9 最悪の出会い
此方を冷めた瞳で見下ろす男の姿に、私はただただその顔を凝視する事しか出来なかった。
緩やかな曲線を描くプラチナブロンドは、陽の光を受けて銀糸の様に煌めく。その美しい髪は後ろで無造作に束ねられているだけなのだが、これが恐ろしい程様になっている。彫刻の様に整った顔立ちに、瞳は藍色よりも深いインディゴブルーだ。
服装は特に装飾も何もない黒いローブ姿なのだが、地味なそれを纏っていても、その顔面の素晴らしさがあれば服装など瑣末なものだろう。
ラファエル皇子も恐ろしい程の美貌だったが、この人の方が芸術作品と言っていい美しさだ。この顔なら、永遠に眺めていても飽きないに違いない。
……しかし、しかしだ。
「随分と呆けた間抜け面だな。猪娘は人の言葉が解らんと見える。それともその耳は飾りか?」
この人、顔はとんでもなく美しいのに、口が悪すぎる!
完全に人を馬鹿にした物言いに我に返ると、すくっと立ち上がり、男に詰め寄る。
「確かに前方不注意だった私が悪かったのは事実です。でもその言い方は無いんじゃないですか?いい大人が初対面の相手に対する態度じゃありませんよ!」
「ハッ……流石、猪はよく吠えるな。人の大事な書物を汚した相手に、気遣う必要があるとは思えんが?」
「だから謝ってるじゃないですか!それなのにあなたときたら……!」
嫌味ったらしい喋り方も、いちいち人の神経を逆撫でする所も、本当に気に食わない。喋らなければ完璧な容姿だというのに、何でこの人はこういう言い方しか出来ないのだろう。
気が付けば、言い争う私達の周りには人垣が出来てしまっていた。あまり目立ちたくなかったというのに、騒動の中心に居るだなんて、どうしてこうなってしまったのか。
だが、今更後には引けない。ここで逃げ出せば、私はこの顔だけはいい失礼な男に負けたようではないか。
きっと睨みつけるが、男は小馬鹿にした様に鼻で笑った。その表情が本当にいけ好かない。私が更に口を開きかけた所で、焦った様子のミミが人垣をかき分けて私の前に飛び込んできた。
「エマ様!ご無事ですか!?」
「ミミ……!」
「一体何が――」
と、彼女が男の方を向いた瞬間、その動きがぴたりと止まる。ミミもやっぱりこの男の顔の美しさに言葉を失っているのだろうかと思えば、慌ててその場に跪いてしまった。どうしたのだろうかとミミと男を交互に見やれば、男の双眸がすっと細められる。
「何故、貴方様が此方に……」
「往来で仰々しい真似はやめろ。立て、サントリナ」
「はっ。申し訳ありません」
「お前が居るという事は、この猪娘がそう……なのか……俄には信じられんな」
心底疑わし気に、彼は私を不躾に上から下までジロジロと眺める。そんな風に見られる覚えはないと、ムッとして眉を顰めれば、男はやれやれといった様子で溜息を漏らした。
「それで、お前の兄はどこだ?護衛対象を放って何をしているんだ、あいつは」
「その……兄は今、別行動をとっております。この先の泉にて合流できるかと」
「解った。そこまでの道案内は任せる」
「畏まりました。さぁ、エマ様も参りましょう」
ミミに促され、釈然としない思いを抱えつつも彼女の隣を歩く。後ろをちらりと見れば、男は大量の本を抱えたまま、涼しい顔でついて来ていた。
「ねぇ……あの人、何なの?ミミの知り合い?」
「知り合い……そう、ですね……」
声を顰めながらミミに問うが、彼女は困惑した表情で苦笑を浮かべる。ミミの態度からすると、上司か偉い人っぽいのはなんとなく想像がつくのだが、それにしてもあの口の悪さと態度はない。
初対面でこんなに悪い方向に感情が揺さぶられる事など今までなかったものだから、あの人とは余程相性が悪いに違いない。
(ミミとクレイルさんの知り合いなら、できるだけ仲良くしたいけど……あの人、いつもあんな感じなのかな……)
なんとなく気分が重く、自然と溜息が漏れる。微妙に気まずい空気の中、無言で歩く事暫し。泉の前にはクレイルさんが既に待っており、私達の姿を見つけると途端に満面の笑顔になった。ぶんぶんと大きく手を振ってくれているのがなんだか可愛くて、私も自然と笑みが溢れる。やっぱり大型犬みたいだ。
「ミミ〜!エマ〜!さっきは取り乱して悪かったよ。お詫びに美味い物、買ってきたからさ」
「兄上……それよりもですね……」
「相変わらずだな、クレイル。お前はいつも緊張感が足りん」
「げ……な、なんでアングレカム魔術師長が此処に!?」
冷ややかな男の声に、クレイルさんは明らかに顔色が悪くなった。慌てて居住まいを正しているが、冷や汗が噴き出しているのが解る。
「詳しい話は後だ。ここでは誰に聞かれるやもしれん。それに、貴重な書物を日晒しにはできんからな」
「これはまた随分と買われましたね。貴方様が持っていない魔術書がこんなにあったとは驚きです」
「あぁ、何せ此処はあの大魔術師所縁の地だからな」
そう言って彼は僅かに口元を緩ませる。その表情は今までになく優しげで、自分に向けられたものではないのに、思わず視線を逸らしてしまう。今までの態度が態度だけに苛立ちが勝っていたが、やっぱりこの人の顔だけは、悔しいけれど本当に物凄く好みなのだ。本当に悔しいのだけれども。
うっかり見てしまった微笑みを消し去るように頭を振り、ちらりと彼の様子を窺う。伏し目がちに書物を見つめるその眼差しは愛おしげに細められ、それだけで彼がどれ程それを大切に思っているのかが伝わる様だった。
(考えてみたら、それだけ大事な物が地面に落ちて汚れたりするのは確かにつらいな……まぁ、あんな言い方はしないけど!)
