その3 それぞれの想い
「ただいま……」
「おお、おかえり。早かったな。飯はどうする?」
お父さんの声が台所の方から聞こえてきた。
今日は私が遊園地で帰りが遅くなるかも知れないということで、お父さんが今日は自分で食事を用意するから気楽に遊びに行ってこいと言ってくれていた。
今、ちょうど晩ご飯を作っているらしく、手が離せないのか出迎えは無し。
良かった…… 今、私の顔を見られたくない。
「……いらない」
「食べてきたのか?」
「……うん」
嘘だけど……食欲が無いだけ。それより誠司君の声を聞きたい。
由佳里からいっぱい電話がかかってきてる……今も。
電話に出たくない…… 今、由佳里と話したら何を言うか自分でもわからないから……
トントントントン……
階段を上がって自分の部屋に戻ると、すぐに携帯を出して誠司君に電話した。
「もしもし」
「……………………」
誠司君の声に泣きそうになって咄嗟に言葉が出せなかった……
「ん? 神埼さん…… だよね? どうしたの? 遊園地から戻ったんだよね?」
「……うん」
「よかった、びっくりしたよ。どう? 楽しかった?」
「……………………」
「……神埼さん?」
誠司君の声が怪訝そうな声に変わった。
「由綺……」
「え?」
「由綺って呼んで」
「え? どうしたの?」
嫌だ。あの人より誠司君の方が遠いような呼び方をされるのは嫌だ。
「由綺って呼んで欲しいの」
「…………」
「御願い」
「由綺……ちゃん?」
その呼び方に心がチクっとした。
嫌…… それは嫌……
「呼び捨てで……」
「え?」
「由綺って呼んで。御願い」
「いったいどうしたの?」
「御願い」
少し声が震える……もう泣きそう。御願い。
「…………由綺」
誠司君からの由綺という呼びかけは私の心にすっと入ってくる。
やっぱり私は誠司君が好きなんだ…… そう思えて、素直に応えられた。
「はい」
それが思ってた以上に嬉しくて……
「由綺って呼んでくれて、ありがとう。ほんとに嬉しい」
「どういたしまして。 由綺、もう大丈夫?」
「……うん、もう大丈夫だよ。ありがとう、柏木君」
「誠司」
「え?」
「誠司って呼んでよ」
「え? あ、あの……」
「俺だけ名字で呼ばれてたら、それって不公平だって思わない? ね? せ・い・じ」
「そ、それはそうだけど……」
「でしょ? ほら、せ・い・じ。言ってみて?」
少し楽しそう。私の顔が今、真っ赤になっているのもわかってるんだろうな。
「ううぅ…… せ、せい……じ………………くん」
「うん、それが由綺の精一杯だね」
「えっと……」
「いいよ、今はそれで。でも、いつか誠司って呼んでくれると嬉しいな」
「……うん。約束する」
ぜったい誠司って言えるように頑張ろう…… だってこんなに大好きなんだから。
「よし、由綺。俺と遊園地に行こうよ」
「え?」
「今度の日曜日だよ。決定」
「ええっ?」
「行くだろ?」
多分、私に遊園地で何かあったってわかってる。その上で誠司君は遊園地に誘ってくれている。
誠司君と遊園地………… うん、すごく楽しみって思える。だから大丈夫。
最後は絶対観覧車に乗ろう。
「うん。すっごく楽しみ」
次の日、教室に入ってすぐに、由佳里と鉢合わせた。
同じクラスなんだから当たり前なんだけど、心の準備は全然出来ていなかった。
と、とにかく、ひっぱたいた事は謝ろう……
「あの…… 由佳里」
「……由綺、ごめん、ちょっと場所を移していい?」
「うん」
お互い無言のまま、由佳里の後を付いていく。
行き先は多分、屋上。
ドアを開いて屋上にでた途端、由佳里が頭を下げた。
「由綺っ、ごめん。本当にごめん」
「あ、えっと、由佳里、頭を上げて」
それでも頭を上げない由佳里……
そしてコンクリートの床に水がぽとぽとと…… 由佳里、泣いてる?
