ジャガーノートと鳥の声(2014-09-21)
とあるゲームをやっていて、ジャガーノートという言葉を知った。トラのノート? と不思議に思って検索をしてみると(ジャガーはトラではない)、クリシュナの異名だという。クリシュナもどこかで聞いたことあるなとリンクを辿ると、ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神の八番目の化身らしい。うーん? でも私はヒンドゥー教をよく知らなかった。あれだよね、インドとかその辺の。日本で育つ私は、宗教のことをまったく理解していなかった。日本人はみんな無宗教だって言うし、私も神さまを信じていない。信じなくて困ることは今まで生きてきた中でほとんど一度もなかった。神頼みはたまにするけどね。叶えてくれるわけはないと思いつつ、頑張ろうという意志を込めて、神社で手を合わせたりするし。
気になっている人に好きな作家さんを聞いた。それが一週間前の話で、とりあえずその作家さんの人の本を一日一冊くらいのペースで夜を徹し続けて読んでいた。たくさん読んだし勇気を出して話しかけてみよう、と、翌日の休み時間に窓際にある彼の席にさりげなく近付いていって、感想を伝えてみた。彼は私に気付くまでぼんやりと窓の外に目を向けていた。その日の空は曇っていて、雨が今にも降りそうな天気だった。とにかく声をかけると、彼は意外そうな顔をして、でもすぐに笑顔になって、私の話に応じてくれた。あのシーンがいいよねとか、この台詞は心に響いたとか、他愛のないことを話す。たまに私と彼で違う印象を持っている部分があって、ここはこうじゃなかったと聞き返してくれる。そうして談笑していると、時間はあっという間に過ぎた。
夜、本を読んでいて、思い出したように携帯をいじり出して、友達のブログが更新されていないか確認する。あるいはニュースサイトにアクセスしてみる。私が読んでわかるようなニュースはあまり多くない。世の中には難しいことが多すぎるなと少し悔しくなって、本に戻る。そんな誰も見ていない一人芝居を繰り返していると外が明るくなってきて、鳥の声が聞こえてきて、朝が来たのだとわかる。目覚めとともに迎える突然の朝よりも、夜からだんだんと移り変わっていく朝のほうが、どこか趣きがあって価値のあるようなものに感じる。ただ珍しいというだけかもしれない。でもたとえば、日常を生きていて鳥の声で何かを知るというのは、朝の到来以外にあり得ないような気もする。
ジャガーノートは、本を読みながら並行して進めていたゲーム(友達に借りた)で知った。強大な力の比喩に使われるのかほうほうと検索して上っ面の知識を得た。宗教の文脈を離れて名前だけ現代日本のゲームに使われるのも、何というか神さまは大変だ。私が神だったら怒る。そんなことを考えていたらまた鳥が鳴いて、起きなきゃならない時間までまだ二時間くらいあるなぁと思って、寝ようとした。おやすみ神さま、できればちょっとの睡眠時間で眠気が消える体にしてください。神さまは沈黙を破らない。聞こえるのは鳥の声だけだった。




