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8話













「よしくんの家、久しぶりだなあ」


 加奈は僕の家の扉を開き、家の中に入ってきた。

 今日も今日とて加奈は美しい。その体のパーツ一つ一つが瑞々しく輝いて見えた。僕はそれを愛しく思う。


「いらっしゃい。久しぶりだよね、かなちゃんがうちに来るの」

「うん。受験期以来かな。なんか嬉しいね」


 加奈の笑顔に誘われて、僕の顔にも笑顔が現れた。「うん。僕もだよ」


「で、よしくん。用事って何?」

「ちょっと見て欲しいものがあるんだ。こっちに来てくれる?」

「あれえ?」


 加奈が訝しげに僕を見る。

 僕の心拍数は急激に上がった。


「もしかしてよしくん……」

「え、どうしたの?」

「何かいいことでもあったの?」

「え……」

「ふっふっふ。よしくんと長い間時間を共にした私にはわかるのだよ、ワトソンくん。よしくんは嬉しくなると、鼻がぴくぴくと動くのだ」


 そういって指で僕の鼻を指してくるが、自覚がない僕にはわからない。けれど再び、加奈の笑顔につられるように笑った。


「まあ、確かに嬉しくないと言えば、嘘になるかな」

「えー? なになに? 私に教えてよー」

「だからついてきて、って言ってるんだよ」


 加奈は何の疑いもなくついてきた。恐らく僕に浮いた話の一つでもあったとでも勘違いしているのだろう。


 胸の鼓動の高鳴りは、されど落ち着かなかった。

 僕が加奈をつれていったのは、病院の地下の一室だった。


 疑いもせずについてきている間、加奈は、「へー病院の方ってこうなってるんだ」とか「しーんとした病院って怖いよね」とか能天気なことを言っていた。


 部屋の中に入れると、僕は扉に鍵をかけ、電気を点けた。

 目の前には無機質な白い部屋が広がっている。中心には二年前に見たように、あの機械があった。


「何、この部屋?」

「手術室だよ」


 僕は平然と言った。

 もうここまでくれば、今日中に加奈にバレるかどうかといった緊張もない。あるのは成功を確信した興奮だけだ。


 流石に何かがおかしいことに気づいたのだろう。加奈は引きつった笑顔で、こちらを振り向いた。


「よしくん……見せたいもの、って?」

「目の前にあるでしょ。この機械だよ」

「これが、なんなの?」


 病院が恐れられるのは、そこにおよそ人間の生活感が見られないからだ。または、その無機質な雰囲気に、絶望を想起するからだ。この部屋ほど、そんな病院の暗い部分を映した場所はないだろう。


 そしてこの機械こそ、加奈の絶望を深くするに違いない。


「これはね、――人形を作る機械だよ」


 笑ってしまいそうになる。


「にん、ぎょう?」

「僕はさ、人間が嫌いなんだ。勝手に動いて、僕を傷つけて、僕を裏切って、僕を見捨てていく、脆弱で汚れた人間が嫌いなんだ。だから逆に、そんな部分がない人形が、大好きなんだ」

「よしくん……?」


 加奈は頬を引きつらせて、後退していく。機械の方へ。


「だから、僕はかなちゃんのことが好きだったんだ。かなちゃんは僕を傷つけない。僕を優しく包んでくれる。いっつも笑顔のかなちゃんが好きだった」

「それは……嬉しいよ」

「でも。かなちゃんは裏切った。僕を平気で裏切って、平気で傷つける。まるでそれじゃあ人間だ。他の人間と一緒だ」


 落胆の色をこめて、僕は加奈を見遣る。


「ねえ、かなちゃんはどうして――人形じゃないの?」


 加奈は身の危険を感じたらしい。持っていたカバンから、携帯電話を取り出し、何かのボタンを押し始める。

 が。


「け、圏外? なんで?」

「無駄だよ。ここはそういった電波が通らないようになってる。手術中に電話なんて、必要ない。かかるわけないでしょ」


 加奈は真っ青になった顔を上げた。


「私を……どうしようって言うの?」

「難しいことじゃないよ。至極簡単なこと。僕が好きなかなちゃんを、僕はもっと好きなものにしたいんだ。好きに好きを重ねたら、とっても好きになれそうじゃない? ねえかなちゃん」


 僕はにっこりと笑った。


「――僕の人形になってよ」

「ひっ!」


 加奈は短く悲鳴を上げると、部屋の隅まで走った。しかし、その先に出口はない。僕が近づいていくと、壁との間を縫って、部屋の出入り口にたどり着いた。

 しかし、


「なんで!? 開かない!」

「鍵ならここだよ」僕はポケットから鍵を見せる。

「か、返して!」


 加奈は僕に飛びかかってくるが、僕はそれを返り討ちにした。腕を掴んで、羽交い絞めにする。


「返して、ってこれはかなちゃんのものじゃないでしょ」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああああ!」


