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脱出

「う……うぅ……」

 小さなうめき声をもらして、孝志郎は目を開ける。

 開けた視界を埋め尽くすのは煌めきちりばめられた黒。星々のまたたく夜空であった。

「よ、る……?」

 いったいどれほどの間意識を失っていたのだろうか。

 牛頭の怪鳥と戦ったのは昼間であったはずなのに、目に見える空はすっかりと暗闇に覆われている。

「どうして、こんな……? 俺はたしか……」

 そう呟いて、孝志郎は自身の最後の記憶を振りかえる。

 そうして意識が途切れる直前。後頭部から目玉へ突き抜けた痛みと衝撃へと思い至り、目を見開く。

「ヨナキ、俺はどれくらい寝てた? 分かるか?」

 思い出したことで浮かんだ疑問を相棒に尋ねる。

 だがその問いに返ってくる声は無い。

「……ヨナキ? おい、どうしたヨナキ?」

 相棒へ重ねて呼びかけ、右手の方へ目を向ける孝志郎。

 しかし右手中指を飾る猿の顔を模した指輪は光も震えもしない。

「おい!? どうしたってッ!?」

 あまりの無反応ぶりに孝志郎はじれたままに声をあらげて拳を顔の前に。

 だがいざ金属製の相棒の顔と向き合ってみて、その変化に息をのむ。

 水晶に包まれた銀色の猿の顔。

 透きとおった、しかし分厚いそれに封じられたそれは、苦しげに歪んだまま凍りついたようにかたまっている。

「ヨナキ、ヨナキ!? しっかりしろよ、おいッ!?」

 水晶に封じられた指輪と、そこからつながった鵺のヨナキへとさらに呼びかける。が、やはり凍りついた猿の顔は何も答えない。

「エッジ、センミン! バンジョウも、聞こえないかッ!?」

 さらにヨナキを通じて契約した仲間たちにも呼びかけるも、案の定と言うべきか声は返ってこない。

 契約の法具である指輪そのものが崩壊していない以上、ヨナキとのつながりが完全に断たれたわけではないのだろう。

 しかし見たとおり、何らかの形でヨナキらとのつながりがはばまれているのもまた確かなのだ。

「くっそ……俺一人で何とかしなきゃならないのか……!」

 孝志郎は歯ぎしりし、水晶に覆われた指輪を左手に打ちつける。

 そして噛み合わせた歯から唸り声を漏らしながら、顔を持ち上げる。

 再び見上げた星空。

 その中天には糸の様な月が。

 しかし孝志郎はそのか細い光に眉をひそめる。

 孝志郎は別に普段から月を気しているわけではない。が、昨夜のものはあんなに細いものに繋がるような月では無かったとおぼろげながら記憶している。

 いやそれ以前に、あんなに高い位置に月など上がっていただろうか。

「今はそれより、辺りがどうなってるかをたしかめないと……」

 だが孝志郎は頭に浮かんだその疑念を頭を振って振り切ると、改めて自身の周囲を見回す。

 夜闇に包まれた野原。

 微かな月と星の明かりをまばらな草がはね返して、その存在を闇の中に浮き彫りにする。

 それ以外には目立ったものはなにもなく、開かれた場所に放置されていたことが分かる。

「なんだってこんな場所にほったらかしで……」

 気絶させて捕らえたにしてはあまりにもずさんな扱い。

 孝志郎は学生服に付いた土を払い落しながら、縛りもせずただ開けた場所に転がされていたことへの疑念を口にする。

