表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

僕たちは、この腐った箱庭の共犯者だ



第1話


月明かりすら届かない、アストレイア魔導学院の深層。

硬質な大理石の床に、私の靴音だけが虚しく響く。ここは誰も寄り付かない、王家秘匿の地下書庫。重苦しい魔力の澱みが皮膚を刺すが、私は視線を逸らさずに歩を進めた。


「……見つけた」


最奥の書棚に手をかけた瞬間、凍てつくような殺気が背後から首筋を撫でた。

反射的に光魔法の障壁を展開しようとするが、それより速く、強固な腕が私の身体を壁へと押し付けた。逃げ場はない。逃げようとする前に、耳元で冷酷な声が吐き捨てられた。


「規律と誠実を絵に描いたようなアーデルハイトの嫡男が、夜な夜な迷宮に潜り込むなんてな。随分と趣味が悪い」


強引に顎を掴まれ、無理やり視線を向けさせられる。そこには、学院内でも一際目を引く野心家、セドリック・レーヴェンシュタインの勝ち誇ったような瞳があった。


「セドリック……なぜ貴様がここにいる」


荒い呼吸が混ざる。男同士の近い距離。彼の体温が、私の首筋から鎖骨へと伝わり、鼓動を異常なほど早めていく。これは危機感だけではない。男の身体が持つ、圧倒的な圧迫感と侵入に対する防衛本能が、私の理性と混ざり合って熱を帯びていた。

セドリックは、私の抗弁を嘲笑うように、指先で私の襟元を乱暴に指でなぞった。


「秘密を暴くのは俺の特権だ。だが、今回は見逃してやってもいい」


「……何が目的だ」


「俺の恋人のふりをしろ」


吐息が混じるほど近くで、セドリックは楽しげに告げた。

額を合わせるような距離。彼の瞳の奥にある、底なしの暗闇と焦燥が見えた気がした。困惑が脳内を支配し、羞恥で指先が震える。ここは男しかいない学び舎だ。そんな場所で恋人ごっこなど、狂気の沙汰にも程がある。


「貴様、正気か。男同士で——」


「俺に逆らう余裕があるのか? アルフレッド」


私の言葉を遮り、セドリックの指先が私の唇をなぞる。

反論しようとした口は塞がれ、代わりに彼の野心的な魔力が、私の回路を無理やりこじ開けようと纏わりついた。拒絶すれば、この秘密がすべて露見する。だが、受け入れれば、私はこの男の支配下に組み込まれる。

暗闇の中、私の心拍数は限界を超えていた。

逃げ場のない閉鎖空間で、強引な恋人契約という名の鎖が、私と彼の間に静かに、そして確実に刻まれていく。




第2話


翌朝の食堂は、いつも通りの喧騒に包まれていた。

磨き上げられた銀食器が触れ合う音、男たちの低い談笑、そして学院特有の微かな湿り気を含んだ空気。私は昨夜の出来事を咀嚼しきれぬまま、無機質な椅子に腰を下ろしていた。


「おい、聞いてるか? アルフレッド」


不意に隣からかけられた声に、肩がびくりと跳ねる。セドリックだ。

彼は当然のような顔で、私の隣に座っていた。しかも、その距離は異常に近い。肩と肩が触れ合い、彼から漂うわずかな革と魔力の匂いが、私の鼻腔を占拠する。


「……何の話だ」


「俺と貴様の『関係』についてだよ」


セドリックは周囲の視線を一切気にすることなく、私の髪を掬い上げ、指先で弄んだ。周囲の男たちがヒソヒソと噂話を始めるのがわかる。あいつがレーヴェンシュタインの、あのアルフレッドを——。背中に冷や汗が流れる。


「やめろ、人が見ている」


「見させるんだよ。これでお前が俺に夢中だという、分かりやすい目印になる」


低く、甘く、そして毒を含んだ囁き。

セドリックの手が私の頬を滑り、そのまま耳元をなぞる。昨夜、禁書迷宮の壁際で感じたあの侵入的な魔力の感覚が、記憶の深層から呼び覚まされる。彼は私の反応を愉しんでいる。私の羞恥、拒絶、あるいはその奥にある微かな動揺を、すべて見通しているかのように。


「……貴様、何を企んでいる」


「企みなんて大層なものじゃない。ただ、俺の退屈な学園生活を、お前という『最高級の玩具』で飾ろうと思っただけだ」


玩具。その言葉に、腹の底で熱い塊が爆ぜる。

怒りではない。彼の傲慢な瞳に見下ろされることに、抗いがたい支配の予感を感じてしまった自分への嫌悪と、それ以上に抗いがたい昂ぶりだった。


「お前は真面目すぎるんだよ、アルフレッド。その潔癖なプライドが、俺の手で汚されていく様を見たいと思わないか?」


セドリックが私の顎を強引に持ち上げる。

食堂の照明が彼の瞳を鈍く光らせ、その奥にある野心と、形容しがたい執着が渦巻いているのが見えた。周囲の男たちの視線が、まるでナイフのように私たちを突き刺す。だが、セドリックはそれさえも舞台装置として楽しんでいた。


