第二十話 黒剣のクァラブ
時は今、彼の黒騎士と『四鉄腕の単眼蛇』が対峙している所へと巻き戻る。
ディリスはこの時点で静観を選択していた。
何せ出る幕ではない、と素直にそう感じさせる存在はそういない。
そして、あの黒騎士は間違いなくその領域にいる。
(私は、奴を殺せるのか?)
職業病、と言っても良いだろう。
どんな相手でも任務なら殺しきってみせる『七人の調停者』として、そしてそいつらに対するカウンターとして存在していた《蒼眼》としての本能がそういった“暗算”をさせているのだ。
そういった思案をしている内に、黒騎士が動きを見せる。
「イイザガドオヘ」
黒い長剣を握り、騎士はほんの一歩だけ前に出る。身の丈ほどある長い刀身だ、間合いの管理が最重要なのだろう。
応戦するは『四鉄腕の単眼蛇』。天界の金属へと化した金剛腕はそのままに、蛇が持つしなやかな速度で眼前に立つ黒騎士を餌にするべく迫る。
それを見た騎士が、一言だけ呟いた。
「アアザカトアビミ」
音はなかった。
移動をするための甲冑ズレの音、剣を振るう音、本来攻撃しようとする者が発さなければならない音がなかった。
それだというのに、『四鉄腕の単眼蛇』は身体は二つにズレていた。
ディリスは辛うじて視えた。だが、アレを捌けとなれば相当命をかけなければならない。
それ以外の者たちはクラークを始め、誰一人として視認すらできなかった事は注釈しておこう。
「バザイ。ヘガド」
「ダイ」
初めて喋った『四鉄腕の単眼蛇』の言葉は、呪詛であった。蛇の巨大な体躯が光に包まれる。魔力体である彼ら召喚霊の死の証とは、魔力の粒子となって世界に還ることを指す。
つまり、完全勝利といって差し支えないだろう。
「たったの一撃か、凄まじいね最上級の召喚霊ってやつは」
自分なら――ディリスは直ぐに脳内反省会を始める。ここで行うべきは勝利への余韻に浸ることではない。今回の戦闘の駄目だった所の洗い出しだ。
これは勝者にしか出来ない行為。それを不意にするほど、ディリスという人間は怠惰ではない。
黒騎士が、そんな思案をしている彼女の方へと振り向いた。
「スマ。ユマハビス。ホウユウ?」
「イゼエリトダザワザザトチコ?」
「ザラ。エミ」
そう言うと、黒騎士はこの世界から姿を消した。魔法陣を潜らなくても任意で消えることが出来るのだ。
残されたのはディリスとエリア、ルゥ、そしてクラークとギルス。
驚異は、消え去ったのだ。
「……っはぁ」
「ルゥちゃん! 大丈夫!?」
「大丈夫だ。初の実戦で、緊張しているだけだろう」
座り込むルゥに駆け寄ったエリアが泣きそうになったが、それをクラークは冷静に観察する。
これは想定内。むしろ、実戦で最上級の召喚霊をきっちり召喚できた事は驚愕に値する。
「ルゥ」
ディリスも近づいた。それに合わせ、ルゥは顔を上げる。
「頑張ったね。よくやった」
それを聞いたときのルゥの顔は、本当に本当に嬉しそうで。汗まみれの顔が満開の笑顔になる。
「私、嬉しい……! 初めて、役に立てた……!」
「そんなことはないよ。ルゥはいつも私達のために何かをしているし、何かを考えてくれている。それだけで、良いんだ」
「あー! ディー、それ私が言いたかったやつー! もー!」
「ごめん」
クラークは家でやれ、と思いながらただただ笑顔で見つめる。
そんな三人の元へとやってくるはギルスであった。
「……赤髪、いや、《蒼眼》」
「エリアとルゥは休んでて」
しっかりと向き合う両者。無言の一時が続く。
ディリスは、この期に及んで何を言い出すのかと警戒していた。もし、仮にここでエリアとルゥを侮辱する言葉でも発しようものなら、本当に首を刎ねるつもりでいた。
「すまなかった」
見る者が見れば、目を疑っただろう。あのギルスが頭を下げているのだから。
しかし、そんな事情など知らぬディリスはただ次の言葉を待つだけである。
「君と、そして君の仲間二人があの恐ろしい召喚霊を相手に戦った様、しっかりと見届けさせてもらった。僕は君達の戦いに高潔な覚悟を視た。だからこそ言わせてくれ、本当にすまなかった」
「私はそんな言葉が欲しいんじゃないんだよ」
「分かっている。僕が口にした侮辱の言葉は全て撤回させてもらう。《蒼眼》、エリア君、ルゥ君。ギルス・コン・ギルフォードの名と命と誇りにおいて、君達への侮辱を撤回させてくれ。そして、謝罪を」
更に頭を下げるギルスに対し、状況が分かっていないエリアとルゥはそれぞれ顔を見合わせる。
だが、謝罪をしているギルスに対し、エリアは立ち上がり、とことこと近づく。
「顔を上げてください。私とルゥちゃんに何を言ったのか分からないし、今のやり取りを見れば、きっとディーがそれに対して怒ってくれたのかなって想像つきます。だから」
ギルスの手を握り、エリアは笑顔を向ける。それは純粋な感謝なのだ。エリア・ベンバーは常に感情を素直に向けられる。
「ありがとう! 貴方はきっと、自分の事を顧みられる立派な人なんですね!」
「――――っ!?」
ギルスに、雷が落ちた。
何に? 何故? ただ笑顔を向けられただけだが?
彼はすぐに手を振り払おうとした、が、出来なかった。柔らかで、暖かなその手を、すぐに振り払えなかったのだ。
「ま、ままままま、まあ!? 僕貴族の長男だし!? ててててて、ててをにぎぎぎられたくらいで!? ぼくが動じじじるとでも!? 甘い! 甘いなぁ!!」
エリアが手を緩めたのを確認したギルスは、顔を真っ赤にしながら大きく距離を離した。
「な!! 何かあったら!! このギルス・コン・ギルフォードを訪ねたまえ!! 罪滅ぼしを兼ねて!! 全力で支援することを約束しよう!! じゃ!!」
一瞬、という言葉が正しいのだろうか。
ギルスが脇目も振らず走り去っていった。
その背中を見届けたクラークは、腕を組み、数回頷いた。
「恋だねぇ」
「え? 師匠、何か言いました?」
「ううん、ルゥちゃんにはまだまだ早い話だよ」
手を叩き、場を仕切るためにクラークは動いた。
一度、学園長室で話し合おうと提案するやいなや、彼は三人の輪から外れ、通路を歩き出す。
空を眺め、クラークは手の平を掲げる。
「ち ょ っ と お イ タ が 過 ぎ た な ク ソ 野 郎」
クラークの前方に球体が出現する。ただの球体ではない、強力な魔力がこれでもかと凝縮された破壊をもたらす物体である。
彼の右目に魔法陣が浮かぶ。これは、ただの魔法陣ではない。
見透す魔法陣なのである。
「私を――《魔法博士》を前に召喚霊を出しすぎたな? 召喚霊は絶えず魔力が注がれているという性質を軽く見るから、私に位置を逆探知される」
右手を握りつぶすような所作を見せると、凝縮された魔力球から一筋の光が高速で伸びていった。伸び切った魔力球はクラークの前から姿を消す。
「『捜索する光の剣』。これで死んでくれたら御の字、かな?」
彼はそれを見届けると、学園長室へと足を運んだ。
頑張ったね、ルゥ。 byディリス