2話
僕は私立中学校では浮いた存在だった。
僕の通う学校は高級住宅街が近くにあるのもあって、金持ちの子息が多く在籍していた。その多くが傲慢かつ横柄で、友情というのは会社の契約に似ていた。将来を見据えた友情に溢れていた。そんな打算的な界隈で、医者の息子とは言え元々人と関わるのが苦手な僕が孤立したのは、当たり前のことだった。
それに僕はプライドの高い人間たちの中でも優秀な成績を修めていたから、他の人間からは少しの嫉妬もあったのかもしれなかった。あまり友好的に接されたことはないと思う。
学校につくと、定められた場所に自転車を止めて、教室に向かう。
教室の窓際最後列の自分の席につくと、欠伸を漏らした。
教室の中には他に人間はいなかった。うちの学校は他の学校に比べて登校時間が遅い。それに多くの生徒が専用の通学バスを使うため、生徒がまとめてやってくる時間はある程度決まっている。
つまらない、と純粋に思った。
それは一人教室にいるからというわけではなく、この場所にいるからだった。ここにいるのは、勉学のためだ。それ以上のものはない。
自分の生きる意味――なんてものを考えてしまう。このまま生きて、医者になって、家を継いで、そして老いていくのだろう。それは楽しいのだろうか、今の自分にはわからない。わかるのは、今はつまらないということだけだ。
窓から外の景色を覗くと、バスが校舎の中に続々と入ってくるのが見えた。そのなかから生徒たちが溢れ、それぞれの教室にやってくる。まるで生まれたばかりの蜘蛛の子のようだ。
そうして教室に入ってきたクラスメイトは、僕の姿を見ても何も驚かなかった。いつものことだと認識されているのだ。なんでそんな早く来るの? なんて尋ねられたこともある。でもそれはこの学校にいる人間には関係のないことだ。
「知ってる?」
隣の女子生徒が椅子に腰掛けながら口を開いた。その会話の相手は僕ではなく、一緒に登校していた前の席の女子生徒だった。おしゃれにも気を使い出す中学二年生の女子生徒は、短くしたスカートの先の足を組んで話しだした。
「人形作り、っていう話」
「えー? 何それ?」
話しかけられた女子生徒は生返事を返した。鏡を取り出し、自分の顔とにらめっこしている。加奈もこんな風に自分の風貌に気を使い出すのだろうか、と考えると何かおかしかった。
「都市伝説よ、都市伝説。今、巷で話題になってるんだから」
「へー。あゆっち、そういうの好きだよねえ」
別に聞くつもりもなかった。だけど何となく興味を惹かれたのも事実だった。机にうつ伏せになりながらも、聞き耳はしっかり立てていた。
「あのさあ、もうちょっと興味持ってくれてもいいんじゃないの?」
「持ってる持ってる。だからほら、話してみ」
「ふふん」得意げに女子生徒は鼻を鳴らした。「人形作りって聞いてどう思った? 人形作りっていうのはね、別に本当に人形をつくるわけじゃないんだよ」
「まあ、人形作りの職人さんを追いかけた人間ドラマなわけないしね。都市伝説ならそこで終わっちゃダメだよね」
「もー。揚げ足取らないでよ。ちゃんと聞いて」
「はいはい。私にはわからないから答えをどうぞ」
話し手の女子生徒は相手のにべもない態度に眉を寄せたが、気にしないことにしたようで、生き生きとした顔で言った。
「人形作り。それはね、――生きた人間を人形に変えてしまうということなんだよ」
「生きた人間を?」
鏡と格闘していた聞き手の女子生徒はそれに興味を惹かれたようだった。鏡を仕舞い、話し手の女子生徒に向き直る。
それで気を良くしたらしい話し手の女子生徒は、語気を強めた。
「なんでも、生きた人間の元々の魂をどこかにやっちゃって、新しい魂を宿らせるんだって。そうするとその人間は、まるで人形のようになっちゃうんだよ。それからはもう何でも言うこと聴き放題。操られ放題。そんな人間が実際に世の中にはいて、しかも作られてるらしいんだよ」
「ふーん」
「ふーんて。由佳は冷たいなあ」
「だってまるで信憑性がないんだもん。どうやったら魂とやらはどこかに行くの? 新しい魂って何? そもそも人形、ってどういうこと?」
質問攻めにあい、話し手の女子生徒は反論に窮した。しどろもどろに、
「だ、だから、新しい魂を入れた人の言うことをなんでも聞いちゃう、人形になるんだよ」
「ほう。なんでも聞いちゃうのか」
「信じてないでしょ」
「そりゃあね。そもそも都市伝説なんてそんなものでしょ。信じるほうが阿呆を見るってば」
むー、と話し手の女子生徒は唸る。返す言葉もないのが、情報の提供者としては面白くないのだろう。
何かを思いついたようで、含みのある笑顔を浮かべた。
「も、もしかしたら由佳だって、もうすでに誰かの人形になってるかもしれないよ」
「……そうかもね」
聞き手の女子生徒は呆れたようで、鏡に顔を戻してしまった。
「由佳あー」注意を引こうと、話し手の女子生徒は聞き手の子の服を引っ張っている。
全く、聞き手の子の言うとおりだと思う。都市伝説なんて、噂話と同じくらいに信じるに値しないものだ。僕ならむしろ噂話の方を信じる。