 見張りも見えず、まるで捕らえておくつもりもないと言わんばかりの放置ぶりに首を傾げながらも、孝志郎は細めた眼を辺りの闇の中へ向ける。

 しかし見とおそうといくら目をこらしても、闇に霞んだ野原の景色しか見えない。

 明かりも、目標となる大きな影も見当たらないだだっ広い野原。行くあての見えない状況に、孝志郎はため息交じりに頭をかく。

「しかたない……直感まかせで歩くか」

 そして半ば捨て鉢なのは理解しながらも、行くべき方向を定めて歩きはじめる。

 冷えた空気を切って、草を踏んで進む孝志郎。

「ああ、くっそ……せめて足元くらい見えたらな」

 星明かりも月の光も乏しい恐ろしい暗さ。

 街灯のともる町に慣れた身には馴染みなくつらいその闇に、忌々しげに唸る。

 そして歩みを鈍らせて右手へ目を。

 すがる様に向けた目。それと必要以上に大きな声。

 その行動に深い闇への怯えを自覚して、孝志郎は顔の苦みを深めて強く草原を踏む。

 孝志郎はそのまま、湿った草の匂いを濃くしながら荒々しく足を進める。

 野鳥の声はなく。

 微かな虫の声すらない。

 孝志郎以外の息づかいさえしない。

 ひどく静かな。静かな深い闇。

 そんな暗く静かな草原を孝志郎はただひたすらに歩く。

 そうしてしばらく歩き続けて、不意に襟の隙間からするりと来た夜気に身を震わせる。

 そこでふと星を見て方角を見ることを思いついたのか、足を止めて顔を上げる。

 細かなものさえ見える星々。

 暗さのためか地上の光に遮られることなく届いてくる光は夜空にいくつもの図形を描いている。

 地図のようにさえ見える星明かりの群れ。

 まばらな雲の影が虫食いのようにかかるその図を眺めて、孝志郎はうなづく。

 今の進行方向にある目印となる星の図形を覚えて、別の方角にある目印となる星の群れの図形を頭に入れるべく視線を巡らせる。

 前後左右。自分の進行方向とそれ以外の方角にある正座を確かめて、孝志郎は再び正面、蜘蛛のように見える星座の方角へ向き直る。

「なんだ?」

 だがその瞬間、孝志郎は視界のすみに走った違和感に小さくつぶやく。

 空。それも高い位置に見た違和感を追って顔を上げる。

 そして違和感の根源を入れた目は大きく見開かれることになる。

「月が、太くなってる?」

 まばたきを繰り返す孝志郎が見つめるのは中天の月。

 先と変わらず高い場所にあるそれはしかし、先ほどとはまるで違う。

 多少の差なら目の錯覚とも言えるだろう。だが孝志郎がつぶやくとおり、金色の弧は先ほどより明らかに太く、大きく夜闇を裂いている。具体的にはほぼ新月も同然の裂け目が、半月一歩手前にまで広がっているのだ。

 断じて目の錯覚などではない月の変化。

 まるでまぶたを開くようなそれに、孝志郎は言い知れぬ寒気を覚える。そしてその悪寒に後押しされるまま、手近な草むらに倒れこむ。

 うつぶせに身を隠して息を殺す孝志郎。

 直後、その頭上を鋭いものがよぎる。

 月明かりをはね返して閃いたそれが通りすぎれば、続いて揺れもしなかった草の先が倒れて落ちる。

 降ってきた草の切れはしを背に被りながら、孝志郎は切り揃えられた草を見て絶句する。

 もしあとほんのわずかにでも伏せるのが遅れていたとしたら、孝志郎自身も半ばから上を飛ばされた草と同じく、腰を輪切りにされて上半身と下半身とが別れ別れにされていただろう。

