夜光の先触れ
《ねえねえ孝くん。今度の連休って予定入ってる?》
夜の日野家。
孝志郎は自分の部屋のベッドにうつ伏せに寝そべりながら、裕香と繋がった携帯電話を顔に当てていた。
「ん? まだ決まってないけど、どうかした?」
携帯を通して聞こえる愛しい相手の声。孝志郎はそれに何気ない調子で答える。しかしその口角は柔らかく持ち上がっている。
《ふふ、実はね……ちょっとまとまったお休みが貰えたから、帰省する事にしたの》
「マジで!?」
不意に告げられた帰省の予定に、孝志郎は跳ねるようにして四つん這いになる。
『お、おい孝志郎!? ウチがいるのを忘れとらんか!?』
その勢いでベッドに転がっていたヨナキが跳ね上げられ、抗議の声を上げる。
だが孝志郎はら黒雲を毛に包まれた羊のように纏った相棒を掴まえると、枕のように下敷きにして抗議ごとに押し潰してしまう。
《うん。ホントホント。だから帰って来たらデートしよ?》
そんな年下の恋人の反応を電話越しに感じとってか、裕香から笑うような息づかいの混じった誘いが。
「うん、うん! するよ、しようよ!」
そんな裕香からのデートの誘いに、孝志郎は目を輝かせて頷く。
『うぐぅえぇえ……こ、こうしろぉおお……!?』
電話越しに繰り返し繰り返しうなづく孝志郎は、腕とそこから伝わる暴力的なまでに膨れ上がる歓喜で相棒を押し潰していることに気づきもしない。
《じゃあ行く場所はどこにしようか……》
「あ、待ってよ裕ねえ! それは俺に任せてよ!」
流れのまま出かける先を決めようとする裕香を遮る孝志郎。
《え、でも……》
「いいからいいから! 俺に考えさせてって! どこに行くかは当日までのお楽しみってことでさ、ね?」
裕香は成人一歩手前の年上としてリードしようと考えていたのか、声に逡巡の色が浮かぶ。が、孝志郎はそんな裕香に提案した勢いのまま押し込む。
《うん、わかった。じゃあ孝くんにお任せするね。楽しみにしてるから》
年下の背伸び。五つ上の恋人であろうともエスコートして見せる。
幼く、しかし眩しいほどに純粋なその思い。
裕香は孝志郎のそんな年相応の思い切りを察してか、恋人の提案を受け入れ、任せる。
「ああ! 任せといてって!」
《うん。それじゃあね。お父さんたちや、いおりに愛にも連絡しないといけないから》
「うん、おやすみ裕ねえ!」
《おやすみ、孝くん》
そして電話を通して眠りの挨拶をかわすと、孝志郎は名残を惜しみながら携帯を顔から離し、通話を切る。
「……っしゃあッ! 頑張って計画考えないと! 裕ねえなら絶対外せないのが……」
直後、携帯を折り畳みながら握ってガッツポーズ。そのままウキウキと輝いた目のまま楽しい悩みに頭を捻り始める。
『……うぉおぉぉいぃ、いい加減、ワシにも気付いて……』
そんな孝志郎の下からの苦しげなうめき声。
孝志郎がそれを辿って視線を下ろせば、そこには自身の下敷きになり、文字通りに声を絞り出されたヨナキの姿が。
「おぉう!? ヨナキ、なんでそんなことに!?」
相棒の状態にようやく気付いて、跳ねるように退く孝志郎。
重しが外れたことでヨナキは深く息を吸って吐き、その黒雲に覆われた体を伸ばし解す。
『……ったく、浮かれててヨナキの状態に気づかないなんてひでぇ相棒だぜ』
「いやーゴメンゴメン」
ジト目で睨みながらの声に、苦笑いで謝る孝志郎。
『ゴメンですむかっての! 心命力込めて潰されながらその力で治療され続ける苦しみがお前に分かるかッ!?』
「うわぁ……それはキツそう……」
