力尽くして
「うぅおぉッ!!」
雄叫びをあげる幻雷迅。
その躍りかかりながらの右腕一閃で、正面にいたアラクネ人形は繰り出した糸ごと上下に分断。
しかしそれも束の間、切れたはずの糸がうねり、網となって幻雷迅を包もうと。
だが鵺の忍は舌打ちを一つ。網の中でまとめて囚われようとするトカゲ人形を踏み台にジャンプ。頭上で弓矢を構えたフクロウを逆さ縦一文字。
「えぇやぁあッ!!」
そして気合の声と共に消えゆく敵の残骸を一蹴。糸をくくるアラクネ人形にぶつける。
合わせて盾を付けた左腕を振るい、背負った裕香へ迫る矢を叩き払う。
しかし一方からの矢は弾いたものの、頭上から降ってきた巨体に押し潰される。
「おうぐッ!?」
『あっははははは! どうした? そんなことではワタシの邪魔どころか、辿りつくことさえできるものかね』
重みに苦悶の声を漏らす幻雷迅。それにつかさと一体化したイナ―ヴァルナが笑い飛ばす。
潰され落ち行く幻雷迅の行き先。そこには数体のアラクネが張った斬糸の巣が。
押し潰したまま忍を捕らえたアラタは、このまま自分もろとも切り刻ませようというのか。
鵺忍は真下に迫る待機型のギロチンを振り返り確かめると、足鎧をトカゲ人形の体へ押し当てる。
「バンジョォオォオッ!!」
叫びに応じて足鎧に備わったムカデ足が猛然と人形の胴を蹴り始める。
高熱の煙を伴ったそれは瞬く間にアラタの体を削り穴を開ける。
足から煙と共に風穴を抜け出た幻雷迅は、同時に穴のあいた残骸を叩き、跳躍。
後ろ手に叩く足場とされたアラタの一体はそのまま切れ味鋭い蜘蛛の巣にかかって細切れに。
しかし上昇する幻雷迅へ向けて、手足を大の字に広げたさらなるアラタが。
対する幻雷迅は両手に形成した雷手裏剣を打つ。
小さく雷鳴轟かせ弾ける手裏剣に、引きつり怯むトカゲの巨体。
その隙に幻雷迅は体を丸め、動きを止めたアラタの体を蹴りつける。
膝を両手で叩き、打ち出しての両足蹴り。
裕香の得意とするヒーローコピーアクション。そのさらにコピーで敵との間合いを開けた幻雷迅。
しかし恋人を背負い後ろ回りに身をひるがえすその体は、再び雲の巣と作られた斬糸へ落ちていく。
「はッ!」
だが幻雷迅は、刃物同然の糸をムカデ足で摘まむ。
落着の勢いにたわむクモの巣。
しかしムカデの足はしっかりと糸を摘み止めて離さない。
糸へ降り立った幻雷迅へ向けて降り注ぐ矢玉。
それを幻雷迅は脛鎧を走らせることで回避。
置き去りにして虚空を射抜かせる。
左足一つで体を支えた姿勢のまま、無数の小足が糸を挟んで伝い運ぶ。
形も材料も作り手もクモそのものであるが、糸の全ては刃として作られたもので粘着性は無い。
そのためムカデ足はねばつきにつまづくことなく、歩みはまさに滑るよう。
もっとも、そうでなければ幻雷迅は背中の裕香ともども、すでにハリネズミのようになっていただろうが。
しかし逆に言えば、まかり間違って道を形づくる糸に倒れ込めば輪切りは必至であるということ。
そんな気の抜けない滑走の最中、幻雷迅はあお向けに体を反って恋人を矢の雨からさえぎる傘となる。
『へぇ、しぶといものじゃないか。これだけの戦力を相手に持ちこたえるなんて』
そんな幻雷迅の様を見おろしてイナーヴァルナは称賛の声を落とす。
「言ってろ! すぐにそこまで行ってやるからな!」
対する幻雷迅は目の前に迫る矢じりを亀甲で弾き、サメのヒレで切り払う。
その叫びは防戦一方の自身を奮い起たせるためか。
それを見切っているのか、闘志をぶつけられたイナーヴァルナは涼しい顔のまま。
『そ。まあせいぜいがんばれば? こっちはもうあきてきたから終わらせに入るけどね』
