異世界
拙作「オレンジビーチ」を、異世界ものにしただけの小説ですが、読んでいただけると幸いです。
『灼熱のサクラメント』
「この世界じゃ、日本に帰れば滅多に見られないものがいくつもある。本物の銃、本物の殺人、本物の死体!」
あごひげを生やしたエルフが、顔を近づけてにやりと笑った。
藤原貴子は、「あごひげ」の碧い眼をにらみつけて言った。
「わたしは医者よ。死体なんか見慣れてるわ。それに日本に帰るつもりなんかない」
「なるほど、あんたが日本を捨てるのは、悪くない判断だ」
「おあいにくさま、あたしは日本を捨てたとしても、この国を拾ったりしないわよ!」
ここは異世界である。
三年前のある日、アフリカ大陸の東、ソマリア沖に突如出現した「渦」。
それがこの世界と「日本」のある地球との出入り口になった。
貴子は「ラーゲリ」と呼ばれるこの世界の難民キャンプにいた二十一人の日本人とともに、この「あごひげ」たち、「民兵」に虜にされていた。
ほこりっぽい、天井ばかりが高い石造りの廃倉庫。木箱の切れ端だけが散乱している。
二十二人の日本人は、互いの顔がわかるのがやっとの暗さの中で、倉庫の真ん中に立たされていた。
数人の、ライフルや拳銃を持っている男たちはすべて尖った耳をもっている。エルフだ。淡いグリーンの貫頭衣と白いズボンの民族衣装を着ている者もいるが、Tシャツやジーンズといった地球人と同じ恰好をしている者もいた。彼らは日本政府から「ヒト」として認証されている。言語を話し、衣服を着て、弓矢を使う彼らを動物としては扱えなかったのだろう。エルフに従えられたオークやコブリンは棍棒程度のものを手にしている。彼ら「亜人」は日本政府にヒトとして認められてはいない。
エルフが横に尖った耳を持っている以外は地球人、それも白人そのものの顔をしているのに対して、オークはゴリラの様な筋肉質な体格に緑色の肌、頭には短い角まで生やしている。二足歩行しているが、印象としてはヒトというより牛に近い。コブリンは、西洋絵画のインキュバスか、仏教彫刻の邪鬼のような姿をしている。体は小さく肌は暗い灰色で、顔は小さいがしわくちゃで目鼻が小さく、口は大きく小さな牙がはみ出していて、「亜人」は衣服をつけず腰を剛毛が覆っている。
そんな者たちに何重にも囲まれているのだ。脱出するのは不可能だろう。
「あたしたちをどうするつもり?」
「死んでもらう」
「ひっ…」
貴子の後ろから、男の悲鳴がした。
フン。いい歳してだらしがない。赤ちゃんを連れた母親までもここにはいるのに!
望月が言った。
「身代金と交換では…」
あごひげが言った。
「そんなことをしてもこちらにカネが入ってくるわけじゃない。それよりも『日本人を殺した』ほうがいい。ボスが評価してくれる」
この「あごひげ」がボスと呼んでいるようなミリティアのリーダーたちが、かろうじてリーダーシップを取っているが、彼らじたいが山賊のようなものだ。この「あごひげ」のような子飼いの部下たちに、地球からきた援助品を略奪したものを配っているだけで、治安維持などしていない。しかもそのミリティア団が、大きなものだけでも四つあり、四つ巴の内戦をいつまでも続けている。
しかも、この世界には金やダイヤモンドなど、地球で価値があるものが豊富にあり、ソマリアから漁船を出して密貿易をする者が大量に出てきた。内戦中のミリティア団のリーダーがもっとも手に入れたがっているもの、それは武器である。かつて弓矢と刀剣しか武器がなかったこの世界に、銃器だけでなく対戦車ロケットまで出まわっている。
「ずいぶん流暢な英語だわね。ママに教えてもらったの?」
「母はいない。父親もだ。英語は外国語として習った」
「フン。どうせ本音は、わたしのしたことが気に入らないだけなんでしょ!」
無論、それによって他の日本人を危険な目に合わせているという自覚はある。
「だけどわたしは、正しいことをしたと信じてるわ!」
「サーディンズ、ヘッド」
「はあ?」
「日本語で言えば『イワシノアタマ』か」
何を信じても自由だと言いたいのか!
