

恭輔が微妙にズレた返答をした時、砂漠にいきなり舗装道路が現れた。この国ではよくあることだが、途中で工事が終わってしまったらしい。

いきなり恭輔が後ろを振り返ってエリカの顔を見た。

「田中、道路に乗り上げろ」

「はい」

 道路に上がると、恭輔が車を止めさせた。

「エリカ、降りろ」

「うん…」

「高橋、田中、ここで待っていろ」

 高橋が言った。

「しかし…」

「命令だ。待機しろ!」

「はいっ!」

 恭輔に促され、エリカは素直に車を降りた。

 舗装道路をまっすぐにすすんでいく。地雷汚染があるため、舗装されていないところを徒歩で移動するのは危険だ。それにしても外はおそろしく暑い。歩いているだけで大量の汗が出る。

 道路の左わきにブッシュ(くさむら)が現れた。前を歩いていた恭輔がくるりと振り返って腰の拳銃を抜いた。


「なんのつもり?」

 恭輔はなぜか、英語で答えた。

「めんどくさくなったんだよ」

 恭輔の拳銃を握った右手の人差し指がピンと伸びて、エリカの心臓を指している。

「なんでおまえみたいな奴を守らなければならないんだ。おれたちみたいに武器を持っている人間がいるから悪いだの、赤ん坊殺しだの、好き勝手なことを言いやがって…」

 エリカも英語で答えた。

「そういう人も守るのが自衛隊でしょ」

「おれは、自衛隊の名誉を守らなきゃならない…、創設以来たくさんの命を救ってきた、武装救助隊としての理念を守らなきゃならない…」

 草むらが少し動いたような気がした。

「武装と救助が矛盾していることがわからないくらい、頭が悪いの?」

 エリカは少し左側に向きを変えた。恭輔がすばやくその前にたちふさがった。

「ここじゃ、死体なんか珍しくもない。そのへんに放り出しておいても、だれも怪しまない。というより、こんな場所じゃ死体なんか絶対にみつからないか」

 恭輔がエリカの後ろをチラリと見た。

「田中と高橋はおれの部下だ。おれがおまえを殺したなんてだれにも言わないだろうよ」

「運動不足の女ひとり殺すのに、そんなものを使わなきゃならないの? 道具がなけりゃなんにもできないの? あんたもそんなものを持つようになって、自分が強くなったような気がしているの?」

 とつぜん草むらから声がした。

「おまえがいま守っているのは、名誉なんかじゃない…。理念なんかじゃない…。そんなに高尚なものじゃない…。もっと低俗なものだ…。そのへんにゴロゴロしてるものだ!」

「うるせえ!」

 恭輔が草むらの方へふり返った。


「そこにいるバカ女の頭と腹だ!」


 エリカはしゃがんで、恭輔の体の陰にかくれた。恭輔のふくらはぎを思いっきり叩く。日本語で叫んだ。

「このっ、ダイコン! バレたじゃないの!」

「てめえ、わかっててやってたな!」

「あんたがあたしを裏切るなんていうくっだらない話を信じるくらいだったら、三分後に地球が爆発するっていう方を信じるわ! だいたいあんた、引き金に指もかけてなかったじゃないの! あたしに銃を向けるのがそんなに怖いの!」

「あたりまえだ、暴発したらどうする!」

「コメディーシアターは終わりだ。そこの男、銃を草むらに投げ捨てろ」

 恭輔が小声でエリカに言った。

「おれが撃たれても絶対に飛び出すな…」

 恭輔が拳銃を草むらに放る。

 ミリディアが草むらから出てくる。あの「あごひげ」だ…。こいつは二回、あたしのことをバカ女って呼んだ!

 恭輔が小声で叫ぶ。

「おれの死体を盾にしろ!」

 「あごひげ」が、恭輔に向かって拳銃を構えた。思わず目をつぶった。



 銃声がした。

 おそるおそる目を開けた。

 恭輔が、さっきと変わらない姿勢でしっかりと立っている。

 道路に拳銃が転がっている。「あごひげ」が逃げていく背中が見えた。

 恭輔がふり返った。

「高橋、ありがとう。助かった」

 エリカもふり返ると、ライフルを持った高橋が走って近寄ってくるのが見えた。

「お怪我は…」

「ない。しかし今のはまずかったな」

 エリカは口を挟んだ。

「どういうこと?」

「軍隊っていうものは、いちいち現地の法律を守ってはいられない。戦時国際法の規定を除けば、国内法によってのみ縛られる。自衛隊は国外では『軍隊』として扱われている。つまり地球上のどこにいようが、日本の国内法によって縛られている。『専守防衛』の交戦規定があるんだ。自己または自己の管理下にあるもの、つまりおれかおまえが撃たれたあとじゃなきゃ撃ち返せないんだ」

