核売りの少女
ヨーロッパ某国
この地で古くから続く武器会社は経営の危機に瀕していた。
当代の社長がどうしようもないダメ男で酒と女に溺れ会社の金を使い込み、老舗として有名であった武器会社を遂には倒産の危機にまで追い込んでしまったのだ。
しかし、ここに至って会社が負債を抱えたまま倒産すると今まで通りの暮らしが出来なくなることに気付いた男は会社の建て直しを思案するようになった。
だが、その業界で有名だった老舗の会社を潰しかける程の男である。そんな男に解決策など見いだせる筈もなくすぐに手詰まりになってしまった。
そこで男は考えた。
世界で一番強い武器を売れば会社は儲かるのではないかと。
勿論、こんなダメ男に新たな武器を創造する能力も開発する予算も無い。既存の兵器から最強の武器を探すことにした男が出した結論。
それは……『一発で30万以上も殺せる核兵器ってヤバくね? 絶対売れるわ』であった。
そう、彼はどうしようもない大馬鹿者だったのだ。
倒産の危機を敏感に感じ既に逃げ始めている従業員などに、社運を賭けた一大プロジェクトを任せることに不安を覚えた彼は、数年前に他界した不倫相手から生まれた自分の娘に売り込みを任せることにしたのである。
14歳になったばかりの小娘に武器を、それも『核兵器』を売りに行かせるなど正気の沙汰ではないが、生憎とこの男にはその程度のことを考える知能も無かったようである。
「いいか、うちは社運を掛けてこの核兵器を売る。全て売りさばくまで帰ってくるな!」
男はそう怒鳴り娘を家から追い出すと何の根拠もないままにプロジェクトの成功を無邪気に信じきり一人、勝利の美酒を飲み始めた。
全く訳もわからず追い出された少女が気の毒である。
しかし、少女は男と違って馬鹿ではなかった。彼女は呆然とすることなく無能な父親に託された商品である『核兵器』を売る旅にでた。
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ドイツ連邦共和国 ベルリン 連邦首相府
「お初にお目にかかります。シュタイナー首相閣下。お忙しい中、私のようなものにお会いいただき光栄です」
「構いませんよ、お嬢さん。受付の者が驚いておりましたが武器会社のご息女だそうで。本日はどういったご用件でしょう?」
第二次世界大戦で世界を相手に大暴れしたドイツ。連合国の物量に対し優れた科学力で応戦し、されど力及ばず敗戦国となり米ソ冷戦に巻き込まれた悲劇の国である。
世界大戦終結から時間が経ったが、強大な軍事力を誇るロシアを筆頭とする旧東側諸国の存在はドイツにとって潜在的な脅威であり続けているはずだ。
過去の歴史や地政学的に見ても、この国は少女の商品である核兵器を買ってくれる可能性が高いと踏んでいた。
「閣下もお忙しいでしょうから単刀直入に申し上げます。我が社の新商品である『核兵器』を買って欲しいのです。これさえあれば東側から攻めてくるであろうロシア軍を一網打尽にすることができます。この爆弾はたった1発で30万以上の敵を撃滅できる優れものです。数の少ないドイツ軍が世界を相手に戦うには充分な装備かと」
「お嬢さん。その……君は何か勘違いをしているようだ。我が国は戦争など望まないし核兵器を持つことで地域の安定を損なうことも望んでいない。我が国はあくまでNATOとEUによる集団安全保障を主軸とした平和を確立していくつもりだ」
シュタイナー首相の顔が見るからに雲っていくのが分かる。首相が言ったことがジョークの類いなどではなく事実なのであれば少女は全くもって見当違いの商談を持ちかけたことになる。
これ以上の交渉は時間の無駄だろう。
「そうですか……お時間をお掛けして申し訳ありませんでした。また何かありましたら当社をお引き立てください」
ドイツはもう昔のように強くあろうとしていないようだ。正直、ガッカリだが仕方がないだろう。次をあたるしかない。
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フランス共和国 パリ エリゼ宮殿(大統領府)
道中、私の商売にとって大変有益な情報を手にいれた。
曰く、「フランスは原発を始めとした核大国で既に核兵器も独自開発している」とのことである。
調べてみると確かにフランスは先の大戦後、独自に核実験を行い核保有国の仲間入りを果たしていた。
だが、その核戦力も限定的なもので僅か1隻しかない空母『シャルル・ドゴール』の存在なしに使用することができないものらしい。空母が修理やメンテナンスに入ったらどうするつもりなのだろうか?
