一話 今日も世界は順調におかしい
いつもの朝日。
いつもの澄んだ空気。
いつものトーストにココア。
いつもの学生服に着替えてそれらを享受する。
なんてことない極々普通の高校生の朝の風景だろう。そこに何の違和感もツッコミどころも無いはずだ。
「続いてのニュースです。昨日午後2時ごろ、日本最大級のテーマパークで起きた殺人事件についてです」
「いやねぇ、怖いニュースを朝から流すなんて」
ダイニングテーブルの向かいに座った母さんが頬に手を当てながら困ったように1人呟く。
1人息子とはいえ高校生の俺を産んだはずの母さんはぱっと見20代にすら見える。エプロンをしている事とその口調にはギャップを感じてしまうほど若々しく、歩いているだけでナンパされるのはその見た目のせいか、はたまた隙だらけな事がバレているからか。
「ねぇ悠介、チャンネル変えて良い?」
「お好きにどうぞ」
特に興味もないのでそう返すと、母さんはテレビのリモコンを一度だけ操作してチャンネルを変える。
バラエティ色の強い情報番組が映り始め、お笑い芸人さんが何かの家具に乗っかってジタバタとはしゃいでいた。
途中からでは何をしているのかは分からないが、それくらいで丁度良い。憂鬱な中間試験を受けに行かなければならない高校2年生に少しでも元気をくれる気がした。
「本当にそんな事をしても壊れないんですかぁ?」
「そうなんです!私の体格でこうやって激しく乗っかっても……っ!」
ギシギシと不穏な音を立てながら芸人さんが楽しそうにその動きを繰り返していたが、急に息を呑んで固まってしまう。
「あらぁ、いやねぇ」
母さんの困ったような声がまた響き、俺はバレないように小さくため息を吐いた。
「…番組の途中ですがニュースをお伝え致します。今朝山奥のコテージで発見されたスキーヤーの遺体ですが、一緒に来ていた同僚が刺したものとして警察は身柄を確保いたしました。調べに対し男は「恋人を取られて許せなかった」と供述しております。警察は偶然スキーに来ていた私立探偵とその8歳の息子が重要なサポートをしてくれたと…」
「ごちそうさま、そろそろ学校行ってくるね」
「今日はいつもより早いのね」
「言ったでしょ、今日から試験だから。ちょっと早めに行って勉強しておきたいし」
そう言うと母さんは満面の笑顔で両手を合わせた。
偉い偉い、と頭を撫でてこようとするのを避けながら玄関に向かった俺は靴を履きながらスマホを確認する。
いつも出発する時間より30分ほど早い時刻を指す数字の下に一件だけ通知が浮かんでいる。
お手柄!猫が解決してくれた三つの殺人事件!
俺はその通知を目に入れるとすぐに左にスワイプして画面の外に追いやった。
物騒な事件が多いのは日本が病んでいる証拠だ、とでも言ってやろうか。
そんな事を言えばおかしな奴だと奇異の目で見られるだろう。
そんな奴らに言いたい。
おかしいのは俺じゃなくて世界だ、と。
変な事を考えてしまうのは試験で心が落ち込んでいるのだろう。そう自分に言い聞かせて俺はスニーカーを履いて玄関を開けた。
冬の冷たくも澄んだ空気は心地良くて少しだけ気が晴れた気分だった。とりあえずポーズとして英単語帳を構えた俺が歩き出して僅か数分。
「あーっ!悠介!ちょっと待って!」
突然響いてきた大声に俺は肩をすくめてしまう。
俺は右上、赤い屋根の家の二階に目を向けると、そこにはまだ部屋着のままの幼馴染が制服で身体を隠しながら窓を開けていた。
「今着替えて行くから!一緒に行こ!」
返事を待たずに窓から離れていったのが彼女のポニーテールから分かる。
待っている間も英単語帳をめくっているが、何の英単語が書いてあるのかは分からない。分かるのは部屋着姿の幼馴染が身体を制服で隠すのは可愛いと言うことだけだ。
こちとら健康な高校2年生なもので。
意味のない紙を20枚ほどめくったところで玄関のドアが勢い良く開き、家の屋根と同じ赤い髪をポニーテールにまとめた少女が家から飛び出してくる。スクールバッグを両肩に背負いながら駆けてくる姿は幼馴染ながら魅力的だ。
「へへ、ごめんね?お待たせしました!」
元気よく笑いながら敬礼する幼馴染に俺は自然と笑顔になる。
「大丈夫だよ、いつもより早いんだし。…っていうかよく気が付いたな莉子」
「本当だよ!たまたま試験やだなぁって外を見てたら悠介が歩いてるんだもん!早く行くなら連絡してよね!」
ごめん、ととりあえず口だけで謝ってから俺達は学校に向けてゆっくりと歩き始めた。
