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8 厄介事は突然に

 堅牢な城砦アンヴァンシーブルは、今まで立ち寄ったどの街よりも賑やかで活気に溢れているように見える。街に住んでいる人だけでなく、傭兵や冒険者といった人の流れが多い事も大きいのだろう。


 宿に泊まった翌日、私たちは国境越えに備えて食料や必要物資を調達するために、店や市場を回っていた。特に街の中央にある市場は人が多く大変な賑わいで、はぐれれば合流するのは苦労しそうだ。


 市場の手前は公園の様な広場になっており、木陰で休んだり、市場で買った物を食べたりしている人も見かける。

 その一角には女神様のような像が立っており、周囲が泉の様になっているのだが、雰囲気的にはトレビの泉に似ている。流れる水は光を受けて綺羅綺羅と輝き、神聖な雰囲気と相まってなんだか見ているだけで癒される気がした。


「万が一はぐれた時は、この泉の前に集合にするか。はぐれないのが一番なんだが……どうにも不安だ」


 そう言ってクレイルさんは、私の方に物言いたげな視線を向けてくる。まるで小さい子供を心配している様な表情だ。


「それって私が迷子になるのが決まってるみたいじゃないですか。クレイルさんって、私のこといくつだと思ってます?」

「エマが立派に成人してるのは解ってる。解ってるが……心配になるのは仕方ないだろ」

「兄上は過保護ですからね。私も割と鬱陶しいなと思う時があります」

「ミミ!?嘘だろ……そんな……」


 にっこりと微笑むミミとは裏腹に、クレイルさんはこの世の終わりとばかりに顔面蒼白になってしまっており、傍目にも悲壮感が漂いまくっている。これはあまりにも可哀想だ。もし自分が同じ事を言われたら、立ち直れないに違いない。


「み、ミミ……お願いだから、クレイルさんの好きなとこも言ってあげて……!」

「好きな所……そうですね、頼りになる所でしょうか。私が困った時に助けてくれるのは、いつだって兄上ですから」


 その微笑みはまさしく天使の微笑みで、私は思わず心の中で拝まずにはいられなかった。尊い以外の言葉が出てこない。

 同じく隣で召されそうになっているクレイルさんを肘で軽く小突く。と、彼は私が何事か言いたい事があるのを察して少し屈んでくれたので、そっとその耳元に口を寄せた。


「良かったですね。お礼はクレイルさんとっておきのお菓子でいいですよ」

「あぁ……エマのおかげだ。秘蔵のボンボン・ア・ラ・リキュールがあるから後で持っていく。俺、酒はあんまり得意じゃないんだけどさ、そこの店のは風味付けくらいだから上品な香りが広がってさ〜酒の雰囲気だけ味わいたい特別な時に食べてるんだよ」


 クレイルさん、甘党だとは思っていたけれど、まさかお酒が得意じゃなかったとは。そういう私もお酒よりもお菓子派なので、特別な時だけ雰囲気を味わいたいというのは解る気がする。それにしてもクレイルさんがオススメしてくれるのだから、きっと味は間違いなく美味しいに違いない。

 ボンボン・ア・ラ・リキュールに思いを馳せていた所で、ミミが此方を目を丸くしてじっと見ているのに気付く。と、少し頬を染め、妙に嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「兄上とエマ様、随分仲良くなられたんですね。距離感、近すぎて驚きましたけど、なんだか嬉しくなってしまいました」

「「へっ!?」」


 ハッとして互いに見合わせる顔が驚くほど近くて、慌てて一歩離れる。気恥ずかしさから顔が火照るのが自分でも解るのだが、ちらりと見れば、クレイルさんは私以上に耳まで真っ赤だ。


