第四話 どこにも行かないよと確かに僕は約束した
「ちくしょう、なんで太樹ばっかり…」
悔しそうにうめいたのは、同級生の大宮カケルだった。
太樹からすれば、三年になって、たまたま同じ学年、同じクラスとなったというだけの関係性しか感じていない。
どちらかといえば…と言うか全面的に嫌いなタイプの男子だった。
うわついたシャレやら世間話しかしない、どうしようもないアホ野郎だと、さえ思っている。
だから、突っぱねる。
「知らないよ。なにもわからないし、聞こえない」
それから、席替えを悔やんだ。
どうしてこう、面倒臭いやつと隣にならなければいけないんだ。
太樹は本気で凹んでいた。
これが、あと一ヶ月も続くとなると…先が思いやられる。
まだ、席替えから二日だというのに、カケルの馴れ馴れしさは、あたかも友達かそれ以上に親しいものに対する時と同じくらいに増していた。
その原因は太樹のカケルと反対側の隣に座る、檻村カナコにあるのだが、解決策はない。
「あーあぁ…俺、これでも一途なんだぜ…」
カケルはため息と共に、見事に金色の長い前髪をかきあげた。
髪の毛の色に突っ込む前に、まず、その動作自体が、キザっぽい。
どうしようもなく、キザっぽくて、そのくせわりと整った顔だから、さまになっているからこそ、なおさら、あれなイメージを思わせた。
だから、太樹は答えなかった。
そもそも、なにも聞かれていないし、独り言だろう?
済ました顔で、肘をつき、黒板を見上げていると、横から予想外の反応。
「おいおい、そりゃあねえだろうよぉっ!太樹と俺の仲だろ?な、な?」
太樹は不意に肩をだかれていた。
今は季節は夏だ。
夏休み前とはいえ、ほとんど暑さも本格的になってきている。
あまり汗かきでない太樹ですら、シャツの下にTシャツを着てこなかったのを後悔していた、そんな時期だというのに、なんと暑苦しい。
「なにするんだよ」
太樹はその腕を引き剥がそうとしたが、それより早く、隣から助け舟が入った。
「めっ!」
パチンっ!といい音と共に、カケルの腕をカナコがはたいたのだ。
「ふぇっ⁉」
突然のことに、柄にもなく、変な声をあげたカケル。
普段以上にだらしない顔だ。
驚きだけじゃあない。
いや、むしろ、あれだけだろう。
「ラッキィー…やっぱ太樹とつるむといいことあるぜ」
その証拠とでもいうべきか、ぎりぎりカナコには聞こえないくらいの音量で、カケルは言う。
まったく、救いようのないバカだ。
でも、どうして、カナコさんなんだろうかと太樹はふと思った。
彼は、そのルックスのせいか…いや、百パーセント、ルックスのおかげで、言わば、学校のスター的存在だ。
その気になれば…言いづらいが、カナコさんより派手な見た目の女子も、大人し美人な女子も、いくらだってモノにできるだろうし、同時に何人かを侍らすことさえできるはずだ。
それなのに…言い出しづらいが、なぜ、クラスのパシリ、かつあまり目立たないメガネ女子の、それも少し性格きつめなカナコさんなのか?
