104 参章 其の漆 ムサシの笑顔
宮本武蔵の伝承に武蔵は風呂に入らないという話がある。
風呂に入ると心が緩む。
清めるとは死を恐れること。
ゆえに湯浴みを戒めた。
という精神的理由。
しかし、この世界では様々なデメリットがある。
自身の臭いで他の嗅覚を妨げてはならない。
また、自分の存在を嗅覚で察知されてもならない。
それゆえにこの世界でムサシは結構綺麗にしている。
アマルテアの躾も大きいのだが。
その分、匂いには敏感でベンケーのすかしっ屁事件はムサシの逆鱗に触れてしまったようである。
先に進みながらラークはアンとの会話を再開する。
ワカバがベンケー、ケントの列と少し距離をとったせいで隊列が少し広がる。
ワカバはベンケーのオナラのせいで生理的に距離をとりたいようである。
距離が開きラークとアンの会話が少し聞き取りづらいムサシ、マルボ、ピアニス。
とはいえ、ムサシの聴覚ならば問題無い。
「で、さっきのサンドリナ王国でのドゥルジの話なのだが」
「ラーク殿はアンにサンドリナ王国のドゥルジの話を聞いているでござる」
ムサシしか聞こえないわけでは無いのだが、そのように装うことで会話を自然に出来る。
普通に会話をしながら空書きでの会議。
スパイの疑惑は少しずつ解消されてはいるが、油断は出来ない。
「サンドリナ王国は他の大陸や島々とかなり距離があるため文化交流は少ないのです。このひと月の間、テプランで学び神話に違いがある事をしりました。そもそも、サンドリナでは神の信仰はあっても直接神との交流はありません」
「まぁ、俺達だって旅をする前は会ってないけどな」
「サンドリナの神話では、善神と悪神の戦いは1万年以上続いている。善神はアフラ・マズダーを中心に6柱。そして悪神はアンラ・マンユを中心とした7柱。悪の思考アカ・マナフ。破壊の神サルワ。虚偽のインドラ。不浄のドゥルジナス。背教のタローマティ。熱の魔神タルウィ。渇きの魔神ザリチュ。一番の違いは不浄の魔神ドゥルジナスは複数の女悪魔と言われています」
アンの話をムサシが復唱し、ピアニスが呟くように言う。
「複数の女悪魔…武闘大会は女子5人の団体戦。ドゥルジが作戦に乗ってやるというのも、その辺絡ませてきそうね…」
「自信があるってわけだ。女魔人5人組とか中々脅威だね」
「これは団体戦の参加者はしっかり鍛えておかねばならぬでござるな」
ムサシ達の言葉を聞いて犬娘三姉妹、ピース、ホープ、ラッキーはビクっとする。
ムサシが少し前に出てピアニスの前で空書きをする。
こちらも隠し玉を用意できないだろうか?
武闘大会のメンバーはピアニス・ワカバ・ピース・ホープ・ラッキーとしている。
ピアニスに比べ4人の実力はかなり劣る。
キャメルが出れれば良いが5年経っても10歳。
出場資格は15歳からなので出場不可。
武闘大会として呼び込むが、武闘大会は口実で作戦の実態はテプラン王国と魔神ドゥルジとの決戦。
出場選手以外も戦力を充実させる必要がある。
内密に戦力を整えておきたいのだ。
5年といえど、やるべき事は多いのである。
◆◆◆◆
「この空間は?」
大きな広間を抜けると通路があり、また広間があった。
「さっきの広間は光のクオンが大量に出てたんだ。白のクオンとも言うかなぁ。で、ここは12色のクオンが大量に出てるね」
マルボが謎空間の情報をラークに教える。
「精霊力の力を感じるでごわすな」
ベンケーが続く。
「精霊力って何かしら?」
「まったく分からないじゃん」
「ウケるー」
「精霊の力の源でござる。人間が使うには白のクオンと合わせないと使えないでござる」
「え?そういう事なのか?」
ラークが驚く。
何度も説明しているはずなのに理解していないラークにマルボはがっかりする。
理論が難しすぎて理解できているのはマルボとムサシだけであるが。
本来ラークも理解力は高いのだが、マルボの説明を喋り出すと止まらないオタクプレゼンが頭に入ってこないというのも理由である。
「この作りはやはり…」
ラークは立ち止まり腕を組み考える。
「この迷宮は人間が魔力を使えるように、人間用魔力生成器みたいな物なんじゃないか?」
「この迷宮がですか?」
ラークの言葉に皆も考える。
