Drei:Ein stürmischer Hügel
本当にお久しぶりの更新ですみません……また途切れるかもしれませんね(-_-;)
いつもにましてフィーリングな感じの文章です。ギャグはきっと次回あたりから! ちなみにタイトルは適当!←
四マイルは走ったろう。
そろそろ追手の心配はないか、とばかりにスピードを緩め、幾度かの惰性の跳躍を経て、姿勢を低めて比較的、灌木が密集した木立の中へ着地する。「ひゃっ」と妙にかわいらしげな声に、ふと正気に返る、細い胴を無造作に抱え込んでしまっていた少女の肢体を慌ててゆっくりと地面に下ろした。腹部をハーゼの肩に当て、体をくの字に折り曲げてここまでを連れてこられたアリスの苦痛はどれほどのものだったろう、乱れた白いエプロンも直さず、薄暗い影の落ちる地面にへたり込んだアリスは、わずかに上気した頬にぽかんとした表情を浮かべている。大跳躍が信じられなかったのだろうか。まだあどけなさを残した顔立ちが、いとけない驚きに揺れている。
今自分が触れた少女は、”Alice”なのだ。
そう思った瞬間、身がすくむ。自分はなんと荒っぽい所業で彼女を移動させたのだろう。今まで自分の腕の中にあったのは、彼が仕えるあるじよりも、あるいはもっと大きな存在であったのに、
「あ、あの………」
「すまない、アリス。怪我は」
屈み込んで彼女の手を取ろうとした瞬間、さっとアリスの頬が染まり、小さな手が強張った。
「やはり怪我でも、」
腰に括りつけた処置セットのベルトを緩めようとしたハーゼを、「いえ、違うんです」と意外にも気丈な声で制するアリス。続けて、やはりまだ赤みを残した頬で、
「いや、あの……、……男のひとに、手を取られるなんて……はじめて、で」
「―――――――………」
「え?」
突然白銀の髪に縁取られた顔を一面朱に染め、全力で回れ右をしたウサ耳の軍人に、アリスは戸惑いの声を上げる。ついでに彼が取り落とした革張りの武骨なデザインのポーチ―――戦場での応急処置セットを拾い上げ、「ごめんなさい、私なにか悪いこと―――――」と声をかけたところで、青年が妙にうろたえた声で返す。
「い、いや、申し訳ないのはこちらで、」
「え、いや、そんなこと―――――」
と返した途端、急に、垂れていた青年の白い耳――――帽子の飾りか何かだと思っていたアリスは、頬をかすめたその耳の急激な動きに思わず後ずさる。天に向かって伸ばされたそれは、一度外を向き、また戻った。
「い、いや、こんなところで油を売っている場合じゃない―――――」
まだ少し揺れている声で、しかし彼は呟いて素早く身を返した。今度は、失礼と負担のないように、と心がけて、アリスの前へ跪く。
「詳しい説明は省きますが、ここでは何かあった時に、貴女を守りきれません。申し訳ありませんが、もう少し北へ向かいます」
意志の強そうな瞳が、少女の青い瞳とかち合う。一瞬とまどったように揺れたその青がふと定まり、「―――はい、」と頷いた。
「ありがとうございます」
言いながら、片膝を灰色の地についた。できるだけ意識しないようにしながら、壊れ物を扱うように、少女の体へ触れ、抱き上げようとする仕草をすると、アリスは慌てたように、
「あ、あの、私……歩いていけます。お手を煩わせるわけには、」
「いいえ」
透き通った真っ直ぐな血色の瞳が、何よりもひた向きに、アリスの瑠璃の瞳と交わった。
雪の色をした肌の中の、わずかな生きている証をした唇が、ゆっくりと動く。
「 貴女は、”Alice”です。
―――――それでは、いけませんか?」
その異国の名前に込められた情に、
息が止まる。
ハーゼはアリスの身を容易く抱え上げると、大きく膝を曲げた。直後、発条が一気に爆ぜたように、跳んだ。わずかに息を呑んだアリスに苦しげに眉根を寄せ、「すまないが、口を閉じていてください」と短く諭し、木立を抜け、もう一度、一気に大平原へ躍り出た。
