1.魔女の襲撃
眠り、というのは不思議なものだ。
混濁する意識の中で、朧げに聞こえる人の声。それは決して心地良いものでなくても。ルーナはとても好きなのだ。
「さま……ょう、さま……きてください……お嬢様、起きてください。お嬢様!」
ルーナの専属侍女、シャリーナ・エルディエスはルーナ・エメラルフ侯爵令嬢を起こす。
淡いレースのカーテンを乱雑に開け、ぱしゃんっ、と開ける音と外の光が差し込みルーナは「ん……」と目を開ける。
「おはよう………。シャナ……」
「はい。おはようございますお嬢様。お誕生日おめでとうございます」
「あー、そうだったわ。今日はわたしの誕生日……。ふあーぁ。ありがとう」
欠伸をしつつルーナは微笑みお礼を言う。
「お嬢様。わたし、ではなく、わたくし、ですよ。侯爵令嬢であれば少しの言葉遣いでもですね……」
「朝から行儀レッスンはいらない〜」
「そこです! そこは、いりませんわ、が正解ですわ」
「ふぁーい」
シャリーナはそこも……、と付け足そうとしたものの、ルーナはとても眠くて目を閉じてしまう。
「お嬢様。二度寝してないで起きてください」
「んー。起きてる起きてる」
「起きてると言うのは目を開けているということを言うんですよ?」
「……………………………………………」
「二度寝しないでくださいってば!!」
頑張って起きようとしているが目が拒否して開かない。
「お嬢様。それ以上起きなければ、このシャナにも考えがあります」
「…………んー」
「旦那様を呼んで参ります」
流石のルーナもシャリーナの作戦に背筋を伸ばし、「っ!!!はいぃっ!起きました起きましたぁ! お父様だけは呼ばないでぇ!」と急に張り切る。
そんなルーナをシャナは「でしたらお早くなさってくださいな」と優しく笑って受け止めた。
「っていうか、やっぱりシャナって大人っぽいよね」
ルーナがふと、そう言った時「なぜですか?」とシャリーナは理由を聞いてみる。
「だって私より二歳しか年上じゃないのまるで十歳くらい差があるみたい」
「わたくしが年老いて見えると?」
「そ、そうじゃなくてぇ。褒め言葉、褒め言葉だから!」
「そう言う事ならありがとうございます。あと、今日は午後からパーティーですのでご昼食を食べ終わったら部屋にお戻り下さい」
ルーナがベッドから降り、「はぁい」と返事をする。シャナはぐしゃぐしゃになった布団を整え、その間にルーナは身支度を済ませる。数人の侍女たちがコルセットを締め、「うぐぁぁぁあ!」と悲鳴が聞こえるが、シャリーナは毎度の如く空気になった。
ドレスを着込む、という地獄を終え、ルーナは部屋から出て、食堂へ向かう。
「おはようございます、お父様、カペラさん」
食堂はもうきっちりと準備が整っておりルーナは席につき、父、ウィリアム・エメラルフとウィリアムの元で行儀見習いとして来た、カペラ・リード子爵令嬢に挨拶をする。
「ああ。おはようルーナ。誕生日、おめでとう」
「おはようございますルーナ様。十五歳のお誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう、お父様。カペラ」
そう会話を交わす。
その後、カペラは厨房に消え、ウィリアムとルーナは黙々と食べ続ける。
ルーナは昨日、お忍びで平民街に出た時のあの感動を思い返し、何とか精神を保つ。が、
「…………」
「…………」
無言。
あまりウィリアムと会話を交わしていないルーナはいつも食事の時で困る。
侯爵は公爵を除いてこの国で最上位の貴族の為、領地も大きく、この王都の邸宅と領地の別荘を行き来するのがウィリアムの日常だ。
エメラルフ侯爵領は鉱物が盛んで、ルビーやサファイアなどが掘り出され、商売としている。他国との貿易を任されることもあり、エメラルフ侯爵は今や、国家の中枢に位置している。