だけど、信じる信じないにしても、話自体は面白いと思った。
誰かに操られた人形――それはまさに今の僕を表しているようだった。自分の意思もなく、流されるままに生きている、僕。僕の体は父に操られている。
生徒が登校し終えると、担任が教室に入ってきた。
今日もまた、無味乾燥な一日が始まった
授業が終わると部活動に勤しむ生徒の間を縫って、僕は帰宅した。
父からは部活動に入らないで、医院を手伝えと言われている。
とはいっても、手伝うことなんかない。医師の免許を持った助手の方たちがいるのに、素人の僕が下せる手は存在しない。父の真意は恐らく僕に医師としての自分の背中を見せることなのだろうが、残念ながら僕は父の背中に憧れたりはしていない。
今日、僕はとある一室に呼ばれた。
医院の地下にある、鬱々とした部屋だった。そこでの唯一の光源である廊下から漏れた光に照らされたのは、真っ白に統一された部屋。手術室よりも病室よりもさらに無機質な性質を纏っていた。
こんな部屋があったとは知らなかった。
父は僕の後に部屋に入ると、部屋の電灯のスイッチを入れた。先程少し見たように、そこには真っ白な空間が広がっている。地下だから窓はない。出入口も一つしかない。閉鎖的な空間。
ただ、その景観の中央には、たった一つだけ色の異なる機械的なものが存在した。大きい円から小さい円を抜き取ったような、ドーナツ形の機械。一目見た感想をいうのならば、美容室に置いてあるパーマをかける機器に似ている。その下には人一人が座れる椅子があった。
「この部屋は?」
「手術室だ」父は答えた。
父の手術は何度か見たことがある。どちらかと言えば、強制的に見させられたのだが。けれど今、手術室には似ても似つかない程簡素なその部屋に、僕は少し恐怖していた。
「ってことはこれから手術をするの?」
「そうだ」
「こんな何もないところで?」
僕の思い描いた、手術に使うあらゆるものが欠如している。
「今日の手術は少し特殊なものだ」
「……ふうん。で、僕は何をすればいいの?」
「何もしなくていい。ただ、部屋の隅で手術を見ていろ」
父はこういった指示をよく行った。僕は手馴れていたので、反抗することなく部屋の隅に向かった。
「それと、手術中は静かにしていろ」
「わかってるよ」
僕はため息をついた。
ホント、言いなりになっていて、僕は何のために生きているんだろう。
しばらく父も僕も動かなかった。父はしきりに手元の腕時計を気にしている。何かを待っているのだろうか。
と、地下の階段を下ってくる音がする。足音は二つだ。
「ここですよ」
一人は家政婦の優樹さんだった。今は看護師の制服を着ている。看護学校を卒業している彼女は、家政婦兼医院の看護師だった。
優樹さんがつれてきたのは、少女だった。
歳は僕よりもいくらか上。服装は通学中に見たことのある共学の公立高校のものだった。高校生なのだろう。
おかしいのはその様子だった。優樹さんの腕にぎゅっとしがみつき、キョロキョロとあたりを忙しなく見回している。目は血走っていて、一点に定まることがない。焦点も合っていないようだった。
「ほら、アキちゃん、先生よ」
優樹さんはアキちゃんと呼んだ高校生に、父を見るよう促す。
アキちゃんはいまだ何かに怯えるように、頭を右へ左へ。僕と目が合うと、「ひゃあああああああああああああああああああ」大声を出してその場にうずくまってしまった。
優樹さんは父に目配せをする。
父は頷き、僕には絶対に向けない優しい笑顔を浮かべて、アキちゃんに手を差し伸べた。
「大丈夫。怖くないからね」
「……うう」
アキちゃんは震えながらも、父に目を向けた。
優樹さんは両手をアキちゃんの肩に乗せて、優しい口調で、
「それじゃあ、アキちゃん。これから手術になるけど、頑張れるよね?」
「……」
アキちゃんは優樹さんに一度、捨てられた子犬のような目を向けたが、渋々といった体で頷いた。
満足そうに頷いて、優樹さんは部屋から出ていく。僕の方を一度だけ振り向いて、にっこりと笑った。
「それじゃあ、こっちに来て座ってくれるかい?」
そういって椅子に手をかける父の顔は、そこらへんにいる優しい叔父さんそのものだった。
アキちゃんは警戒しているようだったが、恐る恐る父の方に寄っていった。両手を胸の前で組み、震える両足で床を踏みしめながら。
アキちゃんは父の誘導のまま、椅子に腰掛けた。
「緊張しなくても大丈夫だからね」
「……」
僕がここにこうしている意味はあるのだろうか。まあ、見ていろと言われた以上、留まることはしなくてはならないのだが。
それにしても、父はこれから行うことを手術、といった。それなのに助手の一人もつけずに、器具もないこの場所、何の消毒もしていない状態で、何をするというのだろう。
アキちゃんが椅子に腰掛けるのを確認すると、父はその椅子の上にあるドーナツのような形の機械をアキちゃんの頭蓋に被せた。ちょうど穴の部分がすっぽりと頭に被さる形だ。
アキちゃんはびくりと肩を震わせる。
「ゆっくりしていてね」
父はそういうと、機器の電源を入れた。不気味な音を立てて、不穏な光を放ち、機器は始動した。