そう言って宿主に握らせた二刀を捨てさせる。
『行きなよ、マユ』
ささやくような呼びかけ。それに応じたのはクモでもフクロウでもなく、いままさに手放された刀二本。
空を切り裂いたそれは持ち手からおなじみの陶器人形を虚空に形成。
刀を握った左右それぞれの半身は、その断面を重ね、接合。
純粋なヒトガタの人形をつくると、幻雷迅へ向けて加速する。
「なっ!?」
とっさに斬糸に体重をかけてたわませ、その反発にのって幻雷迅は跳ぶ。
その直後に、マユと呼ばれた人形は忍者を打ち上げた糸とすれ違い切り裂く。
刀持つ手を翼のように広げていたマユの姿は、急降下する燕の如く。
ただその足は常に虚空を走るように蹴っていたのだが。
支えの糸のひとつを失い揺れる網に降りた忍びは、すれ違いざまに認めたその姿を思い出す。
「まさか!?」
その予感に、上から下へ駆け抜けた二刀流の人形の姿を追いかける。
すると案の定。そこには見えない足場を滑りながら反転し、虚空を駆け昇ってくるマユの姿が。
『マズイ、孝志郎ッ!?』
額当てから上ずった警告が上がる中、幻雷迅は降り立った反動も収まらぬ糸からさらにジャンプ。
空中で身を翻して、迫る刃を鰐鮫のヒレ刀で迎える。
重なり、光と音を散らす刃ふたつ。
しかし空中に踏ん張りどころの無い幻雷迅に対して、空を自在に走り回るマユ。
自然踏み込みのできるマユの刀が、幻雷迅の体を一方的に押し上げる形になる。
そうして運ばれる先。剣を受けながら振り仰いで確かめた幻雷迅が見たのは、弓矢に糸に拳、さらには刀と、めいめいに武器を構えて待ち構える陶器人形の軍団であった。
「センミンッ!!」
このままでは背負った裕香がまず危ない。
そう断じた幻雷迅の動きは早かった。
左腕を守る亀甲盾。その力の源たる仲間の名を願いと共に呼ぶ。
愛しい人を守りたい。その祈りとも言える願いを受けて、左の盾から砂嵐が。
その砂はみるみるうちに幻雷迅を包み込み、完全にその姿を隠す。
しかしイナーヴァルナの操り人形たちはまるで動じた様子もなく、幻雷迅が生む砂嵐へ飛び込む。
そして爆発。
人形たちを取り込んだ砂嵐は、不意に雷鳴を轟かせて内側から弾け散る。
『なにッ!?』
砂と煙。そして白い破片。
操り人形の大半を巻き込み砕いた爆発に、イナーヴァルナはその宿主ごと目を見開く。
そして虚空にもうもうと広がる煙の中から、ひときわ大きな塊が宙を舞う。
黒い煙を尾と引いて宙を行く砂の塊。さらさらと崩れるその表面と煙とが合わさって、空中にその軌跡を刻む。
やがて崩れる砂玉の中からは、裕香を抱きしめた幻雷迅が。
砂に加えて、心命力をダイレクトに反映した己の体をもクッションとした鵺忍は、煤けて煙を噴いている。
仲間の力を具現化した武装の数々も失われて、その姿は満身創痍と言うほか無い。
「……よかった、無事で……」
しかし幻雷迅は腕に抱いた裕香に傷がないのを確かめると、安堵に深い息を。
『それでどうするつもりなのさ? 自爆同然の技でも、ワタシにはダメージが無いんだけど?』
満足げな幻雷迅へ、イナーヴァルナが忘れるなと言わんばかりに声をかける。
その言葉どおり、爆発で大量に吹き飛ばしたとはいえ、操り人形ばかり。本体であるイナーヴァルナとつかさはまったくの無傷である。
加えてその周囲にはアラクネにフクロウ、大トカゲに双刀使いと、新しい人形たちが補充され始めている。
しかし、戦力補充の速度は緩やかで、崩壊に続いての瞬く間に軍団が整えられたのとは比べるべくもない。
確かに直接的なダメージは無い。だが、何の影響も与えていないわけでは無いのだ。
その確信を胸に、幻雷迅は虚空に浮いていた瓦礫のひとつに着地。
