愛していました。お幸せに
元サヤになります。
ハッピーエンド。
男性視点です。
「愛していました。……今さらですね。分かっています、もっと早く言っておく言葉だった、と。でも仕方なかったのです。契約でしたから。だからこそ今ならば言えるのです。愛していました。さようなら。お幸せに」
婚約者との婚約解消の話し合いで。
彼女は本心を打ち明けさせて下さい、と言うので最後だし情が無かったわけではないから、と頷いて二人で彼女の家の庭を歩きながら打ち明けられた。
「何故、今さら……」
「申し上げたように契約だったのです。別れることが決まったからようやく打ち明けられるのです」
「どういう、ことだ……?」
全く分からなかった。
私の目の前で太陽の光と混じり合うような輝く金の目を潤ませた彼女が寂しげに微笑む。
ーー私は、この金の目も燃え盛る炎のような赤い髪も愛していた。
実際、彼女にもそのことを打ち明けた。あれは確か幼くして結ばれた私たちの婚約から六年の月日が流れた頃だったか。
八歳で婚約が結ばれた私たちは同い年で、私は第三王子。彼女は我が国に五つある公爵家の跡取り娘で私は彼女と結婚して婿入りすることが婚約で決まっていた。
父である国王が彼女の父親に頼んで成立した婚約で彼女との交流も彼女の両親との交流も、公爵家の使用人達との交流も公爵家の領地へ足を運んで領民との交流も十年の月日で費やして上手くいっていたのだ。
その間に私と彼女は友人から婚約者としての距離感を教えられたり互いに別の異性と親しく話すだけで嫉妬をして愛情が生まれたり。
ーーそう、私が彼女を女性として想うだけでなく彼女も私を一人の男として想ってくれていることに気付いていた。
だけど。
「大好きだよ、リアナ」
四年前、ようやく決心して打ち明けた私の言葉をとても嬉しそうに幸せそうに笑って受け入れた彼女は、だが決して言葉を返してくれなかった。
「ありがとうございます、ミカエル様」
礼の言葉だけで「私も」との一言すら無かった。
最初はそれでも良かった。
打ち明けるたびに彼女は幸せそうに嬉しそうに笑うから。その笑顔を見る度に彼女も同じ気持ちなのだと私は信じることが出来た。
だが四年も経つのに彼女は一切「私も」とか「好き」とか何も言ってくれなかった。
言葉にされないことがどれほど辛いのか、初めて知った。
彼女の嬉しそうで幸せそうな笑顔を見る度に彼女の気持ちは分かった。
絶対に私と同じ気持ちである、と確信出来ていたのに。だけど彼女からは一言も返してもらえなかった。
彼女の気持ちは疑いようもないのに、言葉にされないだけで辛くて疑いたくなる自分が居て。でも信じたいと思っていた。
何故なら言葉だけは無かったが、会えば必ず幸せそうに笑みを浮かべたし、贈り物もどこかへ出かけるのも断られることは無かった。常に嬉しそうで。だから信じようと思っていた。
二年前だっただろうか。一度だけ、彼女に問いかけたことがあった。
「私のことをどう思う?」
「ミカエル様のお父君であらせられる国王陛下譲りの柔らかな金の髪は、私を含めて見る人達が目を細めます。キラキラとしていて此方の気持ちを明るくするようなとても幸せな髪色。
お母君であらせられる王妃殿下譲りの宝石よりも宝物のような美しい翡翠の目は、私を含めて見る人達が美術品だと思っています。その目に自分を閉じ込めてもらいたいと思うくらい幸せな目の色。
王妃殿下譲りの整った顔立ちに高い鼻筋と薄い唇も美神とはこのような存在なのだろうと思う程の麗しさ。けれども全体を見れば血色の良い肌が人間の暖かさを感じさせ、ひとたび目を伏せて思考に陥れば理知的な面が浮かび上がってその思考を邪魔しないよう、物音も立てずに控えたくなります。
それから国王陛下譲りの威風堂々とした御姿で前を向かれますとその足元にひれ伏して威光を仰ぎ見ることの幸せを実感しますし、騎士とまではいかずとも鍛え上げた筋肉質な身体付きは服を着ていても盛り上がる胸板を見ればどれだけ鍛錬を重ねたのか想像がつきます故、努力を惜しまないことも示されていらっしゃいます。
