第五話 染まらないよ
「太樹はどうして俺を避けるんだ?」
唐突に、いや、ある意味いつも通りのタイミングで、大宮カケルは話題を切り出す。
「さぁね、別に避けてるつもり、ないけどさ」
隣に座る太樹はそっぽを向いた…いや、もともと顔など合わせていないのだが…。
「いや、避けてるね。それも完全に」
「いやいや、そんなことはないよ。ただ、もしそうだとするなら、君に非があるからそうなるんじゃないの?」
「いいや、そんなはずない。俺は完璧だ。だから、太樹が避けるのは何か理由があるはずなんだ。人には言えない、ワケが…はっ⁉もしや、俺のことが好きなのか?そうなのか?!いや、そうに違いないっ!だが、しかし…俺はあいにくそういう趣味はないんだ…すまん…太樹…」
そこまで聞いて、太樹は反対どなりのカナコへ顔を向け、殴っていいかな?という言葉を含ませた視線を送った。
対するカナコは相変わらず、すぎるくらいの辛口だった。
「殴る価値もないわ。それに、タイちゃんの手が汚れちゃうよ」
とカナコは平然と言ってのけた。
相変わらず、クールに決まっている。
つんとそっぽを向いたままの彼女の表情は、太樹や沙耶と一緒にいるときとはかなり違う。
だが、そんな雰囲気でも絵になってしまうのが、美少女の災難である。
思いっきり、罵倒されたのにも関わらず、カケルは夢見心地な表情で、やっぱり、カナコちゃんサイコーなどとぬかす。
「…真性変態バカヤロー…」
太樹は思っただけのつもりのセリフが思いっきり声となって、大気中に流れ出していた。
「ん?なんだ?太樹?」
太樹が反応してくれたと思ったのか、それともまだカナコの辛口コメントへの喜びが消えないのか、不気味なまでにふにゃふにゃした顔のカケル。
「なるほど。真性変態バカヤローね…」
カナコはもはや、いや、いつも通り、周りの耳など無視で、独り言とも言われないほどの音量の声で言う。
本来ならカケルを取り巻いている女子たちが、今にも飛びかからんとばかりに身を乗り出したり、睨みつけているが、生憎今は授業中だ。
そんな光景にヒヤヒヤしながら、太樹もクールに決めようとする。
「いや、別に」
だが、その作戦は失敗だった。
「なぁーんだよぉー太樹ー。今絶対なんか言ったろぉ?なあなあ」
夏の高めの気温、湿度よりずっとやりどころのないほどの暑苦しさだった。
先ほどのふにゃふにゃした馬鹿面のまま、太樹へ寄りかかる。
「だ、だからっ!何でもないって言ってるだろ!」
おもわず手が出ていた。
悪いのは、自分のくせに。
わかっているくせに、認めたくないのか?
離れてしまいたいのか?
反射的に動いた唇はカケルを突き放し、容赦なく動いた腕は想像以上の力でカケルを突き飛ばした。
これは、やりすぎだろ。
暴力にはラインがある。
ここまではOK、ここからはダメ。
明確なものでも、数値化されたわけでもなく、それでいて個人差もある曲者だが、それは確かに存在する。
例えば、ポンっと頭を軽く叩くのとグーで殴るというのを分けるライン。
そんな風に極端な表現もできるそれを太樹は感じ取っていた。
その臨界点を超えてしまうと、人は怒りやその他もろもろの負の感情にスイッチが入ってしまう。
その場合のほとんどの原因は痛みだが、それだって個人差がある。
そんなラインを踏み越えてしまった。
そんな漠然たる予測が太樹の頭の中で生まれていた。
目の前に椅子からなすすべなく崩れ落ち、隣の机に頭をぶつけるカケルの姿があった。
それは、やけにスローに見えた。
少しずつ、そのラインに近づいて行く。
そして、カケルが口を開いた。
「イッテェ、何すんだよ、太樹ぃっ!」
果たして、太樹の懸念は見事に大当たり。
打った部分をさするのも忘れて、真っ赤な顔のカケルが、その場から腰をあげ、太樹の机の前に立ちふさがった。
授業中なのに…。
「お前がなんで俺を避けるのかもわからねえ。何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないのかもわっかんねえ!わっかんねえよ!」
それだけ言うと、太樹がなにかいう前に、教室から駆け出した。
その足はひどく速かった。
もう、お前が手にいれるのは無理だ。
俺は手の届かない場所に行ってやる。
太樹にはその背中が、その姿が、そう、言いたげに見えた。
