69 父と子
「っふ……はははははは!王宮魔術師長の地位に、伝説の大聖女様。その上友にも恵まれ、魔術の才もある。私とお前はこれ程似ているというに、私が持っていないものをお前は全て持っているというのは可笑しな話だろう?お前が持っているもの全て、お前の目の前で壊したらどれ程愉快だろうかと、幾度も幾度も夢に見たぞ」
それはとても愉しげな声音だというのに、ゾッとする程冷たいものだった。
外見はよく似た実の父と子ではあっても、アリスさんとあの人では何もかもが違う。こうして比べて見れば、その違いは明らかだった。
美しい美貌を持っていても、彼は今一人だ。公爵家の子息として生まれ、恵まれた環境、地位も財力もありながら、その歪んだ性癖から全てを失ってしまった人。その原因は彼自身にあるというのに、そこに追いやった息子を恨み、他人を唆し、人を殺す事でさえも何とも思わない人。
彼は薄く笑みを浮かべながら、寝台へと歩を進めると、公爵夫人の遺体を愛おしげに撫でた。
「お前には祖父母にあたるが、会った事が無かったな。どうだ、まるで生きている様だろう?母上のこの表情、朽ちさせるには惜しくてな。ロベリアに伝わる秘術は、時さえも留められるのだ。仲の冷え切っていた父上と、死んでも共に寝かされているのも滑稽だろう?」
くすくすと愉しげに嗤うその目は、少しも嗤っていない事にゾッとする。それだけ、彼は実の両親を憎んでいたのだろうか。死して尚、消える事のない憎悪を向ける程に。
「此処にお前も加えてやろう。嬉しいだろう?お前が求めていた、血の繋がった家族なのだからな」
「生憎だが、俺は家族は自分で見つけた。血の繋がりなど関係ない。愛しく思える者こそが本当の意味で家族となりうるのだからな!」
そうして放たれた光の矢は、あの人に当たる前に見えない壁に塞がれて消える。間髪入れずに水の柱があの人を中心に包み込むのだが、水が消えた後も彼は少しも濡れた様子はなかった。
「この程度か?これでは私に傷一つつけることなど出来んぞ」
そう言った瞬間、部屋に漂っていた黒い靄はまるで意思を持ったかの様にアリスさんへと襲いかかるのだが、アリスさんに届く前に霧散していく。私では何が起きているのかよく解らないものの、凄まじい魔術の応酬が繰り広げられている事だけは解った。
アリスさんが前に出た事で、私とヴィー兄様への注意が逸れている事を確認すると、私は直視し難い公爵夫妻の遺体を注視する。血に塗れたままの惨たらしい姿を見るのはかなりきついものがあるのだが、私が霊石を見つけて浄化しなくてはならないのだ。
だが、どれだけ注意深く観察した所で、遺体の周囲には霊石らしきものは見られない。ただ、あの辺りに酷く嫌な感じがするのは確かだというのに。
「エマ、霊石はどうだい?見つかった?」
私を背後に隠しながら、ヴィー兄様が小声で話しかける。剣を構えながら、視線はあの人に注がれたままだ。
「確かにあの辺りから嫌な感じがするんですけど、見当たらないんです。あそこ以外に考えられないんですけど……」
「それなら、あの寝台の真下とかはどうだろうか」
「えっ?」
真下、という事は寝台の下とかだろうか。確かに下にいく程嫌な感じは増している気もするが、呪物になった霊石の放つ鈍い光は見られない。
「……バティストの後ろ、あの通路。どうやら下に続いている様だよ」
顰めたその声に、私はハッとして薄暗い通路を見る。分かり難いものの、確かに通路は下へと繋がっている様に見える。
「もしかして、あの真下に隠し部屋みたいなものが……?」
「ここに霊石がないのなら、可能性はありそうだね」
ただ、通路を調べたくても、通路の近くにはあの人が居て容易に近づけそうもない。私はぎゅっとヴィー兄様の服の後ろを握り締めた。
「ヴィー兄様、どうにかしてあの人をあそこから動かせませんか?少しでも隙ができれば……」
「やってみよう。アリスにもそれとなく伝えるよ」
じりじりと寝台の方へと近付きながら、アリスさんの魔術があの人へ放たれた瞬間に、ヴィー兄様も幾重もの炎の塊をぶつける。煙があがったその一瞬で、彼はアリスさんへと距離を詰め、耳元で何事か囁くのが見えた。
と、そのまま彼は剣を構え直して煙の中へと飛び込んでいく。金属がぶつかる音が響く中、少し視界が開けた所でヴィー兄様の剣をあの人が受け止めているのが見えた。