噛みつくように吠えるヨナキの言葉に、孝志郎は堪らず頬を引きつらせて身を引く。
『キツそうどころの話じゃないってぇの! お前にも一度味あわせてやろうかぁあ!?』
腰の引けた相棒へ、ヨナキは怒りのまま膨張。忍者ヒーローへの変身時と同じように、巨大化した頭で孝志郎の頭に食いつこうとする。
『おらストップ、ストップ。それ以上の騒ぎはなしよ、だ』
が、その間に小さな隻腕のサメ魚人、エッジが割って入る。
『大騒ぎして母ちゃん父ちゃんに怪しまれたらどうすんだ……』
『バカな! 俺様が出遅れ!? 俺様よりも早い!?』
だが取りなしに入るエッジの言葉を遮って、ムカデのバンジョウがその長い体をくねらせ悶える。
『早さが第一、仲間内で第一の俊足たる俺様が遅れた!? だが切り替えの早さもさすがの俺様! ならばさらに、もっとより早く早く早くなればいいじゃねえか! 目的をくれてありがとうよエッジ! ヒャッハアッ!』
『うるせえ騒ぐなってんだろッ!』
悔しさのあまり早口に捲し立てつつ悶えていたかと思いきや、半ばから向上心に燃え出して礼まで言うバンジョウ。
対するエッジは、せっかくまとめに入ったのを邪魔されたことに鋭い歯を剥き出しに怒る。
『ヒヒャ、悪いな! だがもう安心だ、俺様が間に入り直してスピード解決してやるからよぉ! ヨナキよぉ、孝志郎も夢中だっただけで悪気は無かった、つまりこれは事故だ。過ぎたことは水に流して許してやろうじゃーねーか、な!?』
だがそんなエッジの怒りをまるで気にした様子もなく、バンジョウはヨナキと孝志郎の間にその長い体を割り込ませると、早口に捲し立てる。
『お、おう……』
意見を挟む余地すら無いバンジョウの勢い。それにはヨナキも首を縦に振るしか無かった。
が。
『ああ、ああ、みなまで言うなって! そうは言ってもあの拷問はキツかったってんだろ?』
バンジョウの勢いは反論どころか返事さえ振り切っていた。
『分かってる分かってる。だからこーしたらどうよ? 今日いまのいまからちっとの間、孝志郎には心命力を多目に出してもらうってーのはよ?』
『お、おい? おいどんは別に……』
『ヒヒヒャハハ! 心配なんざいらねーって、孝志郎はしばらく浮かれて浮かれてハートが喜びフィーバーってとこだろーよ。増える分いただく分には何にも問題ねーだろぉ?』
そこまで周囲の言葉を無視して、バンジョウは顎を鳴らして身を一くねり。「どや?」とばかりにヨナキ、孝志郎を交互にみやる。
『返事くらい聞きやがれってんだよぉッ!』
だが、そのバンジョウのドヤ顔を横合いからサメの牙が急襲。
『なんの!』
だがバンジョウは長い体を振ってエッジの牙を回避。
『ヒャッハア! 今度は俺様のが速かったな!』
そしてねじり振り向くと、エッジの背ビレへ向けて顎を鳴らして得意顔を強める。
『こなくそ!』
それにエッジは歯を剥いたまま、右腕のヒレに水の刃をまとわせる。
『来るか? 来るか? いいねいいね、俺様速さ比べは大歓迎だぜ!? ヒヒャア!』
『こんの速さ比べバカがッ!』
煽るように身をくねらせるバンジョウと、刃を構えて身を沈めるエッジ。
「おいバカやめろって!」
『落ち着けお前ら! さっき言ってたこととやってることが真逆だぞ!?』
両者一触即発の緊張の中、今度は孝志郎とヨナキが揃ってなだめに入る。
だが水刃のサメと煙ムカデはまるで気にも留めずに殺気を強めて行く。
「おい、おいおいちょっとぉ!?」
『シャレにならんぞこれぇ!!』
高まる緊張。
それに焦りも露わに孝志郎とヨナキのコンビがうろたえ声を上げる。