「おまえ、医者か。日本じゃ尊敬されているんだな」
「あんたと世間話をする気はないわ」
「医者っていうのは職人なんだろ。人の体を治すのが商売の」
何かカンにさわった。
「ほう、怒ったのか。日本では職人が尊敬されているって聞いたが間違いだったのか。日本人にもアホウにしか見えない鳥に『アホウドリ』って名づけるような素直さが残っているようだな」
素直という言葉はそんな風に使われていいものではないはずだ。
「ここの奴らはさらに素朴で素直だ。甘いものがうまい。威張ってる奴が偉い。そして…」
あごひげが拳銃を抜いた。
「銃を持ってる奴が強い」
銃口をにらみつけた。
「そんなモノを振り回して自分が強くなったような奴の気がしれないわ! 武器がなけりゃなんにもできないくせに!」
あごひげはにやにや笑っている。
「この国に来てから、あんたたちがぶら下げているオモチャのせいで、死んだり障害を受けた人をたくさん見てきた! あたしたちが慎重に救いあげている、あんたたちの同胞の命を、あんたたちは簡単に叩きつぶしてしまう!」
笑っていたあごひげの顔がみるみる蒼白になった。
拳がとんできた。
顎を殴られた痛みを実感する間もなく、木製の銃の台尻が脳天に振ってきた。
頭がクラクラする。
思わずしゃがんだ。両手を床に着いて体を支える。
蹴りが水月に飛んできた。
息ができない…。
たすけて、きょうすけ…。
ことの起こりは二日前であった。
貴子はこの倉庫から10キロほど離れた難民キャンプで、地球の国連から派遣された外科医として働いていた。キャンプが「収容所」と呼ばれているのは、「そこ以外にいる場所が無い者が収容されているようなものだ」という揶揄から地球人が使い始めたスラングからである。
この世界では初めてだが、海外で医療活動を行うのは初めてではない。
この世界に地球の武器が入ってくるようになり、ミリティアどうしの戦いが起きるようになった。いつ終わるともわからない内戦のため大量に難民が発生した。それだけでなく、近隣からもキャンプの診療所にけが人や病人が担ぎ込まれることがある。
あのエルフの少女もまた、その一人だった。
とがった耳を持つため「エルフ」と日本人は呼んでいるが、体の構造はヒトと全く変わらない。数百年の寿命を持つなどということもなく、貴子が学んだ医学が十分に役に立つ。
二日前、彼女は親に連れられてやってきた。民族衣装ではなく、黄色いTシャツを着ている。母親は「咳がとまらず、熱があるようだ」と言っているらしい。
その時、「あごひげ」が割り込んできて英語で言った。
「そんな奴はどうでもいい。おれの兄弟の治療をしろ」
怒鳴りつけてやろうと思った。その時、キャンプの責任者が言った。
「彼の兄弟を先に治療しなさい」
キャンプの責任者は日本人だった。
望月卓也という。
もとはジャーナリストらしい。
真ん丸い顔をしている。こんな土地なのに肥満していてほとんど走ることがない。
貴子は望月を怒鳴りつけた。
「これは医療に関する問題です! あなたの指図は受けません」
望月はそんな貴子にかまわず、熱があるという少女と母親をキャンプの外に連れだした。
患者を連れ去られてしまっては是非もない。貴子は「あごひげの兄弟」という若い男の治療をとても荒っぽくやった。
あごひげの兄弟はほとんど軽傷だった。
しかし貴子は納得がいかず、その夜望月のところに怒鳴り込んだ。望月はすかした顔で答えた。
「エルフの宗教ではね、前世罪を犯した者が女に生まれるんだよ。だから、女性の治療を男性より前にしてもらうわけにはいかないんだ」
「そんな迷信を治療より優先しろだなんて、あなたは正気ですか!」
「郷に入ったら郷に従え、だよ」
「女性差別にも従えってことですか!」
「そうしなければ、ここでは活動できないんだよ。日本にも、女は穢れたものっていう考えがあった。今でもその名残で、相撲の土俵は女人禁制だ」