 だから、アンブッシュ(待ち伏せ)があるとわかっていながら撃たなかったのか。

 だから、自分を撃たせて高橋に撃ち返させようとしたのか。

「自衛隊員は、法律を守るように徹底的に教育されている」

「法律を守る? 笑わせないでよ! あんたたち自身が憲法違反じゃないか!」

「それだけじゃない」

「なに!」

「恥ずかしいからだ」

「何が!」

「おまえの前で人殺しなんかできるか!」

「そのためならば、負けてもいいと?」

 ビンタをくれてやった。

「カッコつけてるんじゃないわよ!」

「こんな時男がカッコつけてないと、女が不安になるだろう…」

「あんた…、わかってるはずよ! あんたが負けたら、あたしは死ぬのよ!」

 興奮のあまり息があらくなっている。

 むろんエリカは、軍人に対する偏見を捨てたわけではない。「いかなる思想、信条を持っているにしろ、いかなる立場にいるにしろ、武器を持った者が平和を乱す」という信念を捨てたわけでもない。

 エリカは絶対的な平和主義者であり、そしてそれは平和のために、彼女自身が周囲の人間に流されることを意味しない。

エリカが無理矢理にでも平和を説き伏せようとする、いわば戦闘的平和主義者であることも変わらない。

 ただこのときは、「専守防衛の交戦規定」や、恭輔自身の言い草に耐えられないような偽善を感じたのだ。

 恭輔が言った。

「ちょっとこいつに話がある。高橋、車にもどれ」

「しかし、まだ危険では…」

「命令だ、もどれ!」

 たしかに、そろそろまずい。

 高橋は不服そうだったが、恭輔に敬礼して立ち去っていった。

 恭輔は草むらから自分の銃を拾うと、くるりとエリカに背中を向けた。

「おれはこちらを警戒している。おまえは反対方向を警戒しろ。離れてもかまわないが舗装道路の外には出るな。地雷があるかもしれない」

 エリカは恭輔に背中を向けると、ベルトを外して恭輔から借りているズボンを下ろしてしゃがんだ。

 なんとか間に合った。下着をはいていないのも勝因だ。

 しかし、目の前の砂漠と草むらがたまらなく恐ろしくなってきた。

 見知らぬ土地で、下半身を露出しなければならないだけではない。

 この危険な土地で、恭輔の姿が見えないのが恐ろしい。

 恭輔はいま、自分の背中を守っている。

 しかし自分に、恭輔の背中など守れるわけがないんだ。

 ならば…、よし。

 しゃがんだまま、アヒル歩きで180度向きを変えた。

 この視点から恭輔を見たのは初めてだ。

 背中が、いつも以上に大きく見える。

 初めて見たときは、ほっそりした美少年だったのに…。

 そんなことを考えながら、お腹の力を抜いた。

 女の子の音は大きい。しかし、恭輔のいないところでズボンを下ろすことを考えれば、これくらいのリスクは許容しなければならない。

 しかしエリカには誤算があった。

「きょ、きょうすけ!」

 叫んでしまった。

 あ…、あたしはバカだ! いまこいつが守っているのは、あたしのプライドでもなければ尊厳でもない。

あたしの「安全」なんだ!

 ここで悲鳴を上げたりしたら、振り向くに決まってるじゃないか!

 恭輔は拳銃を抜いてふり返ったが、エリカが自分の方を向いて放尿しているのに気づいてぎょっとしたようだった。

「あ、あし…」

 恭輔の靴のそばに自分のおしっこが流れつきそうになっていたのだ。

「ああ…」

 恭輔は落ち着いた動作で立ち位置を変えた。当たり前だ。もしあわててとびのいたりしたら、脚にひっかけてやる!

