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Stand up HERO

「なんだよ、これ……」

「これはヒドイ」


 病院内に踏み入ってすぐ、進治と妖精の二人は揃って顔を顰める。

 そこに広がっていたのは、まるで爆発テロでも起きたかのような惨状だった。

 床には瓦礫やガラス片が散乱し、吹き抜けの天井に吊るされた照明は火花を散らして明滅を繰り返す。

 ロビー中央にある幅広のエスカレーターなど、根本を残して崩れ落ちている有様だ。

 本来であれば、ここは開放的で清潔感に溢れたエントランスホールだったのだろう。

 それが今や見る影もない。


「気圧されちゃダメだよ。さあ急いで」

「……っ、分かってる!」


 思わず呆然と立ち尽くす進治。

 しかし妖精に窘められ、切り替えるように頭を振って注意深く院内を見渡す。

 と、そこであるものに気付いた。


「なあ妖精。あの、明らかに病院のデザインとは思えない壁の大穴って──」


 進治が指差したのは、出入り口を真っ直ぐ進んだ先にある受付。

 その右隣の壁に、これ見よがしと言わんばかりの横穴が空いていた。

 サイズは中型車両が通れるくらい。崩れた壁の縁には、補強用の骨組が折れた状態で剥き出しになっている。

 妖精は、その光景に一考の余地もなく答えた。

 

「うん、どう見ても魔獣が移動した痕跡だね。人用のドアじゃ幅も高さも足りないから、壁を強引に突き破って行ったんだろう」

「ってことは、ここを辿っていけば」

「魔獣への最短ルートだね」

 

 言ってすぐ、揃って顔を見合わせる進治と妖精。

 そして二人は頷き合うと、すぐさま穴に向かって駆け出した。

 そこから先は、まさに疾風のごとく。

 エントランスを抜け、廊下を突き進み、奥へ奥へと突き進んでいく。その度に荒れた院内の様子が目に入り、進治の表情が険しさを増す。

 だが、そんな時間はすぐに終わった。

 都内有数の大病院といえど、テーマパークほどの敷地を有している訳では無い。

 加えて魔獣が開けた大穴を直進しているのだから、その結果も当然のこと。

 即ち、進治たちは存外早く目的の場所に辿り着く。


「中庭……?」

 

 そこは、四方を壁に囲まれた広い中庭だった。

 軽く周りを見渡せば、ここも建物内に負けず劣らずの荒れ模様だ。

 散乱する瓦礫やガラス片は勿論のこと、掘り返された土や幹を折られた木が転がっている。

 そんな中、妖精が叫んだ。


「居た! アイツだ」


 前を指差す妖精。示した場所は、二人から三〇メートルほど離れた中庭の向かい側。

 そこに居たのは、腹這いの姿勢で進治たちに背を向ける漆黒の怪物──魔獣。

 魔獣の体高は、進治の身長より頭一つ分高い程度。一方で体躯は縦に長く、四足と腹の底をピッタリと地面に付けている。

 進治は正門を通り抜けた際、譫言のように”トカゲ”と繰り返す患者がいたことを思い出す。

 眼前に佇む存在は、まさしくソレだった。


『GUGYAGYA?』

 

 妖精の声に反応して、魔獣はガラスに爪を立てるような不快な音を発しながら振り返る。

 これが魔獣の鳴き声なのかと、進治は両拳を胸の前に構えながらそんなことを思った。

 しかし振り返った魔獣の全容を目するや否や、鳴き声など余りに些末な問題であることに気付く。


「なんて見た目だ、気色悪い……」

 

 振り返った魔獣の頭部は、まるでクリオネの捕食シーンのように鼻先から喉元にかけて縦と横の十字に裂けていた。

 その内側は赤一色で染まり、縁には円錐状の小さな牙が等間隔で並んでいる。喉奥からは四本の短い触手がチロチロと顔を覗かせていた。

 見れば見るほどに正気を削られそうな姿をしている。

 事実、進治は本能的な恐怖と嫌悪をその身に感じていた。

 とはいえ──。

  

「でもまぁ、やるしかないよな」

 