「そういう偏見を取り除いていくべきです!」
「あなたは何をしにここに来たのかな」
「治療のためです。そして近代医療を行うためには、そんな迷信は打破しなければなりません」
「君は迷信というがね、エルフたちにとってはそれが唯一の宗教なんだよ。近代化っていうのは結局地球化だ。文化そのものを地球化する必要がある。男女平等も基本的人権も、多数決の原理も、全て地球の文化だ。エルフたちが『近代化』って奴を受け入れて、自分たちを地球化しようっていうならそれもいいだろう。しかし君が、ここの『文化大革命』をするのはやめてくれ。近代文化がその他の文化より優れているっていう証拠はどこにもないんだからね」
「しかし、医療にはヒトの命がかかっています」
「そうだ。だから地球では医者は権威であり、権力だ。だれでも健康を害したら医者にかからなきゃいけないんだからな」
そんなことはどうでもいい。
「医療とほかのこととを同じに考えるべきではありません!」
「だけどエルフたちには、ドクターより呪術師の方が尊敬されている。医者は死人をどうにもできないけれど、呪術師は死者の魂を呼び出せるからな。医者の権威がこの世界でも通用するとは思わないことだ」
この男は文系らしく理系の人間に対する劣等感がはっきりとある。少なくとも貴子はそう思った。
「本当に呼び戻せるわけじゃありませんよ。呪い師も客も、呼び戻せたような気持ちになっているだけです」
「だから、それが文化なんだ。要するに、医療にしても何にしても、エルフたちの文化に従ってやってほしいということだよ」
これ以上話しても無駄だと思い、貴子は望月のもとを辞した。
次の日、昨日のエルフの少女がまたやってきた。悪いと思ったが男達の診察がすむまで待ってもらった。
やっと少女を診ることができた。
少女の胸に聴診器を当てるとごうごう音がする。風邪かと思い、解熱剤と咳止めを与えて帰した。
その翌日、つまり今日のことである。キャンプに来る途中、外であの黄色いシャツの少女が母親に抱かれているのを見た。
吐く息が荒い。脂汗を流している。
結核だ!
内科は専門ではないが直感した。
最近地球からこの世界に出入りする人間が増え、ヒト世界の感染症がここにまで広がっている。
エルフの子供を抱き上げると、何も言わずに診療所のテントに入った。
外からわあわあ言う声が聞こえる。思わず飛び出した。
言葉はわからないが、何人もの男たちが大声を上げて威嚇している。
「あごひげ」には英語が通じるはずだ。
「何を言われようとこの子をまず治療するわ! 文句があるなら帰りなさい! 言っておくけどあたしは、治療の邪魔をする奴を診察したりしないわよ!」
しんとなった。
最初からこうすれば良かったんだ。
望月が入ってきた。オロオロしている。
「ちょっと、困るじゃないか…、こんなことをしたら…」
「やかましい!」
診療所から追い出した。勝手に困っていればいいんだ。
少女を横にさせて抗生物質を投与する。ストレプトマイシンが効いてくれれば…。
数時間経って、ようやく熱が下がった。峠をこしたようだ。
外に出てみた。エルフの男たちはいない。あきらめて帰ったようだ。
医師は、時として独裁者にならなければならないときがある。それが多くの命を救うことにつながるはずだ。
そう考えた数時間後、「あごひげ」たち武装したエルフとオーク、コブリンたちにキャンプは急襲され、そこにいた他の日本人とともにこの倉庫跡に連れて来られた。
そしてその「他の日本人」には、ここで急に産気づき、昨日このキャンプで分娩を終えた母親とその新生児までも含まれていた。
「おれたちの体はおまえのオモチャか! おまえは積み木遊びをしたくてここに来たのか!」
あごひげが何度も何度も貴子の腹を蹴り上げる。
痛い。苦しい…。
その時、バーンという音がして外光が差し込んできた。
明るい。
扉が蹴破られたのだ。