 この道路は、見ただけではわからないが微妙な高低差があったらしい。

 おしっこは乾いたアスファルトの上を流れていき、エリカの身長の何倍もの川となった。

それを太陽が照らしつけ、むわっとしたアンモニアの臭気がたちのぼる。

 …恥ずかしい。

 だけどいまさらだ。

 好きな男に、下半身を丸出しにしてしゃがんでいるところを見せたんじゃないか。

 好きな男に、おしっこをしたまま止まらない姿を見せたんじゃないか。

 だけどこれは、女の子としての最後のプライド、最後の女の尊厳。

 恭輔を怒鳴った。

「拭くから後ろ向いてなさい!」



「おんぶ!」

「自分で歩け」

「あたしはあんたの部下じゃないから、あんたの命令なんか聞かないわよ! おんぶして!」

「わかった、わかった」

 用を足した後、エリカは恭輔に背負われた。

 大股の歩行が与える振動がここちいい。

「ねえ…、このあとも危険なんでしょう?」

 恭輔は、エリカが期待した通りの答えを返した。


「大丈夫だ。おまえはおれについてくればいい」


 この男はなぜいつもこうなんだろうか。

 なぜこんなに器が大きくていられるのだろうか。

 自分が何を言っても大人として受け止めてくれる。

 こいつが高校一年生だった、はじめて話したときはもう大人の男だった。

 だれにでもあるはずの劣等感や不必要なプライドが全くないか、よほど少ないに違いない。

 どういう育ち方をしたらこんな風になれるんだろうか。

 エリートとかインテリとか言われながら、トラウマとコンプレックスの固まりのような自分とはまるで違う。

 自分はこのまま、この男に甘えながら生きていくのだろうか。

 恭輔にとって、自分は必要なんだろうか。

 もし恭輔が大ケガでもしたら、医師としてこいつの役に立てるかもしれな…。


 バッシーン!


「どうした!」

 恭輔が驚いたように振り返った。

 自分で自分をぶっ叩いたら、思ったより大きな音が出てしまった。


 車にもどると、高橋が外でライフルを構えて警戒していた。恭輔がエリカを背負っているのを見て、露骨に眉間にしわを寄せた。

「エリカは車にもどれ。高橋、話がある」

 エリカが後部座席にもどってドアを閉めると、車の後ろで恭輔が何事かを高橋に言っているのが、ミラーごしに見えた。

何を話しているかはわからない。

 田中が前を向いたまま話しかけてきた。

「高橋二尉ですが…、決して無能ではないのですが、人の気持ちがわからないところがあります」

 そんなことはわかっている。

「一尉が自分を連れて来たのは、運転させるためです。一尉が高橋二尉を連れてきたのは同性であるあなたの世話をさせるためでしょう。しかしあなたには、二尉を頼ろうという様子が全くない」

 あの子があんな性格じゃなければ、受け入れても良かった。

「高橋二尉はいま、この分隊での自分の存在理由について悩んでいるでしょう。この先あの人は、一尉の命令を無視してでも、一尉のためになることをしようとするかもしれない」

「軍隊って、上官の命令は絶対なんじゃないの?」

 それはそれで好きではない。むしろ嫌いなのだが。

「もちろん、自衛隊でもそうです。しかし二尉は中隊長に対して『尊敬すべき上官』以上の感情を抱いている。もしかしたら懲罰覚悟で命令に反抗するかもしれない。むろん、これはとても危険なことです。ですから…」

