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恭輔

 世界とはこんなに明るかったのか。

 倉庫の床上五メートルくらいのところに、壁にそって手すりのある足場が取り付けられている。足場は長く、二十メートルくらいあった。外からそこに出入りできる扉が破られ、次々にオリーブドライブの迷彩服を着た男たちが入ってくる。迷彩服の男たちは、足場いっぱいに等間隔に広がると、一斉にこちらを向いた。

「構ええ、(つつ)!」

 日本語? 自衛隊がここに?

 思う間もなく上方から、数十丁の銃が整然とミリティアたちに向けられた。

 陸上戦においては上空に位置した側が絶対に有利だと聞いたことがある。

 ガチャッという音が響いた時には、ミリティアたちに抵抗する術はなくなっていた。

 いつの間にかあごひげのエルフも、貴子を蹴るのをやめていた。

 続いて下の扉が破られた。迷彩服の男たちが次々に入ってきて、みるみるミリティアたちを包囲していく。

 意外なほどあっけなかった。

 最後に、男がひとり扉をくぐって入ってきた。男の顔は逆光で見えない。ただ、彼の背後に、切り取られた四角い空間の中央に、まぶしいほどの夕日が見える。貴子はその図柄をどこかで見たような気がした。

 男が入ってきた。顔が見える。涼やかな眼、通った鼻筋、きりりと引き締まった口元。

 むろん他の隊員と同じ迷彩服を着ていたが、彼は貴子の初恋の人に似ていた。というより、彼が大人になったらこうなっているだろうという姿そのものだった。

 ミリティアを包囲した隊員たちは、あっという間に彼らを床に伏せさせ、武器を取り上げている。

 「あごひげ」が腕を極められながら体を起こされている。入ってきた男に唾を吐きかけた。男はポケットからハンカチを出して顔をぬぐった。冷静そのものだ。その雰囲気さえも初恋の彼に似ていた。

 男は、ゆっくりと貴子に近づき、挙手の礼をした。

「『ボーダーレス・ドクターズ』の藤原貴子医師ですね。陸上自衛隊第一師団第三十八連隊、第二中隊長、一等陸尉新条恭輔です」

 …本人だった。


「この世界で、ミリティア団どうしの平和維持活動をしていたのですが、臨時に邦人保護の任務につきました。本来なら四分前に着けそうだったのですが、倉庫の特定に手間取ってしまいました。申し訳ありません」

 そっぽを向いてやった。

「あの…、藤原先生」

 この、余所行きの声も気に入らない。

「先生…」

 もちろん返事はしない。


「やっぱりおまえのことはこう呼ぶべきなのか…、エリカ(・・・)」


 恭輔の眼をまっすぐにらみつけた。

「こんなふうにおまえに睨まれるのも久しぶりだな…。何年ぶりだろうか」

 怒鳴りつけてやった。

「おそいっ!」

「さっき謝ったろうが…」

 この男は何にもわかってない!

「あのねえ、あんたがさっさとここに来てくれれば、あたしはあんな目に会わなかったのよ!」

「とにかく陸自の宿営地まで送る」

「わたしはね、この世界で兵器ってものがどんなに人を傷つけるかいやというほど見てきた。武器を持っている奴は信頼できないわ」

「この世界は丸腰で歩けるようなところじゃない」

「ここがそういう場所になったのは、あんたたち武器を持ってる奴らのせいじゃないの! あたしは、今のあんたの世話になったら、自分の収めた医学っていう学問への裏切りになるのよ!」

 むろん、貴子といえども命を助けてくれた相手がこの男でなければ、こんな態度を取らなかったろう。

「たまには素直に言うことを聞け!」

 素直。素直って何なのだろう。

「いやっ!」

「エリカ!」

「絶対いやっ!」

「いいからおまえは、だまっておれについてこい!」

「ぐっ…」

 こんな時なのに顔が熱くなった。動悸が激しくなる。ごまかすために大声を出した。

「何よ、えっらそーに! あんたいったいあたしの何なの!」

「おれはおまえの味方だ。どんなことがあっても、これだけは忘れるな」

 味方…。たぶんこの言葉は、ほかの女の子にはむしろそっけなく聞こえるのだろう。だけど自分の今までの人生で、この男以外に「味方」などいただろうか。

「ついてきてくれるか…」

「うん…」

 その時、横合いから声がした。若い女だ。迷彩服を着ている。むろん自衛官だ。

「空や海とちがって、陸には人や亜人が入り組んで住んでいます。陸上戦においては、だれが味方でだれが敵かわからなければ戦いようがありません。だからどこの国の陸軍軍人も自分が敵か味方かをまず明らかにします。『私たち』は、あなたの味方です」

