4
山は舐めてはいけない。
そういう教えを幼少期から叩き込まれた優姫は、このド夏でも長袖長ズボン長靴を装備していた。もちろん扇風機付きの上着着用である。夏らしさは麦わら帽子くらいだが、これも紐付きでどちらかというと農作業用。
女子高生という属性を殺している。
八代も同様だが、なぜかスタイリッシュに見えた。足の長さとほどほどの体格が勝因だろう。
山に入り林道からしばらくしたところに私有地であるという看板が立っている。それでも不法侵入者は絶えない。八代の祠はそのちょっと手前にあるので他にも祀られているものがいるかな? と進んでしまうらしい。
思わせぶりなお地蔵様でも置いとこうかという話も出たが、その地蔵が勝手に動き出しそうなので検討で終わっている。
その看板の上に黒いモノがいた。
「カラス、いるね」
あいさつ代わりなのか優姫にはかあと小さく鳴く。八代へ向かってはばさばさと羽ばたき付きで何か話している。
優姫にはカラスがあっちいった、とか話しているようだなというのは察することはできるが言葉として認識はできない。
八代が言うにはそのうちにわかるんじゃない? ということだった。しかし、優姫の父もなんかよくわかんない顔で相槌を打っていたからそういう問題でもない気がしている。
八代はキツネで、動物語わかるんじゃないかな、というと拗ねそうで言わないが。
「そっちのほういった。このさき、はいれない。だってさ。
涼さんは、結界でも張っていったっすか? そういう話は俺は聞いてないんっすけど」
「私も聞いてない。会社の人、仕事で入ることもあるからそのままだと思うよ。
入れないなら、ほかの誰かがなんかしてるんじゃないかな。尾石様のとこのコマさんたちとか」
「あり得るっすね。騒がしいと」
二人はそろって山頂へ視線を向けた。山頂の神社には嘘か本当かは知らないが、竜のしっぽといわれる石がある。それが尾石様である。本気で動くと火山が噴火する、らしい。そのため、いつも眠っていて、数年に一度の祭りの時だけちょっと起きる。その日は大体地震が発生していた。ここらへんでは山の寝返り等と言われている。
その尾石様へ快適な眠りを提供することに能力のすべてを使ってると言っても過言ではないのが、神社の狛犬である。二匹いる。
ほとんど下界と交流しないので、優姫も数度ほど姿を見ただけである。八代は付き合いがあるらしいが、俺、したっぱなんで、と狛犬にも腰が引けていたりするらしい。
「ま、入ってみましょ。
さあ、行こうか、関口君」
「いや、だから」
「えー、今泉君でもいいよ」
「だいぶ、古いっすね。行くぞ、上田のほうが」
「誰が貧乳」
「言ってないっすよ……」
優姫は先だって歩き始めた。暑いからつけていなかった軍手もきちんとつける。
山は整備されている。むしろこの地を整備するために、優姫の家が起業したようなものだ。昔のようによくわからんから贄をだしておけ、ということもなく、自らの祠を流されることもなく暮らすために。
二人が次の祠まで来ても誰もいなかった。
「おうちも空だし、先に進むかな」
念の為、祠の中も確認したが空っぽである。そこの主は出張中で、お留守番の優姫が外にいるのだから当たり前だが。
「そうなると川沿いっすね。太郎さんも呼んだほうがよかったっすかね」
「水が少ないからいけるんじゃない? ひとまずは様子は見て来ましょ」
少し先をいくと川は干上がっていた。気を付けて降りてみるが、川底がほんのり湿っているだけだった。
「水が地下に潜った、というのもある?」
「そうなると地質学者連れて来る話っすね」
「噴火の兆候とか言われそうだよ……」
「そっちはまた専門別っすよ」
そんな事を言いつつ、川底を掘ってみると少し水は滲んでいた。完全にない、というわけでもないらしい。
「ひんやりしてる」
「風が向こうから吹いてるっすね……。この山、雪女はいないはずっすけど。野良が住みつくにも夏は夏眠しているし」
「でも、下の川は水が減ってないようだよ?」
「誤差の範囲じゃないっすか? もともとそんな量は多くない」
「源流は湧き水だっけ」
「そこまでいくには装備が足らないっすね。
人探しを再開しましょうか」
「そうしよ。
これから人が入るかもしれないともお知らせしておかないと。捜索隊の安全、大事」
こういう折衝も優姫の家の仕事ではある。できれば父がいるときに発生してほしかったと優姫は恨めしく思う。
母がいれば、とは、あまり思わない。
もっと大事になるのが目に見えている。半端なく交友関係の広い母が、うちでちょっと困っていて、といった瞬間にいろんなモノが集まってくる。
生粋の人外タラシである。
二人は元の道に戻った。
「……なんか、聞こえなかったすか?」
「人?」
「悲鳴? 落ちる?」
「ダメなヤツじゃない!」
「そういうマネッコもいるっすからね」
人真似をして、誘うようなモノもいるが当地には生息していない。