荒野と化した西の盆地は雑草がその勢力を拡大し、野生植物のコロニーがあちこちに群生している。灌木はくすんだ緑を暗く繁らせ、黄ばんだ荒廃した土地の色彩に、わずかながらヴァリエーションを加える。しかしまばらなそれは、かえって野原の茫漠としたむなしさを際立たせるだけだった。色の薄い、灰色がかった空に、ミルクのような雲が幾本か棚引いている。さきほど見た光景―――それを背景に佇む少女――――”Alice”の姿は、ぞっとするほど鮮烈で、どちらかといえば可憐な少女の容貌とははるかに不釣り合いな均衡を保っていた。泥の底から天へ咲く睡蓮、といった風情では、ない。目前をよぎった、いつか、城の図書館で見た図鑑の植物絵を、首を振りかき消す。彼女の存在は、明らかに、この国とは異質だ。鉄色をしたこの世界の、ひと匙の金色のような。
ハーゼは歯を食いしばると、速度を上げた。こんな平たい大地にいては、攻撃してくださいと言っているようなものだ。ただでさえ自分は今丸腰に近い状態であるというのに、いま、この腕の中には、あろうことか”Alice”がいる。腕に白い布でも巻いたらどうかと思案したが、そんな暇はないし、なにより、相手がそんなもので攻撃を断念するとは思えなかった。
曠野がみるみるうちに白んだ靄を棚引かせる湿地に近づいてくる。煙のように二人を取り巻く幾筋かを切り裂くようにハーゼは駆ける。もっと、もっと離れるのだ。あの音から、あの臭いから。靴越しの感触が、石や砂の乾いた硬い地面から、冷たく湿った沼地のようなものへ変わっていく。それと同時に、灌木の色も、わずかに青みを帯びてきた。
湿り気を含む暗灰色の空の下、同じ色にしつらえられた湿原が、やがてくすんだ銀粧石色に凍りついていく。傾斜をひたすら駆けていけば、その変化は歴然だ。
氷結して濁った緑灰色の湿った土地に、小さな島のように、苔むした色の丘が見え隠れする。軍服のブーツはその島々を器用にダイナミックに渡り、ゆるやかな灰色の丘の頂点を目指す。ひらめく銀髪は、流れる霜の色をして、風に流れてあるじのあとを追う。
濃い霧が立ち昇る原野には、春のきざしは見えない。暦の上では既に三月だというのに、芽吹く若木も、ただよう花の香も、なにひとつない。冷たい凍えるような空気に、ひとすじ、硝煙の臭いが混ざる。
腕の中に、確かにあるぬくもりと微かな重みをしっかりと抱きとめた。このぬくもりだけは、失ってはならない。
より強く、深い池の狭間の地を蹴り、見上げるばかりになった雪の丘を、駆けあがった。
厚い雲から、ちらちらと雪が舞いだしていた。
屋敷林のように、黒い針葉樹林がぐるりと囲んだ中に、古い造りの邸宅が建っていた。煉瓦造りで、所謂カントリー・ハウスのようで、周囲の広大な湿原も含め、丘が丸ごと所有地であることを表すかのように豪奢な造りのそれは、しかし、奇妙に寒々しい印象を見る者に与える。暗い色の煉瓦には暖色は見いだせず、冷たい灰色と、薄蒼く落ちた影も相まって、永遠の冬の丘に閉じ込められたようだった。
悲しい詩情の満ちた樹林に足を踏み入れ、やっとハーゼは速度を落とした。葉を全て落とした樹木は黒く尖った枝を天へ伸ばし、不吉な影絵を灰色の空に映す。腕の中に抱いた少女の身に傷がつかないよう、かぶさるように彼女の身を抱え込む。代わりに、彼の白磁の頬に飛び出した小枝が裂傷をつくったが、滲む血を無造作に拭うと、ハーゼは躊躇いもせずそのまま進む。この気温だ、傷口からおかしなものが入る心配もない。
ハーゼは険しい表情で、目前に現れた屋敷を見据えた。空を四角く遮断する四角い厳しげな建築。隙間のない設計は厳寒の地特有で、閉ざされた窓には例外なく分厚いカーテンが閉め切られている。
急な気候の変化にぽかんとした表情で空を見ているアリスを一瞥する、抱えている感触からも分かるが、そう厚着をしている様子はない。貴族的な品の良いワンピースに、白いエプロンドレス。膝から下がわずかに覗く足も痛々しいほど細く、長い靴下を履いているようだが、一刻も早く暖かいところへ連れていかなければ、万が一体調を崩したら事だ。この身を斬るような冷たさは、この丘―――――――、「北の丘」、或いは、「嵐ヶ丘」――――「”帽子屋”の冬の丘」の特徴だ。かくいうハーゼ本人も、軍靴から浸みる雪融水と、軍服の隙間から侵入してくる冷気に顔をしかめたくなる。
