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翌日、コウが村人の家に出向き帰ってきた時、聖はなにやら料理をしていた。真剣な顔で鍋の中を覗き込んでいるため、コウが帰ってきたことにも気付いていない。時間はちょうど昼になろうとしている。
昨日切って短くなった髪の毛で結い上げた髪の毛が、良く似合っている。可愛らしさの中に少しだけ大人っぽさを含んだ少女の横顔を見て、コウは微笑んだ。
「何を真剣な顔をしているのですか?」
「えっ!あ、先生…おかえりなさい」
「はい、ただいま」
おもいきり素っ頓狂な声を上げた聖に、思わず小さく吹き出してコウは尋ねる。すると聖は眉根を寄せて困ったような顔になった。
「それが、煮物を作ったのですが…味見をしすぎてよく分からなくなってしまいました…」
なんとも、情けない顔で呟いた。鍋の中には魚と根菜の煮物が見える。
「いい香りがしてますよ?美味しいのではないでしょうか?」
「そうなのでしょうか…何回も味見をしたのでもう訳が分からないです」
「…私も、味見をしていいですか?」
ふとコウに言われて、聖はきょとんとした後、嬉しそうに笑った。日焼けした顔に満面の笑みを浮かべて、箸でいくつか野菜と魚を皿に移した。
「そんなに沢山では食事になってしまいますよ」
聖の取った量にコウは苦笑した。それでもかまわず少女は箸で里芋を取ると、そのままコウの顔の前に差し出した。背の高いコウの口元にそれを持っていき、ニコニコと笑っている。
「…あの、これは?」
コウが問うと、聖は更に笑って言葉を返した。
「味見をして下さると言ったのは先生じゃありませんか」
「確かに言いましたけど…自分で食べられますよ?」
「はい。でもせっかくですから、私がお手伝いします」
「お手伝い?」
ますます訳の分からないことを言われて、コウはきょとんとしてしまう。長い睫毛に囲まれた明るい茶色の瞳で少女を見ると、その少女も綺麗な瞳で見て返し、互いに愛情の含まれた視線が絡み合う。
「だって先生は外からお帰りになって、まだ手も洗っていらっしゃいません。ですから私が食べさせて差し上げます」
とても愛らしい笑顔で聖は言った。
「それは、そのままあなたから食べろと言う事ですか?」
そう言ったコウの顔が赤くなる。視線を外して、睫毛を伏せてしまった。
「先生?どうかされましたか?」
小動物が小首を傾げるように聖はコウを見上げている。それにますます端整な顔が赤くなった。
「いえ…少し恥ずかしくて」
「恥ずかしい?何がですか?」
全く分かっていない聖は、その穢れのない綺麗な瞳をきょとんとさせる。
「このまま食べないといけませんか?」
視線を外したまま問うコウに、聖は眩しさすら感じさせる笑顔で頷いた。しばらく黙っていたコウは、やがて諦め、差し出されたその里芋を、綺麗な唇に食んだ。その顔はなんとも言えない恥ずかしさに赤いままだ。
無言で咀嚼する目の前の男に、聖はじっと視線と止めたまま何か言われるのを待つ。その視線さえ、コウには恥ずかしい。こんな風に少女に翻弄されるなんて思いもしなかった。恥ずかしすぎて不機嫌な顔になっていたのか、聖が不安げに瞳を揺らめかせた。
「どうですか…?」
上目遣いに見上げられたその瞳の中にある不安を感じたコウは、あわてて優しい笑顔を浮かべて、小さく頷いた。
「美味しいですよ。少し味が濃いような気はしますが、次は上手くできるでしょう。こんなに沢山作ってくださってありがとうございます」
にっこりと笑ったコウに、聖は大きく安堵の溜息をついた。そして鍋の中に視線を移して、気まずそうに笑う。
「本当に、多すぎますね。全部食べられるのかな?」
二人には、とてもじゃないが多いその量に、コウはにやりと意地悪げに笑った。
「沢山食べれば、成長するかもしれませんよ?」
「それは…どこが成長すると仰りたいのですか?」
「ご想像にお任せします」
くつくつと喉の奥で笑うコウに、聖はぷっと頬を膨らませて俯いた。
「私の体が子供っぽいのは充分自覚しています。……先生?」
「なんですか?」
ふと、聖が真面目な顔で尋ねてきた。それにコウは穏やかに返事をすると、聖は真剣な表情と声で言う。
「先生は女性らしい体が好みなのですか?」
「…は?」
あっけに取られたコウは、珍しく間の抜けた返事をした。そんなコウにかまいもせず、聖は詰め寄る勢いで同じ質問をした。
「ですから、女性らしい、たとえば…胸の大きな女性が好きなのですか?」
「何を言って…」
「私は真剣なんです。女の私がこんな事を聞くのははしたないのかもしれませんが、教えてください」
真剣すぎるだろうと、コウは心の中で驚く。しかし微塵もふざけた様子のない聖に小さく笑って、その長い睫毛の下の優しい瞳を笑みの形に変えた。
「私は見た目で人を好きになったりしませんよ。だいたいそんなに胸などには拘りはありません」
「…そうなんですか?」
「はい。そこだけが女性の魅力ではないでしょう?」
「確かに。でもないよりあった方が良いのではないですか?」
なおも食い下がる聖に、コウは困ったように眉根を下げて、それから幼さの残る聖の顔を覗き込むように膝を軽く折って見つめる。
「そこに魅力を感じる男なら、あなたを好きになることなどないのではありませんか?」
明るめの茶色の瞳が、意地悪げな色を帯びて聖を見る。それに聖は顔を赤らめて睨んだ。
「先生は本当に意地悪です」
「そうですか?私はあなたを好きだと言っているのですよ?なのにそんな事を言われるとは心外ですね」
「好きだと仰ってくださるのは嬉しいです。でも今のは私に胸がないとはっきり言われたようなものです。確かにその通りなので反論も出来ませんが…」
情けなさそうに俯いた聖はがっくりと肩を落として溜息をついた。その可愛らしい様子にコウは苦笑しながら、艶やかな聖の髪の毛を撫でる。
「どんな姿でも、聖は聖です。私の大切な女性ですよ」
見上げた聖の目に映った、ふんわりとした大らかな笑顔のコウに、愛しさが込みあがり、思わずその細身の身体に抱きついた。突然の聖の行動に、コウが目を丸くして、また顔を赤らめる。
「どうしたんですか?」
「嬉しかったんです。私のことを認めてくださっているのが」
近い距離で微笑む少女の顔を見下ろして、コウはクスクスと幸せな笑いを零した。
「私はあなたを最初から認めていますよ」
そう言って、抱きついてくる少女の小さな身体を柔らかく、大切そうに抱き締め返した。