人工知能『ステラ』
≪――MAAステラ、起動。音声認識、正常≫
≪北条颯我の脳波をスキャンします。異常ありません。起動に成功しました≫
ゆっくりと目が開いていく。
まず感じたのは、心地よく頬を撫でる風と、緑あふれる自然の香りだった。
目がはっきりと見えるようになり、視界に青い空が無限に広がっているのが分かった。
確かオレは研究所の中で実験体になっていたはず。
けれど、今は青空の下。
それも草原の中心に寝転んでいるようだ。
後ろにはうっそうとした森がある。不気味だ。
≪おはようございます≫
声がした。脳内から直接語りかけられているような感覚だ。
大人の女性っぽい、それでいて感情が見えない、機械的な声をしている。
「君は……ステラ。ステラか」
≪その通りです。鋭い洞察力ですね≫
思い出す。
人工知能ステラ。
日本が開発した伝達方式を採用したヒト補助型の人工知能のこと……らしい。
簡単に言えばAIだ。
それが今回、人間の脳に直接リンクさせる実験が行われた。
そしてオレはその実験体だったわけだ。
両親がその仕事に関わっていることから、最初の試験体となった。
「実験は成功だったんだな……よかった」
安心して涙腺が緩む。
いや――
でも、だとしたらここにいるのはおかしい。
手術台の上かベッドにいなければならないはずだ。
「ここはどこだ?」
≪分析します≫
ステラはオレの見ている世界を認識している(脳波を読み取っているらしい)。
どうやら本当に人工知能としての役割は果たしているようだ。
ステラは少しの沈黙の後、話し始める。
≪周辺にはカタバミやスギナの草が生えています。未確認の植物をいくつか発見しました。……分析の結果、現在の場所は不明です≫
「不明?」
そんなことがありえるのか?
仮に海外の知らない場所に飛ばされたとして、それを把握できない人工知能ではないはずだ。
ステラの知能というべきか、技術はそれほど高いと聞いていた。
「少し歩いてみよう。そしたら少しは分かるかもしれないだろ」
≪かしこまりました≫
立ち上がり、見渡す限りの草原を歩く。
確かにこんな世界は、少なくとも日本では見たことがなかった。
しかし妙な既視感を覚える。
その正体は草原にいた獣によって証明された。
二足歩行でありながら、頭から角を生やし、赤い肌に黒い毛を纏っている獣。涎を垂らし、周囲を探っている。
オレは即座にかがみ、坂を利用して覗き込むように化け物を視認した。
見たことのない――それは誤解のある表現だ。
現実では見たことがない……いわゆるモンスターの類が草原をうろついている。
モンスター。あるいは魔物。そう。あれは魔物だ。
「な、なんだよ……あれ」
≪分析します。……不明です。未知の生物です≫
「だろうな……」
頷くしかなかった。
あんな化け物、本当に存在するのか? 当然のように草原を歩いている……とてもではないが、現実とは思えない。
≪把握しました≫
「ん?」
≪颯我と私は異世界へ飛ばされた確率が60%。過去の世界の可能性が35%。未知の大陸である可能性が4%です≫
「……残りの1%は?」
≪夢の世界であるなど、可能性の低い確率です。しかし、人工知能である私が颯我の夢に潜り込むことはありうべかざることです。可能性から除外して問題ありません≫
「異世界……って」
≪このような場所は日本どころか世界中にもありません。つまり、物語やゲームで確認できるような異世界であることが予測できます≫
確かに……あれは現実の生き物というよりは魔物と表現した方がぴったりのように思えた。
どうやら本当に異世界へ来てしまったらしい……。
≪颯我。私が颯我の脳内に入り込み、なんの問題もないことを島田博士に報告しなくてはなりません。それが私に与えられた最初の命令です≫
「どうやって?」
≪元の世界に戻るための方法を探す。これが最優先事項です。この世界が滅びることになろうとも≫
