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はんなり新宿、夏の鬼

作者: 小鳥遊七海

 

 

 僕の前には少女が立っている。身に纏うは萌える若草の色で少女と着物を分ける赤いラインが印象的だ。マンションのベランダに立つ姿はくすんだ空に良く映えていた。

 彼女の前で伸ばした手は切られ、(はた)かれ、曲げられて、結局のところ狭い空間で固定される。彼女の思惑通りに形作られ、きっと何年も何十年も掛けて育つのだろう。


「しかし、見た目十六の美少女が盆栽ってどうなんでしょう? 華道とか、茶道とか、和の趣味なら沢山あるんじゃないですか?」


 右手に持った剪定バサミで余分な枝を落とし、左手に持った針金で枝を形作っていく。手つきは慣れたもので、盆栽は野生的な装いを優美に変えていた。


「ほな、日本庭園のひとつやふたつ、()おておくれやすぅ」


 僕のほうに向く時も()くまでしなやかに、はんなりと。彼女の濡れ烏色の髪がさらりと舞った。


「無茶なこと言わないでください。しが(歯牙牙)ないプログラマの安月給じゃ、あなたを養うだけでも精一杯なんです」


 僕は弱い抗議の声を上げる。彼女は手に持っていたハサミと針金を棚に置いた。コトリ。ベランダにも一羽。

 そして、リビングに座っていた僕に向かって歩きながら言う。


「重々承知してはります。あんさんは駆け出しのペーペー。うちがここに居させてもろてるのはあんさんの善意に他なりまへん」


 左手で右の袖を押さえると、右手を僕の顎に添える。

 僕の前には彼女がいる。顎に手が添えられているだけだ。でも、僕はその先を期待して動けなくなる。

 あぁ、抵抗しなくては。

 そう思うものの僕は彼女から目を離すことができなかった。彼女流に言えば「()こ!こ」なった瞳が妖しく光る。

 僕はこの瞳に逆らうことは許されない。望んだこととは言え、少し悔しい。

 彼女はゆっくりと顔を寄せてくる。赤い唇に意識が集中する。ゆっくりと近づいてくる唇……僕は……。


「えぇーい。駄目です! 真昼間ですよ。夜にしてください、夜に」


 目を瞑って身体の制御権を取り戻すと、彼女をトンと軽く突き飛ばした。


「まぁ、いけずなお人やわぁ。うちの心は知っとるくせに。ほんに関東の男は」


 言っていることは恋人同士か、僕に好意を寄せる女の子の言葉だけど、実際にやろうとしていることは違う。真昼間からやられたら僕は疲れ果ててしまって今日一日無駄にする。やるときは寝る直前だ。そこなら時間を無駄にせず、体力を回復することができる。

 彼女は身を起こすと、もう一度ベランダを見た。


「今日はおてんとさんもよろしいわぁ。天皇さんのお庭に行ってお散歩でもしまひょ」


 踵を返すと音も無く足を運び玄関に向かう彼女。玄関の扉を開けると光が差し込んでくる。いつの間にか晴れたようだ。

 彼女は「勝姫」という。

 僕の十数倍は生きている日本の吸血鬼だ。


「天皇さんのお庭」と言うのは僕が住んでいるマンションの近くにある新宿御苑のことだ。明治時代に天皇家の御料地となったが、その後東京都に下賜されて今ではみんなの憩いの場になっている。


「厭きないですね、勝姫も」


「別に散歩はうち一人でいいんどすえ? そないなこと言わはるんでしたら、来なはんな」


 プイ。そう言って足を速めて先に行ってしまった。


「あ、待って下さい」


 僕は勝姫の後ろを歩きながら、梅雨の晴れ間を楽しんでいた。

 新宿御苑の散歩道は舗装されていて、ゴミ一つ落ちていない。実に綺麗なものだ。いや、誰かがトマトを落としたのだろうか。つぶれたトマトが一つだけ落ちていた。あれも少ししたら片付けられるだろう。

 後姿を見て勝姫のことを考える。

 吸血鬼と言えば太陽や大蒜(にんにく)、信仰心のある十字架が弱点で有名だが、勝姫は全然平気だ。流石に胸を木の杭で打ちぬかれたら死ぬだろうし、銀の銃弾で撃たれたら怪我をするだろうけど、それは吸血鬼じゃない普通の人間と同じことだ。

