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水遁「潜り渡り」

「……話じゃあこのあたり、だったよな?」

 くろがね市を流れる双羽ふたわ川。

 その下流域、サイクリング用に舗装された堤防の上。そこからTシャツにジーンズ姿の孝志郎が自転車に跨ったまま、昼の陽を照り返す川面を眺める。

 こうして孝志郎が一人、休日を川沿いのサイクリングに費やしているのには理由がある。

 学校で双羽川河口付近で起こる行方不明事件の噂を聞いたからだ。

 もちろんただの行方不明事件なら警察の仕事である。孝志郎としては被害者にならないように警戒することしか出来ない。

 だが、川の水が不自然に持ち上がり、陸上まで伸びてきて人間を引きずり込む、などという不気味に空想的な現象を耳にしては自身の領分として調査に出るしか無い。

 こうして調査に乗り出した孝志郎はとりあえず堤防の上から川の異常を探す。

 だがやはり眺めているだけでは、陽を跳ね返す川面という何の変哲もない光景しか見られなかった。

「俺自身をエサに釣れるかと思ったけれど、全然そんなことは無いな」

『ま、そこまで甘い話は無いってこったな』

 流れる川を見渡し肩をすくめる孝志郎に対し、肯定的なヨナキの思念が応える。

「それもそうだな。ほんじゃ、もうちょっと水辺に寄って調べてみるか」

 相棒からの一言を肯定して、孝志郎は自転車を降りて道の端に止める。

 後輪を鍵で固定した孝志郎は、ガードレールを乗り越えて角度のきつい斜面を水辺に向けて降りていく。

 行方不明騒ぎのせいか、普段ならいる釣り人のいない水辺。

 草を刈り、あるいは踏み倒して開かれた川に臨む地面。そこにしゃがみ込んで、孝志郎は水中を覗く。

 透き通った水の中には小魚が泳いでいるばかりで、人を引きずり込むような怪しい雰囲気は感じられない。

 その中に右手を浸してヨナキの端末を流す。

 すると手から離れた端末から孵った小魚たちは、逃げ散るものたちの中に紛れて川の中に馴染んでいく。

「どうだ? なんか感じるか?」

 緩やかな流れの中から抜いた孝志郎は、手首のスナップで水気を振り払ってから右手中指の指輪を顔に近づけて問いかける。

『まあ確かになんか妙な気配はあるんだがなぁ……どうもぼんやりとしてて、このヨナキにもはっきりとは分からん』

 相棒からの色の悪い返事に釣られるように、孝志郎も眉根を寄せる。

「なら仕方ない。このまま俺をエサにしながら歩き回ってみるか」

『悪いな。こっちも探知は続けるからそれで頼むわ』

「まあ、襲われそうなのがいたら逃がしてやらなきゃだしな」

 そう言って孝志郎は川を左手に流れに沿って、先に見える橋に向けて足を進める。

「噂に聞く分には水を操って引きずり込むって話だけど、そっちで相手がどんなかって心当たりはあるか?」

 伸びてきている草をどけて歩きながら、相棒へ問う孝志郎。

『そりゃまあ、そういうことのできる水妖ってえのはごまんといるが。ワシの知ってるのかと言えば、どうだろうな? はぐれならこの辺に縁もゆかりもない西洋風味のヤツかも知れんしな』

「ふぅん?」

『幻想界が滅んだ時に、どうにか物質界こっちに流れてきたヤツがいるとして、そいつが日ノ本由来のとは限らんだろ?』

 つまりは五年前、幻想界そのものが滅亡と再誕を迎えた事件で、どんなヤツがどれだけ消滅を免れたかがそもそも分からない以上、迂闊なことは言えないと言う。

 そもそも四十年以上封印されていたヨナキにとっては、若く幼い世代はまったく未知の領域で、新種であったなら日本由来の幻想種であっても特定出来ないのだから、分からないのも無理もない話である。

「なるほどな」

 そんないい加減な情報元から先入観を与える危険性。孝志郎はそれに納得して、言葉短くうなづいて足を進め続ける。

 そうして前進していた孝志郎は、ふと橋の下にしゃがんだ人影を見つけて足を止める。

「あれ? 望月か?」

 肩甲骨までかかる黒髪を二つ縛りに纏めた小柄な女子。レモンイエローのブラウスに白いロングスカートを身に付け、橋の影からスケッチブックに向かって筆を滑らせているその姿に、孝志郎はクラスメートの名を呟く。