私が気が付く程の弱点ならば、当然フランス国民も分かっているはずだ。モスクワを射程に入れることができる中距離弾道ミサイルとセットでの販売を提案すれば買ってくれるかもしれない。
そもそもフランスと言えば、市民革命で国民一人一人の国防意識が高い国だ。商売の成功が期待される。
「お待たせしました。大統領のシャトルです。本日はどのようなご用件で?」
「大統領閣下。本日は我が社の新商品である『核兵器』をご紹介したく参りました。貴国は既に幾つか保有しているとのことですがこの機会に核戦力の強化をしてみてはいかがでしょう?」
大統領の顔が予想に反して陰りを見せた。
「あぁ、冷戦中であれば魅力的な提案であったのだが……極東の日本で起きた原発事故については知ってるかい?」
「いえ、存じ上げません」
「そうかい。かの国では大地震の後に発生した大津波で原子力発電所が爆発し放射能が漏れだしたのだ。この事故の影響は大きく、国民の間でも原子力や核に対する不安が広がっている……時期が悪かったね」
「そうだったのですか……そういうことでしたら、残念ですが今日のところは出直させていただきます」
「あぁ、わざわざすまないね。お嬢さん」
フランスには期待していただけに残念だが核兵器は売れなかった。各国を訪問してもまだ一つも売れていないことに焦りを感じながら、少女は次の商売相手であるイギリスを目指した。
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英国 ロンドン 首相官邸
イギリスと言えばかつては世界各地に植民地を持つ大英帝国のイメージが強い。先の大戦でもナチス・ドイツ軍の大攻勢を防ぎきり米ソ超大国に次いでいち早く核武装した国家である。
前回の反省を踏まえ今回はイギリスに対する勝手な先入観ではなく現在の核戦力の情報を事前に収集しておいた。イギリスは現在、核戦力を潜水艦発射弾道弾のトライデントシステムに依存しているらしい。
いかにも海軍国イギリスらしい運用思想だ。だが、そこに付け込む隙がある。
待たされていた応接室の扉が開き初老の男性が入室してきた。
「残念だが首相はお会いにならない。代わりに私が対応することになった。失礼、申し遅れた国防長官のネルソンだ」
「よろしくお願いします。ネルソン閣下」
「よろしく。君の事は外務省の秘密情報部の友人から聞いているよ。何でも各国に核兵器を売り歩いているとか」
「はい、我が社の社運を賭けた商品です」
「もう冷戦は終わったんだ。核は売れないだろ」
「ええ、ドイツやフランスにも断られてしまいました。けれどイギリスであれば買っていただけるのではと思いまして」
「……何を根拠に?」
「イギリスの核戦力は現在、4隻のヴァンガード級原子力潜水艦から放たれるトライデント潜水艦発射弾道弾に依存している状況です。陸上にミサイルサイロを建設することによって、より強固な打撃力を得ることが可能だと思われますが」
「それは……確かに間違ってはいないが現状、我が国にはこれ以上の核戦力を保有する力は無いのだ。実はEU離脱の影響が我が国の経済に予想以上の打撃を与えていてね。当面の間、我が国としては英米同盟を堅守し現有戦力で防衛を行う方針だ」
「それでは……やはり買っていただけないのですか」
「残念だがね。通常兵器であれば検討の余地はあったのだが戦略兵器となるとな……維持費もばかにならないし、周辺諸国へ無用な緊張を与えることになりかねない」
「わかりました。またよろしくお願いいたします」
努めて明るい声を出した少女であったが当初の自信は既に喪失していた。
核兵器なんてもう売れないのかしら……
少女の絶望とは裏腹に世界各国の諜報機関は彼女に対する警戒感を抱き始めていた。
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アメリカ合衆国 ヴァージニア州 国防総省
世界で唯一、戦争で核を使用した経験のある国家アメリカ。超大国の名にふさわしい経済力・軍事力を持つ東西冷戦の勝利者である。当然、核の保有数も世界トップクラスの4000発である。
これ程の力を持つ米国であれば当然、核を買ってくれると信じている。むしろ最初からここに来ていればすぐに家に帰れたのではなかろうか?
