月明りが照らす微笑み
全く身に覚えのない冤罪をかけられてから十数分後。
ヤミリは前を歩く騎士の後に続き、静まり返った屋敷の廊下を静々と歩き続ける。
広間から大分離れたせいか、あの場を立ち去った直後には扉のすき間から漏れていた楽団の演奏音がもう聞こえなくなった。
廊下を照らすために等間隔で設置されているランプの数も次第に減っていき、脚を進めるにつれて視界まで悪くなる始末だ。
「おい、さっさと歩け!」
――ドシッ!
前を歩く騎士の背中をぼんやり見つめながら歩いていれば、不意に背中に強い衝撃を感じた。
背中に感じた痛みと衝撃に思わず数秒息が止まるなか、背後から聞こえた苛立った声も合わさり、背後にいる騎士にヤミリが蹴られたことを教えてくれる。
前のめりに転びかけた上半身を慌てて引き戻したお陰で、転倒による怪我と嫌悪しか感じない男たちの前で醜態をさらさずに済んだ。
「――っ! 申し訳ございません」
ジンジン鈍く痛む背中が若干気になるものの、ヤミリは止まりそうになる脚を必死に動かし進む。
ボソリと彼女が謝罪の言葉を口にすれば、「フンっ」と背後から鼻で笑うような声が聞こえたが、気づかないフリをしようと数秒意識を閉ざした。
本心を言えば謝りたくなかったが、ここで口ごたえなどすれば、今度は顔でも殴られかねないと、彼女の意識内にある防御本能が口を動かした。
前を歩く騎士が後ろの彼の行動を咎める様子はゼロだ。
“聖女を虐げた悪女”相手なら“何をしたって許される”などと考えているのかもしれない、なんて簡単に想像が出来てしまう。
だからこそ、逃亡防止のために後ろに張り付く騎士はヤミリの背中を容赦なく蹴ったし、前を歩き先導する騎士も仲間の行動を咎めたりしない。
もう面倒事は懲り懲りだと、半ば諦めの境地に陥ったヤミリは薄暗い廊下のなか前を歩く騎士の姿を見失わないことだけに意識を集中させた。
(どうして自分がこんな任務に、なんて思っているのだろうな……ははっ)
右、左、と脚を動かすなか、すぐそばに居る男たちの気持ちを想像してみたが虚しさを覚えるだけだ。
どうして自分が、と一番感じているのは、他ならぬヤミリ自身なのに――。
騎士たちによって広間から連れ出される前のこと――。
つらつらと罪状を言い並べ終えたアレクセイは、勝ち誇った顔で満足げな笑みを浮かべた。
アヤナへの仕打ちを暴露する間、一切口ごたえをせず黙り込んでいたヤミリの態度も、機嫌上昇の一端を担っているのかもしれない。
彼の側にいるアヤナは、アレクセイの話を否定も肯定もせず黙り込み、今にも溢れ出そうな涙を必死にこらえている。
それもそのはず、“自分が受けた被害状況”を公衆の面前で晒されたのだ。泣きたくもなるだろう。
彼女の気持ちを察してか、気づくとアヤナの側にはアレクセイの他に数人の男性たちが寄り添っていた。
宰相として国王に仕える父をを持つ卒業生カイル。
騎士団に所属する多くの人材を統括し、自らも魔獣討伐に赴くという話をよく聞く騎士団長を親に持つ卒業生のダン。
下級生でありながら、魔法に関する知識とそれを行使するための実力は学園随一との呼び声も高いシャーネリ。
三人がそれぞれヤミリに向ける眼差しは、アレクセイと同様に激しい嫌悪の色に染まっていた。
遠巻きに見守る野次馬たちがヒソヒソと話す声も、「魔力ナシはやることもえげつないのな」「アヤナ様、お可哀想に」などといったものばかり。
「あの……」
ヤミリを擁護する声が一切聞こえない状況下で、やけに重たく感じる唇を開いた彼女は喉を震わせる。
「国王陛下は、今日のことをご存じなのでしょうか?」
激昂する第三王子の前で戸惑いを口にして以来、数分ぶりにヤミリが声を発すれば、それまで少々煩かった会場内が水を打ったようにシンと静まり返った。
