無数駆足
「ハッ……ハッ……ハッ……」
熱を帯びた黒煙。
雲のように濃く分厚いそれの中を、雷が息を弾ませて閃く。
「ハアッ!」
鋭い気を吐きながら、煙雲から夕陽の中へと飛び出す忍者が一人。
「……ったく! どこまで行くつもりなんだあの野郎はッ!!」
煙の海から息継ぎをするように飛び出した幻雷迅。その煙ガラスを張ったようなつるりとした顔が見下ろす先には一面の黒煙が。幻雷迅ですら引き離すほどのス速さで進むモノに引かれて広げられている。
『やばいぞ孝志郎ッ! このまま行くとヤツが町に突っ込むッ! こんな熱い煙に燻されたら家にも火が付いて……エホッ! ゲホッ!?』
警告の途中で煙にむせて喘ぐ猿顔の額当て。
『ああ……クソッ! なんでワシが燻されなきゃならんのだッ!?』
涙を溢れさせながら、立ち昇る煙にぼやくヨナキの顔を模した額当て。
『エッジに代わっちゃいかんかッ!? なあッ!?』
『ああッ!? ふっざけんな! マジふざけんなッ! 有利不利じゃなくて自分が煙いって理由で俺を盾にするとかバカかッ!?』
「ダメだッ! 水無しで渡り潜りが使えないんじゃスピードは下がるッ! 意味もなく交代は出来ないッ!!」
涙目にぼやくヨナキを、エッジの罵倒と幻雷迅の一喝が叩き伏せる。そして煙の中へ飛び込み、煙を引き裂く稲光となって走る。
『ち、チィキショォオオウゥッ!? ゲッフェッ! ゲボォッ!?』
「うるさい気が散るッ! この前水中で平気だったクセしてなんで煙でむせてんだッ!?」
『普通の煙じゃ無いからだろうがッ!! ゲェッホッ! ただの煙でウチがこんなんなるかぁッ!? ウェッホォフッ!?』
立ち込める煙。視界の利かぬ中で言葉をぶつけ合いながら、鵺の忍びは走る。
その足取りは額当てが訴える異状による焦燥が見える。
「……クッソッ! こんなになるなら幻想種の反応を探すんじゃなかったッ!!」
火の着いたような足を緩めぬまま、幻雷迅は後悔を、苛立ちと固めて吐き捨てる。
その目は熱い煙幕の向こうを。
相棒が探し当てて、自身が寝た子を起こすも同然に招いてしまった事態の核へと向けられている。
「競走したいだけなら他人にまで迷惑かけるモンばら撒くんじゃねぇええッ!!」
煙の中に現れた看板を飛び越え、コースをカットしながら叫ぶ幻雷迅。
しかしその叫びは田畑の広がる先。町に向けて走る煙の根元には届かない。
※ ※ ※
そもそもの事の起こりは、ヨナキの放った分身が幻想種の気配を見つけた事から始まる。
「……ああもう! なんでこんな辺鄙なトコまで飛んでるんだよ!」
自転車を立ち漕ぎに、舗装された坂道を昇らせる孝志郎。
空色のTシャツの上にオレンジのベスト。そしてジーンズに運動靴と言う運動を邪魔しない姿で重いペダルを力を込めて踏み込んでいる。
その現在地は民家がポツリポツリとまばらに見えるばかりの坂道。
幻想種の気配が見つかったのは、くろがね市の外れも外れ。山端の閑静な町とも田畑を挟んだ北山への道であった。
『仕方ないだろう? いくら分身とは言え、分かれた後はヨナキの操作できるモンでもないんだからな』
遊園地であるアイアンマウンテンからも外れた山坂。追い抜くものにもすれ違うものにもめったに遇わない道を進む孝志郎の手で、猿の顔をした指輪がうめく。
「別にコントロールが利かないのを今さら責めるつもりはねぇよ」
そんな契約の法具に目を落として、孝志郎は一際深い鼻息を一つ。
「ただ、こんなトコまでわざわざ来て、仲間増やす必要はあんの?」
そして疲労感から湧いた疑問を指輪越しに相方へ投げかける。
ヨナキの特性である間接契約。
