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13話











 僕は高校を卒業して、大学生になった。この国最難関の大学の医学部に、現役で合格した。加奈は同じ大学の経済学部に主席で入学した。


 高校を卒業するとき、僕の下に多くの女子学生が寄ってきたのは、恐らく両親を亡くしたという身の上が、それも犯人が家政婦だったというのだから、きっと同情に足るものだったのだろう。その時の僕は少なからず影を背負っていただろうから、そんなところがウケたのかもしれない。


 大学に入ると、僕は加奈以外の人間との交友の一切を絶った。サークルには入らず、一人で講義を受け、加奈と待ち合わせをして、一緒に帰る。家に一人では寂しいので、加奈をよく家に泊めた。


 何かが抜け落ちた気がしていたのは、気のせいではなかった。心の中にあった熱意やら目的やら――人間としての生活を送るために必要なものを、僕は失っていた。


 原因は掴みきれない。

 色々なことがあったから、どこかに落としてきたのかもしれない。


「よしくんよしくん」


 加奈は一人の女性として完成した。スタイルの良い痩身、起伏のあるそれぞれの部位、大人としての魅力を十分に備え、しかし顔をくしゃっと崩して笑う様は昔と変わらず子供のようだった。


 加奈はどこか照れたように笑っていた。


「ねえ、よしくん。お父さんとお母さんがね、これから一緒に暮らさないか、って」


 加奈の両親は父がいなくなった後、あれこれと世話を焼いてくれた。葬儀だったり、食事だったり、団欒だったり、生活の補助だったり。ほとんど抜け殻だった僕にとって、これ以上ない援助だった。


 今回もひとりきりの僕に気を回してくれたのだろう。


「……そんな気を使わなくても」

「私たちがそうしたいからだよ。別に気を遣ってのことじゃないよ。将来的にも、いまから一緒に暮らしてもいいんじゃないのかな?」

「もうほとんど半同棲じゃないか」

「そうだけど……」


 ほんのりと加奈は頬を染める。

 将来的にも――。


「かなちゃんは僕と結婚したいの?」

「うん」加奈は即答だった。「よしくんと、したい」


 迷いのない顔。本当に僕のことが好きなのだろう。


 それはそうか。

 加奈は僕の人形なんだから。

 そういう生き方をしているのだから。

 ふと、何かのスイッチが入った気がした。


「僕ってなんなのかな?」

「え、なに?」

「僕は、一体何者で、これからどうしたらいいんだろう?」

「どうしたの、急に。よしくんはよしくんで、これからお医者さんになるんじゃないの?」

「そうだよなあ……」


 なんで医者になりたかったんだっけ。

 そうだ。父が強要したから。僕は父の言われたままに、医者になるものだとばかり思っていたのだ。

 そこに僕の意志はなかった。だから父の消えた今、僕はこうして虚ろにどこかを彷徨っている。


「人形が、ほしかったんだ」


 加奈はさっきからずっと困惑した顔で、僕を見つめている。「え?」


「この手に収まるくらいの、自分の思い通りにできる人形が」

「……よしくん、昔、人形遊び好きだったもんね」

「そうだと――思っていたんだ」


 人形が好きで、だから人形を欲して人形を手にした。この手を欲望に染め上げて、人間を握って、その膨大な圧力で人形に変えた。


 そうして理想となる人形が隣にいるのに、僕はどうして動けないんだろう。

 これじゃあまるで、糸の切れた人形だ。


「かなちゃんに黙っていたことがあるんだ」

「秘密、ってこと? なに?」

「かなちゃんは、僕の人形なんだよ」


 加奈は「ん?」と首を傾げた。


「なにいってるの、よしくん? 言ってることがよくわからないんだけど」

「かなちゃんは、僕がこの手で人形にしたんだ。君の記憶をいじって、僕のことが好きであるように作り替えたんだよ」


 どうして今更こんな贖罪めいた、言い訳じみたことを言っているんだろうか。困惑する意識を置いて、僕の口は淀みなく動いた。


「うちの病院の地下室に、人の記憶を改竄できる機械があるんだ。そこまでは覚えているよね? 僕はそれで、かなちゃんの記憶を僕の都合のいいように作り替えた。僕が好きになるようにした」


 加奈は首を傾げたポーズのまま、固まっていた。まぶた一つ、指一つ動かさないその様は、本物の人形のように見えた。


「だから今のかなちゃんは厳密にはかなちゃんじゃない。僕の欲望を多分に含んだ――人形なんだよ」


 加奈はしばらくそうしていたが、僕の終わりが終わったと判断すると、口を開いた。


「――それで?」

「それで、って……それだけ」

「なんだ。それだけかあー」


 安心したように息を吐く。記憶を、人格を奪われたというのに、そんなことは大したことでもないと言うように。


「秘密、って言うからなんかやましいことでも言われるのかと思ったよ」

「……十分やましいと思うけど」

「私は、よしくんが好き」


 加奈は銀色の煌きとともに言い放つ。


「いつもよしくんのことばかり考えてる。できれば、もっとよしくんに愛して欲しい。よしくんは私を愛してくれているし、それは伝わってくるけど、足りないの。よしくんからもっともっと好かれたい」

「でも、それは嘘の感情だよ」

「嘘、なんてことはないよ。だってそれが私の生きる意味なんだから。私はよしくんと結婚して、よしくんの子供を産んで、よしくんといつまでも笑い合って、そして手を取り合って死ぬの。この感情が嘘だというのなら、私は私じゃない」


 加奈は眩しかった。直視できないくらいに。


「私は私。よしくんのことが好きな私。それ以外に私はいないよ」

「……」

「それに」


 加奈の顔に幸せいっぱいの笑みが浮かんだ。


「私は嬉しいんだ。よしくんが私の記憶をいじってまで、私のことが好きだったなんて。欲望なんていうほどに好きだったなんて。それって私がよしくんの中で一番だってことだよね」