 丸顔だ。鼻が低いけれど目はくりっとしている。かわいい感じだ。

「………だれ?」

「陸上自衛隊、第一師団第三十八連隊第二中隊所属、三等陸尉高橋真奈美です」

「あんたに聞いてないわよ!」

 恭輔を怒鳴った。

「だれよこの人!」

「おれの部下だ」

「あっそ」

「我々で邦人全てを宿営地に送る。ただその前に、あのミリティアたちをどこか遠くまで連れて行かなきゃいかんな」

「遠くって…」

「だから、『遠く』だよ。武装は解除したが安全なヒトたちとは言えないからな。中隊で、簡単にここまで来れないところまで送ってやらなきゃいかん。そのために人数を割く必要があるな」

「捕虜にしないの?」

 あんな連中を野放しにして大丈夫か。

「そんな権限はないよ。第一、足手まといだ」

 恭輔が他の隊員たちのところに行ってしまうと、高橋が近づいてきた。

「中隊長に言い過ぎたと思っているなら気にしなくていいですよ。私たちはもともと日陰者ですから。助けた相手に罵倒されるなんてよくあることです。中隊長もああいった反応には慣れていますよ」

 なんだか、この女の言いようが気に入らない。もっと言えば、この女の口から「私たち」という言葉が出てくるのが気に入らない。

 隊員たちが民兵を外に出すと、恭輔がもどってきた。

「では、みなさんにも移動していただきます」


 すでに夜が更けている。

 隊員たちの大半は、民兵を「遠く」まで送りに行っているらしい。

 「この倉庫にとどまっていたら、隊員たちがいない間に他の民兵に急襲される恐れがある」と言われ、すぐに移動させられた。

 そうは言っても赤ん坊を含む二十人以上の大所帯のため、目立たずに行動することは難しい。

 倉庫のすぐそばの、小学校だったらしい廃屋の二階に移動し、夜を明かすことになった。

 地球よりも大きな太陽があり、日中は摂氏40度以上にもなるこの世界であるが、夜は氷点下まで冷え込む。

 三十畳くらいありそうな部屋の床に、日本人たちは夜具もなく、身を寄せ合って雑魚寝をしていた。

 不寝番として恭輔が立っている。

 とても快適とは言えない寝床であるが、疲れていたのだろう。やっとうとうとし始めたとき、床がきしむ音が聞こえた。

 闇の中で耳をすませた。

 足音がこちらに向かってくる。

 目を凝らした。

 恭輔の陰が、しゃがんで腰の拳銃を抜くのが見えた。

 足音はさらにこちらに近づいてくる。

 いまこの部屋には、自衛隊員は恭輔だけしかいない。あとは高橋のほか数人が部屋の外にいるだけだ。

 ミリティアがどれほどいるかわからないが、とても対抗できないだろう。

しかしここは一切光がともされていない。

 もしかしたら、やりすごしてくれるかもしれない。

 帰って! お願いだから帰って!

 貴子は全身を耳にして足音を聞いた。

 この部屋の前まで来ることはなかった。

足音が遠ざかっていく。

 階段を下りているようだ。

 ほっとした。だがまだ安心できない。

 一階に下りただけだ。建物の外には出ていない。


 おぎゃぁぁっ! おぎゃぁぁっ! おぎゃぁぁっ!


 新生児が、火がついたように泣き出した!