それから王族である以上、その威厳は保ちながらも、傲慢さとは掛け離れていらっしゃり使用人だろうと私であろうとご友人であろうとご家族であろうと、粗暴な振る舞いはなさらず相手によって態度を変えるのは親しさや相手との関係上当然のことながら、その上で優しさを見せる素晴らしい性格をなさっています。
ですけれど、ただ優しいだけでなく間違いを犯した者に対してきちんと諭し、厳格な罰を与えることも出来る人の上に立つために必要な冷酷さも兼ねていらっしゃるお方です。
もちろんそのために冷酷さを身につけねばならなかったことも推察できますし、厳格な罰を与えるにしても過剰にはならないように過去の事例を鑑みて罰を与えられるところから、勤勉さも窺えます。
このような方が王族として、人の上に立つということは下の者達は公平で公正に物事を見てくれる証となるでしょうから、安心して仕えることが出来るでしょう。それから……」
「ストップ、そこまで! いや、もうそれ以上は恥ずかしくて聞いていられない!」
まさか私のことは好きか? と言外に尋ねた軽い気持ちの問いかけに、真面目にツラツラとこのような褒め言葉が沢山出てくるとは思わず、聞いていて恥ずかしくなってしまったので、それ以来、私は彼女に私のことをどう思っているのか尋ねることはしなかった。
……こんなに褒められて好かれていないなんて思わなかった、ということもある。
というか、彼女の中では私はどれだけ完璧人間だと思われているんだ。こんな完璧な人間なんていないぞ、と居た堪れなくなった。
ただ、彼女は私の努力をきちんと知っていてくれているというのは嬉しく思った。だから更に頑張ろうと思ったし、彼女の夫として将来の公爵当主として益々励もうと思えた。
……ただ、これだけ褒めてくれても「好き」の一言をもらえなかったのは残念に思ったが。
ここまで来ると何か事情があって言えないのではないか、と思ってもいた。
だから。
婚約を解消した今になって、打ち明けてくれることが嬉しくて……悲しかった。
「契約で言えなかった」
と言われて、ああやはり、という気持ちと、誰との契約で言えないのか、と勘繰った。
「誰との契約だった?」
私の問いに彼女はずっと泣きそうだけど泣くことを堪えていた顔に涙を滲ませながら笑った。
「王妃殿下です」
「母上との……?」
そこで全てを理解してしまった。
元々母上は、この婚約に反対していた、と父上から聞かされたことがあった。
一つは母上に何も言わずに婚約を決めてしまったということ。
もう一つは母上の国の者と私たちの誰かが結婚して向こうに行くと決まっていたこと。
この二点で反対している、と。
母上に相談しなかったということは父上の間違いであり、婚約が決まってから報告されれば怒るのも理解出来る。だから父上と私が母上を説得していたのは確かだ。
もう一つのことだが、これは母上が父上の元に嫁いで来る時の契約だったらしい。
母上は隣国の王女で国力はあちらが上。本来なら母上が父上のところに嫁ぐことは出来なかった。我が国に嫁がせても隣国に何の利益も無いから。
併し母上が父上に一目惚れしたので、隣国の国王夫妻を説得して嫁いで来ることになった。
その際、母上が産んだ子どもを嫁入り若しくは婿入りさせることが契約されていた。
隣国の国王陛下は母上の兄……つまり私の伯父上に代替わりした。その子は男子一人。女子二人の三人。対して父上と母上の子は男子三人。つまり嫁入りする王女は居ない。だから伯父上の唯一の男子である従兄弟の婚約者は隣国の貴族の令嬢に決まったのだが。
女子二人……私から見て従姉妹にあたる王女二人共に我が国に嫁入りすることは拒否していた。二代続けて嫁入りするのも他国との外交においてバランスは悪いし、今も我が国と隣国との国力の差は若干向こうが上。だから利益の面で鑑みても嫁入りする利はない。
それから長女の方は次男である兄上と三男である私の顔が母上似で好みじゃない、と言い切って婚約は無かった。母上と従姉妹である自分の顔がそっくりだから、というのが理由らしい。
