ゴールデンウィーク 三日目 パート1
私と叔母さんは3日目の午後2時頃には此処を出ることが予定されていた。柳咲弟と仲良くなってきていた私としては、もう少し色々と話したかったがそれは無理なことだ。
叔母さんは予定に厳格ではないし、柳咲兄弟も滞在延長を勧めてきた―—昨日の夕食時に柳咲弟が提案し、柳咲兄も嫌そうな顔はしていなかった―—が、外出届と華アル書の問題があった。
外出届は外泊する際には絶対に必要な書類、華アル書は正式名称『華宮アルバイト詳細書類』と言う書類だ。どちらも必ず本人が提出しなければならない上に、提出期限は終了から24時間以内と決まっている。また、延長する場合、華アル書は電話で問題ないが、外出届は本人が提出しなければならない。その上、学園の出入りは午前6時から午後8時までと決まっているのだ。
これらの事情があった為に、朝食を一緒に食べたいと柳咲弟が訪ねてきてもあまり驚くことはなかった。それにしても、訪れる30分前にメイドさんを通してアポイントメントを取ってくるとは流石としか言えない。と言うか、こんな出来た子供を初めて見た。弟に爪の垢を飲ませてやりたいぐらいだ。
「紫信さん、おはようございます」
「おはよう」
柳咲弟は朝でも完璧だった。寝癖はないし、服装もきっちりしている。きっちりと言ってもチェックの短パンに有名ブランドのロゴ入りポロシャツだけど。
対して私は寝癖を直すのに殆どの時間を使ってしまったので、モスグリーンのワンピースを着ているだけでオシャレはしていない。当然、有名ブランドの品でもない。
まぁでも、柳咲弟が「紫信さんはグリーンやオレンジの優しい色が似合いますね」と言ってくれたので、気分は悪くなかった。
こんな発言を自然と出来る柳咲弟の将来が少し気になったが、それは私が考えるには図々しすぎるだろう。
「お世辞でもうれしいよ。ありがとう」
私はそう返事をし、テーブルに柳咲弟を招いた。家主は柳咲家だが、この部屋は私に用意されたものである。この行動は間違っていないはずだ。
実際問題は無かったようで、柳咲弟は「本心ですよ」と言いながら、笑顔で席に着いた。私も席に着く。私達が着席したのを見計らって、メイドさんが食事をセットしてくれた。
昨夜、パンが良いと言ったので今日の朝食は洋食だ。
パンだけでフランスパンにクロワッサン、デニッシュがある。おかずはスクランブルエッグにベーコン、小エビのサラダにコーンスープ。デザートにフルーツたっぷりのヨーグルトだ。
「紅茶と珈琲、どちらになさいますか?」とメイドさんが問いかけた。私も柳咲弟も紅茶を頼んだ。
クロワッサンを一口大に千切りながら、柳咲弟が口を開いた。
「今日帰ってしまうんですよね」
手元を見ながら言ったので、柳咲弟の表情は読めない。私は紅茶を一口飲んだ後、「そうだよ」とだけ返す。
その後暫くは会話のない食事が続いた。私は元々、食事中に喋ることを進んではしないタイプである。柳咲弟が口を開かなければ自然と静かな食事になってしまうのだ。
もう少しでデザートに入ろうと言う頃、柳咲弟が先に食事を終えた。驚くことに柳咲弟は私の倍近くの量を胃袋に収めた。昼食や夕食はそうでもなかったはずだけど、と私は内心首を傾げながらも敢えて口に出すことはせずに食事を進める。
柳咲弟はメイドさんに紅茶を入れなおして貰うと、硬い表情で私を見た。口を開閉させ、何かを言おうと頑張っている。
私は言葉を促すことはせず、柳咲弟をつぶさに観察しながらデザートを食べた。
「あの、お願いがあるんです」
柳咲弟は震える声で言った。緊張の所為か、声が常より大きめだったが本人は気付いていないようだ。スプーンを下ろし、代わりにティーカップを持つ。紅茶を一口飲み、喉を潤した。
「叶えられるかは分からないけど、取りあえず聞くよ」
私はいたって冷静に答えた。これがもし家族の誰かから出た言葉なら、私はすぐさま逃げたに違いない。けれども、たった2日の付き合いでも柳咲弟は真面な性格だと十分に知った。あまり非常識な願いはしないだろう。……いや、たった2日の付き合いだからこそ図々しい願いはしない、と言うのが正しいかもしれない。
私の答えに柳咲弟は表情を少し綻ばせた。
「紫信さんは本当に優しいですね」
その言葉に首を傾げる。「全然優しくないと思うけど」と、私が言うと柳咲弟はクスクス笑った。緊張感が霧散する。
「図々しいお願いなので、嫌なら遠慮なく断ってくださいね」
柳咲弟はそこで一度言葉を切ると深呼吸を一度し、続きを言った。
「携帯番号とメールアドレスを教えて貰えませんか?」
その内容に拍子抜けし、思わず変な声が出そうになったが、意外な者がそれを止めた。
長机の上座に私、下座に柳咲弟が座っている。その為、扉の横に控えているメイドさんが私の位置からよく見えた。
私にはメイドさんの気持ちが全く分からない。番号とアドレスを聞くくらい、そんなに緊張することじゃないと思う。少なくとも、ここまで溜める話じゃないはずだ。だから、何でそんな反応をされるのか全く理解できない。
「…彼方君、それぐらい別にいいんだけどさ」
私がそう言うと、柳咲弟は目をキラキラと輝かせて「本当ですか!」と言った。その嬉しそうな表情に少し驚きながら、まじまじと見る。視界の隅にメイドさんが映った。
「ありがとうございます」とお礼を繰り返す柳咲弟を「ちょっと質問いい?」と止め、落ち着かせる。
柳咲弟はポケットから携帯電話を取り出しながら「なんでもどうぞ」と上機嫌に言った。
不作法だと分かりながらも、机に身を乗り出し、右手で柳咲弟を手招く。柳咲弟は不思議そうな表情を浮かべた後、同じように身を乗り出した。分かりやすい内緒話の姿勢をとって私は口を開く。
「あのメイドさん、なんであんなに感極まっているの?」
そう、メイドさんは何故か涙を浮かべて私達を見つめていたのだ。柳咲弟がお願いを言った時など、拳を握って私達の一挙一動を見ていた。
柳咲弟は少し顔を傾けてチラリとメイドさんを見ると、すぐに私の方に顔を戻す。その顔には困った様な表情が浮かべられていたが、目元や耳が真っ赤なことから、照れているのだと分かった。
「大丈夫?」と思わず聞く。柳咲弟は小声で「大丈夫です。あの、場所を変えてもいいですか?」と言った。
反対する理由も無かったので頷く。メイドさんは私達とすれ違う時には表情を取り繕っていたが、目元は潤んだままだった。