 すると望月つかさがスケッチブックに向けていた顔を上げて、孝志郎と目が合う。

「よお。偶然だな望月」

 危険だと噂されている場所に居た知り合いを放置は出来ず、軽く腕を上げて声をかける孝志郎。

「ひ、ひひ日野くん!?」

 対するつかさは飛び上がるほどに慌てて、スケッチブックをブラウスの胸に当てて立ち上がる。

 そんな人馴れしていない小動物然とした反応に僅かに傷つきながらも、孝志郎は穏やかな笑みを崩さず、刺激しないようにゆっくりと近づいていく。

 その間につかさは深呼吸を重ねると、僅かな緊張感を抱きながらもいくらか落ち着いた様子で応対してくる。

「う、うん。偶然だね」

 そう言いながら、つかさは髪や服の乱れを繕いに、体のあちこちに手をやる。

 頬には緊張からか朱を帯びてはいたが、普通に反応してくれるようになったクラスメート。

 それに孝志郎は数歩分の距離を開けて口を開く。

「ああ。で、なんか描いてたけど、美術の宿題って今あったっけ?」

 まずは怯えさせないようにと、孝志郎は当たり障りのない話題をふわりと放る。

「あ、え、ええっと……今美術の宿題は無いよッ。無い、んだけどッ、何で描いてたかっていうと、その……」

 しかしつかさは取り損なったボールを掴もうとするように、あたふたと言葉をお手玉している。

「ああうん。ありがとう、望月。言いにくい事なら無理に聞くつもりはないから」

 孝志郎はそんなつかさの様子に苦笑しながら、慌てる必要は無いと助け船を出す。

 内気なつかさが、大して親しくもないただのクラスメートに話を振られれば無理もない。孝志郎はそう納得して紳士的な対応に努める。

「う、うん。ありがとう……日野くん」

 それにつかさは安堵の息をこぼしながら、どこか残念そうに目を伏せる。

 そんなつかさの反応に、孝志郎は内心で首を捻りながらも、言葉を挟まずにただつかさが口を開くのを待つ。

「……えっと、ね。趣味で描いてた……って、ただそれだけ、なんだけど……つまらなくてごめんね?」

 胸に抱えたスケッチブックと孝志郎の顔にと上下交互に目をやりながら、ポツポツと話すつかさ。

「いや、つまらないなんてことは無いさ。そっか、悪かったな邪魔して」

 だが孝志郎はにこやかに頭を振って、趣味の時間に水を差したことを謝る。

「う、ううんッ……いいの」

 それにつかさも慌てて首を左右に。謝られるようなことではないと急いで返してくる。

「でも、今この辺りにいて大丈夫か? 噂になってるぜ? この辺りの行方不明事件」

「え?」

 孝志郎のようやく切り出した本題。しかし当のつかさはその大きな目をぱちくりと瞬き。呆けた反応を表す。

「あれ、聞いたこと無かったか? ニュースでもやってたぜ? 噂だとだいぶ怪談風味な不思議話になってたけどさ」

「う、うん。知らなかった。でも……それなら、日野くんの方こそ、なんで?」

 うなづき、続いて至極自然な疑問を口にするつかさ。

「ああ。ちょっとした度胸試しってヤツかな」

 その疑問に孝志郎はさらりと苦笑混じりに答える。

「話を聞いてたら様子を見に行くって言い出す奴が出てさ、最初は危ないから止めろって言ってたんだけど、結局臆病者とか言われてカチンときちまってさ」

 孝志郎はそう言って頬を描いて苦笑する。

 この言葉に嘘はない。

 情報収集の途中に出た度胸試しの話に、煽られて一番手で行く形になったのだ。ただ幻想種関連の危険を先に排除しておくという目的のために半ばわざとではあるが。