これは鵺のような正体の特に不確かな幻想種が持つ特殊能力であり、自身と相手の違いを曖昧にして心命力の流れを誤魔化し、間接的に契約を結んで別の幻想種の力を扱う事が出来るようにすると言うものである。
幻想種最強種族である竜族にすら不可能な、複数の相手と契約を結ぶ能力。これによって孝志郎とヨナキは、すでにエッジ、センミンと言う二名の味方を得ている。
「強力な術を持たせてくれる奴らが二人も居るのに、これ以上安くない報酬負担して仲間を増やす意味あんの?」
このように疑問を投げかけるように、孝志郎としてはこの二名に加えてさらに仲間を、と言うヨナキの考えには今一つ納得出来なかった。
間接契約を行えば、当然ヨナキ自身の取り分は減る。
もっとも、強力な契約者であれば竜族すら養って蓄えを持たせられるほどであるので、孝志郎にとっては間接契約の負担はあって無いようなものである。
しかしそれはそれとして、ヨナキがわざわざ取り分を減らしてまで味方を増やす旨みと必要性を見いだせない以上、孝志郎としては首を捻らざるをえない。
『いやいや……出る前にも言ったが、契約に誘うのは上手く行けば……程度の話だ。第一の目的は事件を起こす前に抑えることだからな』
自転車を漕ぎながら渋面になる孝志郎に、その右手中指の指輪が行動の優先順位を改めて説明する。
その説明の間に坂道は傾斜のきつい場所へと差し掛かる。
「そりゃ、まあ……! 先手を、打つのが、必要なのッ……は、分かるけどぉお……ッ!」
ぐん、と重くなったペダルに孝志郎は荒く呼吸を繰り返しながら、疲労に歪んだ顔で途切れ途切れに返事をする。
『おいどんで変身した姿が風、エッジで水、センミンが土。だもんで後は火も揃えば属性対応は言うこと無しっちゅう考えもあるがな』
『そう都合良く揃うモンか?』
『……だから、ついでに上手くいけば儲け物って話なんだなぁ。あふぁあ……』
ヨナキの目論みに、エッジが疑問の声を挟み、センミンがあくび交じりに第一の目的は別であることを改めて強調する。
「……確かにッ、そんだけ、揃えば! 頼もしい! よなぁッ!!」
指輪を通じて伝わってくるそんなやり取りを聞いているうちに、自転車の前輪は傾斜の緩いところに届く。
「……ッ、ふぅうう……」
体力を容赦なく奪う急斜面からの解放に、深く息を吐く孝志郎。
『おぉッ!? この気配、近いぞッ!?』
しかし解放感と安堵から息を整える途中で、響く警告。
『ヒャァッハァアアアアアアッ!!』
そしてその直後、煙をまき散らす長細いモノが孝志郎の傍を駆け抜ける。
「なッ!? ゲホッ! ゴホッ!!」
駆け抜けた後に残る熱い煙。排ガスの抑えが効かないポンコツ車のそれのように後に残ったそれに孝志郎はむせて咳こむ。
『オイ逃げられるぞ孝志郎ッ!?』
『早くした方がいいんだなぁ……』
動きの止まってしまった孝志郎を対照的な語調で急がせるエッジとセンミン。
「えほっ……ああッ! 変身ッ!!」
それに孝志郎は煙が沁みて涙の滲んだ目元を拭いながら、自転車を倒すように降りる。すると急いで契約の法具を弾き、輝くそれを額に近付ける。
下り坂へ向けて駆け出す孝志郎の頭は巨大化した猿の顔に咥えられ、全身が黒雲に覆われる。
「待てッ!!」
黒雲を破り飛び出す稲光。マフラーを靡かせた幻雷迅は、熱を含む煙を蹴散らして走る。
転がり落ちるように駆け下り、煙を散らすモノを追う忍者。
『ヒャアッハアアアッ!!』
しかし長いその身をくねらせ駆け下る煙の源は、奇声を高らかに這い走る。
「アイツ、ムカデかッ!?」
『あ、ああ! ゲホ、間違いない、ムカデの幻想種だ!』
後に残った煙に額当てを咳き込ませながら、先に下るハサミと針のある尻に向けて幻雷迅は足をさらに急がせる。