「これから毎晩、俺の部屋に来い。恋人としての『義務』を教えてやる」


「……そんなものは、契約に含まれていない」


「口答えをするな。俺の言葉が、この学院での唯一の規律だ」


セドリックは満足そうに微笑むと、私の皿から肉を一つ摘み、そのまま自分の口へ運んだ。

周囲の沈黙が深まる。私と彼の関係が、偽りであろうとなかろうと、周囲の目には決定的な『支配と従属』として刻み込まれていく。

逃げられない。

彼の差し出した鎖は、すでに私の首に、深く、甘く、絡みついていた。




第3話


冷え切った夜の空気と、寮の廊下に並ぶ無機質なドア。

セドリックの部屋へ向かう足取りは、鉛のように重かった。彼に渡された鍵を握りしめる掌が、緊張でじっとりと汗ばんでいる。

ここは男たちの巣窟。一歩先では誰かが眠り、誰かが談笑し、誰かが密かに野心を燃やしている。そんな閉鎖された空間で、私は今、最も恐れていた人物の領域へ足を踏み入れようとしていた。

ドアを開けると、室内には彼特有の、強気でいてどこか甘やかな魔力の残り香が満ちていた。

セドリックはすでに上着を脱ぎ捨て、窓辺で月光を浴びながらワイングラスを回していた。彼が振り返る。その瞳に映る獲物を見るような鋭さが、私の背筋を強制的に伸ばさせる。


「遅いぞ。恋人なら、もっと時間に正確であれ」


彼はグラスを置くと、緩慢な動作で私に歩み寄ってきた。

部屋には二人しかいない。逃げ場のない密室。先ほどの食堂とは比べ物にならないほど、彼の放つ圧迫感が濃密になる。

セドリックは私の前で立ち止まると、迷いなくその手を伸ばし、私の胸元に手をかけた。


「な、何を——」


「演技の練習だ。周囲を納得させるには、それ相応の熱が必要だろう?」


彼は強引に私をベッドへと押し倒した。

マットに背中が沈み込む。上に覆いかぶさる彼の身体は、鍛え上げられた筋肉の硬さと、男特有のずしりとした重みがあった。至近距離で交差する視線。彼の指先が、私の喉元でゆっくりと滑る。その肌触りが、まるで侵略者のように神経を逆撫でしていく。


「お前はいつもそうだ。教科書通りの優等生で、感情を押し殺して……つまらない」


セドリックは私の耳元に唇を寄せ、あえて熱い吐息を吹きかけた。

ぞくり、と背骨を電流が駆け抜ける。恥ずかしさで目を逸らそうとしたが、彼の腕が枕元に突き刺さり、私の逃げ道を封じる。壁際に追い詰められたとき以上の、逃げ場のない閉鎖感。


「見ろ、アルフレッド。そんなに震えて……」


彼は私の顎を指先でなぞり、ゆっくりと唇を近づけた。

心臓が耳の奥で激しく鳴っている。口づけが落ちる、その刹那の静寂の中で、私は自分が何を求めているのか分からなくなった。

彼への反発か、それとも、この男に塗りつぶされたいという歪んだ渇望か。


「今日は触りだけだ。だが、お前が俺の『恋人』としてその目を濁らせるまで、何度でも付き合ってやる」


セドリックは皮肉めいた笑みを浮かべ、あえて唇を重ねることなく、私の首筋に熱い痕を刻むように牙を立てた。

痛みに息を呑むと同時に、彼の魔力が私の体内に流れ込んでくる。

強制的な同期。私の魔力回路が彼のものに塗りつぶされていく感覚に、私は抗うことをやめ、彼の肩を掴んだ。

この夜から、偽装という名目の契約は、より深く、より甘い執着の泥沼へと沈んでいく。

男しかいないこの閉鎖された箱庭で、私たちは二人だけの秘密を、肌に刻みつけていくのだ。





第4話


翌朝、演習棟には早朝の冷気が漂っていた。

魔力循環の演習――それはペアを組んだ二人が互いの魔力回路を結合させ、共鳴させることで出力を倍加させる訓練だ。当然ながら、男性の魔導師同士が肌を密着させ、互いの魔力の奔流をさらけ出すこの行為は、この学院において最も背徳的な儀式の一つとされていた。


「――っ、く」


私は喉の奥から小さく呻いた。

セドリックの背中に密着し、両手を彼の腰に回す。彼の魔力が、まるで侵略者のように私の回路をこじ開けて入り込んでくる。清廉な光を纏う私の魔力が、彼の深淵のような闇の魔力に飲み込まれ、かき混ぜられていく感覚。背中を通して伝わる彼の筋肉の躍動が、演習以上の過剰な刺激となって私の理性を揺さぶる。


「おい、アルフレッド。もっと奥へ流し込め。抵抗するな」


耳元で響くセドリックの低音に、思考が白濁する。

彼はわざと魔力の波を乱し、私を翻弄している。互いの魔力が混ざり合い、視界が光の粒子で明滅する。魔導師にとって、魔力の奔流は身体の奥底を直接覗かれるのと同じだ。恥辱と、それ以上に抗いがたい快感が私の神経を麻痺させていく。


「……セドリック、やりすぎだ」


「ふん、お前こそ。そんなに震えて、何を期待している?」


彼はあえて私の腰に手を回し、背後から強く引き寄せた。

密着した下腹部に、男特有の硬質な熱を感じる。周囲には他の生徒たちがいる。誰かにこの光景を見られているのではないかという背徳感が、さらなる火種となって私の理性を焼き尽くしていく。