「なんだか、意外……かも。日野くんって、そう言うのはスマートにかわしちゃいそうなイメージがあったから」

 つかさはそんな表向きの事情を疑いもせず、心底意外そうにその大きな目を瞬かせる。

「おいおい俺を何だと思ってるんだよ? 年上だとでも思ってるのか? 正真正銘の中二だぞ?」

 つかさからの過大評価に、孝志郎は苦笑交じりに肩をすくめる。

「あ、その、それは分かってるけど……えっとね。ただ日野くんってなんとなく他の男子よりも落ち着いてて大人っぽいかなって、私が勝手に思ってるだけで……」

 孝志郎の冗談を真正直に受けて、あたふたと言葉を選ぶつかさ。

「はは。ありがとな」

 そんなつかさに孝志郎は冗談から転がり始めた話題を締めくくる。

「う、ううん、そんな……」

 するとつかさは安堵の息をこぼして頭を振る。

「とにかく、そんなわけだから。今日は絵を描くにしても場所は変えた方がいい」

「うん、そうする」

 避難の勧めに素直に応じるつかさ。

『孝志郎! 見つけた! 幻想種パンタシアだッ!』

 しかし孝志郎がそんな彼女に頷いたところで、警告の思念が脳裏に響く。

 孝志郎が警鐘に息を呑んで川を見やれば、水を割って飛び、再び飛沫を上げて沈む影が目に入る。

「じゃあ、俺はここに来た証拠になるような物を探すから! それじゃな!」

 下流へ向かい消える魚とは違う歪な影。それを追いかけるべく、孝志郎はつかさに早口に別れを告げると、踵を返して駆け出す。

「あ、日野くん!?」

 そして引き留めようとすがるようなつかさの声を振り切り、流れに乗って消えたモノを追いかけて下流へ走る。

 水を含んだ土を蹴りあげ、水門に渡された鉄の板を走り抜けて走る孝志郎。その見据える先で、再び幻想種らしき影が水を割って跳ねる。

「逃がすかッ!」

 逃げるモノを追いかける足を緩めず、孝志郎は猿の頭を模した指輪を弾く。

『いかん孝志郎! 左だッ!』

「なにッ!?」

 変身に備えていたところへ響く警告の声。それに孝志郎が左に目をやれば、渦を巻いて立ち上がった水が襲いかかってきていた。

「クッ!?」

 うねり迫るそれを、孝志郎はとっさに右拳を突き出して迎撃。輝いていた契約の法具から迸る雷光が、絡み付こうとした水を弾き飛ばす。

「なッ!?」

 しかし迎え撃ったかと思ったのもつかの間。すでに孝志郎の足首は細い渦の紐に絡み付かれていた。

『デカブツは囮かッ!?』

 巨大な水柱による襲撃は目眩ましに過ぎなかった。

 それを孝志郎がヨナキと共に悟った時には、足を捕った水にバランスを奪われ、背中からその場に倒れることになっていた。

「グッ!?」

 とっさの受け身を越えて伝わる衝撃に、歯を食い縛る孝志郎。そして仰向けに倒れながらも、幻雷迅に変身するべく改めて指輪に手を伸ばす。

 しかし状況を打ち開く為に動く両手首も、さらに伸びてきた水に縛られる。

『こ、孝志郎!?』

 両手足を捕まえた水は、そのまま孝志郎の身を引き摺り、水中へと力ずくに誘う。

 手足が自由にならない中、必死に身を捩る孝志郎。

 だがその抵抗を嘲笑うように、水の縄は捕らえた孝志郎の身を引き摺る。

『堪えてくれ! 今行くぞッ!』

 そしてヨナキが援護に飛び出そうと猿の指輪が輝いた瞬間、川の中から水飛沫を上げて飛び出した何者かが横合いから割り込む。

『シャァラァアアッ!!』