「ふむ。神の神殿とすぐ近くという事を考えると、それもあり得るでござるな」
「ねぇ、アマルテア連れて来た方が良かったんじゃない」
「ふむ。あやつは連れてきたくないでござるな」
マルボの言葉に瞬時に返すムサシ。
ムサシの意外な一面、母親代わりのメスアマルテアに恋するオスアマルテアには心を開いていない。若干マザコン気質を感じる。
「おじちゃんも来るのぉ?」
キャメルが少し嬉しそうに言う。
「おじちゃんではないでござるよ」
笑顔でキャメルの頭を撫でるムサシ。
なお目は笑っていない。
キャメルはオスアマルテアの事をおじちゃんと呼ぶ。
「アマルテアがいると何でいいのですか?」
「神獣は神の神殿の守護者でもあり、精霊を鍛える使命もあるんだ。だから精霊力にも敏感なんだよ」
「むしろ、もう撤退してアマルテアに聞いた方が迷宮の謎は解明出来るかもな」
「知らなかったら無駄になってしまうでござるよ」
ラークの言葉にムサシは笑顔で答える。
目は笑っていない。
「でも、神の神殿との関連性は間違いないわ。神の神殿でアシャに聞くのも手かもね」
「ふむ。それも憶測でござるよ。ピアニス殿。重要であれば向こうから教えるのが道理でござる」
笑顔のムサシ。目は察していただきたい。
神の神殿での神との会話は、本当に知りたい事のみを教えてくれる。
知らない知識は教えてもらえないので、今日知ったこの迷宮の事は向こうから教えてくれる事は無いのである。
「じゃあ、お前の母親の方のアマルテアに聞くのはいいのか?」
「それは良案でござる」
満面の笑みで答えるムサシ。
とはいえ、ここから6,000キロ離れたグリーンヴィルのアマルテアまで聞きにいくわけにもいかない。
ガクッと首を垂れてラークは言う。
「仕方ない。俺達で調べるしかないか」
「ふむ。どちらにせよ、一人も戻って来ていないという謎は我々が調べねばならぬでござるよ」
◆◆◆◆
広間を出ると長い通路が続く。
この通路は今までと違って大きな通路の脇にいくつかの小さい通路が沢山ある。
大通りに脇道がいくつもあるような通路である。
「アン。また占ってもらえるか?」
「はい。どのように占いましょう?」
「そうだなぁ…」
ムサシとマルボがいるので、強化探知魔法を使えばこの迷宮の状況はかなり把握できるのだが、手の内は見せずアンの占いの精度を試すことに専念する。
「別れ」
「強者」
「不浄」
「不快」
「女神」
「先程と同じですね…ただ、不浄と強者は強く光っているので、近付いていると思います」
「え?そのカード何枚あるのっ?」
マルボが急に叫ぶ。
「私は78枚のカードを使っています」
「78枚?78枚あって前と同じ5枚が引ける?確率的に偶然はあり得ない!」
マルボはメモ用紙とペンを取り出して何か書き出す。
計算を始めたようである。
「たぶん二千万分の一くらいだ。2回連続で同じ5枚のカードが出るなんて」
周りの者は誰一人ついて行けていないが、なんとなくあり得ない確率だと認識する。
「カードを操って選んでいるんじゃないの?」
マルボがアンに詰め寄る。
しかし、アンはニコリと笑いながら説明する。
「選んでいるといえば選んでいるのですが、ただ無意識にその場の魔力をカードに流しているだけですから、自分の意思では選べませんよ」
「……」
「アンの占いの成功率はどのくらいなんだ?」
「私の無意識力次第ですが、無意識であれば100パーセントです。ただ、何かを意識してしまうと精度は極端に下がります」
「100パーセント……凄すぎる……」
「そうか…疑ってごめん」
素直に謝るマルボ。
「いえ、私が疑われるのは当然です。テプラン王国は虚偽の魔神と因縁があります。このタイミングで占い師の私が現れれば疑われて当然です。覚悟はしています」
信じるべきか疑うべきか。
ドゥルジが言った「この国にはスパイがいる」の一言。
この一言を投げかけるだけで、常に疑惑と困難の渦中に巻き込まれ続けるのだ。
疑惑は疑心暗鬼を産み信頼関係を崩壊させ、常に敵と味方の線引きを行い続ける事を強いられる。
大会まで5年。
準備も出来るが――疲弊もする。
「スパイがいる」たった一言が疲弊を招く恐るべき一手であった。