周囲の視線を意識すればするほど、セドリックの支配的な魔力が私の内側で暴れ回る。

拒絶したいのに、彼の魔力に同調せずにはいられない。私の身体は、すでに彼という調律者に完全に支配されていた。


「学院公認の恋人同士が、演習で息も合わないなんて笑い話だぞ」


セドリックは背後から私の首筋に顔を埋め、あえて他の生徒たちにも聞こえる距離で囁いた。

その瞬間、私の魔力が大きく跳ね上がり、演習場全体を眩い光が覆う。周囲の生徒たちが息を呑む気配が伝わってくる。


「……完璧だ。お前は俺の魔力に、これほどまでに馴染む」


私の背後で、セドリックは満足げに唇の端を歪めた。

演習が終わっても、彼の手は私の腰から離れない。むしろ周囲に見せつけるように、独占的な圧力を増していく。

一度触れ合えば、もう元には戻れない。男だけの閉鎖空間で、この熱は誰にも隠せない秘密として、さらにその濃度を増していくようだった。





第5話


深夜の図書塔は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。重厚な古書の匂いと、微かな魔力の残留思念が空気中に停滞している。私たちは二人、学院の禁忌を調べるために、最上階の封印区画へと潜り込んでいた。


「この先は、歴史学の教授たちですら立ち入りを禁じている場所だ」


セドリックが慣れた手つきで結界を解除していく。彼の指先が宙に描く魔方陣は、ためらいがなく、同時に傲慢なほどに美しい。私はその後ろに続きながら、自分の鼓動がうるさいほどに鳴っているのを感じた。ここには誰もいない。閉じられた扉の向こう側で、私たちは再び、彼と私だけの共犯関係に落ちていく。

最奥の書架から取り出したのは、ボロボロに朽ちた羊皮紙だった。そこに記されていた真実は、あまりに残酷だった。


「……光の都の繁栄は、聖女の魔力を糧にしていたのか」


「いや、正確には『聖女』という名の生贄だ。魔力が枯渇しかけた時、学院の礎となるダンジョンに魂を捧げる……これが、この国の公然の秘密というわけだ」


セドリックの声は冷めきっていたが、その視線は私の首筋から離れない。彼が指先で私の襟元をなぞり、そこにあるはずのない『痕跡』を辿る。


「お前の家門――アーデルハイト家は、その監視役だったはずだな。お前も、いずれは自分の妹を差し出す側に回るのか?」


その言葉は、刃物のように私の心を切り裂いた。妹のリシェルを溺愛する私にとって、それは最も触れられたくない、禁忌の核だった。


「……そんなこと、させない」


「なら、俺に従え。この腐ったシステムを根本から覆すための力、それが俺には必要だ。そしてお前には、その力と……俺を満足させるだけの『純粋な魔力』がある」


セドリックは私を書架の間に押し込んだ。埃っぽい空気の中で、彼の瞳だけが異様に強く輝いている。

彼は私のネクタイを緩め、そこに自分の魔力を直接叩き込んだ。回路に冷たい水が流れ込むような、それでいて焼けるような痛み。私は思わず彼にしがみついた。


「っ……!」


「お前はもう、俺のものだ。たとえ世界が破滅しようと、俺の隣でその光を燃やし続けろ」


セドリックが私の唇を奪った。

先ほどの演習のような強引さではなく、それは所有権を主張するような、深く執拗な口づけだった。図書塔の闇の中で、男同士の吐息が重なり、互いの魔力が侵食し合う。

私たちはもはや、ただの偽装恋人ではない。この国の罪を共有し、運命を呪い合う、救いようのない共犯者になってしまったのだ。


「……いい目だ。アルフレッド。その絶望と執着が、最高に俺をそそる」


耳元で囁かれ、全身が震える。この閉鎖された箱庭で、出口のない迷路へ、私たちは一歩深く踏み込んでいた。




第6話


「――アルフレッド、右だ!」


セドリックの鋭い叫びと同時に、私の背中が彼の腕に強く引き寄せられた。

直後、先ほどまで私が立っていた場所を、巨大な石造りのゴーレムの拳が粉砕する。迷宮の深層で発生した不意の崩落と、それに誘発された防衛機構の起動。閉鎖された空間特有の、逃げ場のない死の予感が私たちの周囲を支配していた。


「くそっ、次から次へと……!」


私は反射的に展開した結界を維持しながら、セドリックの背中を支えた。

激しい戦闘の中で、私たちの魔力はすでに混ざり合っている。彼の攻撃魔法を放つための魔力回路が、私の防御魔法を介して補完され、一つの巨大な奔流となって空間を支配する。


「離れるな。お前の光が途切れれば、俺の刃は曇る」


セドリックが私の腰を抱き寄せ、そのままゴーレムの懐へと飛び込む。

男同士の身体がこれ以上ないほど密着し、鼓動さえも共鳴しているかのように錯覚する。耳元に吹き付ける彼の荒い息遣いと、焦げた魔力の匂い。死の淵に立たされているというのに、私の脳内は彼の魔力に浸食される甘い昂ぶりで満たされていく。


「連携しろ。俺たちはただの共犯者だ、ここを抜け出すまでは死ぬことさえ許されんぞ」


セドリックの冷徹な言葉に、私は全身の魔力を解放した。

彼を護る。その意志が、私の光魔法を純粋な攻撃の槍へと変える。セドリックの双剣が光を帯び、ゴーレムの核を貫いた。

轟音と共に巨体が崩れ去る。その衝撃で私たちはバランスを崩し、散らばった魔力結晶が光る床へと倒れ込んだ。


「……はぁ、っ」


倒れ込んだ私の身体の上に、セドリックが覆いかぶさる。

戦闘の余熱で火照った肌が触れ合い、滴る汗が互いの服を濡らした。彼は私の首筋に顔を埋め、深く、深く呼吸をした。その行動は、もはや生存を確認する以上の執着を帯びていた。