 勝姫の父親はキリスト教の敬虔な信者として有名な人だ。随分前に殺されてしまったけど。

 そんなこともあってか、勝姫は西洋の吸血鬼とは異なる性質を持つ。太陽の下の散歩は大好きだし、大蒜たっぷりの餃子も食べるし、信仰心のある十字架に至っ ては勝姫が身に着けているほどだ。でも、血を吸う所は西洋の吸血鬼と一緒だし、肉を食らうから「鬼」であることに変わりは無い。

 僕は眷属けん ぞくになってから時々勝姫を自分のものにしたいと考えるようになった。眷属になる前は正直係わり合いになりたくなかった。確かに見た目は美しい少女だ が、やはり人間とは違う。人間が狼に恋することがないように、吸血鬼にも恋することはなかったのだと思う。しかし、僕は勝姫と同じ世界に存在するようにな り、恋をした。それも人間だったときとは異なる、いや、人間だったときよりも激しい感情。力を得たが故の劣情。勝姫を僕のものにするという征服欲。そう 言ったものが新たに湧き出てきていたのだ。

 とは言っても勝姫に逆らうことはできない。僕に出来ることと言えば、感情の狭間で揺れるだけ。

 僕が考えにふける間にも勝姫はいつものお散歩コースを辿る。勝姫の後を僕はついていく。ゆったりとした仕草で歩く勝姫は非常に絵になる。濃い緑の中に着物の淡い緑が調和する。時折当たる木漏れ日が淡い緑を白く輝かせ木綿の柔らかな質感を伝えてきた。

 そういえば勝姫は何も言わないけれど、僕との生活をどう思っているのだろうか。必要だから仕方なく一緒にいるのか、それとも僕に興味を持っているから、好意を寄せてくれるから一緒にいるのか。僕としては一緒に居てくれればどちらでもいいと思うけれど、本当のところはどちらなんだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると、前を歩いていた勝姫が立ち止まった。


「どうかしましたか?」


 見れば勝姫は森の奥に視線を向けていた。目を細め、見えない何かを見ようとしている。僕も視線をそちらに向けるが何も見えない。木々が生い茂るだけだ。


「おハナ、大丈夫どすえ?」


 周りを見ても花なんか咲いていない。足元を確認するが踏み潰してもいないようだった。


「花なんて咲いてないみたいだけど」


「違うてはります。そのハナやありまへん」


 勝姫は自分の鼻を指差した。あ、そういうことか。

 僕は鼻をくんくんさせるが、何も臭わない。強いて言えば排気ガスが僅かに臭う程度だ。


(ひど)(ひど)う臭うてはります。うちの好かん臭いが」


 言い終わらないうちに森の奥へ進んでいく。僕は勝姫の後を急いで追った。勝姫は着物だと言うのにまるで滑る様に移動する。見た目ではゆっくりと歩いているように見えるが、小走りでやっと同じスピードだ。

 奥に進むと都会の森の中とは思えないぐらい当たりが鬱蒼(うっそう)としてきた。なぜか上からの光も地面に降り注いでいない。さっきまで雲ひとつ無い快晴だったというのに曇ってしまったのだろうか。

 しばらく木を避けながら走ると勝姫が止まっていた。

 僕は急いで近寄る。勝姫の前には赤い塊があった。赤くブヨブヨした塊。あれが臭いの原因なのか。

 勝姫は袖で鼻と口を覆う。よっぽど臭いがきついらしい。


唐柿(からがき)やありまへんか。なんでこないなところに……」


「唐柿?」


「今風ならトマトさんと言わはります。まっこと、けったいな食べ物どす」


 なんだか分からなかった物体も勝姫の言葉を聴いて分かった。あれは「トマト」なのだと。しかもおびただしい数の。水分をなくして張りがなくなっていた。腐っているようにも見える。

 しかし、それにしては腐ったような臭いはしない。どちらかと言えば鉄の臭いが辺りに立ち込めていた。親しみのある臭いのようにも思えるが、トマトからそんな臭いがするはずもない。

 ビシュ。トマトの一つが破裂した音がした。それを皮切りに次々とトマトが何かを撒き散らす。


「確かになんでトマトがこんなところに」


 本当に異様な光景だった。砂山のように盛り上がったトマトはあちらこちらで破裂しているため、(うごめ)いている様にも見える。トマトが動くはずは無いのにおかしな話だ。


「ほんに嫌やわぁ。天皇さんのお庭だというのにこないに汚しはって。あんさん、放下(ほか)しといておくれやす」


 うわ。山盛りの腐ったトマトを片付けるなんて僕の仕事じゃないだろうに。でも、妙な責任感のある僕は見てしまった以上、このトマトをどうにか片付けなければならない。

 どうやってトマトを片付けようか考えようとしたが、僕にある疑問が沸く。そもそもどうしてこんなところに大量のトマトが持ち込まれているのだろうか。それに見た目はトマトかもしれないが、臭いは違う。この臭いは間違いなく血の臭いだ。