『んあぁ?』
その気配を察してか、二メートルは軽く超えるムカデの幻想種は前半身をくねらせて振り返る。
浮かばせていない百の足全てを動かし走り続ける、火炎模様に彩られた長い体。
そんな派手な彩りの化け百足は、接近する幻雷迅の姿を認めて大顎を深く開く。
『ヒャハッ!? やっとこの万丈様に追いついてこれるヤツが来たかッ!?』
待ってましたとばかりに楽しげに笑う、バンジョウと自称する怪物ムカデ。
「待てこのムカデッ! 何のつもりか知らん、が! 好き放題に暴れられちゃ……堪んないんだよッ!!」
幻雷迅は走るバンジョウを捕まえようと、前のめりにつんのめりながら手を伸ばす。
だが必死に伸ばした手に、先を行く化け百足は笑う顎をさらに深く歪める。
『だったら俺様に追いついて見ろよ! ヒャッハアアッ!!』
バンジョウが楽しげに言い放つや否や、その尻から煙が噴き出す。
「ぐわッ!?」
『ゲホ、ゲェッホォッ!?』
爆発じみた勢いで襲い掛かる噴煙に、堪らず怯む幻雷迅。
『オラ捕まえてみろよぉ!? ヒヒヒャハハハハハハッ!!』
その隙にバンジョウは百の足全てを地に着けて加速。煙と挑発的な笑い声を後に残して幻雷迅を一気に引き離す。
『ウェッホォフ!? ああックソッ!? 屁ぇぶっこいて加速たぁ……エホッ! なんちゅうヤツだ!?』
噴きかけられた煙にむせ喘ぐヨナキの額当て。
「やめろバカッ! マジで屁をかけられたみたいに思えるだろッ!?」
煙の出た場所からの連想に、幻雷迅は怒鳴りながら慌てて仮面を拭う。
視界を埋めた一際濃い煙を掻き分けて加速したバンジョウを追いかける。
「あ、もうあんなとこまで行ってやがる、ちっくしょッ!」
『孝志郎、とにかく起伏やカーブのある内に距離を詰めて追いつくぞ!』
すでに掌よりも小さくなっていたムカデの尻を見つけて毒づく幻雷迅。それを額当てのヨナキが急がせる。
「ああ! 分かってるッ!!」
急かす額当てに叫び返して、幻雷迅は掌に形成した円盤型の雷を正面へ投げる。
牽制の為、乾いた音を立てて空を走る稲妻手裏剣。
『ヒャッハアァッ!』
その接近を察してか、バンジョウは甲高い笑い声を上げて身をくねらせる。
右へ曲がるコースを描く下り坂。それを塞ぐ雷手裏剣を、バンジョウは大きく身を左へ振って回避。
そして長い身体の下から煙を噴き出しながら跳躍。手裏剣を煙の中に受け入れつつ飛び越える。
「クソッ! 速いッ!!」
牽制の手裏剣の回避に手間取った様子もなく、坂道を下るバンジョウを目で追い、幻雷迅は舌打ちしつつ跳躍。
そして真下に木々の茂る坂道の間を横切りつつ、腰のフックロープを射出。
蛇の頭を模した先端のフック。それが道路へ食らいつくと同時に、幻雷迅はロープを巻き取って空中で加速する。
「エヤァアアアッ!!」
ロープの巻き取りを利用しての空中機動。そうしてバンジョウの上を横切りながら、鵺の忍びは雷の釘を投げつける。
『ヒハッ!』
だがバンジョウはまたも煙を撒きながら、左半身を持ち上げた姿勢で棒手裏剣のすき間をすり抜ける。
まんまとかわして煙に霞むそれに、幻雷迅は仮面の奥で舌打ちを一つ。
地面に噛みついていたスネークフックを外して腰に巻き戻すと、左手と両足からアスファルトの地面へ着地。横滑りに火花を散らしてブレーキ。
「逃がすかッ!」
そして地面を削りながら、空いた右手で煙幕の中へ手裏剣を投擲。続けて横滑りの勢いも制し切らぬままに踏み出し、なびくマフラーの尾を引いて自らも煙の中へと飛び込む。
「おりゃぁあッ!」
黒煙の奥に霞む影。それを狙って躊躇なく幻雷迅は突っ込む。
「……ッ!? なぁッ!?」
だが飛び出した先に出てきたのは、転落防止のガードレール。