そこに裕香を寝かせると、自身の胸板に手を。
「みんな、裕ねえの事を頼む……」
その言葉と共に、幻雷迅の胸から青、黄、赤の三色の光が抜け出る。
エッジ、センミン、バンジョウ。
幻雷迅は仲間三名を象徴するその光を掲げ、空いた逆の手で印を組む。
すると三色の光は瓦礫の浮島を中心に三方へ分散。それぞれを頂点とした三角形を形作る。
光の結び合って出来た三角形を境に、三角錐を上下に合わせた形で形成される結界。
面ごとに彩りを変える六面体。その中で幻雷迅は浮島の上に立ちあがり、横たわる恋人に背を向ける。
「……じゃあ裕ねえ、ちょっと行ってくるな」
そしていまだに目覚めず横たわる裕香へ振り返り告げると、瓦礫の島から足を踏み出す。
結界の中とは言え踏み出した先は何も無い空中。ただそのまま落ちる他ないようにしか見えない。
だが軽具足を履いた足は落ちることなく、空に波紋を立てて留まる。
幻雷迅の歩みはそのまま、空に波紋を残して六面体結界の外へ。
輝く壁をすり抜けて結界を出る忍。
その歩みは結界の内外に関わらず、変わらず落ちることなく空に波紋を立てる。
『へぇ。この空間での動き方を理解できたのか』
よどみない幻雷迅の足取りに、イナーヴァルナはさらに取りまきを増やし続けながら感心の目を向ける。
この空間は心命力で満たされている。である以上は、心の力がすべてを左右する。
落ちると思えば落ちる。歩くと思えば足場が無くとも、逆さにだって歩くことができる。
非常識だとか、現実にはありえないとかではない。できると信じて動けば、ここでは大概のことが意のままだろう。空間を満たすエネルギーを越えない限りは。
その範囲内であれば、新たな世界を生み出すことさえも。
「さあ、ケリをつけようじゃないかよッ!!」
『応ともよ!』
そして幻雷迅は相棒と合わせて気合をひとつ。一際大きな波紋で空を揺るがす。
爆発的な勢いで推進する鵺の忍。
雷光を尾と引いて虚空を切り裂くその手には激しい輝きが。
神鳴り激しく轟く輝きは、四方に伸びる巨大な十字手裏剣として完成。
「まずは、これでも喰らえぇええッ!!」
裂帛の気合を込め、幻雷迅は大手裏剣を投げ打つ。
高速回転し、円盤状に薄く広がった雷光は唸りをあげて敵集団へ。
その勢いに含んだ威力を察してか、散り散りに逃げようとするイナーヴァルナの取り巻き。
しかし大手裏剣は拡散しようとする敵集団を捕らえ、かち割っていく。
それは手裏剣が突き刺さると言うよりは、電動鋸が丸太を引き裂いていくよう。
「もういっぱぁあああっつッ!!」
隊列の乱れた集団目掛け、幻雷迅は逆の手に作り上げた大手裏剣を。
畳み掛けての大手裏剣はさらに敵集団の固まったところを大きく削り切る。
強力無比な大手裏剣に戦列はおおいに乱れ、その隙に幻雷迅は大きく空間を揺るがして踏み込む。
敵集団の本丸であるイナーヴァルナ。
月光竜をその身に宿したつかさの目前にまで一息に。
空を満たす心命力を利用する術を理解し、扱ってはいるものの、あれほどの威力の大手裏剣。そうそう何発も使えはしない。
事実、消耗している幻雷迅にとっては先の二発で残る力をゴッソリと持っていかれていた。
大量のエネルギーを代償として作ったこのチャンス。一気に攻め落とさなければ後がない。
「でぇえあぁああッ!」
雄叫びを上げ、雷芯を抜いての乾坤一擲。
しかし居合の要領で斜めに切り上げた雷光の刃は、竜を宿した少女を前にして静止してしまう。
「ぐ、くぐ……!」
『お、のれぇ……ッ!』
空に固定されてうめく幻雷迅とその額当て。
合わせて半ばに振るったままの姿勢で固められた刀を振り抜こうと身を捩るも、刃は微動だにしない。