時に、ウィリアムとカペラは沈黙に耐えられる方だ。その為、会話が続かないのが普通。だが、ルーナは沈黙が続くと何か話さないといけないと思ってしまうのだ。
「え、えっとぉ」
が、話すことがないルーナは少し冷や汗をかく。
そばにいるシャリーナは、「朝食をさっさっと済ませればいいのに」と不思議そうに思う。
〈ううっ、シャナ、助けてぇ〉
〈助けたいのは山々なのですが、わたくしもウィリアム様とあまり面会していないので話題が見つかりません〉
〈酷い!どうせ面倒くさいからやらないんでしょお!〉
〈はい〉
〈いや、そこは隠そうよ。わた……ご、ごほんっ!わたくしは貴女の主人よ?〉
〈わたくしの主人はウィリアム様です〉
〈思わぬ裏切りなんだけどっ?〉
ルーナとシャリーナは心の中で会話する。
どうやらシャリーナは面倒くさいがゆえにルーナを見て見ぬふりするらしい。
ルーナは話題を探しているうちにもう全て食べ終わっていて、自分でもびっくりする。
ルーナは「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
ルーナとシャリーナは食堂から出て、部屋のドアを開ける。
するとシャリーナが、
「お嬢様、今日のパーティのケーキの味は苺にいたしますか?それともチョコレートにいたしますか?」
とルーナに聞いた。
「うーん。そうね。苺!苺がいい」
「かしこまりました」
シャリーナは頭を下げ「では、失礼します」と言って部屋から出て行こうとしたが、「ちょっっと待ったあ!」とルーナに引き戻された。
「何ですか、お嬢様」
「さっきなぜ助けてくれなかったの!」
「え?」
「あんなに助けてって言ったのにぃ」
「一回しか言っておりませんが?」
「…………くっ、そうだった。それにしても面倒くさいからって……酷いわあ!」
「すみません。でも、そんなに沈黙が耐えきれないのなら素早く朝食を済ませれば良いのでは?」
「あぁー。それもそうね」
「では、失礼します」
シャリーナはうまくルーナの連発攻撃を阻止して部屋から出た。
(え、何か丸め込まれた気がするんですけど……)
ルーナは不思議な感覚を胸中に残した。
***
邸宅の屋根の上には二人の女がいた。
一人は銀髪の女。もう一人は灰桃髪の女。
晴天の中に僅かに溶け込む雲を眺め、銀髪の女は灰桃髪の女に言った。
「いいか?パーティの時、アタシは外を引き止める。お前は中の全員の魂を持ってこい。特に元戦士と言われるウィリアムとそのそばにいる赤髪のカペラ、戦士のレオンの魂は必ず持ち帰れ」
余興、と言わんばかりの楽しげな声だが、その声は小さく、中の者に気づかれる心配は皆無。
銀髪の女は緑の瞳をぎらりと光らせ、灰桃髪の女に答えを促した。
「はい。ボス」
必ず、遂行しろ。銀髪の女と灰桃髪の女は不審な笑みを見せ、パーティが始まるのを待っていたのであった。
***
「ん〜〜。どのお菓子も美味しいー」
ルーナは幸せそうな笑顔を見せて目の前にあるお菓子をばくばくとほうむる。
そこへ、ルーナの婚約者のレオン・エトワール公爵令息がやってきて「沢山食べますね。後でお腹が痛くなってしまいますよ?」と苦笑いした。
「大丈夫ですよ。私の胃袋は大きいですから!どうです?レオン様も食べましょうよ」
ドヤ顔でルーナはレオンに言う。
いや、普通に考えて、爵位が上の公爵家嫡男に物怖じしないのは考えられない。ましてや、食事を誘うなど、とレオンは若干非常識な婚約者に目を細めた。
「俺は結構です。たとえ胃袋が大きいといえ、後でケーキもあるのに大丈夫ですか?」
「はい。もう、スイーツを食べていると幸せで。天国に居るみたいで――」
「貴方はほんとに………」
レオンは小さくため息をつく。
面倒くさいというため息ではなく、愛らしさを抑えきれず出たため息だった。
その時、ヴァイオリンの音が鳴り、チェロも綺麗な旋律を奏でる。ピアノがメロディーを軽やかに演奏し、重低音をチェロが、透き通る音色をヴァイオリンが出した。