「ウッグッ!?」
とっさに足を突き出したものの殺しきれぬ勢いのままに激突。レールを破った衝撃に呻く。
『孝志郎ッ!?』
「グクゥッ、分かってるってッ!」
幻雷迅は額当てからの声に、うめき声を噛み殺して自身の突き破ったガードレールの裂け目につま先を引っかける。
「フゥッ」
そして鋭い吐息と共に現前に迫った壁面を叩き、つま先を軸にした振り子軌道を反転。バク転に道の上へと復帰する。
「……っぶねえぇ……裕ねえならこうするってのがイメージできてよかった」
言いながら仮面の顎先を手の甲で拭う幻雷迅。
しかし安堵の息と共にそう呟くが、とっさにイメージした動きがトレース、実現出来るだけの筋力と反射の強化が成されていることの方が大きい。
変身していなければトレース元の裕香であっても失敗は必至。先ほどのはそれだけのコミック張りのアクションであった。
『息を吐いてる場合じゃないッ! 引き離されるぞッ!!』
「っと、ヤバいッ!!」
脱した危機に緩み掛けた気。それを相棒の声をきっかけに引きしめて、幻雷迅は道を隠す煙へと顔を向けて駆けだす。
走る幻雷迅の足から脛、膝へと徐々に高さと濃さを増すバンジョウの煙。
それが腰を隠す程の濃さになる前に、鵺の忍びは踏み込み跳躍。
「はあッ!」
幻雷迅は煙を眼下にマフラーをなびかせて宙返り。堅く舗装された壁に足を付ける。
煙の及ばない足場。それを地面と平行に走り伝い、坂を下る煙の根本を追う。
「行かすかッ!!」
壁走りに足を急がせつつ幻雷迅は手の内に作った手裏剣を煙の奥へ投げ込む。
『ヒャハッ!? もう追いついてきやがったか!? 待つ必要は無かったなあ、こりゃしつれー千万! ブヒャハハハハハハハハッ!!』
しかし煙の向こうから出てきたのは、風呂桶すら溢れるほどに余裕たっぷりな笑い声。
「化けムカデが、バカにしやがってッ!!」
バンジョウの笑い声に忌々しげに吐き捨てながら、幻雷迅は壁を踏み切り跳ぶ。
宙を横切りつつ手裏剣を投擲。
と、同時に投げ放ったスネークフックが、正面壁上の木の幹に絡みつく。
先端の固定に続いて突っ張るロープ。そこから幻雷迅は大きく振り子軌道を描いて敵の背中へ。
「エヤアアアアッ!」
上から追いかけながらさらに手裏剣を打つ幻雷迅。
絶え間なく投げ続けたそれは、三日月軌道を描く機銃掃射さながら。煙の出どころを追いかけ狙う。
『ヒヒャハァアッ!? うおう、怖え怖え!』
しかし煙を撒き走るバンジョウはスリルを楽しみ味わうかのような笑いと共に蛇行。尻から背中にかけて降った雷手裏剣たちはかわされ、煙の中と外に爆ぜて散る。
「余裕綽々なのも……」
『ここまでだッ!!』
だが回避のためにわずかながら、しかし確かに遅れたバンジョウの足。
その間に弧を描いた幻雷迅は迫る壁を恐れず、ムカデの頭上を越える。同時に、その両腰から光の粒が溢れ出す。
星光を撒いたように広がる煌めき。それは煙を引いて走るバンジョウの背から、その前方の道を埋めるように落ちる。
『ヒギャハァアッ!?』
直後、バンジョウを中心に弾ける稲光。
悲鳴を打ち消すほどの轟を伴い生まれた嵐は、走り続けていた化けムカデの身を吹き飛ばす。
突き上げる雷光に長い体をひっくり返すバンジョウ。その一方で、幻雷迅は木を噛む蛇鈎縄を解除。巻き取りを続けながら壁を蹴ってバク宙。通り雨に襲われたような濡れ道路へ、片膝立ちに着地する。
「風遁、地嵐菱ってね」
そして背後へ振り返りながら、術の名を告げる。
しかし別の名を付けてはいるが、基本は同じ風遁術「黒雲嵐」と変わらない。
違うのは、術の媒体であり起点であるモノを、撒き菱の形で足元にばら撒き、接触により発動するようにしている事である。