 鋭い気を吐いて踊りかかる青い影。空を引き裂くようなそれが通り過ぎた直後、孝志郎を捕らえていた水の縄が残らず断ち切られる。

 川とのつながりを断ち切られた水の縄がただの水になって辺りを濡らす中、青い影は地面を跳ね、孝志郎の傍らに降り立つ構える。

『おい小僧。せっかく巻き込まないように引き離してやったのに……台無しにしやがって』

 身構える左腕の無い男は振り返り、荒々しい口調で吐き捨てる。

 そのざらついた青い肌のそこかしこからは、水を引き裂く剣の様なヒレが生え、剥き出しになった牙も猛々しく鋭い。

 しかしそんな隻腕のサメ魚人の背丈は、孝志郎の膝よりも低かった。

「え? は……?」

『なにをボケッとしてやがる! いいからさっさと逃げやがれ!』

 助けてくれたらしい小さなサメ男の姿に呆ける孝志郎。そこへ当のサメ男は歯を剥いて逃げるように促す。

 その間に、二人の目の前で川面が大きくドーム状に盛り上がる。

 それにサメ男は舌打ちを一つ。ずぶ濡れの土の上を駆けて踏み切り、川の流れに身を投じる。

『オラ! こっちだ!』

 水のドームへすれ違い様に足ビレを入れて挑発。

 それに乗って、水の膨らみは水面を裂いて進む背ビレを追いかける。

 岸を離れ、さらに下流へと進む幻想種たち。

『おい、孝志郎! いつまでボケッとしてる気だ!?』

 それを見送っていた孝志郎は、相棒の言葉に呆けていた頭を振って立ち上がる。

「わ、悪い! 行くぞヨナキ!」

『おうともよ!』

 孝志郎は改めて契約の法具を指で弾き、光溢れたそれを額へ。そして頭を呑み込んだ猿の顔から広がる黒雲が全身を包むと、雷鳴と共に黒雲塊から光が飛び出す。

『孝志郎、見たところサメの方は契約なしのはぐれだ! さっきの奇襲は上手くいったが、ほっときゃまずいぞ!』

「ああ! なら手を貸してやんなきゃな!」

 天へ逆昇った稲妻は、その額当てに刻まれた猿の顔の一言に頷いて、前回りに宙返りしつつ、小さな雷を下へ投げ放つ。

 円盤、あるいは釘状に固まった雷は、真っ直ぐに水のドームへ。

 そしてサメ魚人が水から跳ね上がると同時に、稲妻の手裏剣は狙い違わずに盛り上がった水面へ突き刺さる。

『のわッ!?』

 水の縄に追われて宙に逃れ出たサメが、弾けて川に奔る稲光に堪らず顔をかばって声を上げる。

 そこへ手裏剣に遅れて落ちてきた雷光の忍が、雷撃に悶える水のドームを踏みつける。

「んん?」

 足裏から伝わる水とも思えぬぶよついた感触。それに屈強な忍は疑問の呻きを溢しながらも跳ぶ。それに合わせて近くに浮いたサメ男を掴んで掻っ攫う。

 宙返りから川岸に降り立つ幻雷迅。同時にその手から小さなサメ魚人が離れて地面に降りる。

『何考えてやがるッ!? 危うく俺まで電撃を食らうトコじゃねぇかッ!? だいたい何モンだテメエッ!』

 右手で指差し、抗議の声を上げるサメ男。対して幻雷迅は両手で胸板の前に印を組んで見せる。

「破邪轟嵐!」

『幻雷迅ッ!』

 仮面の奥の物に続いて額当てからの名乗り。

 それにサメの魚人は顔をしかめる。

『さっきの小僧か? 契約者だったのかよ……ったく、だったらもうちっと粘ってもらってもよかったじゃねえかよ』

 言いながらサメ男は首に開いたえらを膨らませながら、忌々しげにモヒカンじみたヒレの根元を掻く。

『白竜の坊主と黒竜のお嬢とその契約者たちを送り出してから、物質界に弾かれるやら、細々やってたのをブッ潰すアホがでるやら、オマケにメチャメチャやるコンビに当たるとはよぉ……』