「昨日寝るの遅かったから危なかった〜。悠介と一緒に学校行けないとこだったよ」
唇を尖らせながら文句を言う莉子に勘違いしそうになるが、生まれた時から一緒にいるレベルの幼馴染だからそんな事は無い、と首を振る。
莉子は明るい性格と社交的な所、何より学校でも有名なレベルの美少女であり部活動のバレーボールでは全国にも行っている。人気が無いわけが無い。
そのくせ誰にでもさっきのような事を言うので学校の男子は全員一度勘違いをした事があるだろう。
同情をしつつ心の中で合唱していると莉子が珍しく重いため息を吐いた。
「あ〜ぁ…試験だよ…いやだなぁ」
悩む姿も可愛らしい上に勉強が苦手という側面は欠点というよりも彼女に親近感を抱かせる魅力なので無いだろうか。
「試験なんて無くなれば良いのに」
「…バッ!……この!なんて事言うんだ!」
「ひゃっ!何急に…びっくりするでしょ」
文句を言いながら肩を殴ってくる莉子を無視しながら俺は憂鬱な気分になってしまっていた。
何も勉強が学生の本文なのだと言いたいわけでは無い。試験が無くなってくれれば俺だって半裸で小躍りしてやる。
「……悠介そんなに試験が好きだっけ?」
「んなやつはこの世にいない…事は無いけど少数派だ」
じゃあなんで?と可愛らしく小首を傾げる莉子をチラッと見て俺はもう一度ガックリと肩を落とした。
「莉子がそんなこと言うから、多分試験は無くなるよ」
「えっ!?だったらサイコーじゃん!」
嬉しそうにスキップをし始め、俺の前に出た莉子だったがすぐに不思議そうな顔で振り返ってくる。
「じゃあなんで悠介はそんな感じなの〜?」
その質問にため息混じりで答える前に、その答えは俺達の耳に届いてきた。
甲高い女性の悲鳴と共に。
「きゃあ〜!し、死んでる…っ!!」
この世界がおかしいと気が付いたのはいつのことだっただろうか。
いや、違う。中学2年生じゃ無い。
なにも厨二病的な意味じゃなくて、本当にこの世界はおかしい。
遊びに行っても旅行に行っても外食をしに行っても事件が起きる。
しかも。殺人事件が殆どだ。
連日ニュースで流されてるのもそんな事件ばかり。
しかもしかも。密室やらトリックやらが異常に多い。
そんな発想出来る人間が何人いるんだよって奴ばかり。
しかもしかもしかも。莉子が一緒にいる時はほぼ起きる。
莉子との思い出は殺人事件の事ばかり。
おかしいのは莉子自身も他の人間も大して気にした様子が無いことだ。その場では怖がったり悲鳴をあげたりするくせに後日そんなこともあったね〜程度に考えてやがる。
1ヶ月前など家族同士で旅行に行った先で事件に巻き込まれた時、私立探偵だとかいうどうやって生計を立ててるのかも分からん男と「俺を否定した社会を作り変える」と子供のような事を言っていた犯人が銃撃戦をしたのにも関わらず莉子どころか世界はそんなこともあるね、くらいの感覚だ。
ここは日本であって拳銃が身近ではない事は重ねて伝えておこう。
莉子どころか、警察官である莉子のお父さんまで事件に対する態度は良いものの拳銃に関しては特に言いたいこともなさそうだ。
俺からすると私立探偵含めてアウトだと言いたいのだが。
つまり、莉子がああやって試験が無くなれば、なんて言った時。
そんなフラグをおっ立てて下さった時にはまず間違いなく殺人事件が起きる。
そういうものだ。
「被害者は園原進さん。この美容室の店長です。第一発見者は向かいの喫茶店で働く塩野穂乃果さんで、回覧板を回しに行った時に気が付いたそうです」
「ふむ…目撃者はそれだけか?」
「いえ、塩野さんが発見した時に偶然隣にいた学生が2人」
若い警官の報告を受けていた大柄の男。
筋骨隆々で警官のコスプレをしたゴリラとでも言った方が良さそうな彼は目撃者となった学生2人が待つ喫茶店に入り、驚いたように巨大をのけ反らせた。
「り、莉子っ!?」
「わー!さすが悠介だね!本当にパパが来ること当てちゃった!」
娘が殺人事件に出くわしていたという新鮮な新鮮な驚きを見せた莉子のお父さんと俺の隣ではしゃぐ莉子の隣で俺は軽く手を振った。
「悠介も一緒だからまだ良かったが…大変だったな」
「いえ」
気遣いではなく本当に大変じゃなかった。
こんな事慣れてるもので。
「それで、どういう状況だったんだ?」
俺達の対面に座った莉子のお父さんは広々とした喫茶店の2人掛けの椅子を1人で占領していた。平均体系ど真ん中の俺からすると3倍くらい大きいんじゃないか?