「俺と一曲、踊っていただけますか?」
レオンは手を差し伸べルーナを踊りに誘う。
左手をその手に絡め、ルーナは微笑を向けた。
ルーナの返事は勿論「はい」だ。
優雅な音楽が流れ、ルーナとレオンは軽やかに踊り出す。
その素敵な踊りに周囲の人も見惚れてしまう。
社交界シーズンも半ば。社交界の薔薇と謳われる貴公子と、花の姫と囁かれる二人の踊りは、見る者全てを魅了していく。
「ルーナ、今日も綺麗だ」
「ありがとうございます。レオン様もいつもより一段と逞しく見えます」
くるり、と回ればこの日の為にと精を出してくれたマダム――デザイナーである――のドレスの裾が、優しく舞う。見事なステップで行われる踊り。それは、花の姫に薔薇の貴公子が舞い降りたも同然の美しさだった。
チェロの低い旋律が最後に響き、曲が終わる。二人とも名残惜しかったのだが手を離し、ルーナはカーテシーをした。
少しの間、二人で微笑み会っていると、バリンと何かが割れた音がした。
「誰だ!?」
窓が割れて灰桃髪の女が入ったのにいち早く気付いたのはレオンだった。
レオンはルーナを背後に収め刀を抜く。
「まあまあ。その刀を収め下さい。ワタシはただ、自分の役目を果たそうとしているだけなのです。だから、そんなに恐ろしい顔をしないで下さい。……………『駒切り』」
女が、殺意のこもった言葉を放った時、いきなり周囲の人たちが、魂が抜けたようにばたばたと倒れていく。
その中には死にゆくように倒れていくシャリーナの姿もあった。
「……………っシャナ!」
シャリーナのところに駆け寄ろうとするルーナをレオンは引き止め、レオンとウィリアム、カペラはルーナを守る体勢に入る。
「魔女……か」
「言うまでもないようですね。ワタシはパメラ・アマンテと言います。どうぞ、お見知り置きを」
「何故こんなところに」
「決まっているじゃないですか、ここにはとても美味しそうな魂が山ほどあるからですよ!他に何か貴方達を襲う目的でもあると思ったのですか?」
「外の兵士は何故来ない……」
「ああ、それは外の兵士はボスが相手をしていますから。もう我慢できません。早く、早く魂をぉ!『分裂』」
パメラが『分裂』と一言呟いた途端、女の身体が四つに分裂する。
四人のパメラはそれぞれに攻撃を始める。
「カペラ、レオン!一人ずつ頼む!わたしは二人相手する」
ウィリアムが大きな声でカペラとレオンに指示を出すと「承知しました」「はい!」と身構える。
「皆さん、そんなに警戒しないでくださいよぉ〜。ワタシはただ、皆さんの魂を奪いに気だけなのです。まあ、“食べるの?”って聞かれたら食べますよ」
「……………」
パメラがなんと言っても四人は無言だ。
「ほらほら。固まってないで。攻撃してこないんですか?じゃあこちらから行かせてもらいますね。『分捕り』」
紅い光の玉がどんどんパメラから発射される。
この光に当たると大変な事になるのはルーナも薄々気づいているようだ。
レオンはルーナを庇いながら刀でその光の玉を受け止める。
「『影縫い』」
レオンもそう口にしたが何も起こらなかった。
「ふふ。ふふふ。ふ、あはははぁ!!」
パメラはお腹を抱えてあざ笑う。
「通常魔法!?よっっっわ。伝説魔法ぐらいは持っておいた方が宜しいのでは?」
「っ!何故魔法が使えない」
「ご自分でお考えください。頭の冴えない戦士ですね。『分捕り』!」
また、紅い光の玉が連発してくる。
レオンはルーナを庇いながらどうすることもできず刀で受け止める。
「うーん。この分裂って魔法、イマイチですね。じゃあ、『空中浮遊』」
分裂された四人のパメラは一人になり、パメラが『空中浮遊』と言ったらまるで重力がなくなったかのように身体が浮く。
空中で自分の身体を制御するのは訓練をしないと難しいので、ルーナ達は色々な方向に飛ばされる。