「これって、もしかして、もしかする?」


 僕は恐る恐る聞いてみた。勝姫は眉を(しか)めたまま、目を伏せるように頷いた。


「人を食うてはります」


「でも、なんだってトマトが人を襲っているんだ?」


 本当に謎だった。勝姫と会ってから毎日謎な事だらけだったが、なんとか納得できた。しかし、トマトが人を襲うなんて悪い冗談にしかならないようなことが現実に起きるとは思っても見なかった。


「こんトマトは『桃太郎』さん、言わはる種類。研究用に植物園で育てられていたもんやと思います。それがこん街の悪い気に当てられて血ぃを吸うようになりはったんかもしれへんなぁ」


 暢気な口調で状況分析をして僕に伝えてくる。


「そういうのは早く言ってください。普通に片付けようとしてたら食われていたってことじゃないですか!」


 勝姫はポンと手を叩くと僕のほうを見た。


「それもそうや。堪忍なぁ」


 いや、絶対に許さない。わざとだ。僕が睨むと勝姫は案の定、目をそらした。

 勝姫への追及は後にするとしても、目の前の仏様と悪い桃太郎をどうにかしなければならない。仏様をこのままにしておいたら罰が当たる。

 ベトベトにつぶれていくトマトは最早一つも原型を留めていなかった。今は人間の形が見えてくるほどになっている。ほとんどのトマト果汁は地面に染み込んでしまったのだろう。

 あ、そう言えばトマトはどうやって人間を食べていたんだろうか。トマト果汁で溶かしていたのか、それとも牙でも生えていて人間を食べていたのだろうか。今となってはトマトなのか血なのか判別すらできない状況だ。

 僕がそんなことを考えながら躊躇していると、トマト果汁にまみれた死体が動いたような雰囲気があった。もうトマトが爆発しているわけではないし、あれだけの流血量から見たら生きている可能性なんて皆無だ。そのはずだ。……いや、そのはずだった。

 たった今、僕の考えは否定された。赤い汁にまみれた死体が起き上がってきたのだ。

 立ち上がるたびにポタリと落ちる汁。でも、決して汁は途切れることが無い。汁の下から人間の姿らしいものは出てこない。


「桃太郎さん、一丁上がりどすな。ほな、五郎はん」


 勝姫はにっこりと笑う。


「やっておしまいなさい!」


 ビシっとトマト製桃太郎を指差すのはいいが、僕は突撃する気は起きなかった。

 見た目は赤いペンキを大量に掛けられた人間だ。しかし、ペンキよりも色がくすんでいて、ところどころがボコボコ泡を吹いている。どう見ても腐ってるし、汚い。あれを引っかいたり、噛み付いたりするのはごめんだった。

 僕が躊躇っていると桃太郎が動いた。僕は構えて勝姫の前に出る。これでも一応眷属ではあるから主人を守る義務感みたいなものがある。

 僕の方に走ってくる桃太郎はいきなり跳躍した。上から攻撃するつもりなのか。

 顔を上げ桃太郎を目で追うが、上から攻撃をしかけるにはちょっと行き過ぎている。後ろに回りこむつもりなのか。僕はそれに気がつくと勝姫と入れ替わるように身を返した。

 しかし、僕の想像とは反対に着地した桃太郎はこちらには目もくれずまっすぐ遠ざかっていく。もしかしたら、勝姫のオーラみたいなものを感じて逃げたのかもしれない。


「あれは人に害を及ぼすもんどす。追っかけて()わしましょ」


 勝姫の声と同時に僕も動いていた。

 

 森を抜けて芝生のあるエリアまで戻ると、そこはパニックになっていた。あのトマト製桃太郎が人々を襲っている。いつの間にか増えて三体はいるようだ。色々なところに散らばっているところを見ると、僕たちが追いかけていた桃太郎以外にも居たみたいだった。

 桃太郎に襲われたと見られる人から赤いトマトが湧き出ていた。先ほど見た光景が思い出される。全身をトマトで覆いつくされた人間の姿。桃太郎に襲われると、襲われた人も感染して新しい桃太郎になるという仕組みなのだろうか。