「ちょい待ち! 今白竜と黒竜、それとその契約者って言ったか!?」

 サメ男のぼやきに被せて訊ねる幻雷迅。

『お、おお。悪どいドラゴンをとっちめに行くってんで、手ぇ貸してやったんだよ』

 幻雷迅の勢いに押されがちになりながら、うなづくサメ男。

「じゃあアンタが裕ねえといおり先輩を助けてくれたエッジか!?」

『なら小僧はあの嬢ちゃんたちの知り合いかッ!』

 相手が共通の知人のいる者であると認識した両者は、その驚きのままに互いを指差す。

 だが互いに第一印象以上に協調の持てそうな相手だと認識したところで、川から何かが風を切って迫る。

 息を呑み、互いに飛び退いて間を空ける幻雷迅とエッジ。

 刹那、二人のいた場所を同時に水の鞭が音を立てて叩く。

 川に潜む共通の敵の攻撃をかわした幻雷迅とエッジは、揃ってうなづき合って川の半ばへ向けて身構える。

『全く案外世界は狭い! ここはひとつ共同戦線と行くかッ!?』

「おう! そのつもりだ、頼むぞエッジッ!!」

 上がる飛沫を挟んで両者が互いの意思を示し合わせたところで、再び襲いかかっていきた水の鞭から跳んで逃れる。

 同時に飛び上がった二人は、左右から挟み込むようにして水のドームへ躍りかかる。

 するとドーム型の膨らみは滑るように岸辺から離れ、縄のような水を束ねて腕を作り、その拳で幻雷迅らを迎え撃つ。

 対して忍は迫る拳に爪を立て、跳び箱のようにやり過ごす。一方でサメ男は全身に備えたヒレの刃で、寒天の塊を刻むようにしながら突き進む。

 刻まれた腕に、海坊主を思わせる水の怪物が身悶えする。その骨の通っていない腕を駆け渡りながら、幻雷迅は雷光の手裏剣を両手から投げ放つ。

 しかし悶えていた川坊主は倒れこむように水中へと沈み、弧を描いた雷手裏剣は的を失って空で弾ける。

「逃げたッ!?」

 姿を消した川坊主の姿を求めて頭を巡らせる幻雷迅。

 そうして落下の途中でエッジと合流すると、それを右の肩に乗せて、稲光の弾ける足で川面を踏んで走る。

「ドコに行った!?」

『見る限り、すぐに遠くに逃げられるほど機敏なはずはないが?』

 水中へ拡がり散る雷光。水面を蹴る度に弾けるそれを頼りに、幻雷迅とその額当てのヨナキが水中を探る。

『ボウズ、右だッ!』

 歩む度に感電した小魚が浮かぶ中、肩のエッジが歯を剥いて警告。

「なんとッ!?」

 警鐘を受けるが早いか、幻雷迅は水面を横っ跳びに跳躍。

 それに遅れて縄を成した水が飛沫を上げ、我先にと得物へ食いつこうとする蛇の群れのように襲いかかる。

 しかし殺到する水縄は幻雷迅が飛び退きざまに放っていた雷の手裏剣とぶつかり、弾けて散る。

 だが迎え撃ったかと思ったのも束の間。跳んだ幻雷迅を待ち構えていたかのように、逆側から巨大な腕を成した水が高い飛沫と飛び出す。

「クッ!?」

 本命の待ち伏せに幻雷迅はつるりとしたスモークマスクの奥で歯噛み。そうして軸足で川面を踏みつけてスパーク。身を翻しての回し蹴りを巨大な掌へ叩き込む。

 同時に岸へ向けて投げ放っていた腰のフックロープが土に食いつき、その巻き取りと蹴りの反動に乗って、幻雷迅は敵の潜む川を陸地へ向けて走る。

 しかし岸へ今まさに辿り着こうという刹那、水から生えた腕が行く手を阻む。

「なぁッ!?」

 幻雷迅は思わず声を上げたものの、それ以上の反応をする間もなく水の壁に沈み込む。

「グッ! なんだこりゃ!?」

 ゲル状の縄を固めて作った手の内でもがく幻雷迅。己を縛り捕らえる縄を引き千切ろうとしても、それはぬるりとすり抜け、また別のものが粘液と共に絡み付く。

 幻雷迅のみなら自爆気味の放電で振り払うことも不可能ではない。だがエッジと共に囚われたこの状況では、協力者を自ら切り捨てることになりかねない。

 もがいてももがいても、じわじわと深みへ引き摺り込まれて行く中、エッジは粘液を纏うゲルの網の中で身じろぎする。

 すると鋭いヒレがゲル縄を傷付け、まるで袋を破いたかのように水が流れ出る。

「な、なにを?」

 それを繰り返すエッジに、幻雷迅は疑問の声を溢す。

『シャアッ!』

 やがて水を浴びたエッジは鋭い気を吐いて姿を消す。

「なにッ!?」

 唐突に水に消えた小さなサメ魚人に、驚き声を上げる幻雷迅。

 その瞬間、幻雷迅を縛るゲルの縄が支えを失い崩壊する。

『お、おおッ!?』

「エッジか!?」