なにかが終わってしまった。
そんな感覚を持った太樹にはお構いなしに、授業終了のチャイムがなる。
集まるみんなの視線も太樹を苦しめたが、それ以上にカナコのそれの方が太樹には辛かった。
「なんだよ…もう…」
漏れ出した言葉は弱々しくて、その響きはまるで言い訳のようだった。
見回さないでもわかった。
新しいクラスでも…敵だらけだ。
太樹は屋上で、頭を抱えていた。
だだっ広くて、自由な場所。
無造作におかれたベンチは木製で、古いものらしく、ところどころささくれのようになっていた。
腰かけたまま、沈み込むようにうつむいた太樹は思考の海から抜け出せないでいた。
いや、それはもう後悔の海といってもさしつかえないかもしれなかった。
どんどん下がる太樹の気分とは裏腹に、日の力は増して行った。
昼休み。
日差しは強くなる一方だった。
頭から髪の毛を押しのけるように、ダラダラと汗が流れ、窮屈なシャツの襟元を濡らしていた。
それとともに、体の中のドロドロとしたズルさや理不尽さが後悔とないまぜになって、溢れ出る。
「どうして…こうなるかなぁ…」
一つの物事がいつまでも続くとか、終わりのない幸福とか、そんなものがこの世に存在しないことはとっくにわかっていたつもりだった。
だけど、いざとなったら、期待して、楽観して…。
弱い、弱いよ。
情けないくらい弱い。
太樹はやるせなくて、あの夢のごとく、手のひらで目の上に影をつくって、熱くたぎった日を仰いだ。
お前は強いや。
お前みたいに強くなれたら…。
手を伸ばして見た。
届くとか届かないとか、そんなことは二の次で、ただ、ちかづいてみたいと思った。
でも、やっぱりそこには期待があって、届かない、遠すぎるとしれた時、太樹はぐにゃりとした失望感を覚えた。
眩しくて、眩しくて、大きすぎ、遠すぎた。
廊下へと駆け出して行ったカケル。
なにかがきれてしまったような感覚。
するりと手の中から滑り落ちて、もう手の届かない場所まで逃げてしまった。
逃げてしまったものは…皮肉にも近かった時よりずっと輝いて…。
諦めたくせに、認めたくせに、また、期待してしまう。
いつか、いつかと。
でも、それは逃げ道で、小さな小さな駆け込み寺で、進んでしまえば、入ってしまえば…自分がどんどん苦しくなるだけ。
「でも、でもさ…どうしたらいいんだよ…」
身体からだんだんと酸素が抜けていく。
コポコポコポコポ。
小気味いい音と共に、少しずつ、口から、鼻から漏れ出して、もうほとんど残っていない、希望。
僕は、何をしたかったんだ?
気に入らないから突き放した?
それじゃあ、あの顔のないみんなと同じだ。
気づいたはずだ。
カナコだって、沙耶だって、顔のないみんなのうちの一人だったかもしれない。
けど、話して、遊んで、わかったはずだ。
顔のないみんななんて、初めからいないってことは。
誰かを嫌う心、誰かを突き放し、誰かを傷つけようとする心、それが顔も名前もない誰かだということを。
なのに、僕は…。
太樹は不意に嫌な感じを覚えた。
自分の顔から表情が抜け落ちて、やがて、目も口も鼻も耳も…何もかもがずり落ち、マネキンのようになってしまうイメージ。
染まっているな。
彼が笑った。
そうだ、彼は名前のない誰かじゃない。
ちゃんと名前がある、顔がある。
お前はどうだ?
彼は笑った。
大樹の身体中から嫌な汗が吹き出した。
お前も同じだろう?
いい子面してるだけだろう?
その顔に触ってみろ。
何もないだろう?
お前は誰だ?
彼はにたにたと笑いながら、大樹の背中にタバコの吸殻を押し付けた。
ジュッ、と嫌な音がした気がした。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
痛いか?
彼が笑う。
気がつくと彼の顔が目の前にある。
俺が怖いか?
彼は答えを待たずにいう。
いつだって彼は答えを聞かなかった。
悟ったような口ぶりで、不敵な笑と共に、歪んだ価値観を押し付けてきた。
もう一度言う。
お前も同んなじだよ。
だから、お前は避けた。
突き放した。
払いのけた。
そうだろう?
違うか?
違わないね。
彼の長い爪が、大樹の古傷を引っ掻いた。
それから、突きたて、えぐるようにグリグリと時計回りに回した。
痛い。
痛いか?
やめて。
やめて欲しいか?
