第二回保護者達の会談 パート1
「緋乃、ここのベッドは寝づらいのか?」
ソファーで横になっている私に梗也は心配そうに言った。
「いや、大丈夫だよ」
私はクッションに埋めていた顔を上げると、欠伸をしながら言う。
「とてもそうは見えないが」
「本当に大丈夫だよ」
眉間に皺まで寄せた梗也を安心させる為にソファーから起き上がった。また欠伸が出る。一日の大半を寝て過ごす私は突発的に眠くなる。原因を言えば余計に心配されそうなので言わないが。
「緋乃がそういうならこれ以上は言わない。だが無理になったら言え。学校に言うつもりはない」
「ありがとう。梗也君は優しいね」
華アルは学校が生徒の責任者となっている。よって生徒が無断欠勤、失敗などをした時は学園に連絡が行き、学園での処理が無理となった場合のみ保護者に連絡が行く。通常、無断欠勤や失敗程度ではそこまで問題にならない。せいぜい給料の減額と担任からのお説教程度だ。勿論、武芸科もその通常に含まれる。特殊な仕事をしていると言っても所詮は学生。責任問題が発生するような仕事を貰うことは無い。
だが、武芸科の生徒達は無断欠勤や失敗をすることが他の生徒よりも難しかった。それは単に担任のお説教が問題なのだ。武芸科の担任は見た目朗らか、中身あくどい人柄なのだった。つまり腹黒と言う奴である。
ただ、一般的な腹黒とは違いこの担任は自らの腹黒さを一切隠してはいなかった。笑顔で毒を吐くのがこの担任の通常だ。これが幸か不幸かは分からないが、その事実のお蔭で今回の梗也の様に生徒が雇い主であった場合、武芸科の生徒達は同情され無断欠勤や失敗を黙秘して貰えることが多かった。
この担任が風紀委員会顧問で、武芸科以外の生徒とも関わりが大きかったのも理由の一つだろう。この学校に入学して一月もすれば少なくとも一クラス中五人はこの教師の毒牙にかかる。新入生たちがこの教師の恐ろしさを知るのにそう時間はかからないのだ。
「俺もあの教師の説教は苦手だからな」
梗也は眉間どころか鼻の頭に皺を寄せてそう言った。苦手じゃなくて嫌悪じゃない? と思ったが言うのは止めておく。そんなことよりも梗也の言葉が気になったからだ。
「梗也君、先生に捕まったことがあるの?」
梗也は頭脳明晰で素行も良好だ。風紀に捕まるようには見えない。
「ああ、初等部に行ったときに捕まったんだ」
「なるほど」
華宮はエスカレーター式の私立学園だが、どこの校舎にも自由に出入りしても良いわけではない。出入りが可能なのは、初等部と中等部の生徒が見学という名目で高等部まで、高等部と大学は大学院までだ。
まあ、梗也の事だから彼方君に会いに行ったところを運悪く風紀委員に見つかったのだろな。放課後の見回りなどは、初等部、中等部を強化的に風紀委員はやっているから。
私の笑いながらの返答に梗也は教師への愚痴と彼方君の可愛さの講義を始めた。私は適当に相槌を打ちながらゆっくりと瞼を閉じていくが、梗也は気付いていないようだ。集中力が強すぎるのも問題だな、と思ったがそれが声になることは無かった。
***
眠った状態から一気に覚醒し、私に触れようとしたのであろう手を素早く左手で掴んだ。
警護の為に常に常備している警棒を右手で取ると、遠心力で畳んだ状態から伸ばす。20センチほどだった警棒は60センチほどまで伸び、腕の持ち主の首にぴたりと当てられた。
「デジャブだな」
梗也が深い溜息を吐きながら言った。
「そんなことないよ。梗也君の反応が違うもの」
言いながら時計を見ると、二時間ほど経過していた。眠気は飛び、頭がスッキリしている。二時間も愚痴と講義をしていたわけではないだろうから、きっと寝かせておいてくれたのだろう。
