第五十七話 蒼眼対音速
パナリア郊外にディリスは立っていた。
辺りは自然で囲まれており、誰もいない。
ただ一人。
そんな中で、ディリスは剣を一動作ずつ確かめるように、ゆっくりと振っていた。
「……」
彼女の心は静かに、そして落ち着いていた。
刺された箇所については、既に痛みが引いており、こうして剣を動かしても軋みすらしない。
今、彼女が行っていたのは身体の総点検である。
これからロッソをぶち殺すため、少しでも身体に違和感があってはならない。
そのための素振りである。
痛み、というのは大なり小なり行動に支障をきたす。
極限の集中力が求められる命の奪い合いの最中に、一瞬でも身体が強ばれば、文字通り命取りの展開となるであろう。
「よし……一日寝れば回復はするもんだね」
ルゥとフィアメリアはどん引いていた。
いくらロッソが致命傷を“あえて”外していたとはいえ、一歩間違えればそのまま死亡ルートの深手である。
それがたったの一日寝ただけで治るばかりか、こうして“素振りに行く”と言い出せば、事情を知らない人が聞けばギャグも同然だ。
目を閉じ、ディリスはイメージする。
浮かべるはロッソ。
数十分ほど、頭の中で模擬戦闘をすることにした。
あの二剣は驚異的。ならばまずは得意な距離にさせないことが必須。
奥の手である仕込み短剣を解禁したので、今度はそれも計算に入れて、動いてくることは明白。
ああしてはこうして、と考えられる攻撃パターンに対し、自分なりの回答を見つけるという作業をしていると、背後から気配がした。
「ディーさんっ」
「あら、ディー。随分やる気に満ち溢れていますね」
「自分の身体の点検をしていただけだよ」
区切りも良かったので、天秤の剣を一旦下げ、ルゥ達の元へ歩いていく。
「そうですか、それで状態は?」
「完璧。いつでも殺しに行ける」
「それは良かったです」
「えっ……!?」
その瞬間、ルゥは視界が一瞬ブレたように視えた。
ピントが合い、景色が鮮明になったと思えば、ディリスとフィアメリアは剣を突きつけ合っていた。
まさに神速の出来事。
時間が切り抜かれたような、そんな妙な感覚。
同時に湧き上がる当然の疑問。“何故”だと。
「ロッソへ会いに行く前に、準備運動なんていかがですか?」
「本当の理由は?」
「久々にディーと斬り合いたかったんです」
「そういうことね」
ディリスは下げていた剣を振り上げる。
その軌道上にはフィアメリアの肩があるが、既に彼女はそこにいなかった。
「フィアメリアさんがいない!?」
消えた、とルゥが思うのも無理はない。
超人的な身体能力と、独特の歩法によって繰り出される高速移動は、慣れている者でも捉えるのは難しいのだ。
しかし、ディリスはそのお化けじみた動きを正確に理解している。
左側面へ剣を掲げ、身体を半身ずらす。
同時に鳴り響く鈍い衝突音。
フィアメリアの二刀の細剣は、ディリスの剣と胴体があった場所へ突き出されていた。
一歩間違えれば大怪我確実な位置への攻撃。
そこでディリスはフィアメリアの本気度合いを計る。
「結構本気だね」
「喋ると舌噛みますよ」
ゆらりと景色に溶けるように、フィアメリアは消える。
途端、発生する風切り音。
左の細剣を防ぎ、ディリスから斜め下から振るわれる右の細剣へ対応する。
意識を集中させた途端、右の細剣の軌道がブレた。
一瞬だけ攻撃を“止め”、そしてゼロだった攻撃速度が次の瞬間には最大剣速を叩き出す。
これこそがフィアメリアの得意技である。
ゼロからいきなり最大まで速度が上がるのだ。剣も、歩法も。
並の者ならば、今しがたの攻撃を防ごうとするとこう思ったはずだ。
“剣がすり抜けた”と。
それを可能とするのがフィアメリアの人知を超えた肉体のコントロール能力である。
(やっぱり速いな、フィアメリア)
突き、袈裟斬り、斬り上げ。
その順番で繰り出された攻撃を辛うじて防ぐ。
だが、コレに関しては視えた訳ではない。
フィアメリアの手癖を読んだ上で、何となく防御行動を取っただけである。
最低限の回避行動も織り交ぜなければ、自分は今頃切り刻まれている。
対するディリス。跳躍し、宙を舞う。
身体を捻り、真上から剣を振り下ろす。
完全な死角からの一撃。
初見の相手なら、これで背中を斬れる。
しかし、フィアメリアは既にその場にはいなかった。
同時に、悪寒が走る。
「そこまでやるか……!」
まるでハサミで物を切断するように、フィアメリアは左右の細剣を全く同時に真横に振るう。
だが、高度が違う。右は丁度ディリスの首を一閃する高度、左はヘソ辺りを一閃する高度だ。
絶死不可避の攻撃。
「ディー、取った……!」
「どうかな」
しかし、ディリスの防御行動は何の迷いもなく、そして突き抜けていた。
一拍ばかりの時間が経過した。
だがディリスには何の傷も無い。
ディリスから見て、右方向からの攻撃は天秤の剣で受け止め、左側からの攻撃は肘と膝で“白刃取り”を敢行していた。
まさに神業といって差し支えない。
「私が言うのもなんですが、だいぶ頭おかしい止め方ですよそれ? 覚悟決まり過ぎでは?」
「覚悟なんか、私がコルステッドに拾われた瞬間から決まってるんだよ」
ディリスはすっきりしていた。
身体を動かせたのもあるが、自分の迷いが晴れたような気がして。
だからこそ、改めてディリスは戦い続けることを誓えるのだ。
私より人間やめてませんかねディリス。 byフィアメリア