「極端な話だな」
それほどステラにとって、元の世界に戻ることが大切なのだろう。
でも、それはオレも同じだ。
「戻りたいのはオレも同じだ。高性能AIなんだろ? 頼りにしてるぜ、ステラ」
≪かしこまりました。合理的手段を検索しています≫
検索、ねえ。出てくるといいけど。
発想が機械じみてるなあ。
手持ち無沙汰になり、なんとなく森の方が気になり、茂みへ近付く。
すると、茂みから少女が飛び出してきて、ぶつかってしまった。
「きゃっ!」
ボロボロの布の服を着た少女は倒れると、すぐに起き上がった。
金色の髪と透明感のある白い肌、そして耳が尖っている。
耳が……? エルフの特徴じゃないか。
「こっちで声がしたぞ!」
野太い男の声が聞こえて、少女が体を震わせた。
「ご、ごめんなさい」
と、頭を下げる。そして草原の方へ逃げるように走り出した。
「……なんなんだ」
≪茂みへ隠れることをおススメします≫
ステラの声が聞こえて、慌てて森の茂みに隠れた。
森の方から鎧を着た男3人が姿を見せて、草原に飛び出した。
そして、少女の姿を確認すると「いたぞ!」と叫ぶ。
鎧を着た男の1人が手を前に突き出し、「スタン!」と言った。
すると、手から電撃のような白い光が歪に曲がりながら少女に向かっていった。
それは少女の首にぶつかると弾けて消える。
少女は力なく倒れた。
魔法? まさか。
「よしよし、大人しくしやがれ」
鎧の男たちがにやにやとした表情で近付いていく。
理解が追い付いていないが、とにかく少女がピンチなことはわかる。
動き出そうとすると、ステラの声が聞こえた。
≪姿を見せることはおすすめできません≫
「……は?」
≪この状況はかなりの面倒事であることが予想できます。関われば、颯我が無事では済まない確率が80%ほど≫
あくまで事務的に、無感情な声色でステラは話す。
「……黙って見逃がせと?」
≪お言葉ですが――彼女を助けることは本来の目的ではありません≫
高性能な人工知能による、妥当な判断なのだろう。
ここで見ず知らずの少女を助けてもなんのメリットにもならない可能性は高い。
彼女を見捨てて、どこか街を探してそこで情報収集する方がよっぽど有意義だ。
加えて、彼女がどういう理由で追われているのかわからない。
なにも知らない。
でも……。
「手間取らせやがって!」
男の容赦のない蹴りが一発入る。
「ぐうぅ……」
少女はゆっくりと顔だけを上げる。
こちらを見てきた。
眉を下げ、痛みに顔を歪ませ――まるで助けを求めているかのような……。
「待てっ!!」
気付けば茂みから飛び出していた。
男たちが一斉に怪訝な表情で振り返る。
鋭い視線。
……なにしてんだよ、オレ。
「なんだ、てめえ……」
「こ、子供を蹴るのはよくない……だろ……」
我ながら情けない声だった。
手足も震えているのが分かる。柄にもなくこんなことをするからだ。
≪危険です。逃げてください≫
「うるさい!!」
僕は叫んだ。
一瞬、静寂に包まれる。
男たちの目が点になる。
ステラの声は男たちには聞こえていない。
男の1人がオレの奇行に笑みをこぼした。
≪申し訳ありません≫とステラが言ったが、その返事はしなかった。
「その子をはなせ!」
代わりにめいっぱいの勇気を使ってすごんだ。
「珍しい恰好してんなあ……」
男がまじまじと俺を見て言った。
「こいつも連れていきゃいいんじゃねえのか?」
3人の男は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
嫌な予感がした。動き出そうとしたが、足がうまく動かない。
「スタン!」
「……っ!」
白い閃光が、視界いっぱいに広がった。
強い衝撃がオレの頭を襲う。
≪緊急停止信号を受信……失神します≫
ステラのたんたんとした声が脳内で鳴り響いた。