 藤原貴子がこの世界に来たのは、言わば自暴自棄の結果である。

 貴子は、大きな私立病院の院長の娘として産まれた。

 院長は父ではなく、母である。

 両親ともに医者であるが、父は何の役職にもついていなかった。

 貴子には四つ年上の兄がいた。

 こういう言い方はよくないと思うが、あまり出来のいい兄ではなかった。

 子供のころから「できた」貴子とは違い、勉強もできなかったし、しようともしていなかった。

 母親はそんな兄を、いつも汚い言葉でののしっていた。

「勉強もできないし、運動もできない。できることが一つもない」

「体ばかり大きくなって、ゲームばかりしている」

「こいつのバカさは、誰に似たんだろう…」

「私の子供だからと言って特別だと思うな。私は優秀でない人間を認めるつもりはない」

「男の子がなんでおまえだけなんだよ!」

「たった少しくらい年上だからと言って、貴子よりも偉いと思うな」

 貴子はそれを聞きながら、自分は母親に兄よりも愛されていると感じていた。

 父親は、貴子よりも兄を愛しているように見えた。

 母が兄のことをののしるたびにつらそうな顔をしていた。

 いつの間にか自分の部屋にとびこんで耳をふさいでいたこともある。

 母は父にこう言った。

「あんたが言わないから私が言ってるんだからね! 耳をふさがないでよね!」

 母は子供たちの前でも父を怒鳴りつけた。こんなことを言っていたこともある。

「これがあんたの息子なんだよ!」

 父はこう言い返した。

「つまり、いいところは全て母親譲りで、悪いところはおれに似たんだな」

 母は父をこう責めた。

「あんたはなんで、子供の前でそういうことを言うの!」

 父は、母に罵倒されるたびに子供のように拗ねるところがあった。

 貴子が小学生のころにこんなことがあった。

 夕食を食べ始めようとした時、来客があった。

 父は「ママがもどってくるまで待ちなさい」と言った。

 そういう躾というよりも、母がいつも「私は家政婦じゃないんだから、私が座るまでは挨拶しないでよね」と言っていたため気を使っていたのだろう。

 しかし貴子はそのとき、とてもお腹がすいていた。

 客間まで言って、母に「先に食べていいか」と聞いた。

 母の了解を得ると、挨拶して食べ始めた。

 そのころすでに貴子は、両親のうちで母の言うことしか聞かなくなっていた。

 兄もまた食べ始めた。

 父だけが、不機嫌そうな顔をして母の帰りを待っていた。

 母がもどってきて食べ始め、誰も言葉を発しない夕食が終わった。

 父は自分のことを「可愛くない子だ」と思っていただろう。

 しかし貴子は、母に愛されていると思っていたから平気だった。

しかし父としては、赤の他人である母から、自分の息子をひどく罵倒されるのがつらかったのだろう。

 親というよりも男どうしの連帯から、兄のことを気に掛けていたらしい。

 兄は、子供のころから本が好きだったため国語はある程度出来ていたが、理系科目は全く駄目だった。

 兄が地元の底辺校を受けると決まったとき、母はこう言った。

「息子がこんな高校を受けるだなんてプライドが許さないけど、それでも応援してやらなきゃならないと思ってるんだから感謝しな!」

 もっとも、母は貴子に対しても甘くはなかった。

 勉強をさぼったりすると、容赦なく叩かれた。

 しかし愛されていないとは思わなかった。 

 母は、自分のために厳しくしているのだと信じていた。

 兄がそこそこのレベルの私立大学を卒業したとき、両親の離婚が成立した。

 もともと母親の方が収入が高く、父は何の条件も出さなかったため、話はすんなりと決まった。

 それから父と兄に、一度も会っていない。

 しかし平気だった。

自分は父よりも兄よりも、母に愛されていると信じていたから。

風の噂では、父は離島の診療所で働き、兄はその島の分校で教師をしているという。

のんびりした土地で親子の江尻先生と呼ばれ、島民に愛されているらしい。

 離婚してから、母親は貴子にこんなことを言うようになった。

「おまえの兄だった奴は、もうわたしの息子じゃない。だからおまえの兄でもない。ただの敗北者だ。気持ちからひねくれていた。殴っても蹴っても同じだった。その点おまえは、素直でとても助かる」

 そのころの自分を「素直」と言っていいのかわからないが、母親の言葉をそのまま受け入れていたことは確かだった。今から思えば母親の兄の評価は、一種の負け惜しみのようなものだとわかるが、この「素直」な貴子は自分は愛され、兄は愛されていないとだけとらえていた。

