第五十二話 降ってくる殺意
膝をつくパールスから目線を外し、ディリスはエリアとルゥの元まで歩いていく。
すぐに駆け寄る二人は、ほぼ当然とも言える疑問をぶつけた。
「ディー、えと、パールスさんは?」
「直接やり合って、格付けがはっきりついたからね。それで気分が良くなったのか、殺すような気持ちにはならなかったよ」
「その……ディーさん、ということは?」
「ん、そういうことだよ。奴は殺さない。今回は、ね。これ以上向かってくることがあるなら、きっちりやらせてもらうけど」
それを聞いたエリアが安堵の表情を浮かべていた。
酷い事が起きなくて良かった、と心の底から思っているような顔である。
そんな彼女を見ていたディリスは、自分の選択はとりあえずは間違いではなかったのだということを実感する。
ただ、今はそれで己を納得させるしかなかった。
そうでなければ、また思考の沼にどっぷりと浸かることになってしまうのだから。
「ありがとう、ディー。殺さないでくれて」
だから、この瞬間はエリアからの礼を素直に受け入れよう。
この気持ちに、ちゃんと整理がつけられるまでは。
「ん。動いたらお腹減ったね。何か食べにでも行こうか」
「良いね! 私も今日は緊張で朝食食べる元気が無かったからお腹ペコペコだよ」
「う……実は私もお腹空いてましたっ」
パナリアへ戻り、朝食を食べることで方針が纏まった。
決まるなり、エリアはパールスへと駆け寄った。
もう何をするか聞かなくても分かるのが、何だか憎らしい。
「パールスさん、動かないでくださいね」
回復魔法『癒しの光』。
肉体の再生力を強化し、傷を塞ぐ癒しの術。
難易度が高い魔法のため、使える者はそう多くはない。
しかし、エリアはそんな難易度などどこ吹く風とばかりに、当たり前のように発動し、そして当たり前のようにパールスの傷が癒えていく。
「エリアさん、貴方は優しいのですね」
「私は誰かに死んでほしくないだけです。相手がどんな人であろうが、です」
「そうですか。それはとても素晴らしい心がけです。同時に、要らぬ危険を生んでしまうことがあるかもしれません」
「……はい」
「やめろ、と私は言えません。ですが、そういう悪意に対する防衛手段だけは常日頃から考えるようにしてください。もう私は貴方達に危害を加えることはありませんが、皆、私みたいに切り替えられる訳ではないんです」
「覚悟、しています。だから私は甘いと言われるような事をやり続けていくために、強くなりたいと思います」
極めて真剣に、そう返すエリア。
そんな彼女の姿が少しだけ、パールスは眩しく見えてしまった。
何が『聖雷騎士団』元団長だ。何が騎士だ。
こんな己より、目の前でやれることを精一杯やろうとしている彼女こそ、よっぽど騎士だろう。
「……引退ですね、私も」
「? 何か言いましたか?」
「いいえ。まだまだ修行の余地があるなと、そう思っただけです」
朝日は完全に昇りきる。
それはディリスにとっても、パールスにとっても、一つのきっかけとなる瞬間でもあった。
そして――、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁはぁぁぁぁーーーーーー!!!」
天空より飛来する影あり!
ディリスが真上を見ると、長くそして鮮血のように真っ赤な髪を持つ男が降ってきていた。
その両の手に持つは頑丈そうな長剣二振り。
即座にディリスは天秤の剣を抜き、迎撃態勢へと移行する。
顔を見なくても分かる。この辺り一帯を汚染するような濃密な殺気。
ディリスの裏打ちされた経験が危険信号を放っている。
これは、今まで出会ってきた中でも、相当にヤバいと。
ノータイムで、ディリスはそう判別できた。
落下の勢いとともに振り下ろされる二剣を、真っ向から防ぐディリス。響く大きな金属音。
着地し、剣をぶつけあっている最中、赤髪の男は顔を突き出すと、理解に苦しむ行為をする。
「すぅぅぅぅぅぅぅぅはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
深呼吸。
鼻からたっぷり酸素を取り込み、口から二酸化炭素を思い切り吐き出す誰もが知っているアレ。
それを戦闘中に、だ。
一度ならず、二度三度と深く呼吸をした後、赤髪の男はそれはとても幸せそうにこう言った。
「良い! 最高のスメルだ! んな超特濃な強者のスメル、嗅いだことねェ! くぅ……こいつはキク! 無限にお前の匂いを嗅いでいてぇよぉ!」
「頭オカシイだろ、貴様」
一瞬の隙を突き、ディリスは左拳を男の鳩尾に叩き込む。
のけ反る男、そしてディリスは何の容赦もなく、男の心臓目掛けて切っ先を走らせる。
絶対不可避、絶対確殺。
そのつもりで繰り出した突きである。
だが、次の瞬間、ディリスは根本から考えを改めなければならないことを悟る。
「出会い頭に心臓ブスリ!? おいおいおいおいおいおいおいおい何だよキレッキレじゃねぇの! 容赦も何もねぇ! 良いなお前! マジモンの殺し一筋だろお前!」
結論から言おう。
赤髪の男に致命傷を与える事はできなかった。
だが、剣は心臓へ突き立てている。
それなのに何故殺せないのか、答えは男の胸筋と、少ししか刺さっていない天秤の剣にある。
「胸の筋肉を引き締めて私の突きを受け止める……か。大道芸人にでもなれば良いんじゃないのか? 筋肉で白刃取りなんて聞いたこともないからさ」
「あん? こんなもん誰だって出来るだろうが。そんなダルいこと言ってないで早く殺しの続きやるぞ」
「一人でやってろイカれ野郎」
ディリスと対峙する赤髪の男。
パールスは彼をよく知っていた。
彼こそが、プロジアの集めた『六色の矢』最後の加入者にして、恐らく『六色の矢』の誰よりも強い男。
「……ロッソ・オーステン。ついに彼が出てきたのですね」
見るだけで感じるおぞましい闘気、そして殺気。
恐らく、ディリス・エクルファイズと同類でもある存在。
イカれているし、教育に悪いぞこいつ……。 byディリス