「お前が死ぬときは、俺がその手で終わらせると決めている。……他人に殺されるなよ」


彼は私の頬を乱暴になぞり、そのまま唇を強く噛んだ。

痛みと魔力の供給が、私の意識を白く塗りつぶす。迷宮の最深部、誰にも見られることのない闇の中で、彼は私の内側に彼自身の刻印を刻み込むかのように、貪るような口づけを繰り返した。

男同士の荒々しい熱気。この死と隣り合わせの閉鎖空間でしか成立しない、歪で、狂おしいほどの絆が、私たちの魂を確実に蝕んでいく。




第7話


華やかなシャンデリアが天井で揺れ、王都の貴族たちが集う社交会。そこは魔導学院の閉鎖的な空気を持ち込んだかのような、重苦しい階級の壁で仕切られた舞台だった。

学院内とは異なる正装に身を包んだ生徒たちが、あちこちで談笑している。その中には、以前から私に好意を寄せていたカイルの姿もあった。


「アルフレッド様、先日の演習では素晴らしかったです。もしよろしければ、この後のダンスを……」


カイルが優しく微笑み、私の手を取ろうとする。私は反射的に引き下がるが、その手は空を切った。


「悪いが、そいつは俺の連れだ」


背後から低く、温度のない声が響く。振り返ると、そこには不機嫌を絵に描いたようなセドリックが立っていた。彼はカイルの手を弾き飛ばすと、私の腰に強引に腕を回し、自分の胸元へと引き寄せる。


「せ、セドリック……!」


「お前は俺の隣にいればいいと言ったはずだ。他の男に媚びる暇があるなら、俺の渇きを癒やしに来い」


周囲の視線が集中する。男しかいない空間だからこそ、誰が誰のものかを誇示するこの振る舞いは、強烈な支配のサインとして映る。

カイルの悲しげな瞳と、周囲の嘲笑、そして執着に燃えるセドリックの瞳。心臓が早鐘を打つ。彼の腕に固定された身体が、恐怖と、自分を強引に所有してくれることへの倒錯した悦びで震えた。

セドリックはそのまま私を会場の隅、バルコニーへと連れ出す。扉を閉めると、彼は私を壁に叩きつけ、荒い吐息を顔面に吹きかけた。


「……嫉妬か?」


恐る恐る問うと、セドリックは顔を歪め、私の首筋に容赦のない牙を立てた。痛みと共に魔力が流入し、脳がとろけるような感覚に支配される。


「嫉妬? 笑わせるな。俺はただ、俺の所有物に他人が触れるのが不快なだけだ」


彼はバルコニーの格子を握りつぶさんばかりに力を込め、私の肩越しに外の夜景を睨みつけた。


「お前が俺以外の誰かに笑いかけるたび、お前の内側を俺の魔力で塗りつぶしたくなる。……アルフレッド、お前はもう、俺という毒に侵されているんだ」


彼は私の手を取り、自分の胸元に押し当てた。そこでは、彼自身の激しい鼓動が、私の手のひらを叩いていた。

男同士の、逃げようのない情愛の檻。社交会の喧騒を背に、私は彼という存在から決して逃れられないことを、再び心身に刻み込まれることになった。





第8話


学院の喧騒が遠のき、湿った空気が肌にまとわりつく。私たちは、誰の足音も届かない温室の奥底にいた。月光が巨大な熱帯植物の葉を透かし、青白い影を床に落としている。


「ここなら、誰の耳も目も届かない」


セドリックが吐き捨てるように言い、私の背中を壁に押し当てた。

先ほどまでの社交会で見せた傲慢な振る舞いは影を潜め、今の彼からは、純粋な餓えのような殺気が漂っていた。彼は私のネクタイを掴むと、そのまま強引に引き寄せる。


「……偽装だ、なんて言い訳はもう飽きた」


彼の手が、私のシャツのボタンを一つずつ乱暴に外していく。指先が鎖骨をなぞるたび、その熱に身体が跳ねる。ここは男たちの閉鎖された学園。密会という言葉さえ生ぬるい、獣のような隠れ家だ。


「アルフレッド、お前は本当に……俺を狂わせる」


セドリックは私の首筋に顔を埋め、深く、深く息を吸い込んだ。彼の吐息が耳元で熱く揺れる。彼の野心、孤独、そして私に対する形容しがたい執着が、魔力となって私の内側へ流れ込んでくる。私は彼を拒絶する代わりに、そのたくましい背中に手を回し、爪を立てた。


