#4
幼いころ、熱いお茶でやけどをしました。私が四歳のころです。
母は、沸騰したお湯でお茶を入れます。
テーブルの台は私の顔の高さで、手が届きません。
そして、私の前に湯呑が置かれます。私は熱湯が飲める歳ではありません。
ふとした瞬間に、湯呑が傾きました。母の肘が当たったのです。
私は熱湯を浴びました。止める余裕が私の手にはありませんでした。
左腕、左足に刺すような痛み。父は私を抱え、私と一緒に冷水を浴びました。
やけどの跡は、小学生のころに消えました。
いじめがなくなってからは、学校での笑顔が増えました。
でも、家に帰ると涙が待っています。
私は、「笑うことで、泣くことがあるのだ。笑顔なんていらない」
そう思うようになりました。
…そう。これは鬱病です。
今では一般的になりつつある、「鬱」。
私が子供の時は、「鬱」になるのは、その人物が劣等であるから、という間違った認識が広かったのです。
笑うことがないことで、一日中表情筋を動かさずにいられると思ってしまったのです。
その通りに、殴られてもわんわんと泣いたりすることはなくなりました。
私は、母のサンドバックになりました。
全ての感情を殺してしまうことに成功したのです。
私は鬱病と同じ症状と共に生きてきました。
精神的ストレスは伝染するのです。
私でさえ、ここまで整理するのに何年も費やしました。
子どものためを思うならば、「鞭」は必要ありません。
時間を掛けて対話すればわかるのです。
「しつけ」は確かに必要です。
でも、子供は暴力のはけ口にしてはいけない。
あなたも、人間ならばわかるでしょう。
人としても、親としても、人間らしさは捨ててはいけないのです。
精神的ストレスは伝染します。
私の表情のない顔を見て、顔を歪めた人たちの顔が浮かびます。
愛だとしても、鞭なら要りません。
人間なら、言葉で人間らしく通じ合えます。
声の出せない人、声の小さい人には届けられない苦しみがあります。
そんな人には社会的な救いの手が必要なのです。