「あたしに我慢しろって言うの?」

「その通りです。先生が高橋二尉を立ててくれれば、彼女もきっと気持ちを安定させるでしょう。少なくとも、刺激しないでほしいのです」

「冗談じゃないわ。そんなのはそっちの都合でしょ! あんたまさか、こんなことを言い出すってことは、あの子に片思いでもしてるの!」

 言ってから後悔した。なんでも色恋沙汰で考えるべきじゃない。低俗すぎる。

 しかし田中はこっちを向かずに言った。

「ええ。その通りですよ」


赤ん坊を抱えた母親が石井に怒鳴った。

「どこに向かってるの!」

「陸自の宿営地です」

「そこが安全だっていう保証は!」

「宿営地にはヘリがあります」

「痛い、痛い、痛い…。麻酔を…。医者は…、医者はどこだ」

 望月が後ろの座席でうめいている。母親が子供をかばいながら言った。

「こいつを黙らせろ!」

「無理です!」

 ラブと民間人を乗せた高機動車は、フルスピードで駐屯地の敷地にすべりこんだ。無線に向かって怒鳴る。

「民間人に落伍者は!」

「いません!」

「民間人をヘリに乗せろ!」

「はいっ!」

 石井は後ろを向いて叫んだ。

「ヘリに乗り換えてもらいます。すぐに降りてください」

 母親が言った。

「ヘリまでは…」

「走れ!」

 母親はまだ何か言いたそうだったが、それでもドアを開けて降りた。外にいた隊員がヘリまで先導していく。小森が運転席を出て、望月を抱きかかえるようにして歩いていく。

 ミリティアたちに追いつかれる前に、ヘリを出さなければならない。残してきた隊員たちが追いついてくれれば防戦ができるが、ここにいる戦力では、人数も装備も足りない。

 その時、エンジン音が聞こえた。

 隊員を乗せた高機動車…、ではなかった。

 トヨタのピックアップトラック、ハイラックス。

 無論自衛隊の車両ではない。

 しかしその頑丈さと高性能から、地球の途上国の内戦で多く使われ、「走るカラシニコフ」とまで呼ばれている。

 ハイラックスの荷台からエルフがバラバラと降りてきた。

 石井は車の外に出て、停車したラブを盾にして9ミリ拳銃を構えた。

 エルフたちは運転手を除いて五人。全員がカラシニコフなどの突撃銃を、ひとりはRPGまで手にしている。絶対的に不利だ。

 その時、ローター音が聞こえた。

 ヘリが完全に離陸するまでここで持ちこたえなければ!

 カラシニコフが一斉に火を噴く。

 しかし撃ちかえせない。

 交戦理由はある。しかし向こうも車を盾にしているため、撃ちかえしても当たる確率は低い。

 しばらくエルフにラブを一方的に撃たれつづける状況が続いた。

 無論装甲されているため、小銃弾に貫かれることはない。

 しかしエルフのひとりが、車のかげから走り出た。

 すかさず、拳銃でエルフを撃った。

 足を抑えて転げまわっている。

 しかし、こちらは出ていけない。蜂の巣にされてしまう。

 後の四人が、一斉に車のかげから出て走ってくれば、拳銃一丁では対処できない。

 その時、頭上にローター音が聞こえた。

 見上げると、RPGを警戒しているのだろう。オリーブドライブのヘリがみるみる急上昇していく。陸自の大型輸送用ヘリ「チヌーク」だ。

 これで任務は…。

 視線を敵にもどした時、聞いたことのないような甲高い咆哮が聞こえた。

 なんだ?

 金色の翼が飛んでいる。

 ドラゴン!

 金色の鱗にいろどられた胴体、太い手足、巨大な顔。食物連鎖の頂点にふさわしい筋肉と骨格。全長15メートルのチヌークよりもはるかに大きい。

蝙蝠に似た羽はほとんど羽ばたかない。滑るように飛ぶ。みるみるチヌークに近づいていく。

彼は亜音速で空中を飛ぶ。もちろんヘリよりもはるかに速い。自衛隊の装備で龍よりも速く飛べるのは空自の戦闘機しかない。

 しかし自衛隊は、この世界の土地を占領しているわけではない。むろん空自の滑走路などない。海自の、耐熱飛行甲板を有している護衛艦「いずも」は工事が終わったばかりで、艦載機となるF35の搭乗員の訓練が始まったばかりだ。

 ドラゴンの前では、自衛隊そのものさえも無力なのだ。チヌークは輸送ヘリのため武装さえしていない。どうにもできないのか…。あれには民間人が!

 さっきまで戦っていたエルフたちは、銃もRPGも放り出して、地面に這いつくばっている。

彼らにとってドラゴンは「神」なのだ。

 …RPG7? そうだ!

 エルフの神だろうが、自衛隊にとってはただの動物だ。むろん交戦規定違反にならない。

 石井は這いつくばったエルフを蹴飛ばして、汎用ロケット砲を拾い上げた。

 肩の上に乗せて筒先をドラゴンに向ける。

 当たらなくてもいい。こちらに注意を向けさせれば…。

 目で照準をつけ、引き金を引いた。

 シュルシュル…、という音を残してRPGの砲弾が空中を駆け上っていく。

 ドラゴンが長い首を曲げて地上に、こちらに振り向いた。

 そのしぐさは、動物というよりなんだか人間的だ。

 体を翻すと、長大な翼を折りたたんだ。

 衝撃波とともにこちらに急降下してくる。

 ドラゴンは、ヒトを食う。



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