聞いてみたいが、それよりもずっと、一秒でも早くこいつから離れたい。
でも、そのあと聞こえたカナコの毒舌は太樹の予測をはるかに超えたものだった。
「いーい、大宮くん、タイちゃんに絡まないで、変な病気が移ったら大変なんだから」
大きな声だ。
それも、かなり皮肉っぽい声。
悪意やら何やらが存分に含まれて、耳元に嫌な感じを残すような、そんな声。
当然、クラスの女子たちは、一斉に振り向いて、ものすごい殺意に近い、いやもう殺意そのものと言った方がいいかもしれないどす黒いものを含んだ視線でカナコを射抜いた。
しかし、相変わらず、カナコはクールに決まっていた。
本当のことを言ったまでよ!とばかりに、そんなことを口に出さないまでも、それとなく伝えるふうな感じに、皆の視線をツンっと跳ね返す。
女子たちは唸り、やがてカケルの方へ同情に近いものを含んだ視線を向けるが…
大宮カケルはやっぱり、変態だ。
本物の変態だ。
少しくらい、ショックを受けていいではないか。
ていうか、受けろ。
少しでも心配した僕に報いろ。
そう、太樹が思ってしまうのが無理もないほど、カケルの反応は異様だった。
「病気…ねぇ、それはつまり、あれか?俺から溢れ出る魅力が太樹に移るってことか?心配するなよ、俺の魅力は俺だけのものだよ。無論、カナコちゃんだけのために使うんだけどね」
そう、言って見せた。
他の男子が物怖じしてなかなか言い出せないカナコの名前をしっかりと呼んで。
はずかしげもなく、他人の暴言を若干の褒め言葉にしてしまった。
間違えた。
と太樹は思う。
こいつはただの変態バカヤローじゃない。
真性の変態バカヤローだ。
「タイちゃん…どうしてこんなバカが女子に人気あるの?」
カナコが先ほどの暴言をあたかもなかったものとしたがごとくに、たいそう不機嫌な顔になり、太樹に言った。
太樹は気だるそうに机に突っ伏しながら、わかんないと答えた。
「やっべえ、本人の目の前で陰口なんて、エスか!エスなのか!カナコちゃん!」
おいおい…。
バカに拍車がかかった。
解釈の幅が広がって、より一層喜んでいる。
たぶん、カナコさんが言ったことならなんでもいいんだろう。
なにせ、真性変態バカヤローなのだから。
ほら、今なんか、またあの前髪をかきあげている。
それを頭のてっぺんまで持ち上げて、さぁ〜とか手のフリまでつけるものだから、女子たちが沸き立つ。
ああ、世の中見た目なんだなと思いながら、太樹は女子たちの黄色い声に耳を塞いでいた。
太樹はその手の声が一番に苦手だった。
「うるせーなあ、なんだぁ?この騒ぎは?」
喜びに満ち溢れたアホヅラだったカケルが顔をしかめる。
あーあ、いるんだよ。
無意識なやつ。
鏡、見たことないのかな?
いや、あるか、普通。
でも、それであれは、ちょっと、なんていうか、社会に疎いっていうか、天然っていうか、天然真性変態バカヤローってもはや救いようが…まあ、関係ないけどね、僕には。
そんな時、チャイムが鳴る。
次の時間は…なんだっけ?
もう、準備を忘れるくらい、絡まれて、休み時間で休めないって…一体どういう学校生活だよ。
いや、普通か、普通なのか。
周りを見て、太樹は思う。
そうか、これがみんなの日常なのか。
どうりでいじめやら何やらが起こるはずだ。
こんなストレスを毎日抱えてるんだから。
これが、一ヶ月続くかと考えて、太樹は頭を抱えた。
少し大げさにやりすぎたせいで、
「おい、大丈夫か?」
とカケルに声をかけられた。
本当はいいやつなのかもしれない。
でも、と太樹は否定する。
この手のタイプはダメだ。
昔、ずっと昔に…いや、もうやめよう。
太樹は心配ないよとヒラヒラと手を振った。
突き返せよ、バカ。
とそのあと自分で自分を叱りつけた。
放課後、いつものように、太樹は校門前で、カナコと一緒に沙耶を待っていた。
放課後の少し時間がたったくらいが、一番暑い。
太樹はパタパタとワイシャツの襟元を上下させ、風を求めるも、その風自体が生ぬるいか、それ以上の温度を誇っている。
とても、涼は求められない。
だけれど、一度やり出すと、やめてしまった時により一層暑いから、手が疲れるまでやり続ける。
ああ、暑い。
「ほんっと、バカよね、大宮くん。なんであんな人が学校のスターなのか意味不明よ」
隣に立つカナコが校門の赤レンガの壁にもたれかかりながら憤慨する。
「うん、まあ、でも、顔じゃないの?ほら、大抵女子ってメンクイだって聞いたことあるけど」
暑くないのかなと思いながら、太樹は答えた。
「あ、それすごい偏見ね。それって、どうせごく一部の女子に適当に質問しただけでしょ?…それに、それって、自分で自分を褒めてるようなもんじゃない…」
「ん?」
偏見か。
なんだか、最後の方が聞こえなかったけれど、まあ、確かにそうだ。
誰かから聞いた実証のない話で他人の性質を定義するなんて、間違ってる。
それを身を持って知っていたはずなのに…。
染まってるな、と思う。
少しずつ、馴染んでしまっている。
クソッタレな世間とか常識とかにとらわれて、自分ががんじからめにされていくのがわかる気がする。
そんなんじゃ、だめだ。
「そうだね、確かにさっきのは悪かった。ごめん」
とりあえず、謝った。
もちろん、それ以上にできることなんてないけれど。
対して、カナコはなぜか安心した顔して、
「よかった。聞こえてなかった。セーフセーフ」
と言った。
太樹は全然会話がかみ合っていない気がするのを口に出すか出すまいか迷って、結局やめた。
「それにしても、沙耶、遅いね」
「うん」
太樹とカナコはすでに二十分はそこに待機していた。
正面から浴びる日差しは強く、背中を向けても、ジリジリと焼けるようだ。
そのうち、溶けるんじゃないか?