「はっ、陛下は日々公務でお忙しい方だぞ? 学園内で起きた問題でわざわざお手を煩わせるわけにいかない。第三王子である俺が解決すれば済む話だ」
軽く目を伏せたヤミリが口にした疑問へ返答するアレクセイの声は躊躇いなど一切感じさせない堂々としたものだ。
彼の口から答えを聞いた瞬間、ヤミリは驚くあまり息を呑み大きく瞳を見開く。
(何を、言っているんだ? この方は……)
この国で罪を犯した人間を裁けるのは、国家試験を通過した数名いると言われる裁判官か国王くらいなものだ。
国王直々に罪状を述べる相手は、国家反逆を企てた者や未遂を含め要人を害した者くらいだろう。
大半の事件は、被告と原告、それぞれの弁護人などが裁判所へ出廷し罪状を決めるのが一般的だ。
にもかかわらず、ヤミリたちが現在居る場所は国が管轄する元貴族の屋敷。
彼女に国外追放と娼館行きを命じたのは第三王子であるアレクセイだ。
国王が今回の騒動を知っていて、なおかつ公務で多忙な自分に代わり息子へ罪状を伝える役目を与えたという話なら、納得こそしないが筋は通っている。
しかし、アレクセイの言い分から察するに、これまでのことは十中八九“彼の独断”にしか思えてならなかった。
「お前たち何をしている! さっさとその性悪女を連れて行け!!」
「「はっ!!」」
もう話すことは無いとばかりに、アレクセイはヤミリのそばにいる騎士たちへ彼女をパーティー会場から連れ出すよう命じた。
そして現在、彼女は屋敷の裏口から外へ出て、夜風に吹かれるなか馬車が停めてあるという裏門へ向かっている。
「あの……一度家に寄ることは可能でしょうか?」
「ダメだ。お前はこのまま馬車に乗れ」
一番上の兄が昔着ていたらしい騎士団の制服を着たままだな、と自分の今の恰好を思い出したヤミリが、前後にいる騎士のどちらとも言わず問いかけた。
すると、彼女の前を歩く騎士が首を横にふる。後ろを歩く騎士は、ヤミリが疑問を呈することすら嫌な様で、露骨に舌打ちをしてくる。
一応、と思って聞いてみたがどうやら寄り道すら許されないようだ。
一度馬車に乗ってしまえば、向かう先は第三王子の言っていた娼館なのだろう。
(家に立ち寄って荷物をまとめることすら出来ないのか。まぁ……もうどうでもいいか)
家に帰った所でまとめたい貴重品は無いし、“形ばかりの家族でしかない両親や兄弟たち”が別れを惜しんでくれるとも到底思えない。
夢や希望なんてもの持つことをとっくに止めて以降、惰性で生きてきた影響ですっかりついた“諦め癖”が無自覚に発動する。
とうとう“生きること”すら諦めかけた時――。
「すみません、少々よろしいでしょうか」
ヤミリの耳に、芝生を踏みしめる二人分の足音と、自分たちへ話しかけていると思わしき男性特有の低音の声が届いた。
「……?」
直後、前を歩いていた騎士が立ち止まる気配に倣って足を止めた彼女は、俯いていた顔をおもむろに上げ声がした方向へ視線を向ける。
すると、夜空に浮かぶ月を背にたたずむ男性二人の姿が目についた。
「……ぁ」
見覚えのある、いや――よく見知った顔が“二人も”いる現状にヤミリは酷く驚いた。
生への渇望が消え、生気を失いどこか虚ろだった彼女プラチナの瞳がわずかに揺れ動く。
「ど、して……」
――貴方たちが、ここに?
わずかに震えた唇から零れ落ちた声は酷く掠れ、ヤミリの疑問を最後まではっきり紡いでくれなかった。
親が経営しているという商会を継ぐため、見聞を広げる留学目的でこの国へやってきた学園の卒業生、ジアン・キュレイル。
ジアンの友人であり、こちらも商人の父に命じられるまま留学してきた卒業生エリック・マクマホン。
しかし、「ちゃんと聞こえているよ」と言わんばかりに、ジアンとエリックの二人は慈愛に満ちた眼差しでヤミリを見つめ微笑みかけてくれた。
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