お前だって、やっているくせに。
違う。
違わない。
お前はズルい。
彼は容赦無く革靴の靴裏を大樹の背中にぶちあてた。
やめて…やめて…やめてよお…。
太樹は泣き出した。
あの頃と同じように。
ふさぎ込み、ただ、涙を流すだけで感情を抑えようとしていたあの頃と同じように。
昔よりずっとタフになったと思っていた。
頑丈で、鉄人のようになれたと思えていた。
でも、それは…偶像だった。
イメージだった。
太樹は鉄人を味方につけていただけだ。
鉄人は主人の力不足を悟り、反抗し出す。
いいぞ、やれ。
彼の声だ。
鉄人は硬くて大きなその腕を振り上げた。
狙いは…僕だ。
振り下ろされるそれは重力の力を借りて、横殴りの何倍も力を持つ。
一溜まりもない食らったら、一溜まりもない、一撃。
太樹には逃げ道などなかった。
どのみち…もうここからは抜け出せない。
大樹の口から最後の空気がコポリと抜け出した。
途端、身体は沈んで行く。
もう、底は近い。
追いかけてくる、鉄人の重くて太い腕。
彼の笑い声が、違和感を覚えるほど大きく響いた。
太樹はもはや諦めがついて、醒めた目で眺めた。
そんなに力一杯でなくても、そんな風に焦らなくとも、もう…すぐ…。
意識が遠くなって行く。
いや、もうずっと前からなくなりかけていた。
痛みも苦しみも、彼もいない世界に行ける。
そう思ったら、そんなに嫌でもない気がした。
身体を水へ任せた。
あとはただ沈むだけ。
自然と閉じて行く瞼。
眠るように死んで行く。
だが、その時、不意に、彼ではない声が大樹の意識を揺らした。
「悪かった…その…なんだ…俺、なんかさっきは熱くなって…ていうか、そうだよな、そもそも俺、熱すぎだよな…だから、まともに友達になれたやつ、あんまいないし…遊んでくれんのは女子だけだし…」
そいつは、柄にもなく、沈んでいた。
肩を落とし、俯いて、その耳は真っ赤だ。
もしかしたら、顔も真っ赤なのかもしれない。
口から出た言葉は本当にらしくない、自信もハリもなくて、ただブツブツつぶやいているだけにしか聞こえなかった。
でも、太樹にはそれで十分だった。
救い主を眺めた。
「ああ…ズルいや、真性変態バカヤローのくせにさぁ…」
太樹は悔しそうに笑った。
認めるしかなかった。
彼はいい奴だ。
それも、とびきりいい奴かもしれない。
友達三号にふさわしい。
「悪いと思ってるならさ、僕のこと、許してよ。そうしたら許してあげるよ」
太樹はベンチから立ち上がって、階段を上がってすぐの扉付近に立つ、カケルへ顔を向ける。
カケルは顔をあげていた。
まだ、赤かった。
それは、きっと暑さだけのせいではない。
「ったく、なんだよ。心配して損したぜ…お前って、素直じゃないよなぁ、大樹」
芝居がかった動作で手を振るカケル。
「そっちこそ。まともな男子の友達いないくせに」
負けじと大樹も言い返す。
座っていた時より、ずっと暑さをました空気が身体を駆け巡っていた。
「お前だって、それは同じだろ?沙耶ちゃんとカナコちゃんだけじゃねえかよ」
それから、二人はほとんど同時に吹き出した。
なにやってんだか。
笑ってしまう。
こんなのは初めてかもしれない。
なんか、どうしようもないくらい、楽しいや。
「なあ、でもよ、お前が俺を避けてたのって、あれだろ?俺の性格のせいじゃないだろ?」
カケルは唐突におかしなことを言い出した。
「はぁ?ひとえにそれだけだと思うよ。ホント。まあ、あそこまでやることなかったと謝りはするけどさ」
「いいや、違うな。大樹、お前、カナコちゃんのこと、好きだろっ?」
「は、はぁっ⁉なにを言って…」
「だから、なれなれしくカナコちゃん呼ばわりする俺が気に食わなかったんだろ?」
「ば、バカッ!ちがうよ。別に、そんなんじゃ…」
「図星かよ…お前、わかりやすいな…大樹」
大樹の前まで歩いてきて、カケルはその肩に手をおいた。
「だからっ!違うって…」
「いうな。カナコちゃんは鈍いからな。いっくら言っても伝えたいもんは伝わらねえ。だから、お互い頑張ろう。これからはライバルとしてっ!」
「いや、だから、ホント…」
「俺といういい男が相手じゃあ厳しい勝負になると思うが、お前も頑張れよ。大樹…いや、俺としては頑張ってもらわない方がいいのか?」
カケルは首をかしげた。
そんなカケルのペースに乗せられてしまった大樹はもう、呆れたようにその姿を視界に収めるしかできなかった。
「もうっ、話を聞けーっ!!!」
大樹のさけびとともに、キーンコーンとチャイムが鳴った。
「やべえ、昼休み終わったぞ。行こうっ!」
汗でべたつく大樹の手をおんなじくらい湿ったカケルの手のひらが包み、引っ張った。
そのまま駆け出す、カケル。
「わ、わかったから、その手をはーなーせえっ!」
口ではそういいつつ、太樹はその手をなぜか、握りしめていた。
こいつは離れなかった。
彼とは違うんだ。
だから、大丈夫。
駆け下りた階段がタンタンと小気味いい音を立てて、大樹の気分を明るくした。
巻き起こる風が、シャツの隙間に入り込んで、心地よかった。
染まらない。
僕は染まらないよ。
アラン。
目の前を走るカケルのなびく金髪を彼と重ね合わせる。
彼は染めなくとも、金色だったっけ。
浮かれた心の中では彼への恐怖は生まれなかった。
ったく、カケルは…意外に真面目なんだな。
五時間目のために、こんなに焦って…。
つくづく、憎めない奴だよ。
ホントさ。
二人が教室に戻って、席についた時、カナコへ檻村さんと呼びかけたカケルが、不機嫌そうに顔を膨らませたカナコに説教されたのは、言うまでもない。