090 幕間 其の参 復讐の時
健吾を失った現実はあまりにも重く、亮はすべてが遅かったという後悔に苛まれ続けた。
健吾の葬儀の間、その場に立ち尽くし、何も感じられないままだ。
涙は出尽くし、心に残る深い虚無感。
葬儀が終わった後、墓前で独り立ち、静かに呟く。
「健吾…ごめん…僕がもっと早く何かしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない…」
声は風に流され、どこにも届かない。
それでも、亮は一人で健吾に語り続けた。
「僕たちは、あんなに夢を追いかけて、同じ道を歩んでたと思っていたのに…。君を助けられなかった…」
その言葉が、自身の胸に深く突き刺さる。そして、ある決意が芽生えはじめた。
健吾の死を無駄にしないために、何かを変える必要がある。
ヴァルテインは、健吾との夢の証だ。
二人で作り上げたものを、このまま崩れさせるわけにはいかない。
「僕が、君の分まで生きて、ヴァルテインを成功させる…絶対に…」
亮は静かに立ち上がり、健吾の墓を後にした。
その目には、再び決意の光が宿っていた。
一人になっても、共に描いた夢を叶えるために戦い続けることを誓った。
◆◆◆◆
健吾を失った喪失感に苛まれながらも、綾野亮は「株式会社Valtein」の社長として会社を引き継ぐ決意を固めた。
これまで健吾に頼りきりだった経営のすべてが、いまや亮の肩に重くのしかかる。
開発に没頭していた亮にとっては初めての挑戦だったが、健吾の遺志を守るため、逃げることはできない。
健吾がいない今、自分が前に進むしかない。
そう決意を固めた亮は、初めて会社の財務状況に目を通した。
しかし、ページをめくるうちに、亮の表情は次第に険しくなっていく。
「何だ…これ?」
帳簿に目を落とす亮の眉がひそめられた。
健吾がずっと管理していた経理資料には、不可解な金の動きが記されていたのだ。
横領の証拠が明らかになり、亮はその瞬間、激しい怒りがこみ上げてきた。
「どれだけ苦しんでこの会社を守ってきたと思ってるんだ…!」
パンデミックによって世界中が混乱し、ヴァルテインも危機に直面していた。
健吾は社員たちを守るために銀行から大きな融資を受け、どんな困難も乗り越えようと必死に努力していた。
しかし、その裏で、信頼していた社員が会社の資金を横領していたのだ。
「こんなに健吾が頑張って、必死で会社を守ってきたのに…なんで裏切るんだ!健吾が大好きだったスパイ物のゲームで成功したヴァルテインが、こんな形で裏切られるなんて…!」
怒りに震える亮。しかし、その怒りは横領者たちだけに向けられたものではなかった。
「僕は…なんで気づけなかったんだ。もっと早く経理を見ていれば、健吾の苦しみに気づけたはずなのに…」
自分自身にも怒りを覚えた。
健吾がすべてを一人で抱え込み、会社のために戦っている間、自分は開発に集中しすぎて、経営に目を向けることはなかった。
その無力さに対する悔しさが、さらに胸を締めつける。
健吾はスパイ物が好きだった。小説も映画も愛しており、その話でよく盛り上がったものだった。
憧れた複雑な駆け引きや裏切りをテーマにしたゲームで成功したヴァルテイン。
それが、まさに現実の世界で裏切りに遭っているという皮肉に、亮の怒りは止まらなかった。
怒りに駆られながらも、冷静さを取り戻し、横領の証拠を慎重に確保する。
証拠が揃い、横領が明らかになったが、すぐに行動を起こすのではなく、計画的に反撃の準備を進めることにした。
「今はまだ動かない…最大のダメージを与えるためには、タイミングを見極めるんだ」
亮は新プロジェクトの立ち上げを準備し、横領者たちに対する告訴を同時に行う計画を練り上げた。
会社に対する裏切り行為への復讐を果たすだけでなく、健吾が守り抜いてきた「Valtein」を復活させるための戦いでもある。
さらに表面的な復讐だけでは足りないと感じていた。
横領者たちが設立した会社に対して、内側から大打撃を与えるためには、相手の弱点を徹底的に探る必要がある。
「見ててよ。健吾。君が好きだったやつ。僕が見せてやる」
◆◆◆◆
深夜、オフィスの明かりが消え、街の喧騒が遠のく頃。
亮は自分のデスクに座り、慎重に準備を始める。
画面には無数のプログラムが走り、コードが次々と流れていく。
目は、冷静かつ鋭くディスプレイを見つめていた。
