#2
私が、その「扇動者」から納得する答えを得られずに泣いて帰る日が続きました。
私がいじめについて訴えると、
「あなたの思い込み」
「気のせい」
「あなたが何か悪いことをしたのでしょう」と言いました。
我慢しても、いじめは続きます。
具体的には、廊下ですれ違いざまにぶつかられたり、足を踏まれたり、
持ち物が私の足に落ちたり、持ち物を振り回して当ててきます。
我慢しても、続きます。
すれ違いざまの様子がおかしいです。二回だけ、避けきりました。
二回目は、避けた先でぶつかってきました。
注意しても、聞きません。
廊下ですれ違いざまに「ばか」や「あほ」などと言われます。
舌打ちもします。
本人に訴えても、聞きません。
先生に取り次いでもらい、公衆の面前で問いただしても、
「忘れました」と言います。
たった十数分前の出来事です。
いじめについてのイラストは、ハッシュタグ「#それでも私が悪いというのか」にて公開しています。
それでも、母は私を庇っているように装いました。
家では「もうこんなことをされないように注意しなさい」と言いました。
母という存在は父の次に絶対でした。
ここで、「はい」と言わなければ、腕や頭を叩かれます。
叩かれるのは嫌いでした。
生来涙もろく、泣き虫でした。
恐いもの知らずではありましたが。
叩かれたら泣きました。
母の暴力の理不尽さに泣きわめきました。
それは頻度が増してゆき、近所迷惑も甚だしかったでしょう。
「近所迷惑でしょう」
「静かにしなさい」と
母から言われ、また叩かれました。
ある日泣いた日に、
「隣の方からあなたの泣き声が近所迷惑だと言われてしまいました」
「あなたの妹の泣き声だと勘違いされていました」
「これからは叩かれても静かにしなさい」と言われました。
そんな母も、父が家にいる間だけは殴りませんでした。
私の中で、父への執着が芽生え始めました。
私は、子供は親から殴られるなどすると、脳細胞が委縮することを知っていました。
だから、母にもそのことを伝えました。
効果があったのは三日だけ。
四日後には殴られました。
それは、いじめがなくなっても変わりませんでした。