「一対一では不利だと踏んで友に頼るか。だが、お前の友は左足を庇う癖が抜け切れていないな」
「っ!?」
近距離で放たれた炎は、ヴィー兄様の左足を直撃する。不意の攻撃に反応出来なかったのか、魔術は無効化される事なく、肉を焼く様な臭いが鼻をつく。苦痛に歪む彼の左足に、間髪入れずアリスさんが水の魔術を掛けたことで炎は相殺され、大事には至らなかったようだ。
ヴィー兄様は後ろに飛び退き、その横でアリスさんが構える。
「油断するな、ヴィー」
「助かったよ。私もまだまだだな」
両者は睨み合いながらも、じりじりとアリスさんとヴィー兄様が後退していく。そうしてアリスさんが更に後退しようとした所で、あの人が前に踏み込んだその一瞬で私も隠し通路に向けて走り出す。二人が後退してくれたお陰で、距離も十分だ。
後もう少しという所で、私の動きに気付いたあの人は、此方へと黒い靄をまるで手の様に変化させて伸ばしてきた。掴まれると思った瞬間、一瞬で転移してきたアリスさんが靄を霧散させる。
「早く行け!ここは絶対に通させん!」
「はいっ!」
ぐっと拳を握り締め、私は必死に通路へと入り込み、螺旋状になっていた階段を駆け降りる。
階段は一つ下の階に続いており、そこはだだっ広い空間になっていた。薄暗いそこには、欠片などではない、鈍く光る大きな霊石が空中に漂っていた。その周囲には黒く禍々しい靄が充満している。
近付くだけでも気持ち悪くなりそうな程、嫌な空気の中、私は意を決してそれに触れる。その瞬間に欠片の時とは比べられない程、眩い光が放たれ、辺りはまるで昼間の様に明るくなる。光が収まる頃には、辺りの空気は清浄そのものに変わっていた。
これであの死者の群れも収まっただろうかと思った時だった。轟音と共に部屋が激しく揺れる。天井からはパラパラと石の欠片が落ちてきて、心なしか周囲の温度も上がっている様に感じる。
上で何かが起こったのだと判断し、慌てて階段を登れば、そこは一転、炎に包まれていたのだ。階段の先にはアリスさんではなくヴィー兄様が居て、離れた所であの人がアリスさんと対峙しているのが見える。
「何があったんですか!?」
「エマが霊石を浄化した途端、公爵夫妻の遺体は時を取り戻した様に一瞬で崩れてね……何を思ったのか、バティストはそれを見て狂った様に笑いながら炎の魔術を部屋中に放ったんだよ」
土台は石造りの建物ではあるが、実は木が使われている所が多い。そこに炎の魔術を無作為にぶつければこうなるのは当然だろう。そして炎は寝台や調度品に燃え移り、更に広がっていく。
「……もう、この邸は用済みだな。残念だったなぁ、ここまで追い詰めた事は褒めてやるが、私はまだこの邸と心中するつもりはない」
彼の周囲には風が巻き起こり、その顔には薄く笑みを浮かべていた。このままだと転移の術でまた逃げられる。そう思った時だった。逃すまいと伸ばしたアリスさんの手があの人の腕を掴んだ瞬間、彼の瞳は驚愕に見開かれる。
「っ!?何故だ!?何故、転移できぬ!?」
「お前の魔術は、俺を阻むものだと俺が認識しているからだ。もう二度と、お前の様なクズを野放しにするつもりはない……!」
ぎりりとアリスさんがその左手に力を込めたのか、あの人の顔が少しだけ苦痛に歪む。それは紛れもなく、私の矢絣の文様の効果だ。左腕にあるブレスレットの文様は、眩い位に煌めいていたのだから。
ただ、あの文様は向かってくる魔術を自分に害あるものだと認識しなければ発動しない。転移の術を発動させないようにするには、あの人に触れているしかないのだ。ずっと拘束するにしても限界はくる。
そうこうしている間にも邸に放たれた火の手は広がる一方で、ここももう幾許も持たないだろうことは明らかだった。特に少し離れた場所にいるアリスさんの居る辺りは、此処よりも火の回りが早い様に見える。がらがらと音を立てて天井も崩れ始め、このままでは此方に戻って来れなくなりそうだ。
「アリスさん……!」
煙に咽せながらも、必死に声を張り上げる。そろそろ脱出しなくてはこのままでは私達の身も危ない。そんな私の方を彼は見、少しだけ眉を顰めて微笑んだ。その表情が、何故だか解らないけれど不安で堪らなくて、酷く胸が痛んだ。そんな予感は知らない振りで、声をあげる。