「ごめん…… ほんとにごめん…… 由綺のこと全然考えないであたし酷いこと言っちゃって。
深月さんから大野さんに由綺には彼氏がいるって事が伝わってないって知らなくて……
だから、二人を見てて良い感じだなって思ってたから、キスしてるの見たとき由綺は大野さんを選んだんだーって勝手に思い込んで盛り上がっちゃって……
そういう子じゃないよね、由綺は。知ってたのに…… 一番知ってたのに……」
床に落ちる涙はどんどんと増えて……声も震えてる。
由佳里のこんな姿は初めて見た。
思い返せば、確かにあの時の由佳里は、全然由佳里らしくなくて…… そうだったんだね。
「由佳里…… 私だって、大野さんって優しいお兄ちゃんみたいって勝手に思い込んでて、そんな風に思われてたとか全然思ってなくてさ。
でもそれって私が思い込んでるだけで、他人から見たらそう見えてもおかしくなかったな……って自分でも思ったし、キスだって素直に受け入れた風にしか見えなかったよね。それで由佳里はただ喜んでくれてただけだったのに思い切りひっぱたいちゃって…… 私の方こそごめん」
そう言うと、由佳里ははじかれたように顔を上げた。
「ううん、あんな酷い言い方をしたんだしひっぱたかれて当然だよ。
今思い出しても自己嫌悪だし……
由綺が柏木をどれだけ好きかなんてわかってる筈なのにあんな言い方して、ほんっとーにごめん。
あたし、もう由綺に嫌われたんだって、もう話して貰えないんじゃないかと思ったら怖くて…… 怖くて……」
「そんなこと……」
「あたし、由綺の友達のままでいてもいいかな?」
「当たり前じゃない。私からも御願いする。私の親友でいて下さい」
「ほんとにありがとう。それじゃ…… 仲直りだね」
「うん、仲直りということで」
良かった。こんな行き違いで由佳里を失うことにならなくて本当に良かった。
「それで、思い出したくも無いかもだけど。先に謝るゴメン」
「……昨日のこと?」
「うん…… 大野さん、本当に由綺の事を心配してたよ? 昨日のこと謝りたいって。
もし良かったら大野さんから連絡したいって言われて、由綺の携帯番号とメルアドを聞かれたんだけど、教える?」
「ううん」
「だよね。あたしも断った。一応聞いておいてって言われたから聞くだけ聞いたけど。
それじゃ、もう少し落ち着いたらあたし経由で連絡しますって言っておいていい?」
「御願いしていいかな?」
「いいよ、それくらい。それじゃあたしから言っておくね」
「うん。ありがとう」
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今は特に柏木と帰宅デートしたいだろう由綺に気兼ねをさせない様に、先にさっさと学校を後にして家路を急いだ。
家に着いて部屋に戻ると、パッと楽な服に着替えてベッドに寝転んで考える。
今日は良かった…… 由綺と仲直りできて。
もう駄目だって覚悟も決めていたから本当に嬉しかった。
由綺の前で初めて泣いたなぁ。
「深月さんにどうやって説明しよう」
まだ付き合い始めたばかりと言っても、大野さんは彼氏の友達。
彼氏と思ったところでちょっと顔が熱くなった。
いや、今は照れてる場合じゃない。
「どうするか考える基準は彼氏の友達か、親友の由綺か……」
うん。そんなの由綺に決まってる。
こんな考え方をしちゃうから、男の人と長続きしないのかもって思う。
でも仕方ないよね。これがあたしだ。
親友を切り捨てないで済ませられる彼氏じゃないと、あたしには絶対にダメだ。
そう決意したところで携帯の呼び出し音が鳴った。この音は深月さんだ。
「もしもし、深月さん?」
「うん。由佳里ちゃん、神埼さんどうだった?」
「んー、今は落ち着いてるよ。でも、大野さんとお話しは無理かな」
「そうか。それじゃ由佳里ちゃんから大野からの伝言を御願いできる?」
「それは無理」
「無理?」
「うん。あたしは由綺を応援するから、由綺が違うって思っている限り大野さんを応援できないし、あたしは橋渡しできない」
「由佳里ちゃん………… そうか、新悟にもそう言っておく」
「ごめんなさい。そうしてください」
「ご免な、由佳里ちゃん。俺が新悟に神埼さんには彼氏が居るって伝え忘れたばかりにこんなことになって。
それどころか由佳里ちゃん達の仲まで裂くところだった」
「ううん、それはもういいです。仲直りできたし。
それに、過ぎたことを悔やみ続けるよりも、これからどうしたら償えるかを考えたいです」
「……そうだな。強いな由佳里ちゃんは」
「強くないですよ。今でもあの時の事を思いだしたら泣きそうだし」
「本当にご免。俺もよく考える。由佳里ちゃんは俺とは会ってくれるんだよな」
「勿論ですよ」
「良かった。それじゃまた今度な。電話するよ」
「うん、電話待ってる。こちらからも電話するね」
「ほい」
そして電話を切ってまた考える。
それでも、由綺はきっと大野さんと一度は直接会って話すんだろうな。
由綺はそういうお人好しで、人から向けられる感情に凄く鈍い所があるから…… それは由綺の危うい優しさ。
でも、それが由綺の良いところでもあるのよね。
「何かあったら………… その時はあたしが由綺のことを守らなきゃ」
それが私の由綺への償い。
「それにしても、結局あたし達はゴンドラキス出来なかったなー」
あんなに深月さんが真っ赤になって照れまくるとは思わなかった。
「あたしも真っ赤になって動けなかったんだから、おあいこだけどさ」
ファーストキスはまだまだ遠い。
由綺じゃなくて、あたし達がキス出来てればよかったんだ。
そしたらこんなことにならなかったのに。
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「大野、あんた、今度は女子高生に手を出してる?」
「笹木さん……なんで知ってるの?」
「昨日、遊園地であんたを見たって人がいるのよ。大野が白馬に乗ってたーって爆笑してた。
深月が一緒に居たのも見たらしいし、あいつが女子高生とつきあい始めたのは知ってるからさ。それでダブルデートとくればあんたと一緒に居た相手も女子高生なんだろうって思ってカマかけてみた」
「む……」
あらん? 思った以上に嫌そうな顔ね。ひょっとして結構本気?
「遊びも大概にしなさいよ? あんたが自分からメリーゴーランドなんて選ぶとは思えないし、だとしたらその子の希望でしょ?
今時、女子高生でメリーゴーランドに乗りたがる純情ちゃんなんてあんたにはもったいなさ過ぎよ」
「失礼だなぁ。本気なんだよ、今回は」
「本当に? あんたがねぇ……」
ちょっと信じがたいわね。
「そう。だから今度は真面目にいく」
「あっそ。まー頑張ってみたら? 玉砕したら私が貰ってあげるわよ」
「お断り。冗談は無しだ」
「駄目な方に千円」
「なら、僕は上手く行く方に千円だ」
「まいどー」
「うわ、もう勝った気か」
「当然」