 その想像に孝志郎は顔を青ざめさせる。が、引きつり強張ったその顔とは逆に、地に伏せた体は素早くほふく前進にこの場を逃れる。

「くっそッ!」

 ヨナキとの繋がりを阻まれ、怪物的な力で一方的に狙われる圧倒的不利な状況。

 孝志郎はそれに毒づき歯を食いしばり、青白くなった顔に血の色を取り戻しながら、いまこの状況をしのぐべく地をはう体に力を込める。

 それが功を奏して、後方の先ほどまで孝志郎がいた草むらを一条の閃きが叩く。

 またも遅れてではあるが、正確に、ギロチンのように落ちてきた糸の様な鋭い刃。

 それに孝志郎ははうのは止めずに背後の空を。そこに輝く月を睨む。

 さらに円形に近付いている月。

 それは高く、孝志郎の真上から動くことなくじっと輝きを降らせている。

「やっぱりあの月が敵の目か!」

 じっと見張る様に降り注ぐ光に忌々しげに吐き捨てて、孝志郎は月を睨む目を下ろす。

「上から見られてるんじゃ意味ないかもだが……ッ!!」

 孝志郎はそう言いながらも少しでも身を隠そう、となるべく深い草むらへ向けて懸命に這う。

 その背後では輝線が走る度に草が弾けるように切れて散る。

 そんな攻撃に追い立てられながらも、孝志郎は深い草の影にその身を紛れさせる。

 だがせっかく濃い草むらに逃げ込んだものの、孝志郎はすぐさまその陰から跳ねるようにして飛び出す。

 孝志郎が前回りに転がり立ち上がった直後、身を隠していた草むらを鋭いものが叩き潰す。

「くっそ! 開けてることで逆に筒抜けか!」

 こういう状況に追い込まれれば、閉じ込めるつもりのない扱いが逆に完全に手の内に捕らえていたからだと察せられる。

「だからって思いどおりにされてたまるか……ッ! ってん、だぁッ!!」

 しかし孝志郎は己を奮い立たせるように声を上げ、降りかかる刃をくりかえしステップを踏むようにかいくぐる。

 掠め切られた髪が刈られた草と共に夜風に散り、裂けた頬から跳ねた血が闇の中に吸いこまれる。

 しかしこうしてかすめはしたものの、かろうじて避けきった孝志郎はそのまま走る勢いを緩めずに闇の中を駆ける。

 暗闇の中、捨て鉢に走っているかのように見える。が、孝志郎は右へ左へと跳びはねるようにしながらも、その足に迷いは無い。

 ジグザグとコースを切り替えながら、しかしまるで目指すべき標的が見えているかのようなその動き。

 それを撃退しようとしてか、風切り音が勢いを増し、孝志郎を狙う輝線がその数を増やす。

 孝志郎はしかし、当たれば重傷を免れない刃に怯まず、月明かりの反射だけを頼りに避ける。

 むしろ勢いを増した音色に確信をもって踏み込む足をさらに強める。

「おぉりゃぁああああ!」

 かすかな光。そして音。それらを根拠につけた居場所のあたりへ、孝志郎は飛びこむ。

 雄叫びを上げながら突撃するその右拳から光がスパーク。

 封印水晶のその奥。雷光にも似た光が封印から溢れ出て引き構えた拳を包む。

 契約の繋がりを阻む壁。それすら貫き洩れでるほどの闘志。

 雷となって漲ったその心命力を、孝志郎は正面の黒々とした塊へ、輝線の根源へ向けて突き出す。

「なにッ!?」

 だが拳に灯った稲光が露わにした影の正体に、孝志郎は驚き目を剥く。

 そこにあったのは、輝く糸を幾重にも巻き付けた丸太の寄せ集め。

 あわてて拳を止めようとするも時すでに遅く、稲妻の拳は丸太細工を叩く。

 光と共に爆ぜる丸太人形。

 同時に生木の肌を打った拳が裂けて血がしぶく。

「ぐッ!?」

 うめき、拳を引く孝志郎。その体を月明かりを弾く糸が巻き取る。