「……お前も、だ。……俺の心臓を、お前の魔力でかき回してばかりで……」


私の吐息に応えるように、彼の手が私の腰を強く引き寄せ、密着させる。

男同士の硬質な体格がぶつかり合い、摩擦熱が肌を焼く。社交会の仮面を剥ぎ取った私たちは、今この瞬間、ただの飢えた二人の男だった。


「世界がどうなろうと知ったことか。俺は、お前を壊すくらいに愛したい」


セドリックはそう言うと、私の唇を塞いだ。

それは契約のキスでも、支配の儀式でもない。剥き出しの情欲と、相手を所有したいという純粋な渇望だけがあった。

温室に満ちる植物の青い匂いと、男たちの混じり合う熱気。私たちは何度も唇を重ね、互いの魔力で内側から侵食し合った。


「……明日になれば、また偽装の恋人を演じる。だが、今夜だけは」


彼は私の耳元で、甘く、けれど誰にも聞かせない囁きを残す。

その言葉が呪いのように私の心に深く刻まれる。閉ざされた空間で、偽りではない本音が、誰にも知られぬ場所でだけ咲き乱れていた。






第9話


温室から戻った寮の個室は、どこまでも冷たく静まり返っていた。しかし、私の肌にはまだ、セドリックの熱がこびりついている。

私は図書塔で盗み出したあの羊皮紙を、震える手で机に広げた。

『聖女の血、光の源。アストラル=ヴェルディアの繁栄は、深淵の生贄の上に成り立ち、アーデルハイトの守護は、その流血を隠すための鎖なり』

文字の羅列が、私の家門の正体を突きつけてくる。私が誇りとしてきた『聖域の監視者』という使命は、ただの残虐なとばりに過ぎなかった。


「……気づいたか」


不意にドアが開く。セドリックだった。彼はいつも通りの冷徹な表情で部屋に入ると、鍵を閉め、背後から私の肩に手を置いた。彼の手の温もりが、今は蛇のように冷たく感じる。


「この国の光は、私の妹たちの犠牲で灯っていた。……貴様は、最初から知っていたんだな」


私は振り向き、彼を睨みつけた。セドリックは表情を変えず、ただ私の手にある羊皮紙を奪い取ると、躊躇なく炎魔法で焼き捨てた。灰が舞い、床に黒い痕を残す。


「知っていたさ。だが、ただの生贄になるか、システムを食らい尽くす側になるか。お前はそのどちらかを選べと言われているんだ」


彼は私の背後に回り込み、逃げられないように両手を壁に突き、私を閉じ込める。壁ドンというにはあまりに威圧的で、男同士の体格差が、物理的な恐怖と、それ以上に抗いがたい支配の予感を突きつけてくる。


「俺は、この国を壊す。そのために必要なのは、お前の家門に伝わる真の聖域の鍵だ。アルフレッド、お前が裏切り者になれば、その過程でお前の大切な妹も、この国の制度も守れるかもしれないぞ」


甘い毒のような囁き。彼は私のネクタイを掴み、その瞳で私を射抜いた。


「俺と心中しろ。お前の抱える罪の重さも、その背負った運命も、全部俺が飲み込んでやる」


私は唇を噛み締めた。彼が提案しているのは、救済ではなく破滅への誘いだ。しかし、真実を知ってしまった今、この閉鎖された学園の中で、私という『駒』を操れるのは彼しかいない。


「……狂っている」


「ああ、お前のせいでな」


セドリックの額が私の額に触れる。視界が彼の青い瞳で埋め尽くされる。

このまま彼に身を預ければ、私は本当に人間としての矜持を捨てることになるだろう。それでも、彼に抱かれる瞬間の背徳と、魔力が混ざり合う高揚感に、私の理性は確実に摩耗していた。

男二人、逃げ場のない小部屋で、運命の歯車が軋んだ音を立てて回り始めた。私たちはもう、引き返せない。





第10話


雨が激しく窓を叩く、湿り気を帯びた廊下。

セドリックは、学院の地下深くに眠る儀式の中枢を破壊するため、独断で「監視者の封印」を解く準備を始めていた。彼の野心は、もはや私の許容範囲を超えていた。


「止めろ、セドリック! それを解けば、この学園そのものが崩壊するぞ!」


私は彼の手首を掴み、その冷酷な決断を阻止しようと試みた。しかし、彼は私の手首を逆にねじり上げ、有無を言わせぬ力で廊下の壁へと押し付けた。男特有の強靭な腕力と、圧倒的な魔力の質量に、私の抵抗は無力に等しい。


「崩壊? いいや、これは浄化だ。腐った根を断ち切らなければ、この国は永遠に誰かの犠牲の上に胡座をかくことになる」


彼の瞳には、狂気にも似た理知が宿っていた。

その顔があまりに美しく、同時に残酷で、私は息を呑む。彼に押し付けられた壁の冷たさと、彼から伝わる男の体温のコントラストが、私の感覚を麻痺させていく。


「お前は、俺の妹まで巻き込むつもりか!?」


「リシェルを守りたいなら、俺の力に屈しろ。お前の家門のプライドなんて、俺にとってはゴミ同然だ」


彼は私の顎を容赦なく締め上げた。痛みのあまり瞳が潤む。

セドリックは、その涙を舐め取るように顔を近づけると、耳元で低く毒を吐いた。


「俺に逆らう余裕があるのか、アルフレッド。俺を拒めば、次にその光を失うのはお前の妹だぞ」


その言葉は、私の心を打ち抜く呪詛だった。

私は彼を突き飛ばそうと力を込めたが、逆に彼は私の両手を頭上で制圧し、逃げ道を完全に塞いだ。彼の荒い吐息が首筋に触れ、男同士の密着が、閉鎖された廊下に熱い影を落とす。


