第十話 雪解け
「アズゥさん!」
「アズゥは……アズゥは……負けてない」
倒れているアズゥを抱き起こしたルゥの眼には涙が滲んでいた。
そんなルゥの涙を、アズゥは忌々しげに睨みつけていた。
「……何で、助ける」
「アズゥさんと話をしたいから」
「アズゥ達は貴方という成功例がいたから、もっと完成度を上げるため、沢山の実験を受けた。話すことは――」
「ありますよ!!」
突然の大きな声で、つい黙り込むアズゥ。
ルゥは続けた。思いの丈をこれでもかと語りだす。
「私は、他の皆を知らないんです。だから、会って話したい。だって私はアズゥさんだけしか知らない。アズゥさんの言う“皆”とちゃんと喋ったことがないんですから」
「…………」
「アズゥさん、私にもっと色んな事を教えてくれませんか?」
「……アズゥが?」
「そうです。アズゥさんは先輩です!」
「私は貴方の先輩になったつもりは、ない」
「これから教えて下さい。貴方の思っている事を、全部。それで私も思った事を全部喋ります! ううん、喋りたいです!」
ルゥの差し出す手を見つめるアズゥ。
馬鹿馬鹿しい、と思った。この程度で今までの出来事がチャラにでもなると思っているのだろうか。
手を振り払い、魔法でも使えば一気に形勢逆転できる。
そのつもりで、手に魔力を込めるアズゥ。
ルゥはその手をそっと握った。
「貴方の話を、聞かせてくれませんか? ちゃんと、ゆっくりと」
「……馬鹿だ、貴方。アズゥも……」
憎しみの氷は未だに大きい。溶けることはないのかもしれない。
だが、目の前で馬鹿みたいに騒ぐ少女に対して、少しだけ興味が湧いてしまったのだ。
「アズゥ、でいい」
少しの時間の後、アズゥは小さく呟いた。
「“さん”は、いらない」
そこで言葉の意味を理解したルゥはたちまち笑顔を浮かべた。
「はい! アズゥ!」
少女と少女のわだかまりはこれで完全に消えた訳ではない。
だが、少しずつ近づこうとすることは誰にも咎められるものではない。これから着実に、アズゥの憎しみと対話を重ねていくのだ。
これは、その小さくて大きな一歩に過ぎないのだから。
◆ ◆ ◆
「どうしたのよエリア! 防御がお粗末になってきているわよ!」
「まだ、まだぁ!」
ルゥとアズゥの戦いに決着がついた同時刻。
オランジュとエリアの攻防はちょうどピークを迎えているところだった。
空を飛び、あらゆる方向から魔力弾を放ち続けるオランジュ。その弾幕に対し、なるべく魔力を使いすぎないよう的確かつ最小限に防御を行うエリア。
戦いは位置取りである。
上空を取られているエリアが劣勢になりつつあるのは仕方のないことだ。
「オランジュさんの魔力が尽きる様子がない……!」
攻撃の合間を縫い、エリアは攻撃魔法の用意をする。
周囲に魔力で出来た球体が現れ、そこから小さな光の剣が無数に生み出され、そして空中にいるオランジュ目掛けて飛翔を開始する。
「クラーク様から教えてもらった『追いかける魔剣』、これならどうだ……!?」
「へぇ! ちゃんと空を飛ぶ相手に対する手札は用意しているのね!」
魔力弾を防ぎながらも反撃をしてくるエリアに対し、オランジュは彼女の成長を感じ取っていた。
この前会った限りでは《蒼眼》に護ってもらうだけの頼りない存在にしか視えなかったというのに。
きっと、その蒼い眼の悪魔の影響を受けたのだろう。
オランジュは一人で納得しつつ、誘導飛行してくる『追いかける魔剣』を避けようと身構える。
その時だった。
「クラーク様から教えてもらったもう一個!」
エリアの右手から何かが打ち上げられたのを確認した瞬間、オランジュは身体に強烈な“重さ”を感じた。
「なっ……!? あの子が打ち上げた黒い球、そして、くっ……飛行を維持できない程の身体の重さ……! これは、まさか……!」
身の危険を感じ取ったオランジュは迫りくる『追いかける魔剣』に対し、防御魔法の展開を選択した。本来ならば、飛行魔法を用いて振り切る算段であったが、事情が変わった。
「っ……!」
威力、速度、そのどれもが一級品。
次々に襲いかかる光の剣を全てしのぎ切った時には、オランジュの防御魔法が破壊されるかされないかの瀬戸際であった。
もう少し攻撃を受けていたらどうなっていたことか。
「……身体が重いわね、やっぱり」
久々に戦闘中だというのに、地上へ降りることとなった。
身体にかかっていた異常な重力はすっかり無くなっていた。しかし、また飛ぶ気にはなれなかったオランジュ。
彼女は忌々しげに、上空を漂う黒い球と、エリアを睨みつける。
「“それ”、マイナーすぎて覚える人いないと思ってたんだけどね」
「『戒めの空』……私もこんな魔法があるだなんて思いませんでした。そして、嬉しくなりました。狭い範囲だけど、高いところにいればいるほど高い重力負荷を与えることができるこの魔法があれば、オランジュさんとも渡り合えるはずだから」
「空を奪ったぐらいで私と渡り合う……?」
風が吹く。
風は彼女の足元に転がる土や石を動かし、対面のエリアの元まで波寄せていく。
オランジュの橙色の髪が持ち上がる、まるで髪自身が怒っているように。
エリアは察した。“変わった”、と。
風の正体はオランジュ自身の魔力。
その濃密な魔力はそのまま彼女自身の実力を表している。
オランジュは叫ぶように言った。
「たかが秀才如きが私に牙突き立てられると思ってるの」
彼女の前方に現れたのは、無数の魔法陣だった。
何か来る、と感じた瞬間にはエリアはほぼ反射的に防御魔法を展開していた。
「は、速い……!? 何これ!? 今までのとは全然違う!」
「《魔弾のオランジュ》の本気を見せてあげる。来なさい、秀才。私はその上を行く」
超えてみせる、オランジュさんを! byエリア