もっとも撒き菱とは言うが、瞬く間の雷雨を足元に巻き起こすその性質上、地雷と呼ぶべき術であるが。
『くぁー……目が、耳がガンガンガンガン……』
雷を伴う嵐に足を掬われたバンジョウは、顎を鳴らしながら長い体をくねらせ起こす。
だがその身を小さな雷光が掠めて地に弾ける。
「ここから先には行かせないからな」
雷手裏剣を投げた幻雷迅は、すでに掌に次の手裏剣を握っている。
仰向けになったバンジョウ。それに手裏剣を構えながら、幻雷迅はジリジリと間合いを詰める。
油断無く近づく摺り足。それにバンジョウが無数の足のいくつかを伸ばす。が、その爪先を弾ける雷が牽制する。
『おぉう、やるねえ……』
身を縫い止めんばかりの雷手裏剣に、バンジョウが大きな顎を固く鳴らす。
そうして火炎ムカデの影に雷のまち針を打ち込んで、幻雷迅は再び足をバンジョウに向けて滑らせる。
「お前、何のつもりでこんなトコで暴れてるんだ?」
息を整えて、抑えた声で尋ねる幻雷迅。
だがその問いに、バンジョウは頭を長い胴ごとに捻る。
『ああ? どう言う意味だ?』
なぜ問われているのかすら分からんと言わんばかりの問い返し。それに幻雷迅は化けムカデの頭スレスレに雷を投げる。
「とぼけるな」
威嚇に投げた手裏剣の代わりを作りながら、幻雷迅はさらに摺り足。
「こんな山道で、ただ走り回ってただけだとでも言う気か!?」
そして投げつけた手裏剣よりも鋭い声で、問いを重ねる。
『あ、そう言うこと』
だがバンジョウは、ぶつけられた尋問に対して、その意味する所をようやく理解できたといった風に捻った体を伸ばす。
『どうもこうも、俺様はただ競争相手探してたんだよ。ヒヒッ』
「なんだと……!?」
短い笑いで締めたその言葉に、幻雷迅は手裏剣を握る両手を強張らせる。
『言っただろ? 俺様は俺様に追いつけるヤツと、思う存分速さ勝負がしたかっただけなんだよ。ある意味じゃあお前が言う通りだわな』
そう言ってバンジョウは大きな顎を備えた口を鳴らして笑う。
『ヒヒャハッ! それにしてもお前速いな!? 中々悪くねえ速さだったぜ!?』
行く手を塞いで構える幻雷迅を称えて、上機嫌に笑う化けムカデ。
「何をッ!」
その態度に幻雷迅は手裏剣を握る手を振り被る。
『だがお前ら契約者だよな。一対二、ハンデがあった分、ちぃっとすっきりしねぇよな? ヒハッ』
もったいつけるような物言いに合わせて、幻雷迅を見やるバンジョウ。
「二対一……? 契約無しの幻想種だったとッ!?」
すると幻雷迅は視線と共に投げられた言葉に、驚き耳を疑う。
『ってワケでもう一勝負と行くぜッ! ヒャッハァアアアアアッ!!』
その隙にバンジョウは大顎を深く広げ、煙を噴き出し踊りかかる。
「クッ!?」
迫る大顎に幻雷迅はとっさに身の守りを固める。
だがバンジョウは腕を盾に固く攻撃に備える幻雷迅の脇を掠めもせずにすり抜ける。
「しまった!」
バンジョウのフェイントに、幻雷迅は慌てて振り返り、腕を伸ばして手裏剣を放つがもう遅い。焦り放ったそれは馬鹿正直な軌道を描いて煙を裂く。
雷の手裏剣を置き去りに身を翻したバンジョウは、そのままガードレールを飛び越えて固い壁となった崖を滑り落ちていく。
『孝志郎、早く追わんと!?』
「クソッ! なんてドジだよ俺はッ!」
決まりかけた勝負を仕切り直しに持っていかれた自身に毒づきながら、幻雷迅もバンジョウに遅れて崖へと身を翻す。
山裾から大きく広がる田畑を挟み、町を南奥に臨む光景。先に飛んだバンジョウはすでに煙を撒きながら町へ向けて走り出している。
それを追って幻雷迅は足下で雲海のように立ち込める煙に飛び込む。