「……本当に、道具としか思っていないのか」


「そう思いたいなら勝手にしろ。だが、お前が俺の魔力を求めて震えているのは、嘘じゃないだろう?」


彼はあえて私の魔力回路を指先で刺激した。

背中を電流が駆け抜け、理性が音を立てて崩れていく。怒りと羞恥、そして彼に対する止めようのない執着が、胃の腑でどろりと混ざり合う。


「……セドリック、貴様!」


「怒れ、もっと。……俺以外には見せないその顔で、もっと俺を憎め」


彼は私の抵抗を嘲笑うように唇を奪い、その舌で深く蹂躙した。

廊下の冷たい空気の中で、私たちの激しい呼吸だけが重なり合う。愛しているなどという言葉は、ここではあまりに無力だった。私たちはただ、互いの支配権を奪い合い、傷つけ合うことでしか、己の存在を確認できない。

雨音の向こう側で、学院が崩れ去る音が聞こえた気がした。だが、今の私には、目の前のこの傲慢な男を拒むことさえできなくなっていた。





第11話


雨の夜から数日。学院内には奇妙な沈黙が流れていた。

表向きには相変わらず「恋人」として振る舞い、食堂では隣り合って座り、図書塔では肩を寄せて古書を広げる。しかし、その実は冷え切った硝子細工のように脆い関係性だった。


「……今日の魔導回路の調整、お前が先導しろ」


セドリックの声は、かつてのような支配的な色を潜め、どこか淡々としていた。演習場の中央で、彼は私に背を向けて立ち尽くしている。

私は無言で彼に近づき、背中越しに魔力を流し込んだ。回路が繋がった瞬間、互いの思考が奔流となってなだれ込む。しかし、その中身は以前のような熱い共鳴ではない。相手の腹の底にある打算、迷い、そして何より私に対する冷めた視線が、魔力を通じて直接心臓を刺す。


「……迷っているな。お前の中に、俺への殺意か、それとも恐怖か……どっちがある?」


魔力に混ざる言葉。演習場にいる他の生徒たちには、私たちの静かな協力関係にしか見えないだろう。しかし、内側ではこれほどまでに荒れ狂っている。


「恐怖ではない。貴様のその、あまりに独りよがりな『正義』に、呆れているだけだ」


「呆れる?……いい言葉だ」


セドリックがふっと低く笑った。背中が小刻みに震える。彼は私の魔力を強引に引き剥がし、そのまま振り返ると、私の手首をねじ上げるようにして制圧した。

周囲には気づかれない、二人だけの小競り合い。だが、その手には男同士の力比べ以上の力がこもっていた。


「お前は結局、アーデルハイトの看板を背負ったまま俺と遊びたかっただけなんだよ。システムを壊す覚悟もなければ、俺を捨てる覚悟もない」


突き刺さるような言葉。彼の手のひらが、私の手首に熱い印を刻むように強く押し付けられる。

私は彼を睨み返した。だが、その視線の先にあるのは、かつて感じた傲慢さではない。孤独に震える、傷だらけの少年の瞳だった。


「……勝手に決めつけるな。俺は、貴様を殺してでも止めるつもりだ」


「それはいい。俺も、お前を壊してでも連れて行くつもりだからな」


彼は私の手首を放すと、背を向けて歩き出した。

演習場の出口へと向かう彼の背中は、今までで一番小さく、そして最も遠く見えた。残された私は、彼が触れていた場所に残る灼熱感と、空っぽになった回路の寒さに耐えながら、拳を握りしめた。

すれ違い、傷つけ合い、それでも互いの魔力に依存し合う、呪われた共犯者。

男同士のこの閉鎖的な関係が、終わりを迎えるのはそう遠くない。私は震える手で、自分の心臓に手を当てた。彼という異物が、この身体の奥深くまで侵食して離れないことに、抗いがたい戦慄を覚えた。





第12話


「アビス・ゲート」の最下層。そこは、ルミナス・エルディア王国の歴史を支えてきた血と魔力の墓場だった。

重苦しい冷気が肺を突き、足元では幾千もの魂が腐敗した魔力となって渦を巻いている。


「ここが、すべての根源か」


セドリックの声が、広大な空間に低く響く。彼はすでに双剣を抜き放ち、その瞳には恐怖ではなく、破滅への渇望が宿っていた。

私は隣に立ち、光の障壁を構築する。指先が震えるのは、寒さのせいではない。目の前で渦巻く禁忌の魔力と、隣に立つこの男への止めようのない情動のせいだ。


「セドリック、今ならまだ引き返せる。この儀式を止めて、別の方法で——」


「別の方法だと? ……アルフレッド、お前は本当に甘いな」


セドリックは双剣を収めると、私の首元に手をかけた。そのまま壁のない断崖へと追い詰め、逃げ場を塞ぐ。密着した身体から伝わる鼓動は、私と同じ速さで高鳴っていた。


「俺は、お前を連れてこの国を塗りつぶすためにここに来た。……お前のその清廉な光も、俺という闇に汚されていく……その結末を見届けるためにな」


彼は強引に私を抱き寄せ、その唇を噛み締めるように塞いだ。

それは儀式のような口づけだった。魔力が限界を超えて奔流し、私たちの意識を溶かし合わせる。男同士の荒い呼吸が混ざり合い、アビス・ゲートの闇に響き渡る。


「……っ、セドリック、死ぬ気か……!」


「ああ。もしこのまま儀式が暴走すれば、俺とお前はここで溶け合って終わる。……悪くない結末だと思わないか?」


狂気的な微笑み。彼は私の身体を強く抱きしめ、そのまま最深部の祭壇へと歩みを進めた。

背後で儀式の魔力が爆発し、空間そのものが崩れ始める。私たちは、崩落する瓦礫の只中で、互いの唇を離さず、魔力を極限まで同調させた。

これは、二人の男の心中ではない。偽装という殻を破り、共犯という名の鎖を完成させるための、魂の侵食だ。

閉鎖空間の最果てで、私たちは光と闇を混ぜ合わせ、この国の運命を揺るがすための最後の熱を放った。セドリックの腕の中で、私は彼という存在を全身で受け入れ、運命と共に滅びゆく悦びに溺れていった。





