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中編

 それから雪ん子は男の前に座ってずっと話しかけておりました。男はぼそぼそとですが、雪ん子の問いかけにきちんと答えてくれました。雪ん子はそれが嬉しくて楽しくてなりませんでした。

 時々は男の方からも話しかけてくれました。


「雪ん子、おまえはなんてえ名前なんだ?」

「あたしに名前なんてないよ。雪ん子だよ」

「……ふうん、あやかしってそういうもんなのか」

「よくわかんないよ。ねえ、おまえは何ていうの?」

「……ひちり。字は、お前の大嫌いな火に、塵と書く」

「火塵。うわあ、それはいやな名前だね」

「やっぱりそうなのか」


 男は軽く笑いました。しかしすぐにその笑い声は喉奥からくる咳によって阻まれてしまいました。


「火塵、どうしたの、大丈夫?」


 雪ん子がきょとんとして問うと、男は咳を飲み込むようにして空を見上げました。空からはちらちらと白いものが降ってきておりました。ひゅるりと冷たい風がこの場にも満ちてきておりました。


「雪だね、気持ち良いね」


 雪ん子が声を弾ませてそういうと、男は土気色の顔で苦笑しつつもそうだなと頷いてくれました。




「ねえねえ、火塵。足はどうしたの? どうして一本ちぎれちゃってるの? 逃げられないように人間に切られたの?」


 ふと雪ん子は木に括られている男の、右足に目を落として問いました。その足は太もものところから先がないので、ずっと不思議に思っていたのでした。

 男は言いました。


「タタラ場で失ったのさ。別に生贄にされたから切られたんじゃねえ、仕事でだ」

「さっきも言っていたね。タタラバってなあに?」

「……鉄を作るところさ。……火をたくさん使うから、お前は絶対に行けないだろうよ」

「火」

「……ああ。俺の目も火にやられたんだ」

「やはり火は怖いね。雪の方がいいね」

「……そうだな……」


 問答のたびになんだか少しずつ男の答える声が小さくなってきた気がして、雪ん子は首を傾げました。顔色もだんだん悪くなってきているような気がします。

 雪ん子はそのときはじめて怖くなりました。


「ねえ、まだヤマガミは来ていないよ。だからまだ死んでは駄目だよ」

「そうだな……」


 弱く答える男の頬を挟み込むように両の手を当ててみると、それは雪でできた手にもひんやりと心地よいものでした。きっとその唇もひんやりとして気持ちが良いのでしょう。いまなら簡単にその臓腑を凍らせることができるなあと雪ん子は思いました。臓腑を凍らせて、この姿のまま、朽ちることのないようにして永遠の氷の中に閉じ込めておけるのに。

 男はぼんやりとした瞳で雪ん子を見返しました。やはりさきほどよりも生気がなくなっているように思えました。


「……駄目だぞ、接吻はするなよ」

「しないよ、約束だもの」


 雪ん子は頬を膨らませるとぱっと手を離しました。男がゆっくりと瞬きます。出会ったころよりもずっと緩慢になったその所作を見ながら、雪ん子は言いました。


「ヤマガミ、来るのかなあ」

「……来てくれなきゃ困る。そうでなきゃ、俺が死ぬ意味がない……」


「ねえねえ、火塵は死ぬことが怖くないの? どうして? その、タタラバのために死ぬのって怖くないの?」


 素直な問いに、男は強張った頬の動かして笑いました。


「……怖いさ。でもなあ、目も足も使えなくて、タタラ師として役立たずになっちまった俺はこうするしかなかったんだ」

「どうして?」

「……よくわかんねえや。最後の、男の意地ってやつかもしれねえ」


 笑っているのに悲しそうに見えて、雪ん子は目を見開きました。なんだか胸の奥がざわざわとして、身の置き所のないような切ない気分になりました。

 そうして雪ん子は本能の中で思いました。


 ああ、これ以上ここに居ては怖いことになる。


「あたし、帰る!」


 雪ん子はそういうなり、ぱっと立ちあがりました。そうして男の顔をみずに踵を返します。


「じゃあね」


 後ろの方で男がなにかを言った気がしましたが、北風をまとった雪ん子の耳には入りませんでした。




 雪ん子は火塵から離れるように南へと走っておりました。火塵と別れてすでに一刻ほど過ぎたでしょうに、胸の中のもやもやとしたものは一向に消えてはくれませんでした。

 わざと大きな声ではしゃいでみたり、北風を纏ったまま雪の中を跳ねたりして楽しいことをしてみたのですが、頭と胸の中にあるのは木に括り付けられていた男のことだけでした。

 やがて雪ん子は立ち止まりました。その場にしゃがみ込んで、ひざに顔をうずめます。


 火塵はもう、ヤマガミに会えたのだろうか。

 それとも会えずに死んでしまうのだろうか。


 たぶん後者だろうなあと雪ん子は思いました。何故なら、あの山にはすごく強い力なんて感じなかったからでした。

 そう思うと余計に胸の中が苦しくなりました。あのまま、死んでしまったら火塵は悲しいのではないのでしょうか。ばかげているとは思うけれど、「男の意地」とやらも雪のように解けて、この世のどこにもなくなってしまうのではないでしょうか。


 ヤマガミは、どこにいるんだろう。


 ふいに雪ん子は思いました。あの山にヤマガミがいないのだったら、どこかに居るヤマガミを火塵に会わせてあげたらよいのではないのでしょうか。

 雪ん子は気配を探るためにその漆黒の瞳を閉じました。すると少し離れた場所からとんでもなく強いものが居るような気配がしました。背筋からぞわぞわするような、雪と氷でできた雪ん子なんて、指先ひとつで消し去ってしまえるような、強い強い、こわい気配でした。



 ヤマガミかもしれない。



 そう思った雪ん子は、北風を纏うとそちらに向かって走り始めました。



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