では、王太子であり長兄は、というと顔は父上似で好みだけれど我が国に輿入れするよりも良い縁談がある、と断られた。
国力の差がある以上、文句は言えない。それも母上と先代隣国国王陛下との口約束なのだから。
ーー併し問題が起きた。次女の方だ。
次女である従姉妹の王女は私の三つ年上。但し甘やかされて育ったらしく我儘で癇癪持ち。そして何より人のものを欲しがるというとんでもない性質。
姉である第一王女の婚約者は我が国とは別の国の王太子なのだが、その王太子に手を出そうとした、らしい。それに激怒した姉である第一王女と手を出されそうになった王太子が第二王女をどうにかしないと国と縁を切ると言い出したようで、さすがに隣国も他国の王太子を怒らせたことは拙い、と判断したし縁を切られるのも国交上の観点から大問題になった。
縁を切られる恐れに慌てた伯父上が母上に打診したのだ。
ーー私との結婚を。
つまり私は三つ上の厄介者である従姉妹を押し付けられることになってしまった。
それがリアナとの婚約解消の背景だった。
第三王子の私と第二王女の従姉妹の結婚は、従姉妹が隣国から出たくないという我儘によって、私が彼方に婿入りすることで話がまとまった。
「王妃殿下より、婚約が決まった直後に密かにお呼び出しがありました」
静かな声で彼女が続ける。
その声に我に返り回想を止める。
私は其方に意識を向けた。
「陛下が勝手にそなたとミカエルとの婚約を決めてしまったが、ミカエルにはわたくしの兄であり隣国の国王陛下の娘である第一王女か第二王女との婚約の打診がある。わたくしと陛下との結婚の際に、そのような契約が隣国の国王陛下と成された以上、この契約は反故に出来ぬ。そのように王妃殿下からお話を頂きました」
彼女の声は震え、小さく細くなっていく。
ーー婚約直後ということはまだ私たちが八歳の時だ。子どもである彼女がこんな大きな現実を突き付けられていたなんて、私は知らなかった。
だが、契約と母上は言い続けているが、口約束のもので契約書があるわけではないことを、私も父上も知っている。説得もその点を伝えていた。
「続けて王妃殿下が仰りました。ミカエル様の兄君であらせられるシエル様は隣国の第一王女殿下も第二王女殿下も婚約は見送ったけれど、ミカエル様との婚約はどちらかと成立するはずだと……。
それ故に私にお命じになられました。
決してミカエルを好きになるな、好きになっても口に出すな、と。
この婚約がどれだけ続くか分からないが、ミカエル様が私に自分のことをどう思うか尋ねても。ミカエル様に好きだ、愛してる、と口に出すことは許さない。どうしても口にしたいと言うのであれば婚約が無くなった時ならば許そう、と。
私はそれで構わないのでその時が来たら口にすることをお許しくださいませ、と王妃殿下に懇願するしかございませんでした。……私は、ミカエル様に一目お会いした時よりお慕いしておりましたから」
ーーああ、と胸が痛くなる。
リアナは私に一目惚れをした、と言ってくれているのだから。
それなのに。
幼くして芽生えた恋心を私の母により抑え付けられてしまった。
八歳と言えども公爵家の跡取り令嬢であるリアナは、臣下が主君にあたる者の命に背けるわけがないのだ。リアナはそれを理解して、母上からの命を守っていた……。
その時の彼女の胸の痛みを思い遣ってみるが、口に出せないことの苦しさは計り知れない。
言われないことの辛さや苦しさもリアナには分からないかもしれないが、言いたくても言えない苦しみや辛さを私には理解出来ない。
それでも彼女は彼女が出来る精一杯で私に愛を向けてくれていたのだ、と私は漸く理解する。
「リアナ……済まない」
「……いいえ。私こそミカエル様に思いを打ち明けられず、申し訳ないことを致しました」
「いいや。母上との契約だったのだろう?」
おそらく母上のこと。もし気持ちを打ち明けたらどうなるか、という脅し文句を口にしたと予想出来る。契約と言ったがそんな生温いものじゃなく、命令だっただろう。王妃からの命令など本人か国王以外撤回出来るわけがない。