「これはまずいですね。汚いとか言っている暇はないみたいです。勝姫、あの鬼の弱点って分かりますか?」


 僕はいつものように勝姫に敵のデータを聞く。その間にカラーコンタクトを外し、隠していた赤い目を露出させた。服の下に隠しつけていた手甲から両刃の剣を引き出す。戦闘準備完了だ。


「まず、桃太郎はんだけあって、あのドロドロした奴は非常に強力な神さんの力に溢れとります。直接触れてはなりまへん。あと、中々しぶといお体のようどす。足を切って動きを封じなはれ。うちが最後にどんど焼きにしはります」


 勝姫は赤い目で敵の本質を見抜く。自分で戦う能力を持っていないから、僕みたいな眷属が戦うのだ。そして、眷属にはそれだけの力がある。


「了解。行って来ます」


 一番近い桃太郎に狙いをつける。その桃太郎は必死で逃げようとして転んでしまった女の子を襲おうとしていた。僕は足の筋力を一時的に増加させる。日頃の運動不足からいつも筋力を強化しておくと歩けないほどに破壊されることがあるからだ。

 桃太郎が女の子に襲いかかろうと手を伸ばした。

 僕は咄嗟にその手を掴んだ。


「ぐあぁあ!」


 焼け付くような痛み。「何してはりますの!」後ろで勝姫の叱咤の声が聞こえる。咄嗟のこととは言え忘れていた。こんな身なりでもこいつは聖なる存在なのだ。僕ら鬼と相対するもの。信じられない話だが、こうやって身を焼かれるとよく分かる。

 僕は焼け付く手を放さず、女の子のほうを見た。女の子は少し放心しているようで、桃太郎から目を離せずにいる。


「逃げて。はやく!」


 僕が叫ぶと女の子は我に返り、立ち上がって逃げていく。

 十分に離れたことを確認すると僕は手を離した。掌を確認すると痛み以上にすごいことになっていた。皮膚はもちろんのこと、肉まで溶けて骨が白く見えていた。これはひどい。


「やったな!」


 逆恨みもいいところだが、僕は両手の手甲につけられた刀を確認する。手甲に仕込まれているものだから、あまり長くはない。相手の間合いに入り、掴まらないように足を切断しなければならない。

 幸い桃太郎の動きは直線的なようだから、隙をつけば片足ぐらい切断できそうではあるが、油断は禁物だ。何せ相手は硫酸のお化けのようなものだから切断するときも慎重に慎重を重ねなければ色々なところが溶けかねない。

 僕は痛みが続く溶けた手を確認する。ゆっくりと白い煙が上がって再生が始まっているようだが、流石に祝福された赤い液体の影響で再生速度が鈍い。

 桃太郎は僕に向き直る。真っ赤な液体で覆われた顔の真ん中に黒い穴が開いた。あれが口なのだろうか、方向の定まらない牙が蠢いている。


『鬼め……邪魔立てするか』


 頭に響くような声。これは音ではない。しゃべっているのも目の前の桃太郎ではないのだろう。


「これはこれは彦五十狭芹彦命ひこいさせりひこのみこと。お久しゅう。あんじょう、お(かた)さんのお力やったんか。明け透けやなぁ。ほんに野暮なお人やわ」


 勝姫がいつの間にか僕の後ろに立っていた。眉がよっているところを見ると、結構怒っているらしい。


『懐かしい臭いだ……。微かな吉備の臭い。まだ血が残っていたか』


 なにやら因縁を感じさせる言葉。彦五十狭芹彦命と言う皇子は桃太郎のモデルになった人物と言われている人だ。桃太郎の物語が大和朝廷と吉備国の戦争を伝えたものだとも言われている。だとすると勝姫は吉備国の子孫なのかもしれない。


「そないなことは、どうでもよろしゅうおすえ。お方さん、狂われなはったか。天皇さんのお庭でこないなこと、許されることやおまへん」


 ピシリと言い放つ言葉。トマトの桃太郎はそれだけで固まったかのように見えた。もっとも鬼に注意されるとはご先祖さんも思っていないだろうから、驚いただけかもしれないが。