よって、人である。
二人は走り出した。
「ちょ、こない、いやいや、一緒とか無理、家帰るしっ!」
木の上にその男はいた。どうやって登ったんだろと優姫は一瞬呆れたがその下にいるものに気がついて眉をひそめた。
「知らないやつっすね」
優姫が聞くより先に八代が答える。
透明な塊。スライムみたいな粘着性はあれど、木は登れないらしい。
「で、何言ってるかもわかんないっすね」
「私もわかんないわ。
で、あの人にはわかると。魅入られてるか契約したか……」
「氷漬けって何っ!? いやーっ! ちょ、そこのひとぉーっ」
二人の存在に気がついた男が喚いた。優姫はそれににこやかに手を降ってみた。どっちが悪いか、というのは現状わからないので、安易に返答したくなかったのだ。
相手が無表情になった。
「ヒトの心無いっすね。
お兄さん、助けてもいいんすけど、事情説明よろ」
「そんなんしらんよっ!」
なにもしてないのに壊れるパソコンと同等の信用度だ。
スライム(仮)も二人に気が付き、威嚇なのか伸び上がった。
「みずまんじゅう」
「わらびもち」
「触感はグミだよっ! 細長いグミみたいにばーって」
そう言っている間に、スライムのターン。
伸ばした触手が優姫に迫る。
「意外と早いのね」
触手が届く前に優姫はその場を離れていた。近くの木の枝の一つに乗っていた。
たわむわと内心ぼやきながら、スライムの動きを確認する。
残された、八代が、ひどいっすと言いながら、木に駆け上っていた。素早さはある。
「で?」
「この状況で、なんで冷静なのよっ!」
「なんで、ってねぇ」
優姫はちょっと思案した。
「ある組織から依頼された退魔師だから」
嘘である。本当のことを言うと余計こじれるので、大嘘のほうがましだろうと判断したのだ。
「はい?」
「女子高生退魔師優姫とはわたしのことよっ!」
「その助手っす」
勢いは大事である。優姫はなにか大事なものを失った気もしたが、スライムが蠢く状況では仕方なかった。
スライムは分裂はしないが、薄く伸びてそれぞれの木の下にいる。降りたら捕獲されそうだった。
「木に登れないのか、この木がだめなのかわかんないわね。
一つ降りてみない? 八代さん?」
「嫌っすよ。で、そこは、なんかあれじゃないんすか。駐在さんとか」
「余裕あるのね……。
お兄さんにひとまず説明しておくとこれ。この山に生息してないと思われるものなの。
祠や封印、その他、なにか壊したり拾ったりしてない? なにか捨てて、でもいいんだけど」
「…………温泉街の縁日で水風船もらったくらいだな」
「縁日? 予定では明日からだよ」
「へ? 夜に仮面をつけた……」
男はそう言って不安そうな顔になってきた。縁日といっても仮面をつけたなにかがうろついたりしない。
普通はおかしいと思うはずが、普通に過ごして帰ってきた。お土産を連れて。
「水風船の中身、これだよね。
なに連れ帰ってんだか……。その場でお持ち帰りされなくてよかったけど。
本体でもなさそうだなぁ」
分体でも、壊すのはちょっとと思うのは生まれのせいかもしれない。
末端で、すぐに戻るかもしれないけれど。同じではない。
本体はそのあたり無頓着である。
言うなれば、捨てられる髪の毛のようなものだから。
「一時撤退。
お兄さんは目を閉じて。なにがあっても、目を開けない。八代さんは一人で大丈夫?」
「麓で落ち合うならいけるっす」
「じゃ、それで」
優姫は上着を脱いでリュックにいれる。こんなこともあろうかとと思って大容量にして良かった。続いて長靴を放り入れ、長袖とズボンも脱いでしまう。
下着姿である。
「ちょ、なにっ!?」
「見んなっていった! 後で記憶消してやる」
慌てる男の前で、優姫は姿を変えた。
それは闇のように黒い人だった。そこらかゆらりと崩れ、丸いものに。
しゅるっと丸いものから触手が伸びる。
「ひ、ひぃっ」
「黙っているように、なにも見ないように」
「はいっ!」
男は今度は大人しくぎゅっと目をつぶっていた。
男を抱き込んで、優姫は木の上を登った。足はない。ただ、無数の手が木を掴み頂上まで至る。
「飛ぶから」
「はあ!?」
そうだよねぇと優姫は思ったが、男の決心が着くまで待たなかった。
木を登らないと思っていたスライムがすごい勢いで駆け上がっていた。冷気とともに。
木を飛び他の木へと移りと繰り返すうちに、水音が聞こえた。
「水が、来てるな」
水は厄介だ。優姫は麓まで来ては欲しくないなと祠で立ち止まることにした。
しかし、なにも来なかった。
「あれ?」
それからほどなく、八代も戻ってきた。草をいっぱいつけて。
「……その連れてる人、生きてます?」
「あ。ああ、だいじょーぶなんじゃない?」
大丈夫ではなく、気絶していた。
それは黒い塊のようで、柔らかな毛並みだった。花のような匂いがして、ふわふわして。そう、ネコチャン! と思ったところで男の意識は途切れたのだった。