第十七話 虚空と無尽を司る者
相対するディリスと虚無神。
既にディリスはその場から消えていた。
虚無神の懐まで一息で距離を詰め、彼女の蒼い眼はがら空きの首へと向いていた。
すれ違いざまに首を一閃。確実に捉えた。人間ならばこれで終わり。
だが、人を越えた召喚霊相手にはそうはいかなかった。
「今、何かしたのか?」
「ちっ、一撃とはいかないか」
「返礼しよう」
虚無神の背中から巨大な翼が飛び出した。身体の素材と同じく半透明の結晶のような物質。
それを見たディリスはエリアの方を向いた
「エリア、防御お願い」
「もう、準備オッケーだよ! 『防壁』!」
既に前へ飛び出したエリアが両手を前に突き出した。
同時に、虚無神はその大きな翼をはためかせる。翼から無数の羽根が飛び出し、ディリス達へと襲いかかる。
『防壁』の発生と、着弾はほぼ同時だった。
「っ――!!」
あまりの威力と量に、思わず後ずさるエリア。津波を相手にしているような気分だった。
だが、負けられない。そうエリアは己に言い聞かせる。
例え防御を突破されても、ディリスがしっかりカバーしてくれる。そういう確信があった。
そして、これはいつまでも終わらない事ではない。
「召喚! 来てください!!」
ルゥの準備が終わった。彼女の後方には魔法陣が完成しており、そこから黒い影が凄まじい勢いで飛び出した。
閃光のような速度で虚無神へと接近した影は、その長大な黒剣を乱舞させる。
「元気になったみたいで良かったです、クァラブさん」
「ノプ」
召喚霊の本体はあくまで異界にある。こちらの世界にある分体に大きなダメージが加わると、それは異界の本体にもフィードバックされるのだ。
本体が回復するまでは召喚を行う事はできないが、そこは最上級の召喚霊。並の召喚霊ならばまだ回復していない所だったが、既に回復を完了していた。
「対人間はどうでも同じ召喚霊であるクァラブはどうだろうな」
嵐のようなクァラブの剣戟を掻い潜るように、ディリスも虚無神への攻撃を再開する。
クァラブが縦横無尽に剣を振るう。その剣風だけでも直撃すれば人間はダメージを負うだろう。だがディリスは躊躇しなかった。
己の手で殺せるなら己の手でしっかり殺す。
それだけの意志を以て、ディリスは天秤の剣を閃かせる。
「ディー! 行くよ!」
エリアの声に、ディリスは一旦その場を離脱する。クァラブも何かを感じたのか、一度後退する。
「クラーク様に教えてもらった最後のとっておきの魔法……!」
エリアが天へ掲げた腕の先には、強大な魔力が渦巻いていた。あまりにも濃縮した魔力はそれぞれ反応を起こし、雷が生み出されていた。
その魔法をディリスは知っていた。クラークがその余りにも高い威力から、自ら使用を禁じていた最大級の攻撃魔法。
「『城壁崩しの光槍』ァーー!!」
放たれるは無音の極光。
魔力は自然と槍のような形になり、虚無神へ効率的に破壊を送り込む。
「これは……」
虚無神がその攻撃魔法を見て、声を漏らす。
それは驚嘆か、それとも別の感情か。
虚無神はゆっくりと左掌を向ける。
「人間がここまでの威力を出せるか。興味深い。――『無尽の左腕』」
突き出した左手ごと光の槍は虚無神を飲み込む。後に残る物は何もなく、それはそのまま光槍の威力を示していた。爆風が煙を呼び、何も見えなくなってしまった。
「どう思うディー?」
「これで終わってくれるなら、こんなに楽なことはないよねって感じ」
「……」
ディリスの蒼い眼は確かに捉えていた。
左掌から波紋のような丸い防御壁を展開し、仁王立ちする虚無神が。
これに関しては特段ショックはなかった。
ディリスは以前フィアメリアから聞いていた話と、今の現象を照合させる。
「なるほど、これが“何者をも寄せ付けぬ防御力”って奴か。そしてあれが――」
発光を始める右腕を見て、ディリスは背筋を凍らせる。
「滅しよう――『虚空の右腕』」
虚無神がハンマーのように地面を叩いた。地面が割れ、衝撃波が辺りに飛び散る。さながら天変地異の様相。
破片が散弾のように飛び散る。質量弾は容赦なくディリス達へ襲いかかる。
即座にディリスは対応する。
飛んでくる破片を剣で迎撃し、エリアやルゥへ被害が及ばないようにする。
無我夢中で剣を振るいながら、彼女は虚無神の右腕へ視線を集中させる。
フィアメリアの話で出ていた全てを撃ち貫く攻撃力を持つ右腕。ただ地面を殴っただけでこの威力。まともに食らったことを考えたら、ただただ恐ろしさしか感じられない。
あの右腕による攻撃は当たらずに、虚無神へ攻撃を与える。ただし、左手による防御を突破するという条件付き。
「さて、どうしようか」
天秤の剣へ視線を落とすディリス。
結論から言えば、“ダメージは与えられる”。クァラブと共に斬っている最中、魔力を纏わせてみたが、手応えを感じられた。
「ディーさん!」
ルゥへと顔を向ける。
「私はまだクァラブさんを維持できます! だから、頑張りましょう!」
「ディー」
次はエリアへ。
「ルゥちゃんの言う通り。私達はまだ、頑張れる」
エリアとルゥ。
二人の表情には迷いがない。だからこそ、ディリスはここまで付き合わせたことに対して、きっちりと筋を通さなければならない。
「……斬れるってことは殺せる。だから、エリアとルゥ。まだ手伝って欲しい。あいつをきっちり殺すために、力を貸して欲しい」
そのディリスの言葉に頷かない者は、誰もいなかった。
それが、それだけが、ディリスにとっては嬉しかった。
必ず殺すんだ、奴を。 byディリス