 眼下に走った青い影を認め、原理はともかく仲間の仕業と察した幻雷迅とその額当てから感嘆の声が上がる。

『今だボウズッ! やれッ!』

 次の瞬間、瞬膜を開いたエッジが水から飛び出し叫ぶ。

「ああッ!」

 それを受けて、幻雷迅は平手にした両手を胸の前に持っていく。

 だがそこへ巨大な水の手が左右から挟むように襲いかかる。

「グウッ!?」

『ボウ……ズゥッ!?』

 不意打ちの圧力に呻く幻雷迅。そしてまた目を見開いたエッジも新手の腕に掴まれる。

 捕らえられ、同時に水中へ引きずり込まれる両者。

 そうして川の中に沈められた一行が見たのは、幾つもの濁った輝き。

 ゲルの膜にかすんだそれを持つのは、一つ残らず川には似つかわしくないクラゲの群れであった。

『こいつらッ! 攫った人間全部を寄り代にこんな見境なしに増えてやがったのかッ!?』

 いつの間にこれだけ集まったのかと、このあたり一帯の水全てを、そのゲル状の身で賄っているのではないかと思えるほどのクラゲの集団に幻雷迅の額当てが驚愕の声を吐く。

 その間にも幻雷迅とエッジを取り囲んだクラゲは、そのまま押しつぶそうとするかのようにさらに密度を増していく。

『クッソ……腹さえ減って無けりゃこんな奴ら、残らずゼリー袋にしてやるってのによ……』

「ちっくしょお、何か手は無いのかよ……!」

 柔らかいが、徐々に締め潰すように圧力を増すクラゲのプール。じわじわと嬲ろうとするかのようなそれに、エッジと幻雷迅は悔しげに身もだえする。

『いや! 手はある、あったぞッ!』

 一方的な締め潰しの中、幻雷迅の額当てが閃きに叫ぶ。

『エッジ、ワシと契約だッ!?』

『はあッ!?』

 ヨナキの口から飛び出した打開策に、エッジは目を見開いて声を上げる。

「よ、ヨナキ何言って……? そんなこと出来る訳が……!?」

『いや、ウチには出来るッ! 詳しく話してる暇は無い! いいからこの場はヨナキに任せろッ! 力貸してくれッ!』

 幻雷迅もまたその前代未聞の提案に疑問の声を上げる。が、その額当てのヨナキは相棒の言葉を遮り、エッジへ叫ぶ。

『……ヘッ、確かにこのままじゃ揃って潰れるだけだ。ったく、俺にかまわず放電すりゃお前らだけは助かる目があるってのに……お前らに任せたぜッ!!』

『ああ! 任せよッ!』

 そのやり取りに続いて、エッジの体は青い光の球となって凝縮。そしてそのまま幻雷迅の額当てに吸い込まれるように消える。

「お、おおッ!?」

 直後、幻雷迅の体を青い光が駆け巡り、その額当てと右腕が一際強い輝きを放つ。

「セェアァアアアアアアアッ!!」

 そして漲る力のままに幻雷迅がその輝く右腕を振るう。するとその身を押しつぶそうと群がっていたクラゲが、まるで包丁を通した寒天のように裂けほどける。

『シャオァラァアアッ!! ひっさびさの絶好調だぜぇッ!!』

 額当てに浮き彫りになったサメの顔が叫ぶと、幻雷迅は溢れだした水を受けてその姿を消す。

 そして塊を成したクラゲどもの外に瞬間的に転移。これぞエッジの力から得た新たな遁術。水遁「渡り潜り」である。

「イィヤァアアッ!!」

 そして右腕に装着したサメの頭を模した手甲、鰐鮫を突き出して水中を突進。手甲から伸びた背びれを模した刃でクラゲを何の抵抗もなく引き裂いていく。

 ヒレ刃が抜けた跡に残る青い光。

 クラゲの塊を泳ぎ抜けた幻雷迅は、泳いだ軌跡としてそれを残して、渡り潜りを使い転移。別の角度からクラゲ界を切り裂き進む。

 渡り潜りと斬撃とを繰り返し、網のように青い斬光を刻んだ幻雷迅。

「迅流鋭命! 清めよ、その幻影ッ!!」

 その勢いのまま飛沫を引いての跳躍。波紋を立てて川面に降り立ち、鋭く短い言霊を唱える。

 その詠唱を受けて光の網に囚われたクラゲたちは残らずその身を川の中へ融かしていく。

「こいつはすげえや。これからも頼むぜ、エッジ」

『おう。任せろよ』

 そして決着のついた双羽川の流れの上で、新たな仲間がもたらした武器を手でなでる幻雷迅。

『あー……シメに入ってるとこ悪いんだが……』

「なんだよ、ヨナキ?」

『このままだとクラゲに攫われとった連中が残らす溺れるぞ?』

「あッ!?」

 しかし相方に指摘された落ち度に、幻雷迅は浮かび流され始めた人々を救うべく、再び流れの中へ身を投じた。

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