 輪切りに殺される恐怖に孝志郎はその身を強張らせる。

 が、巻きついた糸はその予想に反して切断することなくしめあげる。

 きつく食い込む痛みに孝志郎がうめく間もなく、その身は高々と釣り上げられる。

「ウ……ッ!? グッ!?」

 一本釣りに釣り上げられた魚のごとく宙を舞い、その勢いのまま草むらの中に叩きつけられてうめく孝志郎。

 夜露に濡れた草の香。弾けたそれが包む中、ギチギチという軋み音が孝志郎の頭に寄る。

 柔らかな土を貫く足音に顔を上げれば、そこには月明かりに浮かぶ異形の影が。

 大きく膨らんだ巨体と、それを支えるコンパスの様な幾本もの足。

 その姿かたちはまるでクモ。

 で、あるが、その表面は毛の一本もないつるりとしたもの。

 金属光沢を放つ大クモ。しかしその頭からは人の上半身に似たモノが生えている。

 クモの体と同じく、月明かりを跳ねかえして光る表皮。

 その頭は凹凸も髪もない無貌。

 金属か陶器の球をそのまま載せたような人体もどきもまた顔と同じく、球体関節の人形じみたもの。

 その下腹部には複眼の様なガラス玉が六つ。

 そして股間に当たる位置には鋭い歯を備えた口が開いている。

 アラクネ人形とでも言うべき異形の巨体。

 それは地面に横たわる孝志郎を、ガラス玉の様な目で見下ろし、人の足に似た挟角の間で歯を鳴らしている。

「くっそぉ……」

 目の前に迫るそれをにらみ返して、孝志郎は糸に巻かれたまま身を捩る。

 懸命に離れようと抵抗する孝志郎。しかし不意にその身を縛る糸が緩む。

 解かれた拘束に孝志郎は目を剥くも、呼吸一つを挟むと地を叩いて跳ね起きる。

「おおおッ!!」

 吸い込んだ気を雄叫びに変え、ふたたび雷光を帯びた拳をクモの怪物へ突き出す。

「グゥッ!?」

 だがしかし、拳は硬質な怪物に触れる前に中空でとめられる。

 学生服に包まれた孝志郎の腕。

 それにはいくつもの節が出来ており、そこから微動だに出来ないほど固く締めあげられている。

 歯を食いしばりうめく孝志郎。

 その苦しげな顔に、アラクネ人形は表情の無い人の頭の代わりに鋏角の間にある口を鳴らす。

 嘲り笑う様な硬い音色。

 それに続いて孝志郎の体が再び宙へ放られる。

 踏ん張る間もなく舞いあげられる少年の体。

 背中から叩きつけられる痛み。それを孝志郎はうめき声を噛み殺して堪え、腕を縛る糸の緩みに乗じて転がる。

 泥まみれになりながらも、手足全てを使って跳びのく。

 だが距離を取りながら立ち上がろうとするその背に何かがぶつかる。

「なッ!?」

 堪らず驚きの声を上げる孝志郎。

 だがその続きが言葉と紡ぎだされるよりも早く、少年の体はまるでゴム網にかけられたかのようにはじき出される。

 嘲笑する化けクモ。

 大きなクモ腹の上に出た糸車を回し、口を鳴らすそれに向かって、孝志郎は引き寄せられながらも拳を構える。

 飛びこまされながらも、されるがままにはなるまいと抵抗する孝志郎。

 しかしその飛び込みざまの拳は、標的がほんの少し横にずれたために空を切り、同時に固く鋭いものが腹を打つ。

「うごッ!?」

 腹の底からひっくり返るような衝撃。それを中心に孝志郎の体が深く折れ、はね返される。

 飛びこんだ以上の速さで飛ぶ孝志郎。

 野球の球のように打ち返されたその体は、地にぶつかり、二度、三度と跳ね転がる。

「ゲホッ! ゴッホッ!?」

 うつ伏せに転がり、くりかえしせきこむ。

 そこへ再び近づく足音。

 孝志郎は痛みにむせながら、近づくそれに顔を上げる。