止めねばとの焦りのまま、孝志郎はこの場で、自室での変身をも考え、拳を固めて構える。
だが孝志郎が動くまでもなく、睨み合うエッジとバンジョウは砂に包まれ固められる。
『うご、ご!?』
『もぉお……うるさいんだなぁ……』
瞬く間に出来上がった砂だるまから漏れるうめき声。それに続いて間延びした、しかし苛立ちのこもった声をセンミンが上げる。
『センミン!』
いつの間にか現れていた砂亀の名を呼ぶヨナキ。
だがセンミンは普段から眠たげな目を特にしかめただけで、名を呼ぶ声に答えもせずに首を甲羅の内へ。それに続いて砂に覆われた仲間たちと共に姿を消す。
「……一番怒らせちゃいけないのはアイツだよな」
『……まったくだ』
睨みあっていたサメとムカデが姿を消し、すっかり静かになった部屋。その中で孝志郎とヨナキは、引きつった顔を見合わせてうなづき合う。
※ ※ ※
そんな騒動のあった翌日。
孝志郎は休み時間の教室で携帯を使って情報を検索していた。
「んー……裕ねえが出るって言ってたやつはまだまだ上映されないしなぁ……やっぱヒーローショーメインだよな」
液晶画面とにらめっこしながら一人呟く孝志郎。
その顔は眉こそ悩ましげに歪んではいるモノの、口元は柔らかな笑みを湛えている。
「お、やけにゴキゲンじゃんかよぉ、日野?」
そんな孝志郎に早人が近寄り、肩に手を乗せる。
「なんだよ三谷、重いんだよ」
体重をかけて携帯画面を覗こうとする友人。それに孝志郎は半目を上に見返す。
「まあ失礼しちゃうわね! アンタよりずいぶん軽いわよ、具体的には三キロくらい!」
すると早人はわざとらしく無駄なしなを作り裏声でほざく。
「背も俺より低いだろ。具体的には五センチ」
「おぐふ」
そんな友人をジト目で見上げたまま言い返せば、早人は胸を抑えてうめく。
「ごふ、ふふふ……言ってくれるじゃねえか、日野ぉ……いってくれるじゃねえか」
心を抉る一言に胸を掴みながら、早人はぐったりと孝志郎に寄りかかる。
「だから重いっての!」
孝志郎は増した重みに煩わしげに言いながら振り払おうと身を捩る。
「……おぶさりてぇえ……おぶさりてぇえ……」
しかし早人は抵抗する孝志郎に、おどろおどろしい声を添えてさらにのし掛かる。
「なんの妖怪か怨霊だ!? 重いし暑苦しいんだって!!」
それに孝志郎は律儀に突っ込みながらさらに強く身を捩る。
「……もらったぁ!」
「な!?」
だが孝志郎が振り払うのに集中したところで、早人は孝志郎の手から携帯をかっさらう。
「なんだ? 遊園地のイベント情報……?」
「ああもう! 返せよ!」
画面に映る検索情報を覗き、首を傾げる早人。
その手から孝志郎は素早く自身の携帯を奪い返し、それを庇うようにして覗き見た早人を睨み付ける。
「や、悪い悪い。悪ノリし過ぎたわ。許してくれ」
その孝志郎の反応にはさすがに早人も自分のやり過ぎを悟って素直に謝る。
「……ったく、調子に乗りすぎなんだよ」
あっさり素直に謝られて勢いを削がれた孝志郎は、深いため息に乗せてぬるくなった怒気を吐きだす。
「やぁ、だから悪かったって……で、ゴキゲンであんなの調べてたってことは、近々遊びに行くのか?」
両手を上げて降参の姿勢を取る早人。そして姿勢はそのままに誤魔化し笑いと共に質問を一つ。
「ああ……まぁ、な」
対する孝志郎は照れくさそうにはにかみながらも、素直に頷いて予定があることを認める。
が、それがいけなかった。
「あ、その反応! あの人だろ、あのバインバインの彼女さんッ!?」
