第九話 従霊喚起。理外の力率いる小さな女王――“青の矢”
「もう知っているだろうがなイェスハ。魔界はこの下界の空気とかなり似ている」
「知っている。実に臭くて、貴様が過ごすにはうってつけだろう」
「俺もそう思っていた所だ。移住でもしてみようか」
ゼンティムトが軽く手を払うと、辺りの地面から黒い腕が無数に這い出る。その腕一本一本に含まれる力は絶大の一言。
内包される力は国一つ容易く破壊可能な高難度攻撃魔法に匹敵するだろう。
黒腕がイェスハに襲いかかる。その腕に捉えられた物は掴み、引き裂き、破壊される。
しかし、その攻撃の結果にはまるで興味がないように、ゼンティムトは背後のルゥへと声をかける。
「よう小娘。貴様、名は?」
「ルゥ・リーネンスです」
「ルゥか。覚えたぞ、さてどうして貴様に俺の力を感じるのか、その訳を話してもらおうか」
「私も……わかりません。ただ、痛い思いはしました」
イェスハの鉄壁の防御が黒腕をことごとく霧散させていく。だが、ゼンティムトはそのまま続けてひたすら黒腕を出し続ける。
「だろうな! 俺の力はそこらが簡単に扱える代物ではないからな。発狂しなかっただけ大したものだ!」
「怒っていますか……?」
「多少。大方、この世界に来た時に誰かが俺の魔力残滓を掻き集めたんだろうと思うがな。俺のムカつく奴なら既にぶっ殺している所だが……」
ゼンティムトはそこで言葉を切った。じっとルゥを見つめる彼の瞳にはどんな感情が込められているのだろうか。
「ルゥ、貴様は俺の力を使って何をしたい?」
唐突な質問。しかし、彼女はそこに疑問を持つことはしなかった。
いつかは聞かれるかもしれないと思っていた瞬間がたった今、やってきただけなのだから。
そして、彼女には既に答えがあった。
「したいことが二つあります」
「ほぉ、二つか」
「一つはディーさんとエリアさんの助けになりたい。そしてもう一つは、友達になりたい子と友達になりたいんですっ」
ルゥの視界が一瞬歪んだ。目眩である。
魔力が不足していくにつれ引き起こされる体の不調の一つだ。
この状態になった者は大体、魔法の行使を中止するの一択である。しかし、ルゥは依然として召喚を継続し続ける。
「どちらも、破壊が含まれていないな。この俺、魔王ゼンティムトが得意とするのは虐殺と破壊だが? そんな俺の力を使ってやることなのか?」
嘲笑にも似た声色。心の底からあり得ないと言わんばかりである。
そんな強大な魔王の問いに、小さなルゥは即答した。今のルゥだからこそ即答が、出来たのだ。
「私は今、あの子と友達になりたい。けど、私一人なら出来ないんです、きっと。だから私には、ゼンティムトさんの力が必要なんです。ゼンティムトさんの力を貸してもらえれば、きっと……!」
ゼンティムトは笑った。久々に爆笑をした。
酒席でもこれほど笑ったことはないだろう。全てが馬鹿げている。
全てに等しく破壊と死を与えるこの魔王のやることではない。
このような気の触れたような事を言う愚か者にはさっさと死の鉄槌を下し、魔界へ帰還するのが得策であろう。
「俺の力をあろうことか“友達づくり”に使うとはな。笑わせてくれた礼だ、あのクソ天使の羽根を毟り取れば後は貴様が何とかするな?」
「はいっ!」
会話を聞いていたイェスハの怒りは最高潮に達した。
「野良犬風情がこの天界王をどうにかできると思うなよ。長年の引き分けに決着をつけてやる!!」
「はっ。天界じゃないから、気づいていないのか?」
「何……?」
霧散していく黒腕が天界王を取り巻いていた。あまりにも間を置かず、連続で攻めていたからこそ、気づけなかった。
塵となった黒腕の一つ一つに、魔法陣が浮かび上がっていることを。
数えることすら諦める途方も無い量の魔法陣に光が灯る。暗い炎の色だ。
「これは、貴様の放った黒腕に刻み込んでいたのか……卑劣な破壊を!」
「俺を誰だと思ってる? 卑劣、破壊を為す者だぞ?」
魔法陣から炎が放たれた。漆黒の炎だ。
正面突破だけが能ではない。魔王ゼンティムトの本領は相手の裏をかくことにあった。
「『魔王の包容』。炎に呑まれて、さっさと天界へ帰れ」
全身を地獄の炎に包まれるイェスハ。回復魔法が間に合わない速度でダメージを受けているばかりか、魔法陣一つ一つに結界魔法が付与されているため、逃げることも適わない。
炎の牢獄の中で、天界王イェスハは心の底からの呪詛をぶつける。
「魔王ゥゥゥゥァァァァ!!!」
徐々に魔法陣で形成されたドームが小さくなっていき、やがて完全に消滅した。
「ぐゥゥゥ……! うそ、だ。嘘だ嘘だ嘘だ……!!!」
イェスハ消滅のダメージがアズゥへと襲いかかる。その痛みに絶えきれず、彼女はそのまま地面へと倒れ込んだ。
「ほれ一丁上がり。今回は魔界に近い場所だったから簡単にイケたが、天界に近い場所なら分からんかったな」
「ゼンティムトさん、ありがとうございます」
「気にするな。久々にあのクソ天使をぶっ倒せたから気分が良い。……と、あれがお前の言っていた友達になりたい奴か」
「はい。私、行ってきます」
「そうか。……所で話は変わるが、お前は気に入った。本当ならお前の力を引っこ抜いて帰るつもりだったが気が変わったよ」
ゼンティムトは片手をアズゥへと向けると光の球を一度だけ撃ち込んだ。
「あいつは今、イェスハに使っていた分の魔力がごっそり無くなっているだろうから、俺の魔力を少しだけ分けてやった。すぐに目覚めるだろう」
「っ! 何から何まで、ありがとうございます!」
「気を引き締めろよルゥ・リーネンス。破壊と混沌を司る魔王ゼンティムトが常にお前の心の在り方を見ているぞ」
そう言い残し、魔王ゼンティムトは溶けるように消えていった。
圧倒的なまでの戦気が一気に消え、少しだけ呼吸が楽になった気がする。
「アズゥさん……」
やることは一つ。
ルゥは、アズゥの元へと歩き出した。
ディーさん、エリアさん。私、勝ちました。 byルゥ