「こんにちは、嬢さん。話は聞いているよ。私は統合参謀本部議長のウィリアムだ」
「よろしくお願いします。ウィリアム閣下。失礼ですが大統領はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、大統領や国防長官は現在、アジア諸国と首脳会談中で国内にいないのだ。代わりに私が対応する」
国のトップである大統領との面会が叶わないことは残念だが、統合参謀本部議長と言えば米軍制服組のトップである。彼の意思は陸海空海兵隊を合わせた合衆国四軍の意思であるといっても過言ではない。
ここの所、連戦連敗だった少女も思わず気合が入る
「では早速ですが、我が社が貴国に提供する商品を説明します」
「いや、その必要はない。中央情報局と国家安全保障局から散々忠告を受けているからね。なんでも核兵器を売り歩いているそうじゃないか」
「あら、お話が早くて助かります。単刀直入に申しますと我が社は現在、経営難にありまして社運をかけて核兵器を販売しているのですよ。今回はこれを是非とも貴国に買っていただけないかと思いまして。核戦力の向上は周辺諸国に対するアメリカの軍事プレゼンスを強化することにつながりますし外交交渉も有利に進められるはずですよ」
「ふむ、お嬢さん。お話は理解したよ。しかしながら合衆国軍としてはこれ以上の核戦力は不要と考える」
「なっ!? なぜですか!」
アメリカの軍人のトップが核を不要と断じたことに少女は驚愕してしまった。今まで断られた相手は背広を着こんだ文民だったが、今目の前に居る男は制服を身にまとった軍人だ。その相手に断られるとは思ってもみなかった。
「我が国が何発の核戦力を保有しているかご存知かな?」
「4000発程と伺っています」
「それは表向きの話しだ。実際には弾頭を外しただけですぐに弾道弾にできるものなどがかなりの数ある。そしてこれらは常に厳重に管理されている。この意味が分かるかい?」
「えっと、数が多すぎて新規調達は不要と言うことですか?」
「半分正解だな。考えてみてくれ、これらの保管には莫大なコストがかかる。そしてその金は我々軍の予算からでているのだ。まず使われることのない核戦力のために予算が圧迫されるのは我々としても御免なのだ」
「では……やはりアメリカも買っていただけないのですね」
「あぁ、わざわざ来てくれたのにすまないね」
「いえ、貴重なお時間をありがとうございました。私はこれで失礼いたします」
世界最強の合衆国軍が不要と判断した兵器。本当にこんなものが売れるのだろうか。
間違いなく最強の兵器のはずなのに……
少女は落胆しながらペンタゴンを後にした。
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日本国 永田町 首相官邸
極東の島国、日本国。かつてドイツと手を組み世界を相手に戦った国。
そして、世界で唯一核兵器による攻撃を受けた国である。
「内閣総理大臣の畑中です。遠いところをわざわざありがとうございます」
「防衛大臣の熊田です。今日は我が国に新たな形の武器を提案されるとの事で」
「はい、そうなのです。貴国の安全保障環境は厳しいものになっていると伺っておりまして」
「誠に遺憾ながらその通りなのです。特に近年の中国による海洋進出は著しいものがありまして、我が国としても防衛力の増強に努めたいと考えております」
熊田防衛大臣が意気揚々と答えてくれた。
「成る程、因みに日本海軍……失礼、海上自衛隊の戦力はどの程度なのですか?」
戦後、日本に存在していた軍隊は全て解体されたが武力を持たずに国家を守れるほど冷戦は甘くは無かったようだ。結局、海軍を海上自衛隊などという面倒極まりない名前に変えて日本の軍隊は存続することになったらしい。
「おおよそ4万5千人です。自衛隊全体では25万程の人員がおります」
「人民解放軍の戦力は200万人を超えると思われますが、その程度の戦力で防衛を?」
「我が国の防衛政策並びに予算上、これ以上人員を増やすわけにはいかないのです。現状、隊員の練度と各種装備品の技術力で圧倒しているようなものです」