「まず……!」
孝志郎の反応から「誰」との予定なのかを悟った早人が、大声を上げる。
それに孝志郎は自分のうかつさを悔むがもはや後の祭り。
「写真だ! 画像を見せてみろ!」
「奪え、日野から携帯を奪え!」
話を聞いていきりたったクラスの男子たちが孝志郎の席に殺到。
「はぁ……ホレ」
そんな嫉妬のあまり殺気だった男子たちに、孝志郎はため息を一つ。こうなっては抵抗したところで騒ぎが大きくなるだけ、と諦めて写真データを画面に呼び出して差し出す。
「な!?」
「これが、これが! この人がッ!?」
携帯液晶に映った写真画像。
それに詰め寄った男子たちが揃いも揃って目を見張る。
邪魔にならないようにまとめられた長い黒髪。
形の良い眉の下には、黒い瞳が何物にも翳らないほどに強く輝いて。
整った鼻に続く唇は、笑みに白い歯を覗かせている。
運動を終えた後なのか、拭き残りの汗に濡れたその笑顔は大人びていながらも成人を前にした若々しさに輝いている。
派手では無いが、健康的な美貌。
それと同じく目を引くのが豊かな胸。
着ているTシャツを大きく押し上げ膨らませるそれは、きちんと布に包まれていながら、少年たちの視線を釘付けにする。
「……もういいだろ?」
そんな自撮り画像に見入る男子たちから隠すように、孝志郎は画面から写真を消して携帯そのものもポケットに仕舞う。
「ちくしょぉおおおッ!!」
「なんだあの美人! なんだよあの特盛ッ!?」
「コピーして頼む日野!」
それをきっかけに詰め寄った男子たちは一斉に膝をつく。
そのあり様に、孝志郎は親しさの証明、加えてちょっとばかり自慢したくなったとはいえ、写真が過激に過ぎたかと内心で舌打ち。
だがその直後、ふと孝志郎は教室の空気に含まれた異質なモノに気がつく。
「こいつは!?」
鼻を動かし、嗅ぎ取った気配に視線を巡らせる孝志郎。
その目に飛び込んできたのは、一人の例外もなく顔を伏せたクラスメイトたちの姿。
席に着いていたのは机に突っ伏し、立っていた者たちもまた床に倒れている。
「おい!? おい三谷!?」
孝志郎は頭を過る最悪の事態に青ざめると、すぐそばに倒れる早人を仰向けにひっくり返す。
目を閉じた早人。
しかし強引にひっくり返したにも関わらず、そのまぶたは微動だにしない。
苦悶の色の無い顔に穏やかな呼吸。
そんな安らかな寝顔を、孝志郎は軽くはたく。
「おい! おい起きろって! おい!?」
しかし刺激を与えながらの呼びかけにも、早人はまるで起きる様子が無い。それどころか安らかな寝顔はまったく崩れる事なく、目覚めの強制に眉を寄せさえもしない。
さらにつねったり、くすぐったりとさまざまな手を試してはみたが結果は同じ。早人は何一つ反応する事なく、ただ安らかに眠り続ける。
恐らくはクラスの全員が陥っている異様な眠り。その唯一の例外は自分。
「新手の幻想種かッ!?」
そうしてこの現象の元凶に思い至り顔を上げる孝志郎。
するとその視線の先、窓の外から教室を覗く牛と目が合う。
が、牛と見えたそれは頭だけで。首から下はまったく違う生き物のものであった。
巨大な牛頭を支えるのはワニの胴。
その両脇にはまた巨大な鳥の翼が。
しかし腰から後ろは三毛の巨大な猫のそれ。だが尻尾だけは大きく広がった金魚の尾びれである。
『ウヒィイイイイイッ!!』
そんな混合獣は甲高い声を長々と一つ。
窓ガラスをビリビリと震わせると、翼を広げて窓から離れる。
「グッ……ヨナキッ!?」
不意打ちの大音声。それに顔をしかめながら、孝志郎は右手中指の指輪を弾いて振り向き、教室の外へ。