幼い彼女に了承以外の返事が出来るわけがないことを踏まえると、王妃としては立派な方だが母としてはあまり好ましくない、と思ってしまった。
「それでも、返せなかったのは確かですから。……でも今なら言えます。愛してました。お幸せになってください」
過去形なのは私が彼女に心を残さないために、ということなのだろう。過去のこと、と思ってもらえるようにという優しい彼女の嘘だと理解出来るくらいには、私も彼女を愛している。
「幸せになれるだろうか」
私は、つい弱音を吐いてしまった。
従姉妹である第二王女のやらかしは、一ヶ月前のことらしい。第二王女も私のことは好みではないらしいが、我儘の癇癪持ちの従姉妹に良い縁談があるわけがない。だから直ぐに母上に打診して私があちらに婿入りすることになっている。
急なことだから結婚式そのものは一年後だが、私は監視役も兼ねて十日後には隣国へ出立する。その旅支度で忙しい合間を縫って二十日前に婚約解消した目の前の彼女に会いに来た。
ーー最後の別れのために。
そうして彼女が本心を打ち明けてくれた。
私は彼女の心を連れて隣国に婿入りすることになる。それが嬉しいのか悲しいのか、それすら今は分からない。
やっと打ち明けてもらえた喜びと、別れなくてはならない悲しみと。
千々に乱れそうな気持ちから零れ落ちた弱音。
「もしも、ミカエル様が幸せになれないのでしたらその時はあなた様を奪いに行きます」
静かな、だけど強い声音にハッと彼女を見れば穏やかに、けれど何かを秘めたように微笑んで。
私は……
「もし、どうしても幸せじゃない、と思ったらその時は……頼む」
有り得ないことなのに、そんなことを口にすることすら大罪を犯せ、と言っているようなものなのに、それでも彼女の気持ちを知ってしまえば、頼んでしまった。
彼女は微笑んだまま「お任せを」と強い口調で受けてくれた。……絶対あってはならないことなのに受け入れてくれたことが、胸が痛くなるほど幸せだと思ってしまった。
ーーそうして私は、隣国へ出立した。
到着早々迎えてくれたのは宰相。伯父上も義伯母上も忙しいのは分かるし従姉妹である第二王女は謹慎中だから出迎えが無理なのも分かるが、宰相と少数の護衛しか出迎えが無い時点で、私の存在が歓迎されていないのではないか、と先行きが不安になってしまう。
それとも急な婿入りだったから、歓迎を示せる程までにはいかなかったか。……そう思うことにしておこう。
言葉少なに宰相から歓迎の言葉を伝えられつつ挨拶もそこそこに、馬車に乗って王城へ向かう道中。
「殿下。お伝えしたいことがございます」
通常護衛が一人は車内に乗り込んでいるのに、それすら拒否をした隣国の宰相は真剣な顔つきで私を見た。
「なにか」
「ミカエル殿下はもうお気づきでしょう。この婚約は王女殿下は受け入れておられません」
それは言われずとも知っている。
微かに頷き続きを待つ。
「併し彼方の王太子殿下の機嫌を損ねたままでは第一王女殿下との縁組が壊れた上で国交断絶を余儀なくされてしまう。いえ、もしかしたら第一王女殿下であるタレルノ様を娶ってからの縁切りも有り得ます。あのお二人は政略ですがそれなりに思い合って信じ合っていますから。それ故にミカエル殿下を犠牲にしても王女殿下……テルマー第二王女殿下との結婚をして頂かなくてはなりません」
そのことも嫌というほど理解している。
ーーこの婚約の実情を知った母上でさえ、こんな形での婚約を調えるつもりは無かった……と嘆かれていたくらいだ。
まさか姪の尻拭いをするために息子を婿入りさせるなんて、母上も考えていらっしゃらなかったのだろう。
「その、覚悟はある」
「ようございました。結婚により公爵位を陛下が授けられます。屋敷も準備致しておりますので。一代限りの公爵位であることはお許しを」
「構わない」
「陛下より、伯父としての言葉だと聞いて欲しい、とご伝言を賜っております」
「伯父上から?」
「はい。……テルマーとの間に子は出来なくても構わないから、監視を頼む、と」
ああ。伯父上もこの婚約が尻拭いを私にさせる、と理解されているのか。娘のやらかしを私に押し付ける分、子は作らなくてもいい、と。