「……クレイルさんって、思ってたよりかわいいですよね」

「はぁ!?な、何だいきなり……!」

「なんだか大型犬みたいだなーって。なんだろう、表情かな?」

「っ……お前こそ、俺を犬扱いしてるじゃないか……!くっ……駄目だ。これ以上は耐えられん……暫く一人にさせてくれ!」


 最後は早口になっていたが、それだけ言うとクレイルさんは止める間もなく、あっという間に人混みに消えてしまった。

 やっぱり年上の成人男性に『かわいい』は禁句だっただろうか。どうしようかとミミの方を見れば、生暖かい眼差しで頷いてくれた。


「兄上のあぁいう所が、残念でかわいいと私も思いますよ」

「あはは……それ、絶対クレイルさんに直接言わないであげてね。また落ち込んじゃうから」


 なんとも言えない思いで、苦笑を漏らす。ミミは割とクレイルさんに対して素っ気ない対応をする事があるのだが、要するに飴と鞭だ。ミミの事が大好きなクレイルさんは、見事に彼女の掌の上で転がされている。それでも彼はとても幸せそうだし、私もミミみたいな妹が欲しいと何度思った事か。


「まぁ、クレイルさんはそのうち戻ってくるだろうし、私たちは市場を回ろうか。あと何が必要なんだっけ?」

「そうですね、食材をもう少し買い足すのと……あの、コンフィズリーのお店に少しだけ立ち寄っても大丈夫でしょうか?」

「コンフィズリーって砂糖菓子の事だよね?クレイルさんが大好きなやつ」


 思わずニヤニヤとしながらミミをみれば、彼女は少し恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。少し頬を膨らませているのも可愛い。


「うんうん、いいと思うよ。クレイルさんが大喜びするのが目に浮かぶね」

「別に兄上の為ではありませんから……!」

「そうだね、解ってるよ。ミミは本当に可愛いなぁ」

「っ……もう、あまり揶揄わないで下さいませ……!さぁ、行きましょう!」


 可愛くてつい揶揄ってしまったのが良くなかったのか、ミミは市場の方へと足早に向かってしまう。後ろから見ても耳まで真っ赤だ。それを指摘したらまた可愛く怒るんだろうなぁと微笑ましく思いながらその背を追いかける。


 市場は食材だけではなく、雑貨やアクセサリー、本など様々な物が露店で売られていた。見慣れない物も多く、雰囲気もなんだかお祭りの屋台のようで妙にワクワクする。ついつい目移りしてしまうのだが、その中に焼き物を扱っている露店を見つけて、自然と足が吸い寄せられた。


 並んでいたのは、平皿やカップといった磁器だ。やはり白くてシンプルな物ばかりで、絵や文様が描かれたりという事もなく、形もごく普通だ。城や宿屋、食堂でも同じ様な物が使われていたから、この世界ではこれが一般的なのかもしれない。


(もしかして、染付で色を着ける呉須が存在してないのかも……色絵も焼くのに耐えられるガラス質の顔料が必要だしなぁ……)


 下絵付けで使われる焼くと藍色になる呉須の元は、酸化コバルトを主成分とした鉄、マンガンを含む鉱石だ。これを砕いた物で作られた絵具が呉須と呼ばれている。この鉱石が存在していないか、まだ発見されていないのか、それとも存在していても利用されていないという可能性だってある。


 上絵付けの色絵の顔料も、和絵具と洋絵具があるのだが、どちらもガラス質であり、そこに発色の基となる鉄や銅などの酸化金属を混ぜるか、先に色になる釉薬を調合し、あらかじめ目的の温度以上の高温で一度焼成した物を粉砕した所に加えるかの違いがある。これも必要な鉱石と製法が解らなければ存在していないのだろう。


「ねぇミミ、ちょっと聞きたいんだけど――あれ?」


 隣にいるはずのミミに声をかけるが、そこには誰もいない。慌てて辺りを見渡すが、人混みの中に彼女の姿はどこにも見えなかった。一気に冷や汗が噴き出すのが自分でも解るのだが、クレイルさんの予想通りの迷子になっているだなんて、そんなまさかそんな筈は……