 泣き喚く加奈の顔面を僕は掴んだ。「ひっ」加奈は悲鳴を上げる。


「大人しくしててよ。痛くないから。すぐに済むよ」

「よしくん、変だよ。よしくんじゃないみたい……」

「そんなことないよ。これが、僕だ」


 そうだ。これが僕だ。意識という仮面を外した無意識の僕だ。純粋な僕だ。今までが僕じゃなかったに過ぎない。


 加奈はしかし大人しくしなかった。隙あれば抜け出そうと、両手両足をばたつかせる。

 加奈は成長したが、あくまで女性という枠組みの中での話だ。女性である加奈の力では、男の僕を屈服させることはできなかった。


 ついに僕は加奈の身体を機械の椅子に横たえることに成功した。抵抗しないように、抵抗器具を加奈の肢体に巻きつけた。


「よしくん……やめて」


 加奈は涙に濡れた顔で懇願した。

 僕は言葉を返さずにただ笑った。


 この機械を目の前にするのは久しぶりだった。父は相変わらず僕に手術を見せ続けていたけれど、この機械での手術はあれ以来見せなかった。


 しかし、二年前に記憶に焼き付けた手順は、決して忘れることはなかった。

 絶対に忘れまいと“無意識”が記憶していた。


 加奈の啜り泣く声を尻目に、父がしたように機械のボタンをいじっていく。


 機械は起動を始めた。

 加奈から啜り泣く声が消えた。抵抗する意思も消えた。弛緩しきった体が椅子の上にはある。


 僕はボタンを押す手を止めなかった。

 二年前、父がアキちゃんを助けたように。

 その昔、父が優樹さんを人形にしたように。


 いよいよ最後のボタンを押すところまできた。

 僕は機械の下から加奈を見る。安らかに眠っているようだった。

 このボタンを押せば、無意識だけが目を覚ます。


 僕はボタンを押した。

 青色の光が黄色へとその色を変えていく。

 びくん、と加奈の体が痙攣を起こす。目が半開きだが、開いていた。


「かなちゃん、聞こえる?」

「……うん」


 精彩を欠いた声が帰ってくる。


「君の好きな人は誰?」

「……ゆうくん」


 加奈の口が零したのは、サッカー部のキャプテンの愛称だった。

 僕は


「それは違うよ」


 優しく言った。


「ち、がう?」

「そう。君はゆうくんが好きだと思い込もうとしていただけなんだ。でも、本当はよしくん――君嶋佳人のことが好きなんだ」

「そう、なの?」

「そうだよ。幼稚園、小学校、中学校、高校と、君はずーっとよしくんのことが好きだったんだ。だけど、恥ずかしくてそれを言うことはできなかった」

「……」

「それを君は後悔している。どうでもいい男と付き合ってしまったことを後悔している。よしくんと付き合えばよかったとずっと思っている」

「……」

「そう。君はよしくんが――僕が、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きでたまらないんだ。もう胸の中に押さえておくことができない。よしくんのためならなんでもする。よしくんの言うことに逆らわない、怒らない、裏切らない。ずっとよしくんの傍にいるんだ」