深刻そうに語った防衛大臣を見るに、この国の政権は今の国防力に不安を覚えているらしい。実際、人民解放軍の戦力増強は海空軍共に著しいものがある。空母やステルス機の保有を含め、アメリカと覇権国の座を争う気があると見られている。
そんな国を前にした隣国の反応として、この反応は正常なものかもしれない。
「わかりました。では私が貴国に提案する武器は核兵器です! 当社はこの分野に自信を持っております」
「かっ核兵器……ですか」
畑中総理の顔に困惑の色が浮かぶ。
「はい! 敵の数は膨大ですから戦略兵器たる核の力を使うべきです。空対空核ミサイルで敵の航空戦力を撃滅し、潜水艦からの核魚雷で空母を撃沈すれば間違いなく貴国は中国に勝つことができるでしょう!」
「お嬢さん。残念ながらその提案は受け入れられません」
「どうして……?」
「我が国は世界で唯一の被爆国として非核三原則を堅守しています。『核兵器を持たず作らず持ち込ませず』その方針は我が国の国是なのです。我が国には70年以上昔に投下された原爆のせいで今も後遺症に苦しむ国民がいます。貴女もあの悪魔の兵器がどのような被害をもたらしたのかをよく勉強していただきたい」
「そうですか……貴国の国民感情までは勉強不足でした。残念です」
少女は落胆しながら官邸を後にした。
その日、日本の警察庁からの提案で国際刑事警察機構は少女を国際手配することに決定した。その背後には日本政府のみならずラングレーの後押しがあったのは言うまでもない。
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シリア 某所
日本を出国しロシアに着くも自分がICPOに国際手配されていることを知った少女は慌てて内戦中のシリアに逃亡した。
鉄と硝煙そして遺体が発する腐臭が広がる廃墟をひたすら歩き続ける。
しかし、少女はまだあきらめていなかった。
「正規軍がダメならば非正規軍に売ればいいじゃない!」
頭は回るがやはり少女も父親の血を継いでいたのだった。
「核、いりませんか? 核兵器はいりませんか?」
時折り、鳴り響く銃声におびえながら街を歩き続ける。紛争地域では場違いに華やかな服を着た少女が、銃声や戦闘機のエンジンが発する爆音に負けないように大きな声で核兵器を売り歩いているのである。
最初は訝しんでいたゲリラやテロリスト達も次第にこの少女に興味を持ち始めた。
「お嬢ちゃん。俺達に核を売ってくれよ」
「えっ!? 本当に!? 核兵器を買ってくれるの!」
「あぁ、勿論だ。核さえあれば俺達を苦しめたアメリカやロシアの連中に仕返しすることができるんだ。だから是非売ってくれ」
「わかった。えっとね……」
少女がパンフレットを取り出そうとカバンに手を伸ばしたとき、彼女の体に鈍い衝撃が走った。途端に力が抜けていき地面に倒れ込んでしまう。
お腹が異様に熱い。
触ってみると赤いものがべっとりと手に付いた。それが自分の血だと言うことを理解するのに時間がかかった。核を買ってくれるといった男も撃たれたようで既に絶命している。
さっきまで熱かった身体がひどく寒い。もう助からないのは分かったけど最後くらい暖かい場所で死にたい。
少女はその願望をかなえるために常に携帯していた端末にコードを入力しスイッチを押し込んだ。
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アメリカ合衆国 ワシントンDC ホワイトハウス
「大統領、『核売りの少女』を狙撃しました。目標は腹部に貫通銃創を受けて重傷です。大量出血を起こしていますから生存の可能性はゼロです」
ホワイトハウスの地下に設置されたバンカーで密かに開催された国家安全保障会議の面々が見つめる画面にはMQ-9リーパー無人偵察機から送られる少女の映像が写されていた。
赤外線映像では少女の体から熱が急速に低下していくのがわかる。追撃の必要性は感じられなかった。
「大統領。これ以上の攻撃は不要と思われます。SAELsを撤収させてよろしいでしょうか?」
「構わない。彼女の本社はどうなっている?」
各国に核を売り歩く謎の少女は一体どうやって核を入手したのか……彼女が訪問した国々の諜報機関は血眼になって核の入手経路を調べていた。