「特に捜査の手助けできるような証言じゃないんですが…俺達が登校してたら悲鳴が聞こえてきて、駆けつけたら美容室のガラスを覗きながら女性が震えていました。明らかに血の海で物が散乱していたから事件だと思ってすぐ警察に連絡して…そこから俺たち3人は中にも入ってないし美容室のガラスも何も触らないようにしてます」
俺の報告を受けて莉子のお父さんは丸太のような腕を組みながら感心したように頷いた。
「悠介はまるで慣れているかのように的確だな。助かる」
まるでもなにも慣れてます、と言いたい所だがグッと堪える。
「ひとまず俺達が現場を確認してから2人には書類を書いてもらう必要があるな。学校には俺から連絡しておこう」
「助かります」
「試験受けれないの残念だね〜!」
「こら、莉子。被害者がいるのに不謹慎だぞ」
ごめんごめん、と軽く謝るのは莉子が慣れているからではない。無理してでも元気に振る舞っているというのが正しいだろうか。
警察を待つ間も警察が来て上司である莉子のお父さんを待つのに喫茶店に座ってる間も、莉子はずっと震える手で俺の袖を掴んでいる。
目の前で人が死んでいたのだ。当たり前の反応だろう。
守ってやりたい、なんて事を考える前に何回目の殺人事件だよ慣れろよとまで頭をよぎってしまった程度にこの世界はおかしいらしい。
「連絡は部下からさせるから俺達は現場を確認してこよう。なに、ガラス張りで外から見える上に喫茶店には監視カメラがある。そんなに時間はかからんだろう」
「……ぁ〜……」
俺は莉子のお父さんが気を遣って言ってくれたであろう言葉を聞いて遠い目になってしまった。
という事は、時間がかかりそうだ、と。
そんな俺の予感通りと言うべきか、先ほどの若い警官が慌てて喫茶店に入ってきた。
「け、警部!」
「なんだそんなに慌てて」
「それが…美容室の扉に鍵がかかっていたので従業員に連絡したのですが」
あぁ、本格的に早めに学校に行くのは無理そうだ。
この人までフラグをバキバキに立てていらっしゃる。
「鍵は一つだけ、しかも店長が管理していると言う事で」
「何?じゃあその鍵は何処に」
「あるんです、店内の店長の遺体の横に落ちています!ガラスも窓や扉ではなく裏口もない…完全な密室です!」
俺は静かに目を閉じた。事件が終わる頃には俺の頭から一夜漬けで詰め込んだ知識がどれくらいこぼれ落ちているのだろうか、と。
「そんな馬鹿な!」
巨大を打ち上げるように立ち上がった莉子のお父さんを追いかけて俺達も外に出て行くと、時間が経ったせいか野次馬だらけになっており、美容室の前には黄色いテープで現場保存までされていた。
何人も警察が立っている中を俺たち3人が美容室に歩いて行くと莉子のお父さんは手袋をしてから扉に触れ、そっと引いた。
本当に鍵がかかってる、と驚く莉子だったが俺としてはあの巨体に合う手袋があることの方が驚きだった。
「じゃあ店長はなんで…まさか自殺…?」
そう呟く女性は先程まで居なかった人だ。
この現場に入っていると言う事は関係者なのだろう。おそらくは先ほど話にあがっていた美容室のスタッフさんだろうか。
「そんな馬鹿なことあるかよ。あんなうるせぇくらいに明るい人が自殺なんてするかぁ?」
その女性の隣にいるのはチャラついた長髪を金色に染め上げた口の悪そうな若者だ。
受ける印象があまり良くなかった…からこそなんとなくこの人犯人じゃなさそうだなどと考えているのは俺だけかもしれない。
もっともその印象を逆手に取られる場合もあるから気をつけないといけないのだが。
「…仕方ない。ピッキングツールを用意しろ。あなた方は従業員ですね?そちらの喫茶店で話を聞かせて頂きます」
莉子のお父さんがそう厳しく伝える。殺人事件だった場合、というか十中八九そうなのだが。彼等も立派な容疑者だろう。
俺と莉子を守るように背中を押しながら喫茶店に戻ってくれた。
なんで俺達も戻されたのだろう。
もう特に話せる話も無いし事件の情報を見ず知らずの高校生に伝えることに違和感はないのだろうか。
というか、もっとツッコみたい所があるのだが…
どうやらそんな事を気にしているのは俺だけらしい。
みんな精一杯に目の前の殺人事件に向き合っているのだろう。
座るや否やまた不安げに袖を掴んでくる莉子も、真剣な表情で巨大を頑張って小さくしながら座っている莉子のお父さん。
名前も知らない落ち込んだ様子の女性スタッフに印象と口が悪い男性スタッフ。
どうやら今日も俺だけがこの世界がミステリだと知っている。らしい。