 相手がどんな姿であろうと、やるべきことは変わらない。被害を抑えるのは勿論のこと、ここで逃亡すれば指名手配ルートだ。

 進治は額に汗を滲ませながらも両腕を前に構えて臨戦態勢を取る。

 (大丈夫、俺ならやれる)と、心の中で何度も自分に言い聞かせながら。

 その時、ふと妖精が口を開いた。


「気を付けるんだ風守進治。あの魔獣、交差点のヤツよりずっと強い」

「んなっ!?」


 妖精は、あくまで助言のつもりだったのだろう。もしくは進治の気を引き締めようとしたのか。

 だが、どちらにせよタイミングを間違えていた。

 今の進治は交差点の時と違い、異常分泌する脳内物質も、夢という思い込みも無い完全な素面(しらふ)なのだ。

 使命感と社会的危機に駆られてここまで来たが、だからといって恐怖心がないわけでも、積極的に戦いたいわけでもない。

 一度は魔獣を倒しているという経験に(すが)り、あくまで今回だけだと自分を誤魔化して、どうにかハリボテの精神を保っていた。

 その覚悟が今、ほんの少しだけ揺らいだ。

 次の瞬間──。

 

『GUGYAAAAAAAS!!』

  

 まるで進治の動揺を見透かしたかのように、魔獣は雄叫びをあげて彼に迫った。

 ドタバタと手足を動かし腹這いで直進する姿は、まさにトカゲそのもの。

 また巨大な体躯に反して凄まじい敏捷性も持ち合わせており、瞬く間に互いの距離が縮まっていく。


「ちょ、待っ──!」


 進治は目を見開き、慌てて拳を構え直そうとする。が、もう遅い。

 動揺で晒した隙は存外に大きく、腰が引けたせいで防御の構えは中途半端。迎撃など言うに及ばず、このままでは直撃コースまっしぐら。

 まともに受けようものなら、子供が無邪気に蹴飛ばした小石の如く壁に叩き付けられるのは明白だった。

 だから、咄嗟に取れた選択肢は一つだけ。

 進治は構えを解くと、強引に身を(ひるがえ)して真横に飛んだ。

 

「うぉおおおおおおおおお!?!?」

『GYAAAAAAAAS!!』


 中庭に響く、悲鳴のような進治の叫びと魔獣の咆哮。

 果たして、魔獣の突進は進治を正面から捉えるには至らなかった。彼の左足を僅かに掠める程度で、そのまま真横を通り過ぎていく。

 どうにか直撃は免れた。

 しかし強引な回避が災いし、進治は受け身も取れないまま背中を強く地面に打ちつけた。


「ガハッ……!」


 肺の中の空気が押しだされ、呼吸が一瞬止まる。

 ほんの少し掠った程度でこの威力。

 まともに受けようものなら、その時点でお陀仏だ。

 仰向けに倒れる進治の頬を、冷たい汗が静かに伝う。

 一方で、


『GURUGYAGYAGYAGYA!!!』


 (すんで)のところで避けられた魔獣は、勢いそのままに頭から壁に突っ込んでいた。

 途端に壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。

 けれど魔獣は、怪我を負った様子も怯んだ気配もない。

 それどころかドリフトターンを思わせる急旋回で身体の向きを調整すると、再び咆哮をあげて進治に迫った。


「ふざっっっけんなよ、なんだよその動きッ!!!」


 思わず叫んだ声は、悲鳴を通り越して怒声だった。

 あまりに規格外な魔獣のフィジカルと身の(こな)しに、進治は口調が荒れるのを抑えられない。

 とはいえ今は文句を連ねる余裕すら無いのが現状だ。急いで膝に手をつき立ち上がる。

 しかし再び前を見据えた時、(すで)に魔獣の四足は地面を離れて彼に食らいつく寸前だった。


「ぬぁああああああああっ!?」


 またもや上がる、悲鳴のような進治の叫び。

 もはやヤケクソだ。

 進治は、考えるより先に身体を伏せる。直後、彼の頭上を魔獣が通り抜けていく。

 どうにか追撃も免れた。だが当然、これで終わる筈もない。

 魔獣は避けられて尚、再びドリフトで迫る。

 進治は、それを身体を捻って躱す。

 そんな防戦一方の状況が、息つく暇もなく繰り返された。

 (さなが)ら、素人がいきなり闘牛ショーに参加させられたような有様だ。

 とにかく避けるのに精一杯で、反撃に気を回す余裕など一切ない。

 おまけに、


「避けてばかりじゃダメだ風守進治。ほら、ちゃんと反撃しないと」

「それが出来ないから苦労してんだよ! あと話しかけんな気が散る!」

「そこまで言わなくてもいいだろう……」

 