とか、冗談でもなく思ったりする。
そんな時、あの、季節外れの雪を思い出す。
もうかれこれ、四ヶ月前か。
その時の休校のおかげで…。
カナコを太樹はちらりと見てから、微笑んだ。
それから、視線が合っていたことに気がついて、気まずそうに顔を背けた。
「は、反則っ…不意打ちは反則よ…」
カナコが何かを小声で言っているが、それは太樹の耳にはいることはなかった。
それから、少したって、ようやく沙耶が校舎を文字通り飛び出して、電光石火で太樹たちの元へとやってきた。
「ご、ごめっ!ごめん!待ったぁ?」
息が上がっている。
うまく立ち止まれなくて、レンガの壁に手をついて勢いを殺した沙耶。
止まってからも膝に手を起き、空気椅子みたいな態勢をとる。
相当必死でかけてきたみたいだった。
心底申し訳なさそうにしている。
太樹たちは彼女が三年生になって、風紀委員長になり、忙しくなったのを知っていた。(カナコさんは進級の際に風紀委員も学級委員もやめてしまった)
本来なら大丈夫とか、待ってないとか気を遣うところだろうが、あえて、そんなことはしない。
「うん。ご覧の通りすっごく待ったよ」
太樹は意地悪く笑う。
「ええ、ほんと。かれこれ数時間くらい」
カナコも乗っかってくる。
なにせ、沙耶はいじりがいがあるのだ。
しかし、流石に数時間は言い過ぎだろう。
それだったら、まだ授業終わってないじゃないか。
「ご、ごめんなさい!そんなに待たせちゃったなんて…」
すごい。
引っかかったよ。
沙耶…恐るべし。
太樹は呆気に取られ、意地悪い笑みを取り繕うのも忘れてしまった。
それから、そういや昔からこうだったなとうつむいた沙耶を見ながら、懐かしい思い出を頭の中で再生する。
そのビデオ映像のようなそれは、やけに鮮明に、映った。
あたかも観賞用に作られたがごとく。
それほど、太樹の頭の中でのそれが強い存在感を残していたのかもしれなかったが。
夏日…いや、真夏日だ。
うだるような暑さの中、どういうわけか、幼い太樹は外で遊びたがった。
沙耶と一緒に。
外へ行っても、近くには公園もあまりないし、特別かくれんぼに使えるような廃屋なんかもなくて、ふたりでできることなんて、たかがしれていた。
それでも、太樹は外で遊びたがった。
沙耶と一緒に。
なぜそんな炎天下になんの計画もなしに外に飛び出すに至ったのかは今の太樹は忘れてしまったが、おそらく、太樹は沙耶と一緒にいたかったのだ。
彼女と一緒にいさえすれば、それだけで楽しかったのだ。
だから、いつだって、近所の沙耶をわざわざ家まで行って誘った。
換気のために開け放たれ、いつも取れかけたカーテンがまとまってたなびいている、沙耶の部屋へと届くように、大声を出した。
「さーやー!!」
「はーい」
返事はすぐにあがる。
もう、太樹の暑苦しいまでの絡みに慣れていたのか、それとも、むしろ、そうあることを望んでいたのかもしれない。
とにかく、返事をしてからすぐに幼い沙耶は驚くべき速度で白いワンピースに麦わら帽というあまり外遊びには向かないような格好に着替え、出てくる。
その端のレースの部分は少し、茶ばんでいた。
それは、いつか太樹が冒険と言い出して、たまたま見つけた空き地の奥にあった、誰かがいたずらでほったのかわからない深い井戸のような穴へと潜り込んだ時に、一緒になって、ドロドロになった時のものだ。
それを見て、太樹は一抹の罪悪感を持ったのかはもう、わからない。
それから、出てきた沙耶の手を半ば強引にとると、楽しげのない町中へ駆け出す。
入り組んだ住宅街を、慣れた足取りで、わざと遠回りして抜けて、商店街へ。
それから、行きつけの八百屋さんや肉屋さん、売り文句をいう声が少し大きすぎる魚屋さん。
たくさんの店。
彩りは鮮やか…に見えるが、どれも廃れかけている。
そもそも、御伽駅で降りる人間なんて、ほとんどいないのだ。
有名会社の根拠地でもなければ、テーマパークがあるわけでもない。
テレビが回ったことなどもほとんどない。
華がないのだ。
だから、駅構内や駅周辺はもちろん、駅前の商店街もガラんとして、人通りなど、ほとんどない。
勢いや伝統がない店は、地元のリピーターを確保するか、自らの身を削るようにして練り出した資金でイベントでもしない限りは潰れてしまう。
太樹たちはそんなかわいそうな商店街を一気に突っ切り、駅前に出る。
それから、線路沿いに隣の駅へと向かった。
隣は、朧げ山前駅だ。
こちらは夢物地方名物の朧げ山への登山口に直結しているおかげで、まずまずの勢いがある。
それでも、土日以外は基本的に人が少ない。
そもそも夢物地方自体が廃れているのでは?