クラスメイトを蹴散らさないように走りつつ、輝く拳を額へ寄せる。
孝志郎の頭を口に含む猿頭の幻影。
そこから広がる黒雲にその身を包まれながら孝志郎は廊下へと転がり出る。
「ええあぁあッ!」
そして雄叫びと共に黒雲から雷光が飛び出す。
稲光は目の前の窓を音を立てて横スライド。ひび割れたそれを脇に校舎の外へ飛び出す。
虎か雷か。
派手な忍装束のヒーロー幻雷迅は飛び出た勢いのまま身を捩り、腰のロープを投擲。屋上を囲むフェンスに引っかけ、同時に全開で巻き上げる。
上昇しながら振り子軌道を描いて外壁に近付く鵺忍。
接触と同時に手足で外壁を叩いてその動きを反転。一気に建物の天辺を越える。
合わせて幻雷迅はフェンスに噛みついた牙を外させ宙返り。屋上へ片手片膝をついて着地する。
振り上げたその顔の先には、先に教室の窓越しに見た合成鳥が羽ばたいている。
『ウゥヒィイイイイイイイイッ!!』
『くっそ! 色々混ぜ込んだ混沌の肉体がワシと丸被りじゃないか!!』
奇声を上げる牛頭の怪鳥。それを見上げる幻雷迅の額当てが忌々しげに歪む。
「キマイラなのはそうだけど、パーツは全然違うだろうが」
そんなヨナキの言葉に幻雷迅は冷静に返しつつ、半身の構えを取る。
右手刀を前に、左腕を引く幻雷迅。
その次なる動きを見逃すまいとしてか、牛頭怪鳥は三日月の瞳で幻雷迅を見下ろしている。
「せぇあッ!」
こちらを観察する月瞳。
それに構わず幻雷迅は腕を一閃。雷を凝縮した手裏剣を投げる。
稲光が弧を描き、牛頭怪鳥目掛けて空を裂く。
『ウヒィ!』
しかし牛面の巨怪鳥は奇声と羽ばたき一つ。雷手裏剣の軌道から外れる。
その逃げた先を追って手を休めずに手裏剣を打つも、牛頭怪鳥はその巨体に似合わずひらひらと雷光から逃れ続ける。
そして一際大きく羽ばたいて避けると同時に、幻雷迅目掛けて急降下。
「ヤァアッ!」
対する幻雷迅は怯まず手の中に握っていた雷手裏剣を打つ。
しかし体重のままに落ちてくる牛頭怪鳥は、突き出した鋭い角で手裏剣を突き壊す。
『ウッヒィイイイイイッ!!』
眼前で弾ける雷を破り、牛頭は高々と声を上げて突撃。
声のままに勢いを増したその顔は口の端を深く引き、勝利の確信に笑んでいるように見える。
「クッ!」
だが正面切っての突撃を易々と受けてやる幻雷迅ではない。苦しげな声をつるりとしたスモークマスクの奥から漏らしながらもバックステップ。頭から突っ込んでくる合成鳥をかわす。
しかし勢いのまま屋上に激突するかに思えた牛頭は、翼と巨猫の足で音も無く着地。すかさず跳ねるようにして飛び退いた幻雷迅を追う。
それに幻雷迅は右指の間に握っていた雷苦無を打ちつつ、床面を踏むと同時に横っ飛びに飛び込む。
『ウゥヒヒヒィ!』
牽制の苦無。それを首の一振りで薙ぎ払って、怪鳥もまたヒレの尾を翻して方向転換。床を叩いて跳ね逃げる幻雷迅を追撃する。
『調子に……』
「乗るなッ!」
だが幻雷迅は額当てと声を合わせて叫ぶや否や反転。振り向きざまに放った飛び込み蹴りを真っ向から牛頭に叩き込む。
轟く雷鳴。
打ち込んだ蹴り足から稲光が弾けて閃く。
『ウヒィイイイイッ!!』
「む!?」
しかし牛頭怪鳥は微塵も怯みもせず、首を振り上げて鵺忍の蹴りを押し返す。
蹴りもろともに跳ね返されて飛ぶ幻雷迅。
だがただ押し返されるばかりでなく、自ら跳躍した幻雷迅は大きく後ろ周りに宙返り。両手に握った雷を雨のようにばら撒く。
しかしやはり雷手裏剣は牛頭怪鳥の皮膚を貫くことなくその表面を弾けて流れる。