彼の場合は魔術書だが、もしそれが公演プログラムや御贔屓の写真集だったら確実に落ち込む。買い直せる物ならまだいいが、入手困難な物だったら目も当てられない。
釈然とはしないが、気持ちは解らなくもない。私の不注意が原因ではあるのだし、落ち着いたら改めて謝った方がいいだろう。
あれこれ考えては百面相をしていた私は気づいていなかった。書物を見ていた筈のアングレカム魔術師長が、いつの間にか私の事をじっと見ていた事を。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
そうして、一先ずは私たちが泊まっている宿へと移動する。各自購入した物を置いた後、クレイルさんの部屋に集合する事となったのだが、私とミミが訪れた時には、既にアングレカム魔術師長が来ており、外に音が漏れないように防音魔術を施してあるとの事だった。
宿の部屋はこじんまりとしており、ベッドの他には小さなテーブルと椅子が2脚しかない。その為、ベッドにサントリナ兄妹が座り、私はテーブルを挟みアングレカム魔術師長の正面の椅子へと腰掛けるしかなかった。
「改めて紹介するけど、此の方がアングレカム魔術師長様だ。うちの国の王宮魔術師で、王立魔術研究所の所長もしておられる」
「アリスティド・アングレカムだ。お前が『聖女』のエマだったとはな」
「聖女ではないですけど、エマ・カガミです。宜しくお願いします」
私の言葉に彼は眉を顰め、物言いたげにちらりとクレイルさんの方へと視線を向ける。
此処でもまた『聖女』だ。クレイルさんは私の事を、『聖女』だと報告していたのだろうか。
視線を受け、クレイルさんは苦笑を漏らすと、アングレカム魔術師長へと向き直った。
「ところで、何故アングレカム魔術師長が直接此処に来られたんですか?俺はてっきり貴方様の部下の誰かが来るとばかり思ってたんですが……」
「俺が来ると何か不都合が?」
「い、いえ……!ただちょっと緊張するな〜と…………なんでもありません……」
じろりと睨まれ、クレイルさんの声がどんどん小さくなっていく。隣で彼を見ているミミの視線が、物凄く生暖かい。
「聖女絡みは国家案件だ。俺ならお前たち全員に加えて荷馬車も王都まで転移させられるというのに、部下を寄越す必要もなかろう」
「いや、でも転移だけならガスパルが得意にしていたかと。あいつなら同期なんで気心も知れてるし、お忙しい魔術師長様のお手を煩わすのもどうかと思った次第……で……」
「…………」
顔が整いすぎた美形の無言の圧力程恐ろしいものはない。無表情なのも余計に恐ろしさに拍車をかけていて、まだ先程のように眉間に皺を寄せている方が解りやすかったのだと私まで冷汗をかいてしまう。なんだか部屋の温度まで冷えている気もする。
何か事情がありそうではあるが、クレイルさんが何を言ったところでこの人はきっと喋りはしないのだろう。
「あ、あの……!ちょっといいですか!?」
気まずい沈黙に耐えかねて、小さく挙手する。少しだけ声が上擦ってしまって気恥ずかしさはあるのだが、クレイルさんとミミがホッと息を吐いているのを横目で見て、少しでも和ませられたのならこれで良かったのかもしれない。
しかしながら、アングレカム魔術師長はといえば、少しも笑うことなく冷たい瞳を此方へと向けてきた。
「なんだ?くだらん質問は受け付けていないが?」
「またそういう嫌味を……とにかく!改めてになりますけど、さっきはすみませんでした。慌てていた私の方が悪かったですし、大事な本を汚してしまったのも私の責任です。お詫びに、私が出来ることなら何でもしますので」
「…………」
がばりとその場で頭を下げるのだが、彼はうんともすんとも言わない。またあの無言の圧力だろうかと、恐る恐る顔をあげれば、それはもうこの世のものとは思えない程美しい、極上の微笑みがそこにはあった。
「それなら、お前には俺の研究に協力してもらおうか」
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!