『ほお……。飼われて主になついたか。良いことだ。……だが、その赤い目は節穴か。ここに住み着く鬼どもが見えぬとは』


 皇子の言葉は新宿の空に染みる。皇子の言う鬼が何か僕も勝姫も分かっていた。この半年間、それと戦ってきたのだから。

 この街は「気枯れ」している。いわゆる「穢れ」と同じ意味だ。


「気ぃ無うなっているだけどす。お方さんの様に気ぃ()うなったら放下すことばかりやしたら、国の形になりまへん。わずかばかり、お知恵が足り取らんと違はりませんやろか」


 相手を持ち上げている言葉遣いではあるが、言っていることは馬鹿にしているとしか思えないような言葉だ。相当頭に来ているらしい。こめかみが震える。ヒクリと。桃太郎もそんな感じに見える。


『鬼が言うてくれる。お前に神気が分かるとも思えぬがな。……まぁよい』


 話をしている間に周囲には人がいなくなり、いつの間にか三十人ほどの桃太郎に囲まれていた。目の前の桃太郎も口を閉じてしまい、後ろに下がるとどれが皇子かわからなくなった。もっとも皇子は実体化しているわけではないのだろうけど。

 とにかくピンチに陥ったことは確かだった。

 突破しようにも相手は触れたら溶けてしまう聖なるトマト。僕と勝姫のどちらかが犠牲になったとしても突破出来そうになかった。


「もうおしゃべりタイムは終わりですね」


 さて。


「僕が道を切り開きますから、後についてきてください!」


 そういうと手を交差させてトマト人間に突っ込む。トマト人間はゆっくりと僕に掴みかかろうとするが、対峙した瞬間に両腕を斜めに振り払う。四つ切。続けて 振り下ろした反動を利用し、前方宙返り。後ろから迫ってくるトマトに踵落しでぶっ潰す。トマトの腐汁が飛び散り、僕の肌を焼く。

 伏せるように着地すると回し蹴りをして左右のトマト人間を転倒させ、倒れてくる頭を目掛けて手甲の刀を突き刺した。

 すぐに引き抜くと両腕を伸ばし、回転しながら正面に現れたトマト人間に二連撃を食らわせる。これで五体。一瞬ではあるが脱出口が開ける。


「勝姫!」


 僕が叫ぶと勝姫は僕の背中と肩を踏み台に空へ飛び上がる。華奢な身は脱出口を通り、軽やかに赤い輪の外へ着地した。僕はそれを見届けると再び閉じた輪に目を向ける。

 五体を倒しただけではあるが、赤い輪は何やら怒りに満ちているように見える。先ほどのように簡単に倒すことができないかもしれない。

 赤い頭の隙間からチラリと勝姫の姿が見えた。こちらを見ている勝姫の目は冷たい。僕が突破できなければ見捨てる気なのだろう。彼女にとって僕は換えのきく 食べ物兼護衛に過ぎない。溶けても彼女を守りたいと思った僕の感情は彼女には伝わらない。伝えたところでどうにかなるとも思えないが。

 赤泥に塗れた腕が僕に伸ばされる。まずは刀を封じるためか腕が押さえられた。強い力がいくつも加わる。服を通じて染み込んで来た腐汁が皮膚を溶かす。

 もう駄目かもしれない。このまま僕も赤く溶けて混ざってしまうのか。暗い考えに囚われていく。


「悟郎はん!」


 叱咤するような声。勝姫の叫びが僕を覚醒させた。目が覚める。

 勝姫を守っただけでは満足できない。ドクンと。僕の心臓が鳴る。

 何のために守るのか。何のために戦うのか。僕の奥底にある本能が叫ぶ。


「うおぉぉぉ!」


 言葉にならない叫びを上げて、服が、肉が引き千切られるのを構わず腕を振り払う。音を立てて筋繊維が千切られるのが分かった。

 ブラリと力の入らぬ両手を見る。幸いにも手甲から伸びた刀は外れていない。

 僕は体を回転させると両腕を鞭のようにしてトマト人間に叩き付けた。重さで勢いを増した刀が頭を叩き割る。脳を潰されたトマト人間は芝生に転がった。

 僕はこのやり方に手ごたえを感じると体を回転させながら、赤い輪に突っ込む。大きく伸びた刀は赤い腕を切り刻む。時々飛び散る赤い汁が僕の顔を溶かしていく。

 さらに回転を加え、次の獲物に右腕の刀が当たる。首筋に刀が食い込むと肘からブチリと僕の腕が二つに分かれる。溶けた筋繊維が激しい動きについていけなくなったらしい。左腕も見ればユラユラと力なくゆれていた。