そんな考えさえ浮かぶが、当時の太樹にはその方が好都合だし、なによりそんなことを考えられるほど頭の回転ははやくなかった。
太樹たちは、ようやくついた登山口で料金を取られずに柵を超えて入り込んだ。
暑い日だ。
客はいるが、そこまでの数でもない。
学校の先生ならピクニック日和だとかいうだろうが、強すぎる日差しは、結局熱中症やら脱水症状やらの原因になりかねないのだ。
歩いただけで、帽子をかぶっていない頭が焼けるように暑くなる、そんな日に、ダラダラと汗をかきながら、山をうろつきたい者は少ないのかもしれない。
山は登るほど涼しいというが、あまり高さのない朧げ山の標高でそこまで気温が変わると言うこともないだろう。
家の中でクーラーの風を浴びていた方がよっぽど納涼だ。
そんな場所へ太樹が出てきたのは、最近いくら工夫をこらしても地元の御伽地区ではあまり楽しい遊びが考え出せず、沙耶に愛想をつかされてしまうのではないかと考えたからだった。
新しい場所で、新しい物を探す。
これ以上に楽しいことはないだろうと。
実際、朧げ山は楽しかった。
今の太樹ならひっくり返るくらいの量の虫がたくさんいて、見たこともない綺麗な花々がたくさんあった。
突然に地面が隆起した壁のようなところをよじ登ったり、整備されていない、天然の洞穴のようなものを見つけて潜り込んだりした。
それはそれは夢のような時間だった。
それは太樹にとってだけではなく、沙耶もどうように楽しそうだった。
山の中で見つけた一番綺麗な花よりも、より可憐に花開いた沙耶の笑顔は太樹を簡単に虜にすることができてしまうほど、魅力的だった。
そうして、二人とも満足げに笑いあい、どちらからともなく、疲れた足を帰路へと戻して行った。
それから、朧げ山前駅の裏っかわにある二人がけのベンチへと腰をおろした。
そして、太樹はその日、本当に言いたかったことを言った。
「沙耶。俺がもし、もし…いじめられてるとしたら、カッコ悪いよね」
「どうして?」
沙耶がキョトンとする。
大きな瞳をパッチリと開いて、首をかしげた。
「どうしてって、ほら、俺が誰かに殺されちゃうくらい殴られたり、蹴られたりしたら、カッコ悪いでしょ…」
「ええっ⁉やだよ、太樹死んじゃうの?そんなのいやっ!」
沙耶が太樹にしがみついた。
行かないで。
そう言っている風だった。
それは、本当に太樹がそんなことをされていて、もしかしたら太樹が死んでしまうかもしれない。
そこまで真剣に考えてしまっていたのだ。
「いや、その…」
太樹が恥ずかしさやら罪悪感やらでうまく例えばだよ、例えば、とも言い出せず、手をこまねいていると、
「いやだよぉっ!太樹〜!」
沙耶が本格的に泣き出した。
小さな顔を涙でいっぱいにして、太樹をひっつかんだまま泣きじゃくる。
その塩っ辛いものが泥だらけの太樹のTシャツに黒いシミを作っていた。
それは、止まらなくて、太樹はそれをみると、やるせなくなって、でも、何も言うことができなくて、ただ、静かに、赤子をあやすように言うしかなかった。
「俺はどこにも行かないよ」
太樹はその時からずるかった。
大事なところには踏み込まないで、現状の痛みだけを最小限に傾けるだけだった。
それでも、沙耶は大粒の涙がボロボロと落ちて、ほおを伝っているままの顔で太樹を見上げ、こう言った。
「じゃぁ…や、ひっく、約束…約束だよ?」
沙耶が真剣そのものの顔で小指を差し出した。
少しだけ、かぴかぴに乾いた土がくっついていた。