意を決して、彼はアリスをゆっくりとした動作で下ろす。艶めく黒い靴が、薄っすらと積もった雪の上に小さな足跡をつける。水気の多い、重い雪だ。軍靴を踏み出せば、ぐちゃりと土が濡れた音を立てる。戸惑ったようにこちらを見たアリスが何かを言う前に、上着を手早く脱ぎ、彼女の肩にかける。「あ、」とアリスが声を上げたが、時間が無い。カフスボタンのついたシャツの袖を尖った糸切り歯と小さなナイフを使って千切りとり、それを右腕の上腕部に巻きつける。白い上なので目立たないが、何もしないよりは格段に良い。最後に、上着を脱ぐ際に背から下ろした銃の袋を蹴り、屋敷からおよそ十m離れた雪の上に放置した。玄関ホールからは充分に見える位置だろう。ポケットなどに手をやり、一振りのナイフも持っていないことを確かめると、アリスを振り返って、物言いたげにしている彼女に確認を取った。「武器は持っていないと言ったな?」
高圧的な物言いになってしまったが仕方がない。アリスが頷いたのを認めると、ハーゼは堅く強張った表情で、四回、黒い鉄の巨大な扉のノッカーを叩いた。薔薇を模したノッカーが、雪舞う木立に、硬質な音を響かせる。
一拍の呼吸があった。
ハーゼがひどく険しい表情で見据えた扉の向こうから、幽かな靴音が聴こえた、気がした。
「Кто личность который там?」
聞き慣れない誰何の言葉に、ハーゼは声を張り上げた。
「”不思議の国”、王国軍王立騎士団白薔薇隊隊長、”白兎”ハーゼ=ルビーン! 自分はひとりである! 攻撃の意思は無い! ”帽子屋”、貴公に一時的に人を匿ってもらいたい!」
叫んだ声は扉の向こうに聴こえたのだろうか。刺々しくも荘厳な装飾をした黒色の扉はしばらく沈黙していたが、やがて、もう一度声がした。
「――――我々は、一切この戦争に関与しない。中立の立場を保つ。それが約束でしょう。”白兎”」
恐ろしく冷え冷えとした声だった。人間かどうかも定かではないほどの硝子質の声。ハーゼは唇を噛むと、もう一度声を上げた。
「”Alice”が落ちてきた! 繰り返す、この世界に、”Alice”が落ちて来た!
”Alice”は守られなければならない! ”帽子屋”、アルセニー=ヴィオレット! 時間がない、この俺、”白兎”は、”帽子屋”に、この不思議の国に存在する”登場人物”として、”ルール”に法り、この扉を開けることを要求する!」
凛、と。
空気を凍らせるように響き渡った軍人の声は、鮮烈に、世界を際立たせるように余韻を残して消えた。
はらりと降った雪が、地面に落ちる音すら聴こえそうだった。
そんな沈黙の後、わずかな不協和音をもって、閉ざされた扉は開かれた。
あっけにとられたように立ち尽くすふたりの髪を、一気に吹き込んだ冷気と屋敷の中の空気が循環する風が嬲る。見上げるほどに巨大な鉄の扉が、左右に開かれる。鉄格子の監獄のような音だった。
絵画のように左右対称な玄関ホールが、薄暗く見える。吊られた豪奢なシャンデリアも漆黒のアイアンワークで、どうしてか燈はともっていなかった。
そしてその真下に、ひどく長く、寒々しい、整えられたテーブルセットが座していた。
それらを背にして立っている人物は、どこかそのまま融けてしまいそうな、そんな印象を与える、あまい金髪の男だった。
彼は大きく腕を広げる。色の薄い金色の上に乗った、純白の毛皮のついたシルクハットが、「10/6」と書き散らされた紙片を揺らして、傾いだ。
薄氷のような透明の紫が、ふたりの、紅と瑠璃の双眸をとらえる。
「Enough said...you are ”Alice”, aren't you...?」
薄い桃色をした口唇が、ひどく澄んだ、春に氷が割れるような聲を紡ぐ。
春待ち草が綻びるような、いとおしげな笑顔を浮かべて、その青年―――――”帽子屋”は、告げた。
「Добро пожаловать в ”Wonderland”!」
Добро пожаловать в ”Wonderland”!
…ようこそ、”ワンダーランド”へ!
ロシア語なのに特に意味はないはずです。