その様子につかさに宿ったイナーヴァルナは宿主ごと口の端を吊り上げる。
『フフ……マヌケが』
鵺忍を嘲笑いつつ持ち上げたその右手には白く輝く糸の束が。
手を中心に広がった糸は虚空に固定された陶片を経由して再び一点に。
集ったその一点とは言うまでもなく、刀を持つ右腕を中心とした幻雷迅の全身。
光る糸に縛られながら、うめきもがき続ける幻雷迅。
それに対してイナーヴァルナは糸をたばね持った右手で、忍者の顔を覆うフルフェイスのスモークバイザーをノック。肩うしろに糸車を背負った腕を見せびらかす。
『……色々と武器を持ちかえて使えるのが、お前だけだと思わない事だね……もっとも、ワタシのノゾミ、ユヅル、アラタ、マユは自分で生み出したものだがね』
アラクネ人形の力を使っているらしい腕を見せつけての一言。
その言葉の通りなら、つまりは陶器人形たちすべてが月光竜の武器、杖であったということになる。
潰しても潰してもすぐに再生させてきたからくりも、これですべて説明がつく。
幻想種との契約の力を凝縮させた杖は、仮に手放して消えてしまったとしても、心と命の続く限り新たな物を形成する事ができる。
つまりは、いくらへし折り砕き壊したとしても、エネルギーを消費させるだけに過ぎないのだ。
『せっかくの死力を尽くした奇襲も、これでお終いというわけだよ』
イナーヴァルナはそう含み笑いを溢しつつ左拳を引き構える。
そして放たれた拳には硬質で巨大なグローブが。
「ごぶッ!?」
腹に突き刺さった衝撃に幻雷迅の仮面から苦悶の声が噴き出す。
忍びの体を縛る糸を引き千切るほどの衝撃に、握っていた刀も虚空へ零れ落ちる。
拘束を引き千切った勢いのまま、宙を舞う鵺忍。
放物線を描く屈強な体は、雲とほどけて散っていく。
そして露わになった少年の体は、放たれた弓矢をまち針に服の端を虚空に留められる。
「う……ぐぐ……」
正体を暴かれ、空に固定された孝志郎は、はらわたにうずく痛みにうめきながら身をよじる。
眉をひそめ歯を食いしばる孝志郎の顔。そこに添えられる冷たい刃。
反り身の刀を辿れば、そこには愉悦に歪んだ顔で見下ろすつかさ。否、イナーヴァルナの顔が。
『さて、このままお前を殺してしまえば、またこの依り代の心も完全に閉ざされることだろう』
そう言ってイナーヴァルナは孝志郎の顔に添えた刃を首に下ろす。
だがその瞬間、孝志郎は右腕を服がちぎれるのも構わず動かし、顎と拳とで刀を挟む。
肌が裂かれ、血が流れるのも構わぬ抵抗。
その思わぬあがきに、イナーヴァルナと連動したつかさの顔が驚きの色を浮かべる。
『フフ……この状況でよくもまだあがこうと思えるものだね。しかし、眉月の太刀はもう一振りあるのだから、無駄な抵抗という他ないのだけれども?』
お分かりか、と言わんばかりに逆の手に持つ刀を振り上げるイナーヴァルナ。
だが孝志郎はそれに構わず、刃に叩きつけた右拳を敵に向けて滑らせる。
『な!?』
その思いがけぬ動きに、刀を下ろすのを忘れて固まるイナーヴァルナ。
孝志郎は呆けたその顔へ向けて、光を放つ猿の顔の指輪を向ける。
「ヨナキ、いっけぇええッ!!」
『おぉおおおおおおおッ!!』
孝志郎の叫びに続いて、契約の指輪から飛び出す巨大な鵺。
完全顕現したヨナキは、変身するときとおなじく大口を開けて竜を宿した少女へ躍りかかる。
勝利を確信したところからの反撃に、完全に不意を打たれた形になったイナーヴァルナは無防備に虎の爪に捕まる。
そして頭から大開きの口の中へ。
『よせ! 止めろぉおッ!? ワタシが、ワタシが吸い込まれていくッ!!』