 嘲笑うクモの頭と、それに合わせて笑うようなしぐさをみせる人形。

 それを涙を滲ませた目でにらむ。

 涙にうるみながらも、しかし決して輝きと力を失っていない瞳。

 近寄る怪物をその目で見据えながら、孝志郎はなおも手足を支えに立ち上がろうとする。

 心折れず立ち上がろうとする孝志郎に対し、化けクモはなおも嘲笑を深めながら悠然とコンパスじみた足を動かす。

 ひと思いには潰さず、なぶり楽しんでやろうという意思。

 それをあからさまに表に出しながら接近する敵へ、孝志郎は深呼吸を繰り返しながら、右手を支えに膝立ちにまでその身を持ち上げる。

 ちらりと見下ろしたその先には、水晶に封じられた契約の指輪が。

 しかし猿の頭を模した指輪を閉じ込める水晶には、ひびが入っている。

 封印を貫いた心命力の氾濫。

 度重なるそれは、ヨナキとの繋がりを封じる力をこじ開けつつある。

 それを確信した孝志郎は、再び迫る敵へ視線を戻してにらみ返す。

 化けクモはそんななおも立ち向かおうとする孝志郎を見下ろし、嘲笑いの歯鳴らしの勢いを増す。

 そして嘲りのまま、化けクモは腕を振り上げる。

「おぉりゃあぁッ!!」

 降ってくる爪。それに合わせて孝志郎は、封印を破壊させようと水晶のこびりついた右拳を振り上げる。

 だが爪と拳がぶつかり合うよりも早く、孝志郎の体を横殴りの衝撃が襲う。

 うめき声も出せずに吹き飛ぶ孝志郎。

 起き上ががろうと四肢を突っ張るその背中に、再び衝撃が降る。

「ごふ!?」

 潰され、声と肺の中身を絞り出される孝志郎。

 その視線の先では嘲笑の勢いを増しながら、糸の塊を振り回すアラクネ人形の姿が。

 そして立ち上がろうとする孝志郎に糸の塊が圧し掛かる。

 布団のように被さった糸は素早く孝志郎の体を絡め取り、しめ上げる。

「むぐッ!?」

 首から下をきつく食い絞める糸。その苦痛に悶える孝志郎を浮遊感が襲い、次の瞬間にはガラス玉の六つ目を目の前にした逆さ吊りにされていた。

 透きとおった大小様々なクモの目。彩りのないそれとは逆に、歯を噛み合わせての嘲笑が激しく怪物の考えを主張している。

 「キサマごとき小僧の狙いなど手にとるように分かる」と。そう言わんばかりのけたたましいあざけり。

 無機質な外見には似つかわしくないその表情。そしてそれをまったく否定できない自身の翻弄されぶり。その悔しさに、孝志郎は歯をきしませる。

 その悔しさを闘志に、次いで心命力へ変換。ヨナキの雷として放ち、自爆覚悟で縛る糸を焼き切ろうとする。

「ぐあッ!?」

 だが孝志郎が気をこめて力んだ刹那、その身に食い込む糸がさらに強く絞まる。

 苦痛に上書きされた心は集中を乱し、亀裂の入った封印すらつらぬくことなく終わる。

 封印の中で霧散する光。それを認めて、アラクネ人形は締め上げを緩める。

 それを狙い、孝志郎が再度気合を。だがしかし、闘志をくべた心は案の定苦痛の冷や水を浴びせられ、鎮火されてしまう。

 この二回で孝志郎は、自身の精神、生命双方の力をこめるタイミングが完全に見切られていることをさとる。

 おそらくは縛る糸からわずかな力の膨張を察して、合わせているのだろう。

 二度の邪魔に対する怒りをこめてクモの目をにらめば、噛み合わせる音が愉悦にリズムを刻む。

 もはや完全に孝志郎を捕らえ、あとはいつしとめるも自由と言わんばかりの化けクモ。

 事実、さんざんに痛めつけられた孝志郎は、重力に逆らってあごを引くのもやっとというありさま。

 そんな孝志郎を、アラクネ人形はただ無力なエサと見下している。