第13話


崩壊するアビス・ゲートの最下層。空間の歪みが視界を切り裂き、物理法則さえもが魔力の奔流に飲み込まれていく。

セドリックと私の魔力が臨界点を超え、互いの内面が丸裸になるような「同期」が強制的に発生していた。


「――っ、あぁ!」


私の視界に、セドリックの記憶が雪崩れ込む。

野心に隠された、幼い頃の孤独。家門の重圧に押し潰されそうになりながら、それでも世界を憎むことでしか自らを保てなかった彼の苦悶。私の家門への憎悪も、私を「玩具」として扱うことでしか繋ぎ止められなかった不器用な執着も、全てが痛いほどに流れ込んできた。


「……お前、そんなに……寂しかったのか」


私が呟くと、セドリックの瞳が大きく見開かれた。

彼は私を抱きしめる腕に力を込め、耳元で掠れた声を漏らす。


「黙れ……俺の心を、勝手に覗くな」


しかし、彼の魔力は拒絶どころか、かつてないほど濃密に私を抱擁している。私の中の「光」が彼の「闇」を浄化しようとし、彼の「闇」が私の「光」を貪ろうとする。

男同士の身体がぶつかり合い、熱が皮膚を焼く。私たちは、儀式の魔力が渦巻く祭壇の上で、崩れゆく空間を支えるように強く抱き合った。


「二人で一つになるぞ、アルフレッド。この儀式を喰らい尽くし、俺たちの刻印に変えるんだ」


セドリックは、私の首筋に深々と牙を立てた。

激痛と共に、彼の狂気的な野心と、それを上回る私への独占欲が、血管を伝って心臓に直接流し込まれる。私は彼を突き飛ばすどころか、彼を抱きしめ返す力に全てを込めた。

光が祭壇を覆い尽くし、世界が白濁する。

私たちは、単なる共犯者から、互いの魂を食らい合う伴侶へと変貌を遂げていた。男しかいない学園という閉鎖空間で積み上げた嘘が、極限の死の淵で、剥き出しの執着という名の真実に昇華されていく。


「……離さないぞ。たとえ国が滅びても、お前は俺の隣で、俺の色に染まっていろ」


最深部の闇の中で、セドリックの情熱的な命令が響く。私は彼を拒めない。この男の狂気こそが、今の私の唯一の救いだった。私たちは溶け合い、渦巻く魔力の中へと沈んでいった。





第14話


世界が白濁した沈黙の後、最初に意識を取り戻したのは、セドリックの腕の中だった。

破壊された祭壇の残骸が散乱する中、私たちは瓦礫に横たわっていた。衣服は破れ、肌には激しい魔力行使の痕が刻まれている。しかし、周囲の荒廃とは裏腹に、私たちの間には奇妙なほど静かな空気が流れていた。


「……死んだかと思ったか?」


低く掠れた声に耳をそばだてると、セドリックが私の胸元に顔を寄せたまま、微かに笑っていた。

彼の指先が、私の胸に刻まれた魔力の同調痕をなぞる。その指の震えに、彼もまた極限の昂ぶりの中にいたことを悟る。


「……ああ。貴様のことだ、心中するつもりだったのだろう」


私は力を振り絞り、彼の背中に手を回した。男の身体は熱く、強固だ。儀式の魔力を飲み込んだ影響か、互いの魔力回路は完全に混ざり合い、相手の感情のさざ波までが皮膚感覚として伝わってくる。


「そうだ。だが、お前が俺の手を離さなかった。……お前が、俺を現実に引き戻したんだ」


セドリックが顔を上げ、私の瞳を射抜いた。

その青い瞳からは、かつての傲慢な野心や冷徹な支配欲が消え失せていた。代わりにあったのは、隠しようのない所有欲と、剥き出しの情熱だ。

彼は私の額に自分の額を押し当て、荒い吐息を交わす。


「もう偽装なんて必要ない。お前は俺のものだ。……公衆の面前で、全校生徒の前で、お前が俺のつがいであることを刻みつけてやる」


「……どこまで強引なんだ、貴様は」


私はため息をつきつつも、彼の手を握りしめた。

学院の制度も、家門の秘密も、全てがこの最下層の闇と共に消え去った。後に残ったのは、血の匂いと魔力の残滓、そして互いの身体を求める止めようのない渇望だけだ。

セドリックが再び唇を寄せてくる。

先ほどまでの、運命に抗うための強引な接吻ではない。それは、互いの存在を確かめ合うような、深く、濡れた口づけだった。

男同士の舌が絡み合い、互いの魔力が甘い熱となって全身を駆け巡る。アビス・ゲートの闇の中で、私たちは偽りの恋人という仮面を完全に焼き捨てた。


「行こう、アルフレッド。……俺たちを縛るものは、もう何もない」


彼は私を抱きかかえ、崩れゆく最深部から立ち上がった。

閉鎖空間から解放された私たちが最初に見るのは、おそらく夜明けの光だ。だが、今の私には、彼の瞳に映る闇さえあれば、それで十分だった。私たちはもう、一人ではないのだから。