どうやらパメラは重力を操れるようだ。
「くっ。空中での訓練をしておくんだった」
レオンが眉間に皺を寄せ、ウィリアムは舌打ちをする。
「あらぁ。貴方達、空中での訓練をしていなかったのですか?馬鹿ですね。阿呆ですね。まあ、ワタシにとっては好都合。……『分捕り』」
にやりと口角を上げるパメラは「うひ」と笑った。
「『分捕り』」
「『分捕り』」
「『分捕り』!!!!」
次第に声は大きくなり光の玉があちこちから飛んでくる。
だが、ルーナのところには飛んでこなかった。
先にウィリアム達に集中して倒す気のようだ。
ウィリアム達は光の玉を刀で受け止めようとするが、重力を操られているので刀が振れない。
光の玉がウィリアム達の身体に当たり、ウィリアム達は周囲の人のように倒れていく。
「お父様!レオン様!!カペラさん!」
ルーナはウィリアム達のところに駆け寄ろうとするが自身の身体を制御できない。
「さぁ、次は貴方の番ですよ。うふふ」
「っ…………………」
ルーナは「もう、ダメだ」と思い目を閉じる。
「『分ど――」
パメラがそう言いかけた途端、何者かが女の両腕を斬り取る。
「っ!?」
パメラは驚いている。
両腕が斬られたと同時に重力戻りルーナと周りの倒れている人たちは、ばたんと床に落ちる。
「おい、君。大丈夫か?」
パメラの両腕を切り落とした男はルーナの方へ振り返って言った。
ルーナは口を小さく開けて黙り込む。
混乱しているようだ。
「あぁーあ。ワタシの腕斬られてしまいましたぁ。痛い。痛いです!そしてすごく楽しいですぅ!!!!!」
パメラは両腕からぼたぼたと落ちる血を素早く止血し、目を細め不気味に笑うと、「さあ!さあ始めましょう!夢のような、天国のような戦いを!!!」と続けた。
「望むところだ。『落雷』」
男も負けず劣らずな不審な笑みを見せ、そう呟いた。
その時、真っ黒な雲がパメラの頭上に浮かび、雷が落ちた。
「あぁ、うぅっ、あぁぁあぁ」
パメラは白目を剥き、苦しそうに叫ぶ。
闇のように黒い雲が去り、真っ黒にやけたパメラは目を輝かせ、「うわぁ、凄いですね。極秘魔法が使えるなんて!どうしよう。負けちゃう!!!楽しいですねっ」と全く臆せず、満面の笑みを見せる。
「いつもならもっと戦っているところですが残念なことに、今回の任務は“パーティにいる人たちの魂を持ち帰り保管する”なのでここで負けて全ての魂を逃すわけにはいきません。撤退させていただきます」とパメラは「残念残念」と泣く素振りをみせる。
その言葉に男は「ふっ。逃げるのか?」と鼻で笑う。
「いいえ。撤退です」
「どちらでも良いが、誰が逃すと言ったか?君にはここで死んでもらう。……『落雷』」
とまた、雷が落ちそうになった時、「『転送』。あ、ちなみにそこのお嬢さん、この屋敷に置いてあったお金は回収させていただきました。お金は色々あって便利ですからね」とパメラが笑い、薄くなってどこかへ消えた。
「っ、転送か。厄介な奴だな」
「はぁ」とため息をついた男はルーナのところに来てもう一度「大丈夫か?」と声を掛ける。
「……………………」
でも、ルーナは無言だ。
少しの間、沈黙が続きルーナが突然「うわあ、あぁぁあ、ああ」と泣き出した。
苦しくて。悲しくて。でもどこかに安心感がある涙。
声は大きく、もっと涙が出るはずなのにぽろぽろと少ししか流れてこない。
「――――っ」
男は目を細め、泣き狂うルーナのそばに寄り添う。優しく頭を撫でながら。
「っ、。ひっ、………っ。っひ。…………はぁ。ひっ、っ。はぁ、っ」
ようやく落ち着いたと思ったらルーナは疲れて男の膝の上に頭を乗せて寝てしまった。
男はルーナが寝たのに気付くと右手は頭を、左手は脚を支え、横向きに抱き上げた。
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