その言葉にどれだけ私は救われただろう。閨を共にしなくていいというのなら、私はそれだけでもこの結婚に希望を見出せた。
「承りました、と伯父上に言伝を」
「畏まりました。
此処からは私めの独り言にございます。
……殿下の婚約者のこと、陛下は胸を痛めておりました。父君であらせられる前陛下と今は王妃殿下となられた妹王女殿下との口約束は、陛下が前陛下の退位の時にお話を聞かれたとのこと。
ですが、前陛下は娘が自国よりも国力の低い国に嫁いで幸せになれるのか不安で、そのような条件をつけたそうにございます。
併しながら隣国で今は王妃となられた娘が幸せそうにしているのを知った前陛下は、その口約束の条件は無かったことにしてもよい、との仰せでした。
陛下もそのつもりでいましたが、妹である殿下の母君が頑なに条件を守らなくては……と考えられていて、無かったことには出来なかったそうです。
そうしているうちに、テルマー王女殿下の件が起きてしまい、陛下は申し訳ないと思いながらも国王としての決断で、ミカエル殿下の婿入りをお願いしたそうにございます。王太子であるカイル殿下も第二王子であるセシル殿下も既に婚姻されていましたから。
あなた様と婚約者様との仲を壊すことを伯父として申し訳なく思いつつも、国王としては自分の娘がやらかしたことをミカエル殿下に尻拭いをさせる形になったとしても、タレルノ王女殿下と大国の王太子殿下との縁談を壊すことは出来ない、と判断されました。
そして大国との国交を断絶することも国王としては出来ないという判断をなさったのです。
本来なら父としてテルマー殿下のやらかしを自ら尻拭いすべきでしょう。
ですが、大国に謝罪だけでなく相応の賠償を支払うことは……我が国が沈みます。国民に犠牲を強いるよりも甥であるあなたに犠牲を払わされることで憎まれ恨まれることを選ばれました。
大国の許す条件が我が国が滅ぶ程の賠償金の支払いか、テルマー殿下を生涯監視出来る相手との婚姻の二択でしかなかったのです。大国は陛下が子育てを失敗したからこんな結果になった、と判断し、陛下を信用する気が無いのでしょう。それ故に監視役と婚姻させるよう、条件にされたのです。
国内では……監視出来る相手が居ません。それ故にミカエル殿下には犠牲になってもらうことになりました。
伯父として出来るのは、子を設けないで良い、という条件のみであることの酷さも分かっておられます。テルマー殿下を監視するために、他のことは何もしなくて良い、と言っているようなものなので。
後はテルマー殿下を養うだけの保証金をミカエル殿下に渡すことくらいしか出来ない、不甲斐ない自分を陛下は許さなくていい、と思っておられます。
子育ての失敗を甥に押し付けているのだから、とお考えでございます。
ですからミカエル殿下、陛下をお許しにならずともよろしいので、どうか、どうかテルマー殿下の監視役を何とぞっ」
一国の宰相職に着いている者が、私に頭を下げるのを見ても、何の感慨も湧かない。
結局のところ尻拭いで押し付けられた事実は変わらないのだから。
そして伯父上を許さなくていいのなら許す気はないし、抑々、母上が頑なになっていなければ、こんなことになっていなかったのではないか、と思えば母上にこそ恨みと憎しみを抱いてしまう。
けれどもう、どうしようもない。
子を作らなくていいということだけは受け入れて監視役だけを全うしよう。
「頭を上げてください、宰相。決まったことです。覆りません。ならば、監視役を生涯続けるしかないでしょう」
幸せになってください。
……そう願ってくれた愛するリアナの願いは叶えられそうもない。
幸せじゃないのなら、奪いに行きます。
ーー情けないことは承知の上で、死ぬ間際まで、リアナのその言葉を支えに、そんな日が来ると夢見て生きて行く。
リアナさえも騙すつもりで、周囲に幸せだと思わせる振る舞いをしながら。
……そう強く決意して、馬車が王城に到着したことを報せる。頭を上げた宰相にもう一度頷いてから外へ出た。