太樹はもう何も言えなくて、ただ、無造作に自分の小指を差し出した。
約束。
そう、何があったって、離れるもんか。
ずるい頭で太樹は精一杯の誓いをしたのだ。
涙も乾くくらい、暑い日差しの中で。
「あ、今、沙耶のこと考えてたでしょ?」
「え?!いや、別に、そんな…ことは…」
「うわあ、動揺しすぎ」
カナコが意地悪く笑う。
そこで太樹は見事にいじられる対象が自分に移ったのを認識した。
「そ、そうなの?太樹」
「いや、別に…ただ、沙耶は昔と変わらないなあっと思っただけだよ」
「なにそれっ!ひどいっ!」
沙耶がなぜか胸を押さえ、涙目になる。
いやいや、そういうのじゃないから。
「違うよ?全然そういう意味じゃないよ?ただ、ほら、信じやすいところとかさ」
とりなすように太樹は胸の前で手を振った。
「な、なんだ。そういうことか…恥ずかしい…」
「うん。早とちりだよ、沙耶は。まあ、それも昔と変わらないけどね。ほら、あの時…」
そこまで言いかけた太樹の口をカナコが手で塞いだ。
「ふがあっ、むごっ…って、ちょっと、なにするのさ、カナコさんっ!」
結構長く息を止められたせいで、沙耶と同じかそれ以上に涙目になった顔で太樹はカナコに向き直る。
そこには、犯人のくせして、ムッとしたカナコの顔があった。
それは、怒っているというより、不機嫌という方がしっくりくる微妙な表情だった。
「なにするもこうするもないよ。新しい友達の前で、幼馴染の昔話するなんて、ありえないでしょ」
「………」
少しの間考え込んでから、太樹はハッとして、ごめん、と謝った。
「わかればよし!んじゃ、帰ろ」
カナコが爽やかに言った。
その、表情の展開の早さに、太樹は驚くが、もう、それにもなれてきていた。
カナコは強い。
嫌なことも、辛いことも、一瞬でスッキリさっぱりと洗い流してしまう。
水に流すという言葉をしょっちゅう実践している。
それから、呪文みたいにわかればよし!と締めのように言って、もう、泣き言も愚痴をいうこともなかった。
そんな彼女の強さに太樹は憧れに近いものを抱いていたのだ。
「うん!」
はやくも歩き出したカナコを追うように、沙耶が歩き出す。
そんな二人に従う召使いのように太樹も歩き出した。
遅れないように。
離れないように。
相変わらずのギラギラした日の光が、三人を溶かさんとばかりに、手加減なしで降り注いでいた。
ミーンミーンと遠い蝉の声が聞こえてくる。
近くだと、耳障りだが、ある程度離れれば、夏の到来を伝える心地よい音色となる。
夏だ。
まぶたの上に手をかざしながら、二人に遅れを取らない速度で歩きながら、そんなありきたりなことを太樹は思った。
そして、昔、ちょうど四ヶ月前に見た夢を思い出す。
『あなたも、見えるの?』
と彼女は言った。
不思議な夢だ。
今思えば、彼女は何を言いたかったのだろう?
彼女は、誰なんだろう?
なぜか、頭を離れなかった、あの夢。
この四ヶ月間、たくさんの夢を見てきたはずなのに、それだけは頭から消えるどころか、欠けもしなかった。
『逃がさないから。やっと見つけたんだ君を』
消えかけた意識の中で、いや、現実へと覚醒しかけた意識の中で、妙にはっきりと聞こえた誰かの声。
果たして、それは誰の言葉だったのだろう?
「タイちゃん!早くしないと、大宮くんが追ってくるよ?」
いつの間にかかなり太樹に差をつけて前を歩いていたカナコが振り返り、言った。
「それ、笑えないかもっ!」
太樹は駆け出した。