「……」

「君は僕の人形だ」


 返事はなかった。呆けた表情で焦点の定まらない視線を彷徨わせている加奈は、しばらくそんな調子だった。

 少しの間の後、


「うん」


 加奈は肯定した。


「……私はよしくんが好き」


 抑揚のまるでない声だったが、僕は狂喜に叫びそうになった。

 僕を支配しているのは、一人の人間を征服した充実感だ。一人の女性を手中に収めた優越感だ。


 ずっとずっと夢見ていた。

 僕だけの人形、それを手に入れる日を。

 僕を置いていかないで、どこにいくでもすっと隣にいてくれる、大切な相手を。


 今日、この日、僕はついに手に入れたんだ。

 僕は逆の手順で機械の電源を落とした。

 そしてそのまま、加奈が起きるのを待った。


 どのくらい時間が経っただろうか、加奈はゆっくりと瞼を開けた。

 ぼんやりとした様子で、僕のことを見る。すると、彼女の顔に赤みが走った。

 どこか所在無げに目線をあちらこちらに向け、それから意を決したように僕のことをまっすぐに見つめた。


「よしくん……ずっと好きだったの」


 加奈は僕の人形になった。








「よしくーん」


 手を振って無邪気に駆けてくる加奈に、僕は手を振り返した。

 授業が終わると、加奈は毎日僕の教室に駆け込んでくる。そして、とても幸せそうな顔をして、僕に抱きついてくるのだ。


 周りの生徒たちは不思議そうに僕たちのことを見ている。僕と加奈が幼馴染だと知っている級友はいても、このような関係であると信じている人間はいまだ少数派のようだった。


 かたや学校のアイドルで。

 かたや学校の日陰者で。

 その二人がこんなに仲睦まじく触れ合っているなんておかしいと思っているのだろう。


 まあ、僕としては他人の評価なんてどうでもいい。

 長年夢として思い描いていたものがこの手にある。それだけで十分だった。


「よしくん、よしくん。ほら、一緒に帰ろう」


 満面の笑みを浮かべる加奈は、僕と視線を合わせると恥じらうように笑った。

 僕は頷き、加奈と一緒に廊下へと出た。


「おい」


 そこで声をかけられる。振り向くと、そこにいたのは三年生の男子だった。サッカー部のキャプテン、加奈がつい最近まで付き合っていた男だった。


 加奈にゆうくんと呼ばれていたその男は、手を繋いで歩く僕たちを見て、怒りと困惑とが一緒くたになったような奇妙な顔をしていた。


「なんですか?」


 ゆうくんは酷く狼狽した様子で、「いや……」と口ごもった。

 風の噂や加奈の話しぶりからするに、彼は自分の立場――サッカー部のキャプテンであったり、顔が端正であったり――を鼻にかけるような人間ではないことはわかっている。ここに来たのも、糾弾というよりは確認のために来たのだろう。


「突然、こんなことになったから、少し気持ちの整理がつかなくて……。加奈と二人で話したいんだけど、ダメかな?」


 僕は加奈を操った。

 加奈は困ったように笑って、


「二人きりっていうのは……。隣によしくんがいるならいいよ」

「そ、そうか。なら、よしくん? 君も一緒でいいよ」


 そう言うと、彼は僕らについてくるように促して、歩き出した。案内されたのは、今は使われていない空き教室の一つだった。


 ゆうくんは青い顔で僕のことを一瞥してから、加奈に向き直った。


「君が急に心変わりをしたなんて、どうしても信じられないんだ。メールをしても電話をしても、答えてくれないし。俺が何か悪いことをした? この前まで俺のことを好きだって、そう言ってくれてたのに」


 それはそうだろう。人形が、持ち主以外に返事をするわけがない。人形はただ、持ち主の意向に従って、持ち主のことだけを見るのだ。


「ごめんね、ゆうくん。でも、私、他に好きな人がいて……」


 加奈は横目に僕を見た。その頬が赤く染まる。ゆうくんの視線も自然と僕の方にやってきた。


「それが、……彼だって言うのかい?」

「うん」


 ゆうくんは僕をじっと見つめた。内心、どんな感情が渦巻いているのか、僕は推し量ることができない。少なくとも僕に対して好意的な感情は抱いていないだろう。

 ゆうくんは加奈に引きつった笑みを見せた。


「でも、君は言っていたじゃないか。幼馴染の彼――よしくんとはなんでもないって。ただの友達だって。あれはウソだったのか?」

「嘘じゃないよ。その時はそう思い込んでいただけなの。少し前までは、あなたのことも好きだった。でも、どうしてもこの気持ちを抑えきれなくて」

「じゃあ、俺に言った言葉は? 好きだ、って言ってくれたじゃないか」

「……ごめんなさい」


 加奈の拒絶の言葉を聞くと、ゆうくんはがっくりと項垂れた。体の力を失ったように、壁に寄りかかり、そのまま崩れ落ちていく。


 彼はきっと今まで悩むこともなく、壁にぶつかることもなく、生きてきたのだろう。波に流される船ように、それでも嵐に見舞われることもなく順風満帆に。そう考えると、途端に目の前の先輩が小さくなったように思える。


 僕は自身の嗜虐心が鎌首をもたげたのを感じた。


「先輩、加奈はどうでした?」

「どう、って?」

「綺麗でしたよね? 可愛かったんですよね? 愛しかったんですよね? そんな加奈を隣に置いて、どんな気持ちでした?」

「……」


 ゆうくんの体が震えた。その首が縦に動くのを見て、僕は勝利を確信した。体も震えだす。


 加奈は僕の人形だ。

 誰でもない、僕の、僕だけの人形だ。

 誰にも触れさせない。


 加奈は、僕のものだ!


「ごめんなさい、先輩。僕も加奈のことが愛おしいんです。先輩の気持ちもわかります。でも、仕方ないですよね。だって本人が、僕を選んだんだから」

「――っ」


 ゆうくんの精神は絶望の底に沈んだようだ。

 僕は肩を落とす先輩の横を通り抜け、教室を出た。加奈の手をとって。


「この後、どこに寄ろうか?」


 無邪気な笑顔で僕に語りかける加奈の言葉は、聴く人にとっては刃物のような鋭利さを持っていた。


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