 僕は足を確認する。両方の足はジーンズこそ赤く濡れてはいたが筋力は問題ないようだ。包囲網は一点を狙っていたお陰もあって大分崩れてきている。痛みで朦 朧とするため、痛覚を感じないように体内麻薬も限界まで放出していた。あと数分で脳が使い物にならなくなるかもしれない。

 顔を上げると若草色の着物が見える。こちらをまっすぐに見据えていた。僕は最後だと言わんばかりに足に力を入れると、赤い壁の中を突き抜けるように走った。

 途中、髪の毛がひっぱられ、頬がひっかかれ、わき腹が抉られたが、勝姫の赤い目に引かれるように通り抜ける。

 気がつけば赤い輪の包囲網を突破していた。


「よお、きばりやした。あとはうちに任せておくれやす」


 勝姫は僕の前に一歩踏み出すと右手をトマトの泥山に向けた。

 一言。

 何かを呟いたかと思うと、勝姫の手から炎が飛びだす。龍を思わせるかのような炎は生き物のように赤い泥山を絞り上げた。炭化した臭いが辺りに広がる。

 何分も炎は焼いていただろうか。

 勝姫が炎をしまった時には赤い泥はどこにもなく、ただ黒い焦げ跡だけが残されていた。凄まじい怒りの痕跡が感じられた。


「ほな、帰りまひょか」


 僕は勝姫の笑顔を見た瞬間、安堵感が広がった。


「えぇ、帰りま……」


 役目を終えたことを知った僕は最後まで言えずに気を失ってしまった。


◆ ◆ ◆


 頭が撫でられる感触が僕に伝わる。やわらかで小さな手は心地よかった。

 目を開けると勝姫の顔が近くにある。見えた視界から考えると僕はリビングのソファーに寝かされ、膝枕をしてもらっているらしい。ふと思い出したように右手を動かす。動いた感触があった。

 ゆっくりと持ち上げて顔の前に右手を翳すと、溶けてなくなっていたはず右腕は元通りになっていた。どういうわけか服まで修復されている。


「どうかしなはったか?」


 勝姫が不思議そうな顔で覗き込んだ。僕は右手を握ったり開いたりして問題ないことを確かめるとゆっくりと勝姫の膝枕から起き上がった。

 そして勝姫の方へ体を向ける。


「桃太郎は?」


 僕の記憶では桃太郎は勝姫が炭にしたはず。だが、僕の腕や服にはそもそも桃太郎と戦った形跡がない。一体あれからどうなったのだろうか。


「桃太郎? あぁ、桃太郎侍なら今からどすえ」


 勝姫が指差すテレビを見ると確かに時代劇が放映されるところだった。いや、そうではなくて。


「テレビではなく、あの赤いドロドロに溶けたトマトの妖怪で、彦五十狭芹彦命が操っていた奴です」


 綺麗な眉が山になる。本当に知らないと言った表情を返された。


「悪い夢でも見はったんやなぁ。ほんに硬い枕で堪忍や」


 白を切っているかどうかわからない。勝姫の細められた目の奥は僕では読み取ることが出来なかった。ただ「赤い」ことしか分からない。


「ふわぁ」


 勝姫が口元に手を当てて欠伸をした。


「……今度はあんさんが枕になっておくれやす」


 そういうと僕の膝に頭をのせる。まだ承諾の意を表したわけではないが、拒否しようとも思っていないのだから、そのまま受け入れた。

 すぐに眠りについた勝姫から視線を外し、窓の外を見ると赤い月が上っていた。すでに夜になっている。僕はどこから夢を見ていたんだろうか。勝姫の赤い目を見たときからか。それとも森の中に踏み込んだときか。

 それにしても夢にしてはリアル過ぎた。今でも肉の千切れる嫌な感触が残っている。……ような気がする。

 でも、肉体は再生しても服までは再生できないだろうから、やっぱり夢だったのかと思う。

 夜空から勝姫に視線を戻すと、淡い緑色の着物に赤い飛沫みたいな模様が見える。


「あれ? この着物ってこんな模様だったかな」


 疑問に思うも着物の模様なんて僕は詳しくないし、近くで見たわけじゃなかったから自分の記憶に自信が持てなかった。

 まぁ、いいか。きっと夢だったに違いない。もう一度眠ればいい夢を見れるかもしれない。

 あぁ、そう言えば勝姫に血をあげなきゃ。

 でも、もう眠い。おやすみ。勝姫。

 僕と勝姫は折り重なって眠った。




 

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