『ウゥヒヒヒヒィイ!』
嘲笑じみた奇声も高らかに、大きく羽ばたき迫る怪物。それに幻雷迅は通用しない手裏剣を投げつけながらの逃げの一手。
『ウゥウヒィイイイイイッ!!』
それに牛頭はさらに勢いづき、フェンス際の幻雷迅目掛けて翼を広げて躍りかかる。
『……かかったなマヌケが』
「風遁、黒雲嵐!」
だが角を突き出し迫る怪鳥にヨナキの額当てが嘲笑。
続いて幻雷迅が手に印を結んで遁術の名を唱えれば、怪鳥の牛頭が黒雲に覆われる。
黒雲の内から響く大雷鳴。
稲光閃く黒雲は悲鳴さえもその内に封じ込め、光と音とで怪物の脳を揺さぶる。
その揺らぎのままに怪鳥はバランスを失い、軌道が狂う。
崩れながらも慣性のままに近付くその巨体を前に、幻雷迅はふわりと跳躍。黒雲に覆われた怪物の頭を飛び越える。
幻雷迅のマスクの下で、役目を終えて散りゆく嵐雲。
それを破って現れる目を回した牛の顔。それに鵺忍は首から外した長いマフラーを巻きつけ跨る。
音と光に狂った目を塞がれて、牛頭怪鳥はフェンスを越えて虚空へと忍を乗せたその身を放り出す。
これが幻雷迅が戦闘開始から狙っていた一手。
逃げに徹して調子づかせて、この状況に誘い込んでいたのだ。
そうして怪鳥と幻雷迅は屋上から一塊になって落下。
その先には水の張ったプールが。
衣替えの時期も過ぎ、授業で使われなくなってすでにしばらく。しかしそこに満たされた水は未だに流し出されてはいない。
「出番だ、エッジッ!」
『応ともさ!!』
揺らめく水面へ向かいながら、幻雷迅はその身を青い光に包む。
その直後、巨体の着水に大きく柱を成して水が割れる。
跳ね上がり、雨となってプールへと還る飛沫。
『ウビィ! ゥヒィイッ!?』
降り注ぐ水飛沫が波紋を立てる中、濡れたマフラーに覆われた牛頭が水面を突き破って飛び出す。
溺れもがき、水から脱出しようと羽根と足を暴れさせる怪鳥。
しかし水を叩き乱すその翼の右片方が、不意に根元から切れて落ちる。
『ウムブィイイイイイイイッ!?』
塞がれた顔から洩れるくぐもった叫び。それが止まぬうちに今度は逆の翼が半ばから切れて水の中へ。
痛み。
恐れ。
混乱のままに乱された水の中。その中を右腕に刃手甲「鰐鮫」を装備した幻雷迅が影となって飛び渡る。
そう。水に落ち、あまつさえ翼を食いちぎられた牛頭怪鳥は、もはやこの水中に潜んだ鮫に食われるのを待つ肉に過ぎない。
『いくぜ孝志郎ッ!!』
『ああ! もうひと思いにッ!』
もはや決した大勢にサメの額当てが叫び、幻雷迅が水底で腰を沈め、右腕を弓引くように構える。
水底を蹴り上がりながらの逆さ縦一文字。
幻雷迅は鋭い軌跡を残して魚が跳ねるように、宙へ舞い上がる。
そして鰐鮫を装備した鵺忍は宙返り、荒れ狂う水面へ降り立つ。
すると水を波立たせもがいていた怪物の動きが不意に止まり、その体に一筋の線が走る。
「迅流鋭命! 清めよ、その幻影ッ!!」
そして幻雷迅は怪物に背を向けたまま、清めの言霊を短く詠唱。
その直後、怪物の体は刻まれた線を境に二つに分かれ、プールの中へと沈んでいく。
沈むまま水に溶けて行く幻想の怪物。
その様を幻雷迅は振り返って見守ると、水面に浮かんできたマフラーを掴んで引き上げる。
そして幻雷迅が濡れたマフラーを手に教室を見やると、その後頭部を鋭い衝撃が襲う。
「がッ!?」
『孝志郎ッ!?』
崩れるように力を失い、沈み始める幻雷迅。
だがその身は不意に現れた薄衣に包まれると、次の瞬間にはプールの上からも中からも消えて失せた。