食われた状態で少女の足を振り回し暴れるイナ―ヴァルナ。
しかし騒ぎ悶える月光竜に構わず、ヨナキはぐいぐいと少女の体を口から喉奥へと押し込んでいく。
「へっ……マジの切り札をあんなとこで使うわけないだろうが……そのまま俺の相棒に食われちまえよ」
孝志郎は積み重なったダメージに喘ぎながらも、ヨナキに食われる竜に告げる。
絵面としては、妖怪が少女を丸呑みにしているようにしか見えない猟奇的なものだ。
だが実際に捕食消化されているのは幻想種である月光竜のみ。ただ竜がつかさの内に潜んでいるために、体ごと口に含むしかないのだ。
『止めろ! 止めさせろ! 離せぇえッ! このままワタシを消滅させれば大変なことになるぞ!? 今ならまだ間に合うッ! このまま負の心を処理する幻想界を無しにしたままでは……ッ!?』
『ふるへへぞ、ひのひごひはら……もっろふまひふほふへほ』
解放するように訴える竜に、巨大なヨナキはつかさを口に含んだ口をもごつかせて、ただの命乞いと退ける。
「たとえお前が言うのが本当だったとしても、望月が犠牲になるんだろ? どうだろうとそんなの認められるかッ!」
そして孝志郎もまた真偽はともかく許せることではないとイナーヴァルナの言葉を拒絶する。
『この娘の想いに応える気もない分際で、言うことかァアッ!!』
守り、救ったところで恋心に応えるわけではない。
それはたしかにある意味で残酷なことだと言えるかもしれない。
守られる側が恋心をどれだけ募らせようが、助ける側には想いを捧げる相手が別にいるのは変わりないのだから。
「だからって人柱にされるのを黙って見過ごせるわけないだろうが」
だが、守る側と守られる側。それらが男女として結ばれなくてはならないか、ということは違う話だ。
助ける手を引く理由にはなりえない。
月光竜の非難にキッパリと返す孝志郎。
すると竜を宿したつかさはもはや足首から先しか出ていない体を悶えさせる。
『ぜ、絶対に後悔するぞ! 絶対、ぜったいに……! こ、う……か、い……』
やがてそのわめき声を小さくしながら、イナーヴァルナとつかさはその全身をヨナキの中に。
一方ちゅるりとつま先までふくみきったヨナキは、ほほの膨らんだ口をもごつかせて、虎の前足へ向けて吐き出す。
まるで果実の種のように出されたそれは、ひとりの少女。
気を失った望月つかさに間違いない。
『あの竜に好き放題されたようだが、心配ない。気を失っているだけだ』
「ああ。ありがとう、ヨナキ」
竜と分離したつかさの容態を聞いて、孝志郎は深く息をつきながら相棒へ向けて親指を立てて見せる。
するとヨナキも、虎の前足で器用にもサムズアップ。契約者に応える。
無言で互いを称え合うヒトと妖怪。
しかし勝利の余韻もつかの間。孝志郎たちのいる空間がにわかに揺れ始める。
「なんだ!?」
空間だというのに揺れるというのもおかしいが、たわみ波打つ震動は、たしかに孝志郎たちの体を叩く。
これはまるで複雑に絡んだ水流に四方八方から揉み流されているよう。
『嬢ちゃんからヤツをひっぺがしたから、ココが崩れ始めとる!?』
「ああもう! 敵の拠点のお約束ってヤツだな!」
ヨナキの見立てに対して、孝志郎は吐き捨てるように理解を示す。
しかしやけくそになろうが、空間の乱れが収まることはなく、むしろ崩壊へ向けて激しさを増す。
やがて空間のそこかしこが、塀を砕き破ったかのように崩れる。
その破れた穴から覗くのは異様なまでに色鮮やかな濁り。
さまざまな色がドロリとうねり絡み合い、争って前へ出ようとしているかのよう。
おのれ以外のすべてむさぼり食おうと。そのように見える色のうつろいは背筋のざわめくような不気味さを帯びている。