 母はよく、こんなことを言った。

「おまえの父方の祖父は、軍人で人殺しだった。だからおまえは、医者になってその罪滅ぼしをしなければならない」

 父親と離れて良かったと思った。

「男に頼って生きているようではだめだ。男なんて頼りがいのない生き物なんだから」

母親がこのように言うのは、自分を発憤させるためだと思った。これも自分のために言ってくれていると信じていた。


 しかし、あるできごとからこの認識が崩れていく。


 貴子は県下でも有数の進学校から、私大の医学部に進んだ。

 六年間必死に勉強した。国家試験に合格し、いよいよ卒業という時、母がある手紙を持ってやってきた。

 受け取ってみると、すでに封が開いている。便箋の中央にこれだけ書かれていた。


 もう、つきまとったりしません。安心してください。 恭輔


「ママ、これは…」

「あんたのスマホを覗いてみたら、『これから任務で海外に行くから、一度会いたい』って、男からメールが来てるじゃないか」 

 直感した。告白だ!

「だからわたしがあんたの代わりに、あんたのスマホから返事をしておいてあげたよ」

 そう言って母親は、気の弱い男なら自殺しそうなワードを次々に、10分間に渡って並べ立てた。

「ついでにこのスマホの、あの男のメールアドレスと携帯番号を着信拒否にして、電話帳から削除しておいてあげたよ。そうしたらあの男からあんた宛てに手紙が来たから封を開けてみた。変なことが書いてあったらどうしようかと思ったけど、うまく縁が切れたみたいでよかった。何回も言っているけれど、男なんかに頼ったらいいことはないんだよ。あんたはあたしの跡を継いで、病院長になるんだから!」

「そう…、ママ、ありがとう…」

 ラストストローだった。

 いや、遅すぎる反抗期だったのかもしれない。

 医師免許を手にするとその足で「ボーダーレス・ドクターズ」の事務所を訪れ、卒業と同時に海外に出た。

 母親には「私も敗北者になる」とだけ書き置いた。

 子供は自分が愛されていないとはどうしても信じたくない。だから、どんな扱いを受けていても、「自分のために厳しくしてくれている」と信じたがる。

私はこれまで、「母親に愛されている」と自分に言い聞かせていただけなのだろう。

 自分は愛されてなどいなかった。母は自分を病院の跡継ぎにするという打算を抱いていたんだ…。

 はじめてそんなことを思った。

 エリカの母親は、彼女を純粋に愛していたわけでもないし、純粋に打算を抱いていたわけでもない。世間の母親と同じように彼女を愛しながら、世間の母親と同じように打算を(「夢を」と言い換えても同じだが)抱いていただけだとも考えられるのだが、反抗期にさしかかったばかりのエリカにそんなことがわかるわけもなかった。

 それから日本に一度も帰っていない。

 

 物音ひとつしない部屋の中で、赤ちゃんの声だけが大きく響く。

 きっとこの部屋の異常な緊張に耐えきれなくなったのだ。

 この声をミリティアが聞きつけてきたら…。

 母親はあわてて乳をふくませたが、泣き声は全く止まない。

 恭輔が振り返ってそろそろと母子の方に近づいていく。

 拳銃を握ったままだ。


 赤ちゃんを殺そうとしてるんだ!


 いや、あんな男が赤ちゃんを殺したりするだろうか。

 いや、あんな男だからこそするかもしれない。

止めなきゃ。

 だけど止めたら、民兵がなだれ込んでくる…。

 死にたくない。

 死にたくない。

夕方の倉庫では死の恐怖など感じなかった。

きっと「自分が死ぬ」ということが感覚としてわかっていなかったのだろう。

 しかし今では、恭輔に一度命を助けられた今は、死ぬことが素直に怖い。


体が動かない。どうしたらいいのかわからない。

 母親が恭輔をにらみつけている。

 その時、引き戸がそっと開いた。

 高橋だった。

 恭輔がくるりと高橋の方を向いた。

 高橋は拳銃を構えたまま恭輔に近づいてくる。撃つつもりだ…。

 恭輔は銃を下げたままだ。

 高橋はゆっくりと歩いてくる。

 恭輔のすぐ前までくると、銃を構えたまま歩みを止めず、恭輔の背後に回り込んだ!


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