表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
むかしの話をします。#愛の鞭ゼロ作戦  作者: 登月才媛
奈落の底で思い出すこと
4/5

#4

幼いころ、熱いお茶でやけどをしました。私が四歳のころです。


母は、沸騰したお湯でお茶を入れます。

テーブルの台は私の顔の高さで、手が届きません。

そして、私の前に湯呑が置かれます。私は熱湯が飲める歳ではありません。

ふとした瞬間に、湯呑が傾きました。母の肘が当たったのです。


私は熱湯を浴びました。止める余裕が私の手にはありませんでした。


左腕、左足に刺すような痛み。父は私を抱え、私と一緒に冷水を浴びました。

やけどの跡は、小学生のころに消えました。


いじめがなくなってからは、学校での笑顔が増えました。

でも、家に帰ると涙が待っています。


私は、「笑うことで、泣くことがあるのだ。笑顔なんていらない」

そう思うようになりました。


…そう。これは鬱病です。


今では一般的になりつつある、「鬱」。

私が子供の時は、「鬱」になるのは、その人物が劣等であるから、という間違った認識が広かったのです。


笑うことがないことで、一日中表情筋を動かさずにいられると思ってしまったのです。

その通りに、殴られてもわんわんと泣いたりすることはなくなりました。


私は、母のサンドバックになりました。


全ての感情を殺してしまうことに成功したのです。


私は鬱病と同じ症状と共に生きてきました。

精神的ストレスは伝染するのです。


私でさえ、ここまで整理するのに何年も費やしました。


子どものためを思うならば、「鞭」は必要ありません。

時間を掛けて対話すればわかるのです。


「しつけ」は確かに必要です。

でも、子供は暴力のはけ口にしてはいけない。

あなたも、人間ならばわかるでしょう。

人としても、親としても、人間らしさは捨ててはいけないのです。


精神的ストレスは伝染します。

私の表情のない顔を見て、顔を歪めた人たちの顔が浮かびます。


愛だとしても、鞭なら要りません。

人間なら、言葉で人間らしく通じ合えます。


声の出せない人、声の小さい人には届けられない苦しみがあります。

そんな人には社会的な救いの手が必要なのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