「あ、あの!私の近くにキャラメルブラウンの天使の様な美少女、居ましたよね!?」

「えっ……いや、ここに来た時から、お嬢さん一人だったよ?」


 焼き物屋の店主には幻覚でも見ているのかという残念な者を見る表情をされてしまうが、それは今は置いておこう。問題はここに来た時点で既にはぐれていたという事実だ。これは非常にまずい。あれだけ心配されていたにも関わらず、その通りの事態になっているだなんて、成人女性として恥ずかしすぎる。


「とにかく、はぐれたら泉に集合だよ、うん。大丈夫大丈夫……」

「お嬢さん、一人で大丈夫かい?泉って、広場にある大聖女様の泉だろう?ここからちょっと離れているからなぁ」

「あれって大聖女様の像だったんですか?400年前の?」


 てっきり女神様だと思っていたが、あれが噂に名高い大聖女様だったらしい。銅像にまでなるとは、この世界の聖女様信仰は相当なのだろう。


「あぁ、お嬢さん、この街は初めてかい?あの泉はその大聖女様が降臨された場所そのものなんだよ」

「そうだったんですか!?道理であの泉、神聖な雰囲気だと思ったんですよ」

「いやぁすごい、お嬢さんよく解ってるね。あの泉はこの400年、どんな日照りが続いても一度も枯れた事がないんだよ。大聖女様の奇跡だと言われてる、この街の誇りさ」


 そんなに凄い泉だったのかと目を丸くすると、店主は自分が褒められたかの様に誇らしげだ。それだけ大聖女様とあの泉は、この街の人々にとってなくてはならないものなのだろう。


「へぇ〜そんなに凄い泉の水なら、飲んだら何か御利益ありそうですね」

「それが昔はあったみたいなんだよ。飲んだら立ち所に傷も病も癒えたんだと。まぁ流石に400年も経っちまってるから、今はただ、渾々と水が湧き出るだけだけどな。それだけでも有難いもんさ」


 話を聞くだけでも、大聖女様は凄い力を持っていた事が伝わってくるし、今でも多くの人々に慕われ、敬われているのだという事が解る。それにしても無限に湧き出る癒しの泉とは、なんだか凄くファンタジーだ。


「お話、聞かせてくださってありがとうございました!」

「いやいや、俺も大聖女様と同じ綺麗な黒髪のお嬢さんと話せて良かったよ。……ただ、気を付けな。最近、黒髪の女性だけが拐われる物騒な事件が近くの街でも頻発してるんだ。連れがいるなら早く合流した方がいい」

「っ……」


 思わず被っていたフードの端を握りしめる。黒髪の女性だけを狙った誘拐事件。もしかしなくても、ラファエル皇子の追手だろうか。

 心臓が嫌な音を立てるが、まだそうと決まった訳でもない。嫌な考えを払拭する様に(かぶり)を振ると、落ち着く様に一つ深呼吸をする。


「注告、ありがとうございます。十分気を付けます」

「あぁ、お嬢さんに大聖女様の御加護がありますように」


 そう言って手を合わせる彼に頭を下げると、元来た道を人混みの中進む。きっとはぐれた事に気付いたミミが心配しているに違いない。早く合流して、安心させて――いや、迷子になった事を謝るのが先だろうか。


 髪色を見られないよう、俯きがちに歩を進めていたせいで、おもいっきり誰かとぶつかってしまった。反動で勢いよく尻餅をついてしまう。ぶつかった相手が持っていた物だろうか、無数の本が散らばっていた。


「本当にすみません!前をしっかり見ていなく……て……」


 急いでいた事もあるが、これは完全に私が悪い。慌てて謝り、落ちた本を拾おうと手を伸ばすのだが、その前に全ての本はふわりと浮き上がると、あっという間に目の前の男の手に積み上がっていった。地面に落ちて汚れていた筈だが、それもいつの間にか綺麗になっているようだ。


 目の前で起こった事に理解が追いつかず、ぽかんとしていると、呆れた様な大きな溜息と、驚く程冷ややかな声が降ってきた。


「まったく……どこの猪がぶつかってきたのかと思ったぞ」


 見上げた先には、彫刻の様に整った美貌の男の冷たい眼差しがあった。






読んでくださってありがとうございます!

作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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