その結果、当代の社長となった男がソ連解体の混乱に乗じて奪われたソ連製の核兵器を複数発保有していることが判明した。しかも、アメリカが紛失した核兵器も彼らの手に渡っている可能性が指摘されている。
彼らの所持する核兵器が、実は核兵器の紛失事故として処理された我が国の核である可能性をCIAから指摘された軍は、直ちに核兵器の奪還作戦を立案し大統領に提案。中間選挙が近い大統領は極秘作戦とすることを条件に作戦を承認したのだった。
「現在、我が陸軍のデルタ分遣隊と英国の特殊空挺部隊が海兵隊の支援のもとで強襲作戦を敢行中です。国際原子力機関の査察官も付近で待機していますから、核の発見はもはや時間の問題でしょう」
国防長官の言葉を聞きながら、大統領の視線はモニターに映る少女に釘付けになっていた。
「不幸な少女だ。親が核兵器なんぞに手を出したが為に死ぬことになろうとは……」
「彼女はCAIやMI6がブラックリストに登録した危険人物です。大統領がお心を悼めることはありません」
首席補佐官のフォローを受けても大統領の表情は優れない。それも仕方がないことで、彼が直接的に殺害の命令を下したのは彼女が初めてだったのだ。
合衆国大統領として正しい判断だとわかっていても、やはり子供を殺す命令は彼の精神に大きな影響を与えていたのだ。
「とは言ってもな……」
その時、作戦の状況を映し出していたNSCの画面の一部が暗転した。目標の武器会社を監視していた偵察機の映像から作戦部隊の無線まで。作戦地域から送られるはずの全ての信号が途切れたのだ。
「いったい何があった!」
異常事態を感じ取った国防長官が声を荒げる。
「不明です。強襲作戦に参加していた部隊からの通信が一切途絶いています」
「なんだと!? 衛星回線は?」
「ダメです。繋がりません」
「第一報入りました。飛行中の民間機より作戦地域付近で巨大な火球が……次いでキノコ雲が見えたとのことです」
「何だと!? 核爆発したというのか!」
「詳しいことは分かりませんが、この報告を聞く限りは恐らく……」
「自爆……したのか」
「なんてことだ……」
オペレーターの一言でNSCは大混乱に陥った。
しかし、混乱は収まることを知らない。そして更なる災厄が放たれた。
「大統領、イギリスの偵察衛星がロシア領内での核爆発を確認しました」
「なんだと!? どういう事だ」
「まさか……核の保管場所は本社だけではなかったのか」
CIA長官が呆然と呟くのを統合参謀本部議長は見逃さなかった。
「待て、それはどういうことだ! 核の場所は完全に捕捉していたんじゃなかったのか!」
「そのはずだったんだが……」
「ふざけるな! CIAがいい加減な情報を上げたせいで血を流すのは俺達軍人なんだぞ!」
「冷静にならんか! ロシアはこの件を受けどう動く?」
「本作戦は秘匿されていましたのでロシア側が事態を察知していない可能性が高いです。その場合、核爆発の原因が我々にあると見る可能性があります」
大統領の一喝からいち早く立ち直ったCIA長官が答弁する。
「何っ? どういう事だ」
「本社強襲のため致し方なくロシアとの国境付近に海兵隊を大規模展開しましたから、核爆発に我が国が関わっていると見られる可能性が極めて高いのです」
「その場合、予想されるロシアの動きは?」
「良くて非難声明と賠償要求。最悪、ロシアのデフコンレベルが上がる可能性もあります」
大統領が表情を歪める。これだけでも中間選挙を控えた大統領にとっては致命的なのだ。
「冗談じゃない。この政権を潰す気か! ロシア大統領府との直通回線を繋げ!」
しかし、現実とは時に非情なものだ。事態はCIA長官が予測したものよりはるかにマズい方向に転がっていた。
「ホットラインに反応がありません!」
「バカな! ロシアは何を考えているんだ」
不測の事態に対処するために、米露間で合意されて設けられたホットラインが繋がらないという異常事態に大統領は冷静さを保てなくなっていた。
NSCに空軍中佐が飛び込んできたのは、正にそのタイミングだった。
「緊急事態です。NORAD司令部より緊急入電を受けました。弾道弾早期警戒装置のレーダーが弾道弾らしきものを探知したとの報告が!」