分厚い煙の中、息を弾ませてバンジョウを追う幻雷迅。
むせ喘ぐ額当ての息継ぎを兼ねて度々煙を飛び出しては、煙の出所を確かめて最短距離でそれを追う。
しかし開けた場所では単純な速度に劣る幻雷迅には分が悪い。直線で追いかけてもその差は詰まるどころか広がる一方である。
そして遂にバンジョウは作物の隙間である畦道へと入る。
『ゲホ!? しめたぞ孝志郎、ヤツが水の近くに入った! エッジの出番だなッ!?』
煙から飛び出してバンジョウの現在地を確かめた額当てが叫ぶ。
「ダメだ、ここは俺たちだけでやる!」
だが喜色を帯びた相棒の提案を、幻雷迅はピシャリと却下。
『な、何でだ!? 状況に合わせて有利な形態を使うのは定石だろうが!?』
蹴り飛ばすような不採用。それを食らった交代案にヨナキが食い下がる。
『分かってねえなヨナキ』
だがそれにエッジが呆れたような鼻息混じりに一言。
『あのムカデ野郎がもう一勝負と出たのは、数のハンデに対する物言いだろうが』
「だからここは、俺たちだけでやらなきゃバンジョウを納得させられないだろ!」
相手のコースを封じるように手裏剣を投げ放ちながら、幻雷迅もまたエッジに同調。
「それに、ヨナキだってホントは納得いかないだろ? 契約者だからもう一勝負って言われて、仲間を呼ぶのはさ!?」
『ああ、クソ! そう言われちゃワシもやるしかないだろが!?』
内心に燻る意地をくすぐられて、半ばやけっぱちに叫ぶ額当て。
「そうこなくっちゃな!」
それを受けて幻雷迅は、飛び込んだ煙に雷を残して飛翔。さらに無数の手裏剣をバンジョウの行く手目掛けて打つ。
畦道を正確に打ち弾ける小さな雷。
『うおっほぉ!? やっぱやるもんじゃねえの!?』
四方八方を取り囲み弾ける雷光にバンジョウは無数の足で畦道にたたらを踏む。
「そらぁッ」
その隙に幻雷迅は手裏剣に混ぜて腰の蛇鉤縄を投擲。弧を描く無数の雷と共に大口を開けた蛇の頭がバンジョウへと迫る。
『ヒャハッ!?』
だが食らいつこうとするスネークフックをバンジョウはその場から跳躍して回避。
『ヒヒャハ! 見え見えだぜ、甘えんだよッ!』
手裏剣に被弾しながらも、フックロープによる捕縛から逃れるバンジョウ。
だが避けられたフックロープの先端は畦道にしっかと食いつき、宙へと続くその身を縮める。
『んなぁッ!?』
「せいやぁあああああああッ!!」
ロープの巻き取りで加速した幻雷迅は、未だ宙に浮かぶバンジョウの背中に足から飛び込む。
『うごはぁあッ!?』
叩き込んだ飛び蹴りをそのままに、湿り気を帯びた地面へとムカデの身ごと着地。泥が跳ね上がる。
「……どうだ!?」
ムカデを泥の中に沈めるようにして馬乗りに取り押さえる幻雷迅。
蛇を捕まえるように頭の付け根を掴み、足でその逆側を抑え込む念の入ったホールド。
『……ヒャハ』
それに身動き一つ取れなくなったバンジョウは小さな笑いを一つ。
そしてその身を煙に包むと、二メートル越えの巨体をどこへやら、幻雷迅の肘から先ほどの長さにまで縮ませる。
『いやー参った参った、降参だ。いい勝負が出来て楽しかったぜ。あとは煮るなり焼くなり好きにしてくれ』
幻雷迅の前で降参を宣言して、勝者へ進退をゆだねるバンジョウ。
そんな無抵抗なムカデの妖物に、幻雷迅の額当てが口を開く。
『ならばウチと契約だ。お前さんの速さ、存分に活用させてもらうからな』
ヨナキの口にした契約の申し出。それにバンジョウはその顎をギチギチと鳴らす。
『おいおい、そんなんでいいのか?』
「ああ、頼りにさせてもらうぜ、バンジョウ」
そう言って幻雷迅が手を差し伸べると、呆けていたバンジョウは誘われるままに出てきた腕に乗る。