「ここからが本当の戦いだ…」
亮はキーボードに手を置き、軽やかにタイピングを始めた。
目的は横領者たちが設立した新会社のシステムに侵入し、彼らの計画を探ること。
彼らがヴァルテインから奪った資金をどのように運用しているのか、そして彼らの脆弱な部分を明らかにするため、すべての情報が必要だった。
それは現代のスパイ活動。
健吾が愛したスパイ活動で、彼は反撃の準備を整えていた。
セキュリティを突破するたび、心臓が鼓動を速めた。
もしもこの操作がバレれば、自分の立場は危うくなる。
しかし、そのリスクを背負ってでも、彼は決して引き返すつもりはなかった。
画面に現れるログイン画面に対し、特殊なツールを用いてパスワードを解析。
緊張感が高まる。
数分後、ようやく侵入に成功した瞬間、ほっと息をつく。
「やっと入った…」
手早くファイルを開き、彼らの資金の流れや次のプロジェクトに関する情報を確認。
横領した資金が不正に流用され、新しいプロジェクトに使われていることが次々と明らかになった。
その中には、ヴァルテインの技術やアイデアが盗まれている痕跡もあった。
「こんなことまでして…許せない」
怒りは頂点に達したが、冷静さを保ちながら、必要なファイルをすべてダウンロードした。
次の一手を打つために必要な証拠がすべて揃った。
だが、それだけでは終わらい。
相手のプロジェクトにわずかながらも致命的なウイルスを仕掛け、徐々にシステムを腐食させるよう設定した。
「これで…少しは思い知るだろう」
亮は背後に迫る静寂の中で、慎重に操作を続けた。彼の心臓はまだ高鳴っていたが、確かな手ごたえを感じる。
健吾のために、必ず勝つ。
そう固く誓いながら、亮はシステムを閉じ、デスクを片付けた。
反撃は始まった。
オフィスの壁に掛けられた、健吾と亮が肩を組んで笑っている写真に目を向け、静かに呟く。
「君が守ってきたこの会社を、僕が守り続けるよ…」
心には悲しみと怒り、そして使命感が混じり合う。
会社を裏切った者たちを絶対に許さないという強い決意と、もう二度と大切なものを失いたくないという強い思いが、亮の中で渦巻いていた。
亮は静かに、しかし確実に反撃の準備を整え、告訴と新プロジェクトの立ち上げに向けて前進し始めた。
すべての情報を掌握し、戦いの準備は整った。
「これ以上、君の夢を壊させはしない。絶対に…」
夜の闇に包まれたオフィスで、最後の確認を終えた。
ついに復讐の火蓋が切られようとしていた。
◆◆◆◆
綾野亮は、横領の証拠を手にした後、次に何をすべきか慎重に考えていた。裏切った紅月翔太。彼はヴァルテインから資金を盗み、仲間たちを引き抜いて設立した新会社を、急成長させていた。
しかし、亮は怒りに任せて即座に告訴するようなことはしなかった。
健吾を失った今、彼は冷静に、そして慎重にすべての行動を計算していた。
「最大の効果を発揮するタイミングでなければ意味がない」
亮は新プロジェクトの準備を進めながら、告訴のタイミングを緻密に計算していた。横領者の会社が成長し、安心しているタイミングこそ、最も痛手を与える瞬間だと考えていた。
彼が仕掛けたサイバースパイによって、相手の会社内部の情報はほぼ掌握していた。相手の資金繰りや計画がどれほど脆弱で、どこを突けば最も効果的かを把握し、その一歩先を進む準備は整っていた。
さらに、仕掛けたウイルスによって、相手のシステムには徐々に混乱が生じ始めていた。
プロジェクトの進行に不可解な遅延が続き、社内では誰も原因を突き止められない状況が作り出されていた。
「これで、立て直す余裕はなくなる…」
亮はそう確信していた。彼のサイバースパイの効果が徐々に現れ、彼らの会社は焦りの中で対応に追われる日々が続いていた。そして、相手が疲弊しきったその瞬間を、亮は待っていた。
新プロジェクトと告訴の計画
「やるなら同時だ。新しいプロジェクトを立ち上げて、最大限に注目を集める。そして、そのタイミングで彼らを告訴する。メディアやSNSも利用して徹底的にだ」
亮は自らの計画を練り上げながら、着実に準備を進めていった。
横領の証拠を確実に揃え、法的な手続きを進め、メディアへの情報発信のタイミングも計算した。
亮の頭の中では、すべてが正確に配置されていた。
新プロジェクトは、ヴァルテインの再起をかけた大規模なゲーム開発だった。