「寝かせてくれてありがとう。でも、本当に具合が悪かったわけじゃないんだよ?」
「業務に支障を来した時点で違いはない」
「それもそうだね」
私は苦笑を浮かべた。梗也の厳しい言葉にではなく言葉とは違い心配そうに寄せられた眉間の皺に、だ。
「…もうすぐ昼だ。昼食は食べられるか?」
梗也は暫く私の顔色を観察した後、部屋にある大きな振り子時計に視線を流して言った。
私は「ふむ」と呟くとソファーから立ち上がり窓辺に近づく。梗也の部屋からは素晴らしい庭園が見える。そして、そこを気持ちよさそうに横切る馬も。
「ねえ、梗也君。梗也君は彼方君のコンプレックスをどうしたいと思っているの?」
私は森の中に消えていく二頭の馬を見送りながら聞いた。
一分程、部屋に沈黙が降りる。
「緋乃には関係のないことだ。もう問題ないなら、昼まで仕事をするぞ」
先ほどまでとは違う冷たい声色で梗也は言った。私は振り返り、梗也を見る。
「……梗也君。貴方って本当に不器用だね」
指先が白くなるほど握りこまれた拳。悔しそうに、悲しそうに歪められた顔。この二つを見れば誰だって、梗也が怒っている訳でも軽蔑している訳でもないと分かるだろう。
「でも、そうだね。まずは仕事を終わらせようか。今度は梗也君が休んでいて」
私はゆっくりと梗也に近づくと、血色が悪くなり冷たくなっているだろう拳に触れた。予想通り、掌はヒンヤリと冷たい。一度強く拳を握った後、私は梗也の机に乗っている書類を無造作に掴むとソファーに座った。そのまま机で作業しても良いのだが、この部屋の主は梗也だ。主の座るべき席に私が座るのは間違っているだろう。
私は胸ポケットから銀の地に赤い金木犀が描かれた万年筆を取り出した。時々ペンを走らせながら書類を片づけていく。私が寝ている間に梗也本人でなければ出来ない書類は既に済ませてあったようで、残りの書類は誰でも出来る雑用だった。
***
「…これで終わり、っと」
私は最後の書類にペンを入れ、ソファーに乗せていた処理済の書類と一緒にした後、机の上に置いた。昼食の時間を少々オーバーしてしまったが許容範囲だろう。
私が万年筆を胸ポケットに仕舞いながらソファーに戻ると、梗也が何とも言えない表情でこちらを見ていた。呆れ、に近いと思うが少し違う。
「どうしたの、梗也君」
私が意識的に片眉を上げながら聞くと、梗也は深い溜息を吐いた。
「いや、たいしたことではない。ただ緋乃の優秀さを改めて実感しただけだ」
少し疲れ気味に感じられる声色に私は小さく笑う。
「ありがとう。私も梗也君の立場の凄さを改めて実感したよ」
柳咲家長男である梗也は否応なしに次期柳咲財閥代表取締役になるだろう。私が処理した書類は雑用にすぎなかったが、それは大きなプロジェクトの一端――部外者に見せてもいいのかな、と思ったがこの程度の情報漏洩など大した問題ではないということだろう――に見えた。恐らく、私に見られないように茶封筒に入れられている机隅の書類はもっと重要なことが記されているのだろう。
「今はただの学生だ。違いなんて何もない」
少し怒り気味に梗也はそう言う。段々と男前なキャラクターが崩れてきている気がするが、先に崩したのは私なので突っ込むのは止めておいた。
序に、「絶対的な貧富の差はどんな立場でも決して変わらないよ」と言うのも止めておく。今だけかもしれないが、それでも私と同等の立場であろうとする梗也の気持ちに水を差したくなかった。
まあ、梗也も馬鹿じゃない。言われなくとも本心では分かっているだろう。
「じゃあ、そろそろ本題に移ろうか?」
私は梗也の言葉に結局何も返さず、代わりとなる話題を提供したのだった。
取りあえず伏線を幾つか張るだけでこの話は切ります!
本題はパート2に持ち越しです(*^-^*)