 右肩からは、(やかま)しい小動物が分かりきったヤジを入れてくるのだ。

 コイツを投げつけたら少しは時間稼ぎになるのでは、と進治は割と本気で考える。

 しかし、それが実行に移されることはなかった。

 なぜなら、


「な、なんだ、急に……?」


 何度も突進を繰り返していた魔獣が突然、進治を追うことを止めたのだ。

 避けられてもドリフトすることなく、真っすぐ壁に向かって行く。

 しかし、これまでと違い壁を突き破ろうとはしなかった。

 衝突寸前で動きを止めたかと思えば、緩慢(かんまん)な仕草でズルズルと前足を壁に(もた)れ掛け、後ろ足で立ち上がる。

 そして──。


「……おい、おいおいおいおい」


 魔獣は、そのまま勢いよく壁を這い上がった。

 一歩一歩を壁にめり込ませながら、進治を見下ろすように彼の頭上を徘徊してる。

 

「そんなのアリかよ!?」


 絶叫する進治。だが、それも仕方のないことだった。

 ただの突進でさえ(しの)ぎ切るのが精一杯だったのだ。

 だのに、ここにきて頭上からの攻めも加わるとなればいよいよ手に負えなくなる。

 戦いとは基本、相手の上を取った方が有利になるものだ。

 個人レベルいえば、低身長より高身長の方が喧嘩で有利なように。

 戦争規模であれば、制空権を握った側が圧倒的優位に立てるように。

 そんな『上』という有利ポジションを、平場でさえ優勢な魔獣が握ったらどうなるか。

 もはや反撃どうこうの話ではない。

 趨勢(すうせい)は、完全に決していた。


「クソっ、こんなもんマトモに相手していられるか。妖精、ここは一旦退く!」


 進治は、頭上で這い回る魔獣を睨みつけたまま妖精に言う。

 こうなった以上、今の自分に太刀打ちする術はない。

 下手に食い下がったところで死にに行くようなもの、この場は恥を忍んででも撤退するのが賢明だと。

 何も戦闘を放棄する訳じゃ無い、あくまで一時的に引き下がるだけ。

 対抗する算段が立ち次第、再び挑むというのが現状彼が思いつく最善手だった。


 ──見極めろ、タイミングを間違えるな。

 

 魔獣に気取られないよう、進治は両拳を胸の前に構えて迎撃態勢を取る。一方で、その足はゆっくりと摺り足で後退を始めていた。

 彼の狙いは、魔獣が少しでも遠退く僅かな瞬間。その隙に背後の建物内に逃げ込もうという考えだ。

 幸いなことに見かけ倒しの迎撃態勢も牽制になっているらしく、魔獣は動き回るばかりで無闇に飛び掛かろうとはしない。とはいえ戦う気がないと見抜かれたら即座に攻撃に転じてくるだろう。

 故に、これは恐らく最初で最後のチャンス。撤退の成否は今、この瞬間に懸かっていた。

 そして、


 ──今っ……!


 ここしかない。そう覚悟を決めて進治は魔獣に背を向けた。

 途端、瞳に映る景色が中庭から建物内へと移り変わっていく。

 手応えはあった。タイミングも殆ど完璧に近いものだったと思う。

 あとは全力で院内に逃げ込めば、一先ず撤退は成功する。

 その筈だった。

 けれど、そんな刹那的視界の端で。


 ──……え?


 彼は、”それ”を捉えた。

 捉えてしまった。


「……人?」


 視線の先は中庭の隅、つい先ほどまで魔獣の背後に隠れていた場所。

 そこに居たのは、肩から下を瓦礫に埋めた一人の少女だった。年齢は進治と同じか少し上くらい。

 その瞳は閉じられ、うつ伏せに横たわったまま微動だにしない。病衣の一部が見えることから、おそらく逃げ遅れた患者であることが窺える。

 瓦礫の下からは、粘り気のある赤い液体がジワジワと地面に染み出していた。


 ──うそ、だろ。


 思えば不思議だった。どうして院内を派手に暴れ回っていた魔獣が、中庭で静かに佇んでいたのか。

 けれど少女の存在により、その理由に合点がいく。

 崩落に巻き込まれた少女を発見したのか、あるいは進治同様に敵と見做したか。

 どちらにせよ魔獣にとって、彼女は紛うことなき獲物だったのだろう。そこに進治たちと出会(でくわ)したわけだ。

 しかし今、少女に気を取られている場合ではなかった。

 その逡巡は何よりも致命的で。


『GUGYAAAAAAAAAAS!!!』

「っ、しまっ──!?」 


 戦線離脱に全神経を注いでた意識が、別のものに奪われるということ。

 気付いた時には遅かった。

 次の瞬間、進治の背中に衝撃が走る。


「が、あ゛ッ──!」

 

