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恋文   作者: 悠凪
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 聖の作りすぎた煮物は、夕食にまで持ち越され、尚且つまだ余っていた。明日も食べなけばいけないと二人で笑い合い、穏やかな時間を過ごした。

 こんな風に幸せを感じることが出来る日を、コウも聖もとてもありがたくて、自然と笑顔になれる。

 その日の夜は、聖の様子が少しおかしかった。コウが風呂に入っていると背中を流そうとしたり、晩酌だといってやたらと張り切ってくれたり、今までの聖ではないくらいにコウに近づきたがる様子に、そのたびにコウは珍しく慌てては丁重に断る事を繰り返した。

「今日のあなたは一体どうしたのですか?」

 呆れたような、疲れたような声音で、コウは聖に尋ねる。長い髪を夜風に緩やかに躍らせて、縁側で座る男は少し後ろに座る少女を振り返り言った。

「別に…なんでもないです」

 小声で返す聖に、コウは小さく笑って、自分の横に座るように促した。静かに隣に腰を下ろした聖と共に、しばらくは空を見上げて星を眺めた。

 聖も特に何も言わない。ただ穏やかな時間を心地良く思うのと、隣にいる大切な人の様子を見ながら、その純粋な瞳を細めた。

「何ですか。じろじろと見て」

 ふとコウが意地悪げに聖を見下ろした。

「いえ…先生の顔は綺麗だと思って…」

 端整な顔のコウを思わずじっと見てしまっていたことに恥ずかしくなって、聖はその日焼けした頬を赤く染めた。

「私などたいしたことはありませんよ。あなたのほうがよほど可愛らしくて素敵ですよ」

 クスクス笑いながらコウが言うと、聖は少しだけ顔を曇らせた。

「どうかしましたか?」

 きょとんとしたコウが聞くと、聖は上目遣いにコウを見て、それから少々拗ねた様子で答えた。

「先生は、いつも私を可愛いと言います。そのことはとても嬉しいのですが、なんだか先生の子供になったようで…」

「足りませんか?」

「え?」

 言葉を遮るようにコウに言われて、今度は聖がきょとんとした。それに長い髪の毛をかき上げて、優しい眼差しで見つめた男は続けた。

「私の言い方では、あなたは不安ですか?」

「…そういうわけではありません。でも、少しだけ…寂しいような気持ちもあります」

「寂しい?」

「私は先生の事を好きですが、先生と私では、その種類が違うとでも言いましょうか…上手く言えませんが、少しだけ寂しいです」

 言葉を選ぶように聖は小さな声で言った。

 不安。がそこにあった。小柄な少女の体がまだ小さくなるように俯き、最後は消え入りそうなほどの声で言った聖に、コウは優しく穏やかな微笑でその少女の姿を見た。

 そっと、風呂上りの艶やかな聖の髪の毛をなでる。サラサラと指の間を零れるその感覚に、気持ちよくて、長い睫毛に囲まれた穏やかな瞳を細めてコウは話した。

「私と共にいてくださることを、とても感謝していますよ。あなたの大切な時間を頂くのですから、こんなに幸せな事はありません」

「先生・・・」

 顔を上げた聖の穢れのない大きな目に、大きな愛情を湛えたコウの瞳が映りこみ、視線が交わる。

「私はあまり自分のことをうまく伝えるのは苦手です。ですから、何か思うときは話をしてください。これは私からのお願いです。それと」

 そこで言葉を切り、大きな手で聖の方を抱き寄せたコウは、耳元でそっと囁いた。

「私は、あなたをお慕いしています」

 優しい声が聖の鼓膜を震わせるのと同時に、聖の唇にも温かい愛情を湛えたコウの唇が触れた。互いの体温を共有するそれは聖の心の中にしっとりと染み込み、更なる愛情をもたらす。驚いて目を見開いた聖の視界いっぱいにコウの整った顔が見える。ぼやける位に近い距離に、聖もコウも誰にともなく感謝した。




 数日後、往診に出かけるコウが、ふと聖に何かを渡した。視線を落とした自分の手の中には、綺麗な筆跡で自分の名前の書かれてある手紙があった。

「何ですか?これ」

「私の気持ちです」

「は?」

「普段はあまり言えないことも、こうして筆を取れば言えるかと思って、書いてみました。恥ずかしいので私が出かけてから読んでくださいね」

 そう言って、コウは微笑み、ほっそりとして指で聖の頬をくすぐるように触れて、家を出た。残された聖は呆然としていたが、部屋に上がりこみ、震える指でそっと手紙をあける。

 コウと出会った当初から、読み書きを教えてもらっていた聖は、ゆっくりとその手紙を読んだ。見慣れたコウの綺麗な文字でつづられたその想いに、堪らず涙が零れてくる。滲んだ視界で見るその手紙は温かくて優しくて、大らかなコウそのものだった。

 聖は読み終えた後、子供のようにわんわんと一人で泣いた。嬉くて幸せで、こんな幸せな事があって良いのかと思いながら、手紙を胸に抱きしめて泣いた。

 大好きな人のことを幸せな気持ちで思う涙は、とても心の満たされるものだと、少女は初めて知った。こんな素敵な事も教えてくれたコウに感謝して、これからも自分の命がある限りあの人の傍にいようと思い、大きな瞳から涙を零した。



   (おわり)

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