「それだけは、間違いない」

「なら、それでいいよ。私の一番があなたで、あなたの一番が私。それ以上、私は何もいらない」


 そうして加奈は僕のことを抱きしめた。


 僕も抱きしめ返した。








「あ」

「あ」


 お互いがお互いを見つけたとき、そんな声が漏れた。

 加奈に親族関係の用事があるというので、授業もなく一人で近所の公園でぼうっとしていたら、たまたまアキちゃんと出会った。


 僕の方から一方的に連絡を断ったのだから、気まずくなってもおかしくはないのだが、アキちゃんは笑顔でこちらに寄ってきた。


「久しぶりー」

「久しぶりです」


 何の了承も取らず、アキちゃんは僕が座るベンチの隣に座ってきた。


「何してるの?」

「ぼーっとしてます」

「じじくさあ」


 けらけらと笑われた。

 アキちゃんは見慣れない黒いスーツに身を包んでいた。それについて言及すると、


「就職活動」


 どうやらこれから面接に向かうらしい。


「じゃあ、いいんですか、こんなところで油売ってて」

「いいの。まだ時間あるし」


 アキちゃんはしばらく口を開かなかった。僕も自分から話そうとはしなかった。


「大変だったみたいだね」ぽつりと。

「何がですか?」

「お父さんのこと。まあ、あんまり先生のことを知らない私がとやかく言うのもなんだけど、聞いて欲しいことがあるなら聞くよ」

「聞いて欲しいこと?」

「ほら、なんか周りの人間には言えないようなことあるじゃん。私の母親も最近入院してね。なんか弱音を吐きたいときもあったし……」

「ないですね」


 はあ、とアキちゃんはため息をついた。この呆れたようなため息も懐かしい。


「まあ、ないならいいけどね」

「それよりも、心配なのはアキちゃんじゃないですか? 犯人は、優樹さんとされてますけど。理想の人だったんでしょ?」

「……でも、私の中での理想は変わらないよ。あの人は私の尊敬する看護師だから」


 アキちゃんは一切の曇りなく優樹さんを信じていた。僕はその輝きに自然と目を細めていた。

だから、この告白はプレゼントだ。


「まあ、実際の犯人は僕なんですけどね」

「……」アキちゃんは一度、僕に胡乱な視線を投げた。それから、「そっか」と何の感情もこもっていない声を返す。それだけだった。


「そういえば、彼女さんとは仲良くしてる? 連絡とれなくなったのってあれが原因でしょ?」


 あっさりと見抜かれていた。僕は首肯を返して、


「最近、結婚を申し込まれました」

「マジで?」


 目を見開いているし、本当に驚いているのだろう。


「いいなあ。私なんて彼氏とか全然できないし、できても長続きしないんだよね」

「人柄が見抜かれてるんじゃないですか?」

「私の性格はいいと思うよ」

「どうですかね」

「どういう意味だ」むっとした顔を向けられた。


 それからしばらくお互いの興味のなさそうなことを話してから、


「あ」


 アキちゃんは左手にはめた腕時計を見て、声を上げた。


「やっば。次の電車に乗らないと間に合わない!」

「頑張ってください」

「む」


 アキちゃんは顔をしかめた。「他人ごとだと思って……」


「実際、他人事ですから」


 アキちゃんは立ち上がり、早足で公園を出て行った。と思ったら、すぐに帰ってきた。


「言い忘れてたことがあったんだった」

「なんですか?」

「ありがとう」


 アキちゃんは笑顔で言った。


「そう、お父さんに伝えといて」

「父はもういませんよ」

「だから、墓前で。私が行っても先生はわからないでしょ」


 僕が行ったら、呪い殺されそうだ。それをアキちゃんだってわかっていそうなものなのに。


 ふと、口が動いた。


「アキちゃんはさあ、今、楽しいですか?」

「うん」


 即答だった。


「それもお父さんに言っといて」


 僕は頷いた。そうしてアキちゃんを見送る。


 僕は――気づいていなかった。

 一人の女性が真っ直ぐに僕だけを見つめていることを。


 あらゆる時間や手間を面倒とも感じずに、僕だけを見つめ続ける存在がいるということを。


 彼女は僕が彼女を見つめた以上に、僕だけを凝視する。

 だって唯一だから。

 人間にとって人形が唯一なら。

 人形にも人間は唯一だ。


 僕は不意に意識を失った。







「私はよしくんが好き。どうしたってよしくんの愛を独り占めしたい」


 目を開くと、そこは白一色に統一された部屋の天井だった。


「私がどれくらい好きでも、よしくんがどれくらい私のことを好きでも、それでも足りないの」


 無機質な部屋だった。

 どうやら僕は椅子に座らされているらしい。すぐ横からの加奈の声が、遠くからのように聞こえる。


「十でも、百でも、千でも、一万でも、全然足りない。私はよしくんの一番じゃなくて、よしくんの全てになりたい」


 加奈の声は高揚しているようで、切羽詰っているものだった。


「他の人間――いや、人形になんか目向きもしないくらい、私を愛して欲しい。私だけを見ていて欲しい」


 欲に塗れた言葉だというのは、薄れている意識でも判断できた。


「よしくん、許してくれるよね。だってもっと私のことが好きになれるんだから。ずっと一緒にいられるんだから」


 頭がうまく動かない。視界が自分のものではないみたいだ。ゲームの主人公の視界のように、目の前は不明瞭で曖昧としていた。


「よしくん、大好き。だから、私のことをもっともっと好きになってよ」


 水の中で目を開いたような視界の中で、


 何かが光った。

 何かが回った。

 そして――“僕”はいなくなった。


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