 背中が”く”の字に折れ曲がる感覚。

 直後、進治の身体が真横に吹き飛んだ。

 そこからは、まるでサーキットで脱輪したタイヤになったかのよう。

 障子を破くかのように壁を何度も突き破り、全身を打ち付けながら転がっていく。

 まともに突進を食らったと彼が理解したのは、四人部屋の病室でうつ伏せに倒れたあとだった。


「ぐっ、ガッ……ゴボォ……ッ!?」


 最初に感じたのは、胃を直接絞られるような激しい嘔吐感。

 中の物が強引に喉までせり上がるような気持ち悪さだ。しかし実際に吐き出されたものは、ひどく粘ついた赤い液体。

 そして喉の支えが取れたかと思えば、次に待ち受けるのは背中を中心に広がる激しい痛み。

 ……否、それは痛みというより、灼けた鉄の棒を押し当てられるような熱に近かった。


「あ゛っ、ガァ゛ッ、あ゛ぁ゛ぁ゛…………!」


 苦悶の声に喉を震わせ、のたうち回りたくなる程の痛みが全身を巡る。

 その様は、まるで死にかけの虫だ。

 痙攣する指先が意味もなく床を叩き、呼吸のリズムは定まらない。視界は(うね)るように揺れ続け、それが一層気分を悪くする。少しでも気を抜けば彼の意識は忽ち途絶えてしまうだろう。

 いや。いっそ気絶してしまえたら、どれだけ楽なことか。

 しかし──。


「…………、……………瓦礫の、下敷きになっていた」


 痛みよりも、苦しみよりも。


「血が、流れていた」


 進治の意識の大部分を占めていたのは、瓦礫の下敷きになった少女だった。

 瞳に焼き付いた直前の光景が、進治に楽になることを許さない。

 彼女の存在が、彼の意識を縫い止める。逃がすものかと縛り付ける。

 ”お前のせいだ”、と責め立てる。


「全然、ちっとも! 間に合ってなんか、いなかった……っ!」


 ここに来るまで、いったい自分は何をやっていた。どれだけの時間を無駄にしたのか。

 思い返せば、様々な要因が思い浮かぶ。

 尋問部屋で渋らなければ。

 最初から、もう少し走るペースを上げていれば。

 大通りで立ち往生しなければ。

 どれもこれも単体で見ればロスとも呼べない些細なもの。束ねたところで後出しジャンケンの結果論(たられば)でしかない。

 だけど、もしかすれば。

 少女が瓦礫の下敷きなる未来は変えられたんじゃないのか。いいや、それどころか空が割れる前に間に合ったんじゃないのか。

 病院関係者や自衛隊員の負担を今より軽くすることが出来たんじゃないのか。正門前であんなに怯える人々を出さずに済んだんじゃないのか、と。

 なら、どうしてこうなった? 間に合わなかったのは誰のせいだ?

 一分一秒が生死を分ける。

 交差点で魔獣と相対したあの時から、そんなことは自分が一番理解していた筈なのに。

 

──俺の、せいで……俺が……俺が…………っ!


 まるで底なし沼へと沈んでいくように、思考が自責に埋め尽くされる。

 ああしていれば、こうしていればと無意味な悔恨が心を蝕む。

 どこか楽観視していた。自分が行けば解決すると。

 まさか死人は出ないだろうなんて、そんな根拠のないバイアスに囚われていた。

 その結果がこれだ。無意識な思い上がりが悲劇を生んだ。

 だが、どれだけ悔んだところで時間は戻らない。起きたことを無かったことには出来ない。

 もう取り返しの術は無いのだと、進治は視界を絶望色に染めた。

 ──その時。


「自責に酔うなよ、風守進治」

「……っ」


 ふと、進治の耳元で声がした。

 妖精の声だ。

 妖精は、どこか冷たい口調で続ける。


「ショッキングなのは分かるさ。でもそこで塞ぎ込んでしまったら、他に誰がこの状況を打破するんだい?」

「…………お前、なに言って」


 思わず耳を疑った。

 一方、妖精の言葉は止まらない。

 

「現状、キミ以外に魔獣に対抗する力を持つ者はいないんだ。起きたことは変えられなくても、これから起こる悲劇を防ぐことは出来る。さぁ、立って」

「ふざけてんのか?」


 その呟きは、進治が人生の中でも発したことのない低い声だった。

 含まれた感情は怒り。

 理由は単純だ。

 だって妖精の言い方はまるで、


「そんな簡単に切り替えられる訳ないだろ!? 瓦礫の下敷きになったあの娘のことをさっさと忘れて、呆気なく踏ん切りをつけて、『残念だったね、じゃあ気を取り直して再戦だ』なんて!」