「た、大変ですっ」
宰相に続いて私が降りたところで、誰かが慌てたような上擦った声で駆け寄ってくる。
「どうした? 殿下、この者は私の留守を預からせていた宰相の側近を務めています」
慌てている者に声をかけながら、私に相手の素性を説明した宰相。側近の男は、そんなことより、と言うが、隣国の第三王子である私への説明をそんなこと扱いとは……などと皮肉なことを考えていたのだが、そんな思考が吹っ飛んだ。
「て、テルマー第二王女殿下が、タレルノ第一王女殿下に切り掛かりましたっ」
………………。
「は?」
宰相が、たった一言言葉を返す。
側近の男も、その反応は分かるとでも言うように事情を説明していく。
テルマー殿下はタレルノ殿下を昔から好きではなかった。常に姉として優位に立っていたことが気に食わなかった。
その上、大国の王太子に見染められて婚約するなんて腹立たしい。だから言い寄ったというのに、王太子もタレルノ殿下も自分を叱責して見下して来て許せない。
それどころか、国力が下で顔も好みじゃない、更に年下で王太子でもない従兄弟を婿にして、臣下に降るなんて有り得ない。
自分こそが大国の王妃に相応しい、と騒いで果物の皮を剥くナイフを持ってタレルノ殿下に切り掛かった。もちろん、未遂であり、テルマー殿下を取り押さえた護衛が擦り傷を負っただけだが、場所が悪かった。
謹慎中のテルマー殿下の代わりにミカエル殿下を迎えようと持て成しの準備をしていたタレルノ殿下だったので王城の使用人だけでなく、タレルノ殿下の補佐をしていた王城に務める貴族の当主の何人かまでもが目撃していた。
これはもう、第二王女とはいえ、庇い立て出来るような案件ではない。
それにしても、謹慎中のはずなのに何故自由な行動に出られたのか不思議だ。謹慎中ということは監禁とまでは行かずとも軟禁ではあるから監視役が居て行動は狭まるはずなのだけど。
「なんてことを……」
宰相に報告する側近は、あまりのことに私が側に居るにも関わらず、全てを話したので、当然私にも聞こえていた。宰相も動揺していて私に聞こえない程度の離れた距離で報告を受ける、という対応をしなかったので、全てを聞き終えてから私を思い出したように、ハッとして此方をチラリと見てくる。
私はただ肩を竦めた。
話を聞いてしまった以上、聞かなかったことには出来ない、という意思表示だ。
宰相も項垂れる。そして側近に私を客室へ案内するように命じて、自分は陛下の元へ向かう、と言った。
「ミカエル殿下、暫しお待ち頂きます。これからのことも分かりかねますので」
そうだろうな、と思う。黙って側近の後をついて客室で待っている事にした。
こんな事が起こっても監視役をやってくれ、と言われてしまえば拒否出来ない。
国力が弱いということは、こんな時に厄介だ。
私はただ、決定を待つしか出来ないのだから。
結論から言うと、婚約は白紙になった。
伯父である陛下と宰相に極秘に謝られ、婚約は白紙。それと聞いてしまったことによって結末を教えてくれた。
後、白紙に戻ったことは国王陛下に手紙を書く、と伯父上から父上宛の手紙を渡すことも頼まれた。
さて。
結末は。
タレルノ第一王女殿下は既に大国の王太子殿下の婚約者であることを国内外に知らされていた。周辺国にも周知されていたことから、この国の第一王女ではあるものの、ほぼ大国の王族のような位置にいたことが、大きな点だった。
つまりこの国だけの醜聞で事を収められる状況では無かったということ。
有体に言えば、この国の貴族達に目撃されただけでなく、使用人達にも目撃されただけでなく、テルマー第二王女のやらかしに警戒心を抱いた大国の王太子殿下が、自分の婚約者の身を守るため、と伯父上の了承を得て、大国の王家に仕える護衛を送り込んでいた。
テルマー第二王女を捕らえた護衛とは、その大国の王家から送り込まれた護衛の一人。
故にその護衛が早馬で大国の王太子にこの一件を報告してしまい、その早馬による返信にてテルマー第二王女の処刑が決まった。
通常、王族が責を負って死ぬ場合、毒杯を与えられる。王族の誇りを抱いて死ぬという名誉のようなもの。