 おのれの優位は磐石と信じて疑わず、ゆるゆると腕を持ち上げる金属の化けクモ。

 孝志郎はもう吊るされたまま身じろぎもせず、ただ自身へ降り下ろされるであろう爪をながめる。

 月明かりに妖しく光る鋭利な爪。

 五つの研ぎ澄まされたナイフを思わせるその上を、かすかな光が雫のようにすべる。

 そして切っ先からいっせいに落ちるきらめき。

 と同時にその輝きを追い越した爪が孝志郎の顔へ。

 だがその瞬間、孝志郎の首はわずかに傾き、爪の狙いから外れる。

「待ってたぜ! この時をッ!」

 かすめた爪に裂かれた肌から血が溢れる。が、孝志郎は首と頬から上がる苦痛を無視。固く握った右拳から光を放つ。

 アラクネ人形が慌てて拘束を強めるがもう遅い。

 絶対優位の確信。

 もはや反撃の目が無いと見切った慢心。

 その間隙を突いて弾けた稲妻は、すでに封印の水晶を内側から砕いている。

『おぉおおおらぁあああああッ!!』

 雷鳴。

 そしてそれに重なり共鳴する雄叫び。

 轟く音よりも早く迸る稲光は、孝志郎の身を縛る糸もろともに焼いて包む。

 少年の体を隠すまばゆい輝き。さらにその上を黒雲が覆う。

 光と雲。二重に覆い隠された孝志郎。

 対するアラクネ人形は腕を振るい、渦巻く雷雲を糸で囲む。

 そして輪が出来あがるや否や、すぐさまその囲いを締め狭める。

 だが雷雲を輪切りにしようとクモの糸が触れると同時に、雷鳴が轟いて光が天を刺そうと駆け昇る。

「セェイヤァアアアアッ!!」

 鵺忍、幻雷迅へと変じた孝志郎。

 夜空におどりでた屈強な忍は、宙返りの勢いのまま雷光の手裏剣を投げ放つ。

 十字。八方。棒にクナイ。

 多様な形に固めた雷は、雨あられと化けクモへ降り注ぐ。

 それにアラクネ人形は腕を盾に、声もなく雷の雨に耐え続ける。

 絶え間なく弾ける雷光。その光と音は嵐となってアラクネ人形を包む。

『孝志郎、いけるかッ!?』

「やるしか、ないだろうが!」

 夜闇を押し返す光を眼下に、幻雷迅は額当てのヨナキに向けて叫ぶ。

 そして重力に引かれるままに地を踏むと、腕を広げながら回転。その勢いに乗せて手裏剣を上空へと打ち上げる。

 空を引き裂き昇る十字の稲妻。

 その先にはほぼ真円に満ちつつある月が。

 届くはずのない高み。そこにあるはずのものにしかし、雷光の手裏剣は的を打つようにぶつかり刺さる。

 刹那、満月に見えるそれを中心に空が揺らぐ。

『ギィィイァアヤァァアアアアアアアアッ!?!』

 甲高い悲鳴と共に波打つ空。

 その波紋の中心点を見据えて、幻雷迅は硬質なマスクの前に両手で印を結ぶ。

「風遁・黒雲嵐ィッ!!」

 遁術の宣言に続き、満月を黒雲が隠して雷鳴が轟く。

 轟雷を伴う嵐を受け、空の波紋が激しさを増す。

 やがて波立ち歪んだ空間は大きく崩れて破れる。

 崩壊する空間。

 そこから幻雷迅の体は、明るい校庭に投げ出される。

「うぐ……ッ!?」

 眩い昼の日差し。突き刺さるようなそれに照らされながら、幻雷迅はグラウンドに転がり倒れる。

 そして仰向けに倒れた姿勢のまま、幻雷迅の体は黒雲に変わって霧散。孝志郎の姿に。

『おい孝志郎?! おい、しっかりしろって!?』

「悪い、ちょっと、無理……」

 そこへヨナキが慌てて声をかける。しかしダメージの積もった体と、切れてしまった緊張に孝志郎は抗うことが出来ず、眠るように意識を失ってしまった。

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