第15話


アストレイア魔導学院の朝は、いつもと変わらぬ規則正しい鐘の音と共に始まった。

しかし、大理石の廊下を歩く私たちの間に流れる空気は、以前とは決定的に異なっていた。


「おい、アルフレッド。歩くのが速い」


セドリックが不機嫌そうに声をかけ、私の背後から距離を詰めてくる。

学院公認の「恋人」だった頃とは違う。周囲の視線は依然として好奇と嫉妬に満ちているが、彼が私の腰に回す腕には、かつてのような「演技」の気配が微塵も感じられなかった。それは所有を誇示する、揺るぎない独占の印だ。


「……周囲に見られているぞ。いい加減、距離を取れ」


「嫌だ。今更何を隠す必要がある?」


セドリックは公衆の面前で、私の耳元に唇を寄せた。温かな吐息が、あの日アビス・ゲートで混ざり合った魔力の残響を呼び覚ます。

私はため息をつきつつも、彼の手を振り払うことはしなかった。むしろ、私の指は彼の袖を自然と掴み返していた。

私たちは食堂の奥まった席に着いた。

そこは、あの運命の日から私たちの「定位置」となっていた。周囲のざわめきなど遠い世界のことのように思える。


「……本当に、このままいくのか? 改革などという大それたこと、一人で背負うなよ」


「一人じゃないと言ったはずだ。……お前という光を抱えて、俺はこの腐った箱庭を内側から塗り替える」


セドリックはコーヒーカップを置くと、テーブル越しに私の手を強く握りしめた。

彼の瞳は、かつての傲慢な暗闇ではなく、私の未来を共に歩もうとする静かな決意に満ちていた。男同士の堅い握手。だが、その指先が私の掌を愛おしげになぞるたび、全身の神経が痺れるような甘い悦びに震える。

閉鎖されたこの学院は、依然として男たちの欲望と野心が渦巻く場所だ。しかし、これからは私たちがこの場所のルールを書き換えていく。


「次は、あの温室の裏手あたりで……ゆっくりと続きをしよう」


「……貴様は本当に、懲りない男だな」


私は苦笑しながらも、彼の視線から逃げようとはしなかった。

彼の野望に付き合い、その闇に染まり、そして彼を私の光で満たし続ける。それが、この閉鎖空間で私たちが選んだ『本気の恋』の結末だった。

窓から差し込む朝の光が、セドリックの横顔を鮮やかに照らし出す。

アストラル=ヴェルディアの空は広く、どこまでも青い。私たちはもう、誰にも縛られない。

絡めた指先を隠すことなく、私は愛しい共犯者の隣で、新しい学園の朝を見つめた。二人の刻印は、これからの未来に永遠に刻み込まれ続けていくのだから。





第16話 エピローグ


儀式から数ヶ月。学園は静かな変革の時を迎えていた。

かつての「生贄を必要とする聖域」というシステムは解体され、今は新たな魔力管理体制が、セドリックの主導と私の補佐によって構築されている。


「……アルフレッド、今日の会議資料の不備、また貴族派の連中が突っついてきたぞ」


セドリックが苛立ちを隠そうともせずに、私の部屋のドアを蹴破るようにして入ってきた。相変わらず傲慢な物言いだが、その瞳の奥には信頼が宿っている。かつてのような『玩具』としてではない、対等なパートナーとしての眼差しだ。


「そんなことは想定内だ。……それより、お前は少し休憩しろ。また魔力を使いすぎている」


私は彼の肩を掴み、椅子へと座らせた。

男たちの熱気に満ちた、あの閉鎖的な学園の空気は変わらない。だが、その中で息をする意味が、決定的に変わった。私たちはもう、互いを傷つけ合うことでしか繋がれない脆い共犯者ではない。

セドリックは、私の手首を掴み、そのまま自分の膝の上へと引き寄せた。

密着した身体から伝わる熱。窓の外では、後輩の生徒たちが魔法演習に励む声が聞こえる。ここは男しかいない、欲望と野心の箱庭。しかし、その箱庭のルールを私たちが書き換えたのだ。


「……なぁ、アルフレッド。あの日のアビス・ゲートで、俺の魔力に塗りつぶされた感覚を、今でも夢に見る」


「……俺もだ。お前の闇が、俺の心臓を占領するあの感覚を、決して忘れない」


セドリックが私の髪を掬い、耳元で熱を帯びた吐息をこぼす。

彼の指が私のネクタイをゆっくりと解いていく。学園の規則も、周囲の目も、もはや私たちを縛る鎖ではない。ただ、互いを求め合う純粋な本能だけが、この部屋の空気を支配していた。


「今日は、会議よりも優先すべきことがあるだろう?」


彼の問いかけに、私は無言で彼の首に腕を回した。

男同士の筋肉が硬く重なり合う。偽装という殻を脱ぎ捨てた今、私たちが刻み合うのは、二人の未来を繋ぐ確かな熱情だ。

私たちはこの箱庭の中心で、誰にも邪魔されない愛を紡いでいく。

閉鎖空間の扉は、もう開かれた。二人の絆という名の新しい運命と共に、私たちはこの学園という名の戦場で、永遠に抱き合い続けるのだ。

――この箱庭の王は、俺たち二人だ。

そんなセドリックの無言の宣告が、私の魂の奥底まで染み渡っていった。



(完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