テルマー第二王女は、大国の王太子の意向により毒杯は不可とされ、非公開での処刑ということが決まった。
それと、テルマー第二王女は殊勝な顔をして私を迎えたいと自分付きの侍女に頼んで侍女とドア前の護衛との話し合いをしていたらしいが、その際ドアの前に居た護衛達の隙を縫ってタレルノ第一王女の元へ向かった、とか。
テルマー第二王女の自室から近かったとはいえ、使用人達や護衛達は王女に出し抜かれるとか何をしているんだろう。
そうは思っても、沈痛な面持ちの伯父上には何も言えない。
それになんと声をかければ良いのか分からなかった。だが国王としては国益を鑑みて仕方ないことだ、と割り切ったようだった。
後味が悪い思いをしながらも、私とテルマー第二王女との婚約は無くなったために、一日だけ休養を取ったら帰国することを伯父上が勧めてくれた。
お言葉に甘えて、というよりは長居していても良いことなど無いと判断し、私は帰国の途についた。
父上と母上に報告しながら、私は母上に恨み言をぶつけておく。
「何が、父である隣国の国王陛下との条件ですか。伯父上が仰るには、ただの口約束でそんな条件は無しでも良いと言われたそうではないですか。ただの母上の意地に私は振り回され、おまけにこんな尻拭いみたいな婚約を押し付けられかけたんですよ。王妃としては尊敬しますが母親としては恨みますね。二度と母上に振り回される気はないので、私に干渉しないでください」
私がついつい母上を睨むと、あなたのためになると思っていたのよ……などと嘆いていたが、どうでもいい。全く心に響かない。絶望したような表情を浮かべていたが、そんなことは知った事ではないので無視。
報告を終え、自室に戻る許可を父上から得たところで、さっさと謁見の間を退室する。
出来れば……リアナに会って、図々しい願いかもしれないけれど今さら虫の良すぎる願いかもしれないけれど。
再婚約を願い出たい。
でも。
一度は王命に逆らえずに解消した私達の仲だからそんなに簡単に話が通るとも思えない。
それに、また母上から反対されないとも限らないし、これからどうしようか、と悩む。
母上に反対されても、どうでもいいし、縁を切ってもいいけれど。リアナがそれでもいいのかどうか分からないし。
……自室へ戻る道すがら、庭が見える回廊で足を止める。登城したリアナとよく眺めた庭園。私付きの侍従や護衛は、足を止めた私に何も言わず、黙って付き添ってくれることが、僅かに心が慰められる。
「お帰りなさいませ、ミカエル様」
聞き慣れて、そして聞きたかった声が聞こえて、ハッと回廊に目を戻す。
そこには、会いたくて会いたくて堪らなかった愛するリアナがいた。
「なぜ……」
「陛下から、お帰りになられることを教えていただきました」
「夢か幻か」
「いいえ。現実ですわ」
ゆっくりと近寄る私とリアナ。手を伸ばせば触れられる程に近づいた私は信じられない、と呟く。
リアナがそっと私の両手を握ってきた。
……たった半月程。
それでも私は永遠に会えないことを覚悟していた半月だった、のに。
「お帰りなさいませ、ミカエル様」
「た、ただいま、リアナ」
はい、お待ちしてました。
微笑んでいるリアナ。
隣国までの旅路で夢に見た微笑み。
夢ではない、と私の両手に教えてくれる温もり。
「……っ。ただいま、リアナっ」
「お帰りなさいませ、ミカエル様。そして……今度は最初からお伝え出来ます。大好きですわ、ミカエル様」
満面の笑みと共に幸せそうに心から紡がれた愛の言葉に、私は不覚にも涙を溢してしまって。
でもそれをリアナに見られるのは恥ずかしいから彼女を抱きしめて。
「私も、大好きだ」
「今度は婚約なんてしないで、結婚してしまいましょうね」
柔らかな声音に強い決意を感じて、而も婚約期間は充分設けたからと言って、リアナは結婚をしましょう、と笑いながら言う。
私は涙声で喉を詰まらせながら、うん、うん、結婚してしまおう、と震える声で返事をした。
(了)
お読みいただきまして、ありがとうございました。