空を見上げて
空を見上げて、幼い俺は母に問う。
「ねぇねぇママ、今日はお空に何もないね」
「そうね、今日は快晴だからね」
数年前、事故で亡くなった母。
その明るい笑顔は、今でも鮮明に覚えていた。
*
はぁぁぁぁぁ…………!
相変わらずドアは開かない。
自宅のトイレに閉じ込められて早数時間が経っていた。
人1人分くらいのスペースのトイレだ。
(あのクソ親父やりやがったなぁ?)
といっても、何かがおかしい。
というのも、俺がトイレに入ったのは15時頃だったはずなのに、窓から見える空はなぜかとても明るい。
物音ひとつしないし、ドアをいくら叩いても、誰の返事もない。
まるで呪いにかかったような……。
「クソぉぉぉぉ! 今日の16時からゲームのガチャイベントあるのにィィィ!!」
俺は頭を抱え込む。
全くっ! 神様! 俺が何したっていうんだよ。心当たりなんて……!
……いっぱいあるけど。
っでも! こんな酷いことしなくてもいいじゃないか!
それでも、空は皮肉なほどに鮮やかだ。
とにかく今は、ここから出る方法を探そう。
俺は再び便座から立ち上がった。
*
これは俺が中学生の頃。
「うるっせぇんだよ親父ィ!!」
そういうと、俺は机をバンと叩いた。
「俺は勉強してるんだよ! それでゲームやっていて何が悪いんだよ!」
親父曰く、結果が出ていないからもっと勉強しなさい。という。
納得いくわけが無い。
俺は俺なりに、やっているのだ。
最低限のものはしている。
「いいから出ていけよクソ親父! 2度と関わってくんな!」
俺が怒号を散らすと、ここまで怒っていた父もため息を吐いて出ていった。
こんなことを繰り返していくうちに中学校生活は終わり、高校生。
あっという間の3年間。
仲のいい奴らとは、学力の差があったため、周りとは違う学校へと進学した。
本当は同じ高校へ進みたかった。
雪の降る日、全員で合否発表を見たとき、俺のみが落ちていたことを親父に言えずにいた。
「みんな落ちていたんだ! 俺は周りと同じくらいだから!」
と嘘をつく。
親父は一言、
「そうか……。頑張れよ」
とだけ言い、その日は会社に行ってしまった。
そして1人、泣き続けていた。
それでも何故か心のどこかで、もう一度チャンスがある。
そう思っていた。
*
俺は便座に座り直していた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
足腰が痛み始め、徐々に眠くなってきた。
本当にここで一生を終えてしまうのではないか。
大袈裟ではなく本気でそう思い始める。
ゲームどころの話ではない。
疲れ切った俺は、最後の力を振り絞りドアを叩く。
「誰か! 誰か! 助けてくれ!」
ダメだ……。
喉も枯れ始めている。
頭もなぜかクラクラしてきた……。
いい加減にしてくれ。
怒りはもはや消え失せ、悲しみが浮かび上がる。
ガチャッ。
なんか変な物音も聞こえるし……。
………………。
え? ガチャ?
え? 待って? もしやこれ。
恐る恐るドアノブを下げてみると……。
扉が開いた。
「おっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は叫んだ。
「うるさい! 騒ぐんじゃないの!」
「は? そっちがうるせえよ」
咄嗟に口が開く。
ん? というか誰だ?
「何をそんなに喜んでいるの?」
問いかけてきたのは、洗濯物を乾かす母だった。
てか……なんで俺はあんなにはしゃいでいたんだ?
ふと手元を見ると、スマホがあった。
画面にはSSレアという文字と共にレアキャラが映し出されている。
そうだそうだ!
思い出した!
16時から限定のレアキャラが出てきたんだ!
「ほら見てくれよ母さん! このキャラ出たんだよ! 凄いだろ!?」
興奮気味に俺はスマホの画面を向ける。
「えっと……、そ、そうね……」
なんだよノリ悪いなぁ……。
もういいや……!
俺が自分の部屋の戻ろうとしたとき、母が呼び止めてきた。
「そろそろテストなんだから勉強しなさいね! あんた成績落ちっぱなしなんだから!」
「うるせぇよ!」
「うるせぇよ! じゃないのよ。あんたのこと心配して言ってあげてるんだから!」
俺は無視して、面倒臭そうに階段を上がる。
そういえば、今月のお小遣いまだだったな。
先ほどの言葉はもう頭にない。
ついでに貰っていくか!
階段を登り正面に父の部屋がある。
中から声が聞こえる。
扉を開けると何やら焦って電話をしているようだった。
「はい……はい……すぐに……失礼します……」
話を終えた父に聞く。
「どうしたんだ?」
仕事でミスでもしたのだろうか、それとも学校での俺の悪事がバレたのだろうか。
だが、帰ってきた答えはそうではなかった。
「お母さんが事故に遭ったらしい……」
……え?
そんなわけない。
だって……今さっきまで。
「買い物途中、横断歩道で車に突っ込まれて……。とりあえずお前も早く行くぞ」
おかしい。
なんでだ?
徐々に目の前が歪み始める。
やめてくれ、頼む、生きていてくれ。
もうやだ……!
*
「あえっ?」
目が覚めた。
どうやらトイレで眠ってしまっていたらしい。
んんー……、これはよかったのか悪かったのか……。
夢オチなんて今でもあるんだな。
………………。
空は相変わらず快晴だ。
…………………………。
その快晴は、雲ひとつない寂しい青色だ。
今の俺もまた、なんの取り柄もない悲しいやつだ。
それでも、両親は俺に期待を抱いてくれていた。
自分の息子ってだけで、この子にもチャンスがある。
そう思ってくれていた。
今の俺には何もない。
はたまた誰かを喜ばせることも、心を晴らしてあげることもできない。
幼かった俺は空を見て笑っていた。
母は、その俺の笑顔を見て笑っていた。
そんな曇りひとつない笑顔を作れる快晴に、俺は憧れていたのだった。
扉を開ける。
重い体を立ち上がらせる。
そこは、人々が行き交う駅の通路。
少し歩いて、駅を出る。
俺は、その曇った空を見上げるのだった。
ーー空を見上げてーー
昔、凄い腹痛に襲われたことがあった。
トイレを出ると、母親が事故にあったことを聞き、急いで病院へ向かった。
息を引き取った母との最後の会話。
あんなくだらない話で終えてしまったことを今でも後悔している。
その後父と2人で暮らしていた俺は、高校を卒業すると、すぐに家を出されてしまった。
稼ぐ当てもなければ、取り柄も学力もない、周りに人もいない。
それでも、なんとかなる。チャンスがある。
そう思い込み、未だホームレスのままだ。
ここまでのものは夢だったのか、呪いだったのか。
この先、それを知ることはないのだろう。
今まで、幾度もチャンスを潰してきた。
両親が俺を信じ続けてくれていた、あの頃に戻りたい。
それでも、こう思えるこのチャンスを、今度は逃さないように。
一歩、進んでみようと思えた。