NORADまたの名を『北アメリカ航空宇宙防衛司令部』と呼ばれる彼らの仕事は24時間体制で人工衛星の状況の観測、地球上の核ミサイル・弾道ミサイルの発射警戒や戦略爆撃機の動向監視などを行うことである。
このタイミングでNORADから連絡が入ったことはNSCのメンバーにとって最悪の事態を告げられるのと同義であった。
「何? システムエラーではないのか!?」
「DSP衛星に異常はありません。信頼度の高い情報です」
「そんな!? NORADに繋げ! 緊急だ!」
「繋がりました」
NSCのモニターにNORADのレーダーが捉えた映像が投影される。
「ロシアの大陸間弾道ミサイル 1500基 北極点を通過。確定目標地域は合衆国西部です」
NORADのオペレーターが淡々とした声音で状況を伝えてくる。下手に騒ぎ立てることなく緊張感を持った声音が、この悪夢のような状況が訓練などではないと言う事実を突きつけてくる。
「欧州軍の第6艦隊が弾道ミサイル防衛態勢に移行。イージス駆逐艦がSM-3迎撃ミサイルを発射。弾着まで30秒」
レーダー画面上のICBMを迎撃すべく、大西洋に展開中の第6艦隊が発射した迎撃ミサイルが真っすぐと目標に向かっていく。
「5……4……3……2……1……インパクト!」
オペレーターを含めたNSCのメンバーが固唾を飲んで見守る中、ICBMと迎撃ミサイルのブリップが重なった。
「目標の大多数が依然健在! ICBMさらに接近!」
遂にNSCは恐慌状態に陥った。
「終末高高度防衛誘導弾の発射急げ! 何としても撃ち落とせ!」
「無理です! 敵のミサイルが多すぎます。これ以上の被害を受ける前に敵ミサイル基地を叩く必要があります」
国防長官の怒鳴り声に統合参謀本部議長が冷静に答える。もはや核攻撃を防ぐことができないことは誰の目にも明らかだった。
「しかし……そのようなことをすれば人類は……」
統合参謀本部議長の説得に、されど大統領は応じかねる。ここで報復の決断をすれば人類が築き上げた歴史や財産は、一瞬のうちに灰になり文明は石器時代まで後退することになりかねないのだからある意味当たり前だ。
「デフコンを2に! ICBMの発射を準備。それとB-52戦略爆撃機をスクランブルだ! 急げ!」
「接近中のMIRV、弾頭分割を確認。弾着まで11分」
「中国、イギリス、フランス、インド、パキスタン、デフコンレベル1。各国が核発射体制に移行しました!」
「全面……核戦争……」
統合参謀本部議長の呟きは、まるで幻を見ているようだった。
「大統領。時間がありません。報復の決断を!」
「こんな……こんなことで核戦争だと……何千年もの人類の歴史を一瞬で灰にする決断を一人の人間ができるというのか……」
「大統領。報復しなければ更に多くの国民が危険に晒されます」
「……わかった。報復を開始する。ICBM発射はじめ!」
その日、唐突に始まった最終戦争が地球の各地を焼き付くした。
この戦争は誰にも記録されることはないだろう。
✞
シリア 某所
最後に暖まりたい。そんな欲求のために核の起爆コードを押した少女はまだ凍えていた。
核の本体は遠く離れたヨーロッパの本社にあるのだ。如何に核兵器といえここまで熱を届けることはできない。
そう、そのはずだったのだ。しかし、良くも悪くもそうはならなかった。核の炎は少女の近くにも降り注いだのだ。
「暖かい……お母さま……今そっちに行くからね……」
3000度以上の熱波も死にかけの少女にとっては福音でしかなかった。
世界を敵に回し神にも見放された少女の最後の願いを叶えたのは、皮肉にも核抑止という偽りの平和を守り抜いてきた人類であった。
end
世界には未だ1万発以上もの核兵器が存在し何時それが私達の頭上に降り注ぐかわからない状況です。
どんな些細なきっかけで人類が滅ぶかわからない。
拙作を読んでいただいた読者の皆さんにその危険性が伝われば幸いです。
核の廃絶は困難な道のりで現実的で無いことも知っています。
しかし、それでも努力する必要があるでしょう。
眼前の脅威に目を瞑り見ないふりをしたところで脅威は消えてなくなりません。
いつの日かこの地球上から核兵器が廃絶されることを、一人の人間として切に願います。