 進治は激情のままに吼えた。

 彼自身、これがただの逆上だということは理解している。

 所詮は間に合わなかった人間の八つ当たり、負け犬の遠吠えだ。けれど、そうと分かっていても妖精への反発を抑えられない。

 今は魔獣との戦いが最優先? そうさ、その通りだ。

 だけど人の心は、正論だからと簡単に割り切れるほど簡単なものじゃない。

 どれほど凄い力を手にしたとしても、どれだけ大仰な肩書を背負ったとしても。

 風守進治という人間の心根は、あくまで平凡な男子高校生でしかないのだ。

 そんな彼にとって──否。ありふれた人生を歩んできた人間からすれば、人の生き死になど到底背負いきれるものではない。そこに自分が関わっているとなれば尚更だ。

 立ち止まり、踞り、悲観することを肯定しろとは言わない。

 でも、だからってロボットのようにオン・オフで切り替えられる訳ないだろう! と。

 だが、

 

「なら訊くけど、キミはそこに居る”彼”まで諦める気かい?」

「彼……?」


 妖精のその一言で、進治の思考が少しだけ熱を下げた。

 続けて妖精が示した場所に視線を動かし、気付く。

 進治から見て部屋の左奥にあるベッド。

 そこで点滴パックを繋いだ子どもが一人、膝に顔を埋めて両耳を塞ぎカーテンの陰に身を隠して震えていた。


「っ!」

「それに彼だけじゃない」


 妖精は、続けて言う。


「ここは都内有数の大病院だよ。当然、外に避難できた者なんて極一部。今も院内では逃げ遅れた人や、そもそも動けるような状態じゃない大勢の患者たちが彼のように怯えているんだ」

「…………ッ」


『分かるだろう?』と、そう問い掛けるかのように進治を見下ろす妖精。

 進治は何も答えない。ただギリギリと歯を食いしばる。

 分かっている、分かってはいるんだ。自分がやらなきゃダメなことも、立ち止まっている場合じゃないことも。

 だが、まだ届かない。まだ足りない。

 彼の心に火を点ける、起死回生の起爆剤が。

 救えなかった事実を帳消しにするような奇跡が。

 だから、妖精は告げた。

 少年の燻る心に火を灯し、無理やりにでも立ち上がらせる究極のキラーワードを。


「それに今なら、まだあの娘を助けられる」

「え……?」

 

 その言葉に、進治は目を見開いて顔を上げた。

 一方、妖精は不敵な笑みを浮かべて言う。


「まさかヒーローの力が、ただ身体能力を向上させるだけのものだと思うのかい?」


 直後だった。


『GUGYAAAAAAAAAS!!!』


 建物内に咆哮が轟く。

 魔獣が、進治たちの居る病室に迫ってきたのだ。

 一歩足を動かす度に、壁や周囲の置物、医療器具などが蹴散らされていく。

 そして魔獣は彼らの姿を捉えるなり、勢いよく飛び掛かった。

 丸呑みにせんと、頭部を四つに大きく開きながら。

 しかし、


『GYA────』


 次の瞬間、魔獣から零れたのは潰れたカエルのような鳴き声だった。そして弾かれるようにノーバウンドで中庭まで吹き飛んでいく。

 魔獣が自ら飛び退いた訳では無い。明らかに殴り飛ばされたような格好で地面に転がっている。

 一方、そんな魔獣の様を眺める進治は、”拳を振り抜いた姿勢”のまま口を開く。


「……方便、って訳じゃないんだよな?」


 その声は、ひどく震えていた。

 けれど絶望色に染まっていた筈の瞳には今、確かな光が宿っている。

 別に、妖精の言葉を鵜呑みにした訳じゃない。

 頭の中は疑問だらけで、救う方法なんて一ミリも想像がつかない。単に耳触りの良い言葉を騙っているだけ、なんて可能性もあるだろう。

 でも今は、立ち上がれるならどうだってよかった。

 そんな彼に、妖精は気楽に答える。

 

「それはキミの頑張り次第さ。ただし一つだけ断言しよう。これは可能性の話じゃない、希望的観測の誇張表現でもない。生きてさえいれば……具体的には”心臓が自力で動いていれば”、必ず助けられるってね」

「信じるぞ」


 覚悟は決まった。

 少女を救うため。逃げ遅れた人々を守るため。

 風守進治は、再び拳を握り直す。

 そして──。


「さぁ、反撃だ」


 魔獣目掛けて、全力で地面を踏み蹴った。

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