そんなゾッとするような光景は、みるみるうちに覗き窓を増やして孝志郎らを取り囲む。
孝志郎は割れていないところを探して目まぐるしく視線を移らせる。
だがふとその体を、大きな虎の前足が抱える。
『心配いらんぞ、孝志郎。お前はただ心を強く持っていればいい』
そう言ってサルの顔を笑みに崩すのは、他の誰あろう鵺のヨナキ。
虎の足に抱かれた孝志郎の隣にはいつの間にか裕香も合わせて抱えられて、辺りは三色の光を放つ結界に囲まれている。
「わかった。俺とお前らを信じていつも通りに、だな?」
『そういうことだ』
笑いかけるヨナキ。明滅を繰り返す三色。
それに孝志郎はうなづき、口元を笑みに曲げる。
孝志郎が笑みと共に放った言葉にヨナキもまた笑みを深める。
刹那、両者の目と耳が闇と轟音に閉ざされる。
※ ※ ※
「よぉ、どうしたんだよ孝志郎。ボケッとしてよ?」
そう言って学生服姿の孝志郎の肩をたたくのは同じ服を着崩した早人。
「んん? ちょいとばかり寝不足なだけだ」
そんな友のいたずらっぽく細められた目に、孝志郎は言葉じりにあくびをそえて返す。
いつもどおりの教室。そして友人たち。
普段通りの日々の光景を眺めて背筋を伸ばす。
今こうして日常に戻っていることからも分かるが、結論から言えばあの戦いの後、孝志郎たちは物質界に帰ることが出来た。
裕香も、つかさにも大きなケガは無く。人間たちは無事に戻ることが出来たと言えるだろう。
「ところで、なあ……あれって、望月、だよな?」
そう言って早人が指さした先に目を向ければ、小柄な少女が学校備えつけの席についている。
猫背にうつむくのではなく、背筋を伸ばして柔らかに微笑むその顔は、いままでのつかさとはまるで印象が異なる。
「ああ。間違いないな。望月だよ」
いままでの可愛らしくもそれを台無しにする湿気た印象。そこからがらりと変わったことに戸惑う早人に、孝志郎は間違いなく望月つかさであるとうなづく。
「……あんなに可愛かったんだなぁ……オレ、ちょっとチャレンジしてみようかな」
「ま、好きにしたらいいじゃないか。がんばれよ」
「まったく彼女持ちは余裕でございますわね!?」
つかさを見つめてそわそわとする早人に適当なエールを送れば、歯を剥いてのやっかみが帰ってくる。
月光竜から解放されたつかさは、文字通り憑物が落ちたように笑顔が増えて、孝志郎への思いもふっ切る方向へ持って行けたようである。
このあたりの変化はやはり、イナーヴァルナが契約と同時に何らかの精神的影響を与え続けていたのが真相だろう。
そんなつかさの喜ばしい変化に笑みを浮かべつつ、孝志郎は自身の右手中指へ視線を。
落とした目の先には猿の頭を模した指輪が依然変わりなく。
しかし猿の咥えている金色の宝石はその彩りを大きく濁らせて、輝きを失っている。
そう。無事に戻ることが出来たのは人間たちだけであった。
孝志郎と契約した幻想種たちは、月光竜の生み出したかりそめの世界が崩壊する中、孝志郎たちを守り抜いて、その力を使い果たしていたのだ。
呼びかけても誰も応えることは無く、変身を試みても契約の証は光を灯すこともない。
まるで法具の指輪を形見に残して死に果てたかのようである。
だがそうではない。そうではないのだ。
孝志郎には残った指輪を通して、幻想の仲間たちと繋がっている実感がかすかにある。
今はヨナキたち全員、起きることもできないほどに深く眠り、その身を癒すのに専念しているだけなのだ。
だから孝志郎は信じている。
いつかまた、危機があれば幻雷迅として共に戦えるようになることを。
読了ありがとうございました。