健吾が最後に話していたアイデアを基に、亮はそのゲームに全力を注いだ。
健吾の夢とヴァルテインを守るために作り上げるゲーム。
亮はその一作に自らの情熱をすべて注ぎ込んでいた。
「これは…健吾の遺志を継ぐプロジェクトだ」
亮は健吾との思い出を胸に刻みながら作業に没頭した。
ゲームの世界は彼ら二人が描いていた夢そのものだった。
スリルと駆け引き、謎解きと裏切り。
健吾が愛してやまなかったスパイ映画を彷彿とさせる要素をふんだんに取り入れたこのプロジェクトは、ヴァルテインにとって再起の鍵となるものだった。
◆◆◆◆
リリース日が近づくと同時に、亮は告訴の準備も整えていた。
メディアに向けたプレスリリース、SNSでの発表、そして横領者の会社への法的な攻撃がすべて同時に仕掛けられるタイミングを緻密に計算していた。
そして、ついにその日がやってきた。ヴァルテインの新作ゲームがリリースされ、瞬く間に業界内外で話題となる。
リリース当日の夜には、SNS上で「ヴァルテインの復活」がトレンド入りし、ユーザーたちは新作ゲームの評価を次々と投稿し、ゲームの完成度に賞賛の声を上げていた。
同時に告訴を開始。
不正行為は法的に追及され、メディアもこぞってそのスキャンダルを取り上げた。
集めた証拠とサイバースパイの効果によって、彼らの新会社はパニックに陥り、システムの混乱と社内トラブルが次々と表面化していった。
メディアやSNSでも炎上し、彼らの信頼は瞬く間に失墜していった。
「これが…健吾と僕が守り抜いたヴァルテインの力だ」
亮は冷静に事態を見守りながら、静かな勝利の感覚を味わっていた。
ヴァルテインの復活は確実なものとなり、健吾の遺志は亮の手によって守られたのだった。
彼は決して健吾を忘れることなく、彼が愛した夢を守り続けるために、再び歩み始めた。
◆◆◆◆
亮は新たなプロジェクトの成功でヴァルテインを立て直し、数年後、M&Aで売却することに成功した。
社長としての責任を果たし、健吾の夢を実現させたことで、一つの達成感を抱き会社を退いた。
しかし、健吾を守れなかったという後悔は、胸に常に残っていた。
退職後のある日、亮はいつものように街を歩いていた。
成功を収めた今、自由な時間が増え、次のステップを考える時間もできていた。
しかし、平穏な日常は突然終わりを迎える。
「お前のせいで…俺の人生は終わった…お前さえいなければ!」
背後から低い声が響いた瞬間、亮は振り向く間もなく鋭い痛みを感じた。
背中に深々と刺さる刃物。
亮を襲撃したのは、かつてヴァルテインで横領を行い、裏切った紅月翔太。
憎しみが満ちた翔太の顔。
さらに力を込め、刃を深く押し込んでいく。
「お前のせいで…お前さえいなければ…」
血に染まる亮は、その声を聞きながら微笑みを浮かべた。
「裏切っておいて人のせいか?大した結果も出さなかった寄生虫が…、横領までして…最後は僕に責任を押し付けるつもりか?」
亮は、翔太のような「努力せずに利を得ようとする者」や「寄生虫のように他人に依存して生きる人間」を何よりも嫌っていた。
その冷たい言葉が、翔太の怒りを一層燃え上がらせる。
「うるせえ!うるせえっ!」
かすれた声で、背後にいる翔太に続ける。
「お前みたいな無能が、自分の失敗を人のせいにして生きるんだよ。自分自身と向き合えないお前のような人間は、どこに行っても同じだ。逃げられない。翔太…これから、お前がどれだけの罰を受けるか…あの世で見ててやる…」
助からないことを悟りながらも、冷たい笑みを浮かべたまま、最後の力を振り絞って言葉を続けた。
「僕は…やりきったぞ…人生を…だが、お前の終わりは始まったばかりだ…これからが本当の地獄…ざまあみろ…」
翔太は動揺したが、その怒りは変わらなかった。
亮は冷静さを保ちながら、自分の終わりを受け入れていた。
怒りや憎しみはなく、ただ健吾を守れなかったことへの後悔と、友の夢を実現させたという達成感が胸に残っていた。
薄れゆく意識の中で健吾の顔を思い浮かべる。
「お前、すげぇな…」
ああ、僕は凄いんだよ。
「天才だろ、お前」
ああ、僕は天才なんだ。
「一緒に何かやろうぜ」
もちろんだ。僕の足引っ張るなよ。
「俺たちの価値を守るための会社を作るんだ」
健吾。もういいよね? 僕はもうやり切っただろ?
亮の口元には微笑みが浮かび、静かに目を閉じた。