「そっちの方が火の勢いが強いんです!早くこっちに……」
「ヴィー!!」
私の声を遮る様に叫ぶ彼の声に、びくりと肩が跳ねる。此方を見据える彼のインディゴブルーの瞳は、静かに揺らめいていた。その視線を受け、ヴィー兄様は少しだけ顔を歪めると小さく頷き、そのまま私を俵の様に肩に担ぎあげてしまった。いきなりの事に、私は何が起こったのか訳も解らず呆然としてしまう。
「ヴィー兄様!?」
「アリス!エマの事は必ず護る!だから……君は、君が成すべき事をやり遂げろ!私は、何があっても君を誇りに思う!」
「えっ!?何、何で、急にそんな……!?」
ヴィー兄様の手は、震えていた。私が必死に顔をあげようとした所で、彼はまだ火が回っていない隠し通路を目指して駆け出してしまう。それはアリスさんがいる方向とは反対方向だ。
「待ってください!まだアリスさんがあそこに……!」
駆け出した後、私達がさっきまでいた所は天井が落ちて火が上がってしまっていた。それは完全にアリスさんの居る所と私達を隔てる炎の壁となり、立ち塞がっているのだ。アリスさんの姿も、今は炎に遮られて全く見えない。
「ヴィー兄様!止まって!止まってよ!」
どんどんと彼の背中を叩くものの、私を担ぐ手は少しも緩む事は無く、彼の歩みも止まらない。私がいくら騒いでも、彼は無言でただひたすらに炎を避けながら走り続けた。
涙も声も枯れる頃には、一階にまで辿り着いていた。そこまで来ると、突入してきた騎士や魔術師の姿も見える。火を消そうとしていた彼等をヴィー兄様は外へと急ぎ退避する様に伝えて回った。
「大聖女様!?どうされたのですか!?まさか、お怪我でも……」
「エマちゃん、大丈夫なの!?バティストは!?それにエマちゃんの婚約者がいないみたいだけど……」
途中エレオノールとジゼルさんの声が聞こえたのだが、私はもう、返事をする気力もなく、ただ彼の肩にしがみついている事しか出来なかった。
「エマは大丈夫だ。バティストはアリスが抑えている。だが、急ぎ此処を離れなければならない。邸に突入した者達はあとどれくらいいる?」
「死者の群れが動かぬ骨に戻った後、すぐに火の手があがりましたから、中に入った者はそう多くありません。邸の外から消火にあたっている者はまだ多くおります」
「なら周囲の者達も至急撤退だ。あと少しで、この邸は完全に破壊される」
炎で燃え落ちるのでもなく、破壊されるという彼の言い方が気にはなったものの、私はもう何も考えられなかった。ただただ、炎の中で眉を顰めて微笑んでいたアリスさんの姿だけが浮かぶ。
エレオノール達と邸の外まで脱出し、邸の外から消火を行なっていた人達も連れて門の外まで退避した所で、私は漸く地面へと降ろされた。涙でぐしゃぐしゃになった顔で彼を見上げれば、彼の表情もまた酷いものだった。
「ヴィー兄様……どうして……」
「あの星が降った日、アリスは私に言ったんだ。バティストとは此処で必ず決着をつけるつもりだと。前にバティストを追い落とした時に温情をかけたせいで、公爵夫妻の悲劇や、エズ村の流行り病に、エマ――君の誘拐事件が起きてしまった。アリスはずっと、後悔してたんだよ」
「そんなの、アリスさんのせいじゃないのに……」
全ての元凶はあの人だ。それをアリスさんが気に病む必要なんてどこにもないのに。涙がまた溢れて止まらない私に、彼はくしゃりと力無く笑った。
「私もそう思うよ。でもね、アリスはバティストと血の繋がった唯一の存在だ。一度も一緒に住んだ事もない家族だけれど、その罪を裁くのは自分の役目だと言っていたよ。命を掛けてでもね」
彼はそっと、私の頭を優しく宥める様に撫でる。
「命を掛けても護りたかったのは、エマ。君の為だよ。君がこれ以上脅かされる事がない様に、少しの憂いも残したくなかったんだ。だから――」
その声は、夜の闇を切り裂く様な爆発音に遮られた。ごうごうと音を立てて邸は崩れ、新たに炎と黒い煙が立ち昇る。公爵家の邸だったものは、激しい炎の渦にのまれ、燃え続けていた。
読